10.砕け散る思い出
誰であっても他人の思い出を壊す事は、許されない。
弟妹であるデボラとトイフェルの命を吸収し、イヴリスは異形の怪物へと変貌を遂げた。
そして、彼のそばで倒れる二人は絶命した事によって、その肌の色を冷たくもの悲しげな土色へと変えていた。
まさか彼が弟妹の命を犠牲にして力を得るなど、誰が想像出来ただろうか。
「ど、どうして……」
「あァ?」
もう二度と動く事の無い二人の体を見つめながら、マルスは震える声をこぼす。
聞こえない、はっきり言え、と言わんばかりの口調でイヴリスが聞き返すと、マルスは彼の顔を睨むように見た。
「どうして、こんな酷い事するんだよ……。兄弟でしょ……家族でしょ……」
「利用出来るモンは利用する、それがオレのやり方だ。兄弟だろうが、家族だろうが、知ったこっちゃねぇ」
イヴリスの答えを聞いたマルスは、拳を強く握り締める。
戦争で両親を失い、兄とは生き別れになってしまっているマルスは、家族や兄弟といったものへの思いが人一倍強かった。
彼の胸に堪らぬ憤りが湧き上がってくる。
自分が守りたくても、守る事が出来なかった大切なもの。
イヴリスはそれを守れる立場にあるというのに、守るどころか利用してその命を奪うような真似をした事が許せなかった。
「こうなった以上、オレも元には戻れねぇし……テメェらも死ぬ気で掛かってこいよなァ! お互い、最期の戦いを楽しもうぜェ!?」
マルスの怒りなどつゆ知らず、イヴリスは挑発的な言葉を投げかけてきた。
神の国を侵攻する目的で生み出された彼ら魔族には、地上界の者が持つような家族愛や兄弟愛などあって無いようなものだった。
勝利のためならば、利用出来るものは利用する。
そういう風に彼らは創られたのだ。
だが、魔族という存在を詳しく知らないマルスにはそれを理解するのが難しかった。
「行きますよ、マルスくん」
「はい……!」
返事が響いた直後、ルストが短槍を構えて駆け出し、マルスも彼の後に続いた。
異形の怪物を前に二人は一瞬尻込みしかけたものの、恐怖している暇など無い。
恐れる心を奮い立たせ、二人はイヴリス目掛けて武器を振るう。
自身目掛けて振るわれる二人の武器を、イヴリスはそれぞれ左右の剣となった腕で受ける。
そして、そのまま力任せに剣を押し上げて二人の武器を弾いた。
弟妹の力を吸収した分、やはり強さは増しており、押し返されただけでもルストですら体勢が大きく崩れてしまう。
二人の体勢が大きく崩れた所に、イヴリスは容赦なく両腕を振り回した。
剣となった両腕は二人の体を傷つけ、赤い血が火の粉の如く宙を舞う。
「くッ……癒やしの光よ……!」
咄嗟にイヴリスから距離を取ったルストは、傷の痛みに顔を歪めながらも治癒魔法を使用した。
彼とマルスの体が淡い光に包まれると、顔を歪ませていた痛みが消え、完全とはいかないものの傷が塞がり流血が止まる。
二人の体にはまだいくつも傷が残っていたが、痛みと流血が治まってくれれば今は十分だった。
「これは、下手に力の温存などしていられませんな……!」
相手がどう出てくるか分からず、アイクとパルが倒れてしまい、魔法を使えるのは自分しかいなくなってしまったこの状況で、ルストはなるべく最後まで魔力を温存しておこうと考えていた。
だが、予想以上に敵が強く、もはや形振り構っている暇は無い。
ルストは右手で短槍を構えつつ、左手に魔力を集める。
「裁きの雷よ!」
言下、ルストの左手から雷が放たれイヴリスを襲った。
魔力を集中させる時間が短かったため、大した攻撃にはならない。
