8.追い詰められたのは
アイクとパルが、デボラとトイフェルを戦闘不能に追いやり、残る盗賊はイヴリス一人となった。
眠っているデボラとトイフェルを戦闘の邪魔にならない場所に縛ったまま横たわらせてから、アイクとパルは加勢しようとそれぞれ剣と拳を構えて、マルス達のもとに駆けつける。
ちょうどその時、マルスとルストがイヴリスの攻撃によって地面に倒れ、二人を守るようにしてアイクとパルは前に出た。
「俺達も加勢します」
アイクは背後にいるルストに向けてそう言いながら、剣を構えて睨みを利かせイヴリスを牽制する。
「ああ? んだよ、デボラとトイフェルもう負けちまったのかよ」
突如自身の前に立ちはだかった、弟妹と戦っていたはずの者達の姿に、イヴリスはそうぼやいて傍らで倒れている弟妹を見やった。
だが、その口調や様子から彼が焦っているという事は感じられない。
四対一と数では明らかに追い詰められている状況だというのに、まるで焦る様子を見せない彼を誰もが不審に思った。
「ほら来いよ。まとめて相手にしてやるぜ」
剣を持たない左の手のひらを上に向け、指で挑発の仕草をしながらイヴリスは言う。
四人を相手にしても全く問題無いという自信が滲み出ており、マルス達はどこか腹立たしく感じた。
けれども、彼の強さは確かであり、ここで挑発に乗せられてしまうようでは勝てるものも勝てなくなってしまうだろう。
腹立たしく思う感情を抑え、四人は再び戦う構えを取る。
最初に仕掛けていったのは、前に出ていたアイクとパルだった。
アイクが振り下ろした剣がイヴリスの剣に受け止められ、弾けるような金属音が響く。
イヴリスが武器を動かせないその隙を狙って、パルが氷魔法を撃ち込んだ。
「おっと、危ねっ」
どこかおどけた口調で言うと、イヴリスはアイクの腹を蹴って彼の体と共に剣を無理矢理離し、その反動に身を任せて、自身に向かって一直線に飛んできていた氷の矢を回避する。
アイクとパルが彼から距離を取った直後、入れ替わるようにしてマルスとルストが前に出た。
時計の四時の方向からルストの槍が突き出され、八時の方向からマルスが剣で斬りつける。
だが、イヴリスは楽しげな笑い声をこぼしながら後方へ飛び退いて二人の攻撃を躱した。
直後、獲物を見失った槍と剣が音を立ててぶつかる。
「ごめんルストさん!」
「いいえ! お気になさらず!」
二人はすぐさま互いの武器を離して、同じ方向からイヴリスを狙った。
またしても彼は楽しげに笑いながら、マルスが振り下ろした剣を自身の剣で受け止め、ルストの突き出した短槍の穂先を左手で掴んで止めていた。
短槍の穂先を掴んで止めたがために左手のひらを傷つけたらしく、彼の左手から赤い血が地面に滴り落ちる。
「どうした? こんなモンかぁ?」
口角を吊り上げ、不気味な赤い瞳を細めて笑うイヴリスの顔は狂気のようなものが滲み出ていた。
流れてくる血が短槍の穂先から柄の方へと伝ってきており、まるでイヴリスの狂気に侵食されているような感覚をルストは抱く。
その狂気にルストは嫌悪感と戸惑いの混じり合った表情を浮かべながら、短槍を動かせずにいた。
「……っ、まだだ!」
狂気に飲まれかけた空気を壊すように、マルスが声を上げて剣を振るう。
彼の声で我に返ったルストは強引にも短槍から敵の手を振り払うと、マルスの動きに合わせて短槍を振り回しイヴリスを壁際へと追い詰めていく。
アイクとパルはイヴリスの逃げ道を奪うように後方からそれぞれ魔法を撃ちながら、マルス達と共に距離を詰めていく。
