13.正義の炎よ、いつかまた
正義の炎は、絶えず燃え続ける。
水平線の彼方に沈み行く夕陽が、空の色を青から橙に変えていた。そして、橙色の夕空を塗り潰すように暗雲が広がっており、間もなく一雨降り出しそうな空模様だ。
リヴァイアサンとの死闘を終えたユスティア・イグニスの船は、漸くアストルムの街に到着した。多くの客船や漁船が泊まる船着き場へと船は向かって行く。アストルムの船着き場は屋内施設になっており、汽笛を鳴らすとその入り口である巨大な扉が波を起こしながら開き始める。
これまで見た中で最も巨大だったグラドフォス王城の正門の扉よりも遥かに巨大な船着き場の扉に、マルスは呆気に取られて口をあんぐりと開けていた。
扉をくぐりユスティア・イグニスの船が船着き場に入って行くと、そこにいる誰もが満身創痍の船の姿を見て驚きの表情を浮かべていた。
船着き場に停泊し、ユスティア・イグニスの者達は乗客の下船誘導に取りかかる。手隙の者はすぐに木材や布など船の修復に必要な物を調達し、休む間もなく修復作業を開始していた。
マルス達はレオギスとフェーナに改めて挨拶するため下船する乗客の列には並ばず、彼らのもとを訪ねていた。二人は甲板で下船の様子を見守りつつ、修復作業の指示を出しているところだった。
「なんだ、お前らまだ降りてなかったのか」
マルスの呼び声に気づいた二人は、彼らの方に体を向ける。
「もう一回ちゃんと挨拶しとこうかなと思って。着いたばっかりなのに、もう船の修復してるの?」
すぐに下船しなかった理由を簡単に伝えてから、マルスは修復作業に勤しむ船員達に視線を向ける。
リヴァイアサンとの戦闘を終えてから大した時間は経っていない。その上、避難した乗客の回収や船の簡易的な修復など、戦闘後から到着まで船員達は実に忙しなく働いていた。
漸く安全な街に着いたのだから一休みすれば良いのではないか。休む間もなく働く船員達を見て、マルス達はそう思った。
「リヴァイアサンを倒したからって、海が安全な場所になったわけじゃねぇ。オレ達ユスティア・イグニスは、海で困ってる奴がいるならいつでも駆けつける。だから、休んでる暇なんてねぇんだ」
レオギスの言う通り、リヴァイアサンを撃破したからといって海が安全な場所になったわけではない。海を住処とする魔物は他にもいるし、悪事を働く海賊も少なくはないのだ。
そして、助けを求める者はいつどこに現れるか分からない。
正義を掲げ、海の安寧を守る事を使命とするユスティア・イグニスには、立ち止まっている暇などないのだ。
そう語る彼の表情は真面目そのものであった。
だが、次の瞬間には表情を緩めて口角を上げる。
「まあでも、今日はあのリヴァイアサンを倒せたんだ。今夜くらいは全員で良い酒でも酌み交わすとするかな」
散々海を荒らしてきた暴君を、父や同胞達の仇敵を、今日遂に葬る事が出来たのだ。レオギスにとってその喜び、達成感は今まで味わった事もないものだった。
それはフェーナ含め他の船員達にとっても同じ事だ。船は満身創痍、自分達は疲労困憊といった様子だが、先代船長や同胞の仇を討ち、海の安寧を一つ取り戻せたのは大きな喜びであった。
「おい聞いたか、船長が良い酒奢ってくれるってよ! 今日はしこたま飲んでやろうぜ!」
「おい、誰が奢るっつった!」
修復作業をする船員の一人がレオギスの言葉を密かに聞き取っていたらしい。
彼は嬉々として、船長の言葉を都合良く言い換えて皆に伝えた。すると、船員達からは歓喜の声や囃し立てる声が上がり、船上は一気に賑やかになる。
咄嗟にレオギスは都合良く変えられた言葉を否定するも、聞く耳を持つ者はいなかった。
「じゃあ、後で酒の買い出しよろしく頼むよ」
船員達の調子に合わせ、フェーナが失笑しながらレオギスの肩にそっと手を乗せた。
「おい、オレ船長だぞ! 少しは敬え!」
「敬い? 何だそれ、食えんのか?」
自分が奢る流れで話が進み、それどころか使いっ走りもする羽目になりそうで、レオギスは堪らず声を上げた。しかし、その言葉は船員の一人に冗談めいた口調で一蹴されしまう。
少々情けない船長の様子に皆が笑い声を上げ、呆れ顔をしていたレオギス自身もそれにつられて吹き出すように笑い始めた。
マルス達もその様子に堪えきれず笑みをこぼすと共に、ユスティア・イグニスの和気藹々とした様子を楽しげに眺めるのだった。
* * *
乗客が下船し、残る乗客はマルス達のみとなった。ユスティア・イグニスの面々は、共に海の暴君を倒した仲間を見送るため甲板に集まっていた。