だが。
「う、ぐァァッ……!」
感電した事によってイヴリスの体は痙攣を引き起こし、彼は動けなくなる。
剣と化している肘から指にかけてが金属のような性質を持っているのか、彼の体は電撃をよく通した。
イヴリスが動けなくなったその瞬間を見逃さず、マルスは剣を構えて横から彼に詰め寄る。
「はァァッ!」
イヴリスを襲う雷の光が消えた瞬間を狙って、マルスは剣を振るった。
咄嗟にイヴリスは彼の方を向いて防御しようとするも間に合わず、右の二の腕から脇腹までを斬りつけられてしまう。
赤い血がイヴリスの体を汚しながら流れ落ちていき、マルスの剣は赤い血に濡れて煌めいていた。
だが、マルスの想像以上に変貌した彼の体は硬く、流血したとはいえ深手にはならなかった。
「この程度じゃ効かねぇよ!」
大して痛みなど感じていないのか、イヴリスはそう言うと右腕を振るった。
剣で防御するも振るわれた腕の力は強く、マルスは大きくよろけて後退させられる。
彼の意識がマルスに向いている瞬間を狙い、ルストは短槍の穂先を彼目掛けて突き出した。
「はっ、しゃらくせェ!」
イヴリスは不敵な笑みをこぼすと、自身に向かって来る短槍に左腕を思いきり振り下ろした。
その瞬間、左腕の刃は短槍の柄を直撃し、呆気ないほど容易く短槍は折られてしまった。
短槍の穂先は柄の大部分から切り離され、イヴリスの体に僅かな傷を付けると力無く地面に落ち、生気のない軽やかな金属音を響かせる。
「ば、馬鹿な……ッ!」
短槍の柄は木材の中でも非常に頑丈な性質を持つ樫で出来ていた。
だが、イヴリスはそれをいとも容易く断ち切ってしまったのだ。
用心棒として駆け出しであった頃から愛用しており、折れる事のなかった相棒が初めて折られ、ルストは狼狽した声をこぼす。
その衝撃で呆然としている彼にイヴリスは躊躇なく左腕の剣を振りかざした。
「ルストさんッ!」
だが、剣が振り下ろされるよりも早く、マルスが横からルストの体を突き飛ばす。
呆然としていたルストは突き飛ばされた衝撃で地面に倒れ込んでしまうが、そのおかげで斬りつけられずに済んだ。
しかし、彼が無傷で済んだ代わりに、イヴリスの剣の切っ先は飛び込んできたマルスの左肩から背中を掠めた。
痛みに顔を歪めながら、マルスはルストを突き飛ばした勢いのまま飛び込み前転をするように地面に倒れ込む。
イヴリスはすぐさま標的を横から入ってきたマルスに変え、今度は右腕で倒れた彼の体を狙った。
咄嗟にルストがマルスより前に出て、折れた短槍で剣を弾き、彼に後退するよう促す。
イヴリスの攻撃をしのいだ所で、ルストも彼から距離を取った。
「なーんか物足りねぇなぁ……って、オレが強すぎんのか」
剣と化した右腕で肩を叩きながらそう呟くイヴリスの顔には退屈さが滲んでおり、警戒と狼狽の表情を浮かべる二人とはまるで正反対だった。
変貌する前よりも強大な力を得た彼にとっては、二人との戦いが退屈になってきていたのだ。
もっと強く、もっと殺す気で掛かってきてくれないものかと彼は二人を見る。
「……ああ、そうだ。地上界の野郎共は『心』とか言うモンに、オレ達魔族の想像も及ばねぇような力を持ってんだろ?」
ふと、何かを思い付いたような顔になって言うイヴリスに、どういう事かとマルスは僅かに首を傾げ、ルストは睨むように目を細める。
すると、イヴリスは口角を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべると、どこからか取り出したエレノアのブローチを剣となった手の先端に引っ掛けて二人に見せびらかす。