剣を振り回し、時には魔法や体術を駆使して抵抗するも、イヴリスは気づけばあと一、二歩下がれば岩壁に背中が当たるほどまで追い詰められた。
その時を狙っていたアイクはイヴリスに向けて両手を翳す。
すると、イヴリスの足下に青い魔法陣が出現し、彼が何事かと眉をひそめた直後、地面ごと彼の両脚が凍り始めた。
舌打ちをして氷を割ろうとするも、氷は見る間に膝上まで侵食してきており、足の自由がきかなくなる。
アイクに何か策略があると勘づいたルストは、氷に気を取られているイヴリスに短槍を振り下ろした。
案の定、彼はすぐさま振り下ろされた短槍を剣で受け止める。
ルストはそのまま力を込めて彼の剣を下方へ押し、膠着状態に持ち込んだ。
「パル、今だ!」
イヴリスが足の自由も武器の自由も奪われたその時、アイクは声を上げた。
彼の声を聞くやいなや、パルは身動きの取れないイヴリスに詰め寄った。
そして、彼の弟妹にもしたように催眠魔法をかけようと両手に魔力を集中させ、彼の顔に手を伸ばす。
「ああクソッ、しゃらくせえッ!」
イヴリスは吐き捨てるように叫ぶと、剣を持つ手に力を込めた。
強い魔力が剣に集まるのをいち早くパルは感じ取ったが、早く戦いを終わらせたい思いに身を任せて彼に詰め寄ってしまったがために身を引く事が出来ない。
彼女の意思とは裏腹に、彼女とイヴリスの距離は縮まっていく。
イヴリスの剣が強力な風の魔力を帯び始め、彼は舌なめずりするように笑い、パルは「もうダメだ」と諦めの感情に脳内を覆い尽くされていた。
「パルっ!」
突然、彼女の体が後方に押し飛ばされた。
剣が振るわれるよりも、パルがイヴリスと接触するよりも早く、傍らにいたマルスが二人の間に立ち塞がり、自分の体ごと彼女の体を押し飛ばしたのだ。
その直後に凄まじい突風が発生し、パルとマルスは共に吹き飛ばされる。
咄嗟に短槍を離して防御の構えを取ったルストも、後方でイヴリスが動けぬよう魔法を使用し続けていたアイクも、その凄まじい突風に体を吹き飛ばされた。
突風と同時にイヴリスが振るった剣から風刃が放たれ、岩壁や四人の体に傷をつける。
アイクとルストは咄嗟に防御の体勢を取ってどうにかしのぐものの、無防備なまま吹き飛ばされたマルスとパルは風刃の格好の的だった。
だが、マルスが覆い被さるようにしてパルを守り、彼女自身は手足に多少の切り傷がつく程度で済んでいた。
耐えること十数秒。
異様なほど長く感じた十数秒だ。
ようやく襲い来る突風と風刃が止んだ。
マルスは安堵したような息をつくと、パルの上から体を離してその横に倒れた。
すぐにパルは体を起こすと、彼の顔を酷く不安そうな表情で覗き込んだ。
「マルス、マルス……!」
「パル……無事?」
心配しているのはパルだというのに、マルスは逆に彼女を気遣い心配するような言葉をかけてきた。
彼の手足と背中は切り傷だらけで、衣服の切れ目からは赤い血を滲ませた痛々しい肌が見える。
自分が勢い任せに出てしまったがために、マルスが自分を庇い、傷付いてしまった。
彼女はそんな自責の念に囚われてしまう。
「ごめんね……ごめんね、マルス……」
「大丈夫だよ。何にも考えないでパルを助けようとしたオレも悪いんだし……それにほら、パルがこうやって治してくれるから大丈夫」
何度も謝りながら治癒魔法をかけて傷を癒やしてくれる彼女にマルスは優しい口調でそう言い聞かせ、明るく笑ってみせた。
「お二人共、ご無事ですか!?」
治癒を続けている内に、ルストとアイクが駆け寄ってきた。
身を守る余裕があった二人は、幾らか傷付きはしているものの、さほど大きな怪我はしていないようだ。