「皆さん、本当にありがとうございました!」
下船用タラップの前に立ち、マルスの感謝の言葉に続いてアイクとパルも頭を下げる。
三人に向けて船員達からは、口々に感謝の言葉や再会を期待するような言葉が掛けられる。それらにマルス達は嬉しさを滲ませた笑顔を浮かべて頷いていた。
そして、別れの時が訪れる。
三人は少々名残惜しそうな足取りでタラップを降り、甲板を見上げる。船員がタラップを回収し、船と陸とが完全に切り離された。
「思ってたより損傷がひでぇから、このままドックの方に向かうぞ!」
レオギスが声を上げると操舵士の威勢の良い返事が聞こえ、船がゆっくりと動き始める。
リヴァイアサンとの戦闘による損傷は思いの外酷く、船にある修理用具では満足な修理が出来ないらしい。修理のためにユスティア・イグニスの船は、船着き場に隣接しているドックへと向かって行く。
「お前ら達者でなぁ!」
「レオさん達も!」
大きく手を振って声を掛けるレオギスに続き、船員達も口々に別れの言葉を投げ掛けながら手を振る。フェーナもレオギスの隣で笑みを浮かべて小さく手を振っていた。
マルス達も大きく手を振り、船が去って行くのを見送る。
傷だらけの船は賑やかな声に包まれながら進んで行く。マルスは最後まで自分達を支えてくれた船にも感謝の思いを込めて、何度も手を振った。
やがてユスティア・イグニスの船が船着き場から姿を消し、マルス達は振っていた手をそっと下ろす。
三人だけになり無意識に抱いていた僅かな緊張が解け、疲労が彼らに押し寄せてきた。マルスは欠伸をこぼしながら天井に向けて思い切り両腕を伸ばす。
そして、ちょうど彼が両腕を下げた時、高い天井から音が降ってくるのを彼らの耳が聞き取った。木製の屋根に細かな物がいくつもぶつかる音だ。屋外では雨が降り出していたのだ。
「雨が酷くなる前に宿を探そう」
アイクの言葉に二人が頷くと、三人は船着き場の出口へと向かって行く。
船着き場を出ると、やはり外は雨だった。到着する頃には見えていたはずの夕焼け空はすっかり灰色の雨雲に呑み込まれている。雨はまだ小雨と呼べる程度で、宿を探すだけならばさほど気にはならないだろう。
三人は灰色の石が並べられた石畳を足早に歩いて宿を探す。雨に濡れた石畳は黒い艶を増していた。
「祭りって明日だよね? 雨止んでくれると良いんだけど」
宿を探して歩く中で、マルスは空を見上げて不安を口にする。
旅を進める目的の他に、地上界三大祭りの一つであるアストルムの祭りに参加する事も目的としてここを訪れたのだ。そして祭りが好きなマルスにとって、雨で中止になったり、楽しさが半減してしまったりするのは一番避けたい事態だった。
「雨が止むおまじない、する……?」
「あ、それ良いかも。後で飴買ってこよっと」
パルの言う「雨が止むおまじない」とは、グラドフォスの、とりわけ子どもの間で有名なものだ。飴玉を白い布や紙で包み一晩窓にぶら下げておくと、飴玉のお礼に神様が雨を晴らしてくれるというのだ。
子どもだましに過ぎないものだが、明日の祭りが無事に開催されるのであればマルスは何にでも縋りたいところだった。
「旅費からは出さないぞ」
「分かってるって」
旅で必要となる宿泊費や食料代などに充てる共用の旅費とは別に、三人はそれぞれ個人の自由に使える金を持っていた。アイクの言葉に適当に頷きながら、マルスは自分の手持ちの金がいくらあっただろうかと考える。
そうしながら歩いている内に雨足は強まっていく。服が雨水を吸収し始め、上着がしっとりと重みを増してきていた。
船着き場近くの宿屋は祭り目当ての観光客で埋まっており、どこも店先に「満室」と書かれた看板が立てられている。すぐに入れそうな所は見当たらなかった。
三人はこれ以上雨に濡れるのを嫌がって走り出した。道に出来た窪みには雨水が溜まり始めており、それらの上を通る度に音を立てて水が跳ねた。
街の所々で軒を連ねる宿屋の空き状況を確かめながらしばらく走り続け、船着き場から離れた辺りまで来ると漸く「空室あり」と書かれた看板を置いたり、客を呼び込んだりしている宿屋が見られるようになってきた。
濡れる事を気にしながらもいくつかの宿屋の金額を比べ、その中の安い宿屋に三人は駆け込んだ。入るとすぐに宿屋の者が迎えてくれ、受付を済ませると部屋に案内された。
部屋に入った頃には随分と雨足が強まっており、雨が地面に打ち付ける音が外で賑やかに響いていた。