揺れて不安そうな煌めきを放つ緑のブローチを見て、ルストは思わず狼狽える。
「な、何を……」
「ほら見せてみろよ……その想像も及ばねぇ力ってのをよォ!」
言下、イヴリスはブローチを上空に投げ上げると、両腕の剣でブローチを叩き斬った。
ブローチは小さな悲鳴にも聞こえる悲しげな音を響かせ、小さな欠片となって地面に落ちる。
そして、あろうかことかイヴリスはその欠片をさらに足で強く踏みつけた。
とうとうブローチは原型を留めぬほどに砕けてしまう。
「きっ、貴様ァッ!」
ルストは目をこれでもかと見開いて血走らせ、さらには青筋を立てて荒々しく怒号を上げた。
そのまま形振り構わず、右には半分になった短槍の穂先の方を、左手には柄の部分を持ってイヴリスに詰め寄った。
先程までの慎重で、正確だった攻撃とはまるで違い、滅茶苦茶に荒々しく勢いに任せてルストは折れた短槍を振り回す。
正確さは失われたものの、軌道の読めなくなった彼の攻撃はイヴリスも完全に捌ききる事が出来ないらしく、イヴリスの体に傷が増えていく。
「はははッ、いいぞジジイ! こんぐらい攻めてくれるのを待ってたぜ!」
「おのれ盗賊! よくも奥様のブローチをッ!」
イヴリスはようやく自分の満足いく戦いをするようになったルストに喜んで笑い声を上げる。
ブローチを破壊したどころか、こちらを煽ってくるような彼の言動に抑えきれない怒りを露にしながら、ルストは両手の短槍を振り回す。
噴火した火山から流れ出る溶岩のように、彼の怒りは止まらない。
「貴様だけは、決して許さん!」
ルストはそう叫ぶと、左手に持った柄を下から振り上げて、イヴリスの左腕を強く打ち上げた。
下からの攻撃に彼の左腕は自然と上に弾かれる。
そして、ルストは右手に持った穂先で無防備になったイヴリスの左胸――心臓部分を狙った。
咄嗟に彼は回避しようとするも反応が遅れ、心臓を貫かれはしなかったものの、槍の穂先は彼の脇付近に深々と突き刺さった。
彼は忌々しげに舌打ちすると、右腕の剣を振り上げる。
だが、ルストは今の一撃に精一杯だった様子で、自身に迫る右腕の剣には気づいていなかった。
「死ねジジイ!」
痛みに顔を歪めつつも、勝ち誇ったような笑みを浮かべてイヴリスは右腕を振り下ろした。
彼の言葉でルストはようやく気がつくも、もう逃れようがない。
ルストの表情が怒りから焦りに変わる。
その直後だった。
「グアアァァァッ!」
突如、イヴリスの悲鳴が響き渡った。
ルスト目掛けて振り下ろされたはずの剣と化した右腕は、弾かれるように主の後方へと飛んで行く。
肘の辺りから半分を失ったイヴリスの右腕からは大量の血が溢れ、飛び散り、彼自身も地面も、目の前にいたルストをも汚していく。
「マ、マルスくん……」
焦りの直後に来た驚きの感情に怒りを抑えられたルストは、イヴリスの右横に立つ人物を――マルスを見た。
彼の剣にはまだ新しい赤い血が付いており、彼がイヴリスの剣と化した右腕を斬り落としたのだという事は言われずとも理解出来た。
「グッ……クソがァ……! テメェなんかに、このオレが……!」
イヴリスは刃を失い、血を溢れさせる右腕を庇うようにしながらマルスを睨み付ける。
「これは、エレノアさんとルストさんの痛みの分だ」
僅かに眉間に皺を寄せながら、マルスは深い海色の瞳でイヴリスを見据える。
ルストには彼の瞳が悲しみと憎しみ、そして、様々な後悔の色を混ぜた複雑な色をしているように思えた。