二人も無事であった事にパルは安堵したように息をついた。
「あークソッ、なかなかやってくれるじゃねぇかよ……下等な地上界の野郎共がよォ……」
四人が無事を確かめ合う中、不意に息を荒くしたイヴリスの声が響いてきた。
魔力が途切れた事で弱まったアイクの氷を彼は自力で破壊し、自由を取り戻していた。
パルの魔法によってようやく傷が癒えたマルスは、立ち上がってアイク達と共に武器を構え臨戦態勢を取る。
イヴリスは苛立った様子で、左手で頭を乱雑に掻きながら大きな溜め息をついた。
「すっげぇ腹立つから、テメェら全員ぶっ殺してやる。覚悟しろよなぁッ!」
いきり立った口調でイヴリスは叫ぶと、左手に魔力を集中させた。
胸が詰まり、息苦しくなるような禍々しい魔力が左手に集まっていき、それは黒と紫の混じった邪悪な光へと変わり始める。
またしても攻撃魔法が来ると思い、四人はそれぞれ防御の構えを取った。
「食らいやがれ!」
言下、イヴリスの左手から禍々しい光が四人を目掛けて放たれる。
アイクはすぐ手前に迫ったその光を剣で弾こうとした。
しかし、光は剣に当たっても相殺されもしなければ、弾かれもしない。
それどころか、剣ごと彼の体を包むように広がったのだ。
アイクは体を包むその邪悪な光に力を奪われるような感覚に襲われた。
「くっ……何だ、これは……っ……」
その言葉を発した直後、アイクの手から音を立てて剣が地面に落ち、それに続くかのように彼の体も地面に倒れ伏した。
力無く地面に倒れた彼は、それきり動く気配がない。
「アイク……! っ、うぅ……」
彼の異常事態に気づいたパルが視線を彼に向けたが、それが仇となった。
油断した彼女もまた同じように邪悪な光に体を包まれると、突然意識を失ってその場に倒れ伏す。
二人の身に起きた異変で、ルストはこの魔法の正体に気がついた。
「マルスくん! これは呪い魔法です! あの光に当たらぬよう!」
ルストは辛うじてまだ邪悪な光に当たっていないマルスに向けて叫んだ。
この邪悪な光の正体とは、呪い魔法だった。
呪い魔法とは術者の魔力によって作り出される魔法の一種で、瞬時に相手を昏睡状態に陥らせたり、精神的な苦しみを与えたり、酷いものでは徐々に相手の命を奪っていくものがある。
地上界で禁術とされている黒魔法に準ずるものであり、その使用は厳しく制限されている魔法だ。
ルストの言葉通り、マルスは当たらぬように必死で逃げ回るものの、光はしつこくその後を付いて来る。
逃げ惑う彼の様子をイヴリスは楽しげに眺めていた。
「こんな所で、かつての修行が役に立つとは……。はッ!」
ルストは短槍を構え、そこに魔力を集めた。
若かりし頃の教会での修行の日々、その中で磨き上げられた清らかな彼の魔力が短槍の穂先を覆う。
そして、ルストは自身に迫る邪悪な光を、清らかな魔力を纏った短槍で貫いた。
清らかな魔力は禍々しい魔力を抑え込んでいき、先程アイクが剣で弾こうとした時のように邪悪な光が広がる事はなかった。
ルストが短槍を引き抜くと、光は炎が掻き消されるかのように消滅した。
光が消滅してから、ルストはすぐさまマルスを救いに向かう。
ずっと逃げ回っていたマルスはもう体力が限界らしく、酷く息を荒くしながらどうにか邪悪な光との距離を保っていた。
ルストは再び清らかな魔力を短槍に纏わせ、彼のもとへと急ぐ。
だがその時、楽しげに様子を眺めていたイヴリスがマルスの足下を目掛けて風魔法を放った。
「うわ……っ!」
それに気づく余裕も無かったマルスは当然避ける事も出来ず、局所的な突風に足下を掬われ、その場に倒れ込んでしまった。
突然逃げる足を止められてしまった彼に、禍々しい光は迫って来る。
間に合わない、そう思ったルストは一か八か短槍を、今にもマルスを飲み込もうとする光目掛けて投げつけた。
「……っ!」
しかし、短槍はごく僅かな差で光とすれ違い、呪いの光を消滅させる事が出来ずに地面に落ちた。
短槍が地面に落ちるもの悲しい音が響くと同時に、邪悪な光はマルスの体を包み込む。
「マルスくん!」
ルストは今ならまだ助けられるかもしれないと僅かな可能性に賭けて、自身の両手に清らかな魔力を纏わせてマルスに駆け寄る。
だが、またしてもイヴリスが風魔法で妨害をし、ルストの体を後方へ吹き飛ばした。
そして、マルスが呪いの力に飲まれ、倒れるのを今か今かと実に楽しげな様子で見ていた。
「くッ……こんなのに、負けてたまるかァッ!」
刹那、マルスに纏わり付いていた邪悪な光が弾け飛んだ。
彼は全く何の影響も受ける事なく、それどころか呪い魔法を打ち破ったのだ。
イヴリスにとっても、ルストにとっても信じ難い事が起こり、二人は呆然とした表情で彼を凝視した。
「ありえねぇ……自力で打ち消しやがったのか!?」
イヴリスは思わず驚愕の声を上げていた。
ルストのような、聖職者が修行によって得る清らかな魔力を持つ者であれば、自力で呪い魔法を打ち消す事が可能であるが、マルスからはそのような清らかな力は感じられない。
それどころか、魔力があるのかすら怪しいほどだ。
だが、実際に彼は呪い魔法を撥ね除けてしまったのだ。
「んだよ……テメェ、特殊体質持ちか……」
イヴリスは舌打ちしてそう呟く。
ごく稀に、どれほど強力な呪い魔法も受け付けない特殊な体質を持った者がいる。
その要因は潜在魔力が極端に少ない事や生来の気質など様々言われているが、詳しい事は未だ解明されていない。
どうやらマルスはその特殊な体質を持って生まれた者の一人らしい。
マルス自身は気合いか何かで助かったと思っているらしく、特に自身が呪いを撥ね除けた事に何も思っていない様子で体を起こしていた。
彼の無事にルストは胸を撫で下ろすと、彼に駆け寄って立ち上がる手助けをする。
「チッ、まあ二人減らせただけ良しとするか……」
イヴリスはもう一度舌打ちすると、剣を構えながらゆっくりと二人に歩み寄って行く。
マルスはすぐに体勢を立て直して剣を構える。
地面に落ちていた短槍を拾い上げたルストは、それを構えながらマルスに声を掛けた。
「マルスくん、ここまで来たら本気で……奴を倒す覚悟でいきますよ。呪い魔法をかけられた以上、もうそうするしかありません」
彼の言う「倒す」、それはすなわち「イヴリスを殺す覚悟で戦う」という事だった。
生け捕りにするというような生ぬるい覚悟では、彼に勝てる兆しが見えない。
そして何より、呪い魔法の存在が大きかった。
呪い魔法の厄介な点は、時間の経過によって解ける催眠魔法のような状態異常を引き起こす魔法と違って、専用の特殊かつ強力な術を使うか、術者が死ぬかでしか解除されない事だ。
解除のための術を会得していなければ、術者にすら解除する事は出来ない。
イヴリスがその術を会得しているかどうかは分からず、会得していたとしても素直に使用するとは限らない。
それを考えれば、殺す気で戦う――術者であるイヴリスを倒すというのが、アイクとパルを救うのに一番確実な方法だった。
マルスはどこか気が引ける思いでもあったが、アイクとパルの命には代えられないと覚悟を決め、ルストの言葉に力強く頷いた。




