11.友か、獲物か
あいつなら、きっと――。
マルス達がドラゴンの牙の採取に励んでいる頃。
オスクルの洞窟付近にある樹木の陰に、一人の少年の姿があった。
暗い青色の髪をした彼は、邪神の手先――アヴィス四天王の一人である。
太陽に照らされた周囲の草原は鮮やかな黄緑色をしていたが、彼が立つその場所だけは異様なほどに暗く感じられる。
彼は樹木の葉の隙間から見える太陽を忌々しく、だがどこか憂いを帯びた瞳で見ていた。
その時、ふと洞窟の中から何者かの足音が聞こえてくる。
「……随分遅かったな」
「うるさいなぁ。ちょっと迷子になってたんだよ」
小言めいた口調で言う少年にそう答える足音の主は、赤い髪と瞳が目を引き、背格好に不釣り合いな大剣を背負った少年――アベルだった。
「それで、例の勇者共は始末したのか?」
「……あ! 他の事に夢中ですっかり忘れてた!」
少年の言葉で、アベルは自分がこの洞窟を訪れた本来の目的をようやく思い出したのだ。
目と口を同時に大きく開いて唖然としているアベルに、少年はひどく重い溜め息をついた。
「……馬鹿が」
「馬鹿って言うな!」
唯一見える暗い髪色とは対照的な黄色の左目が、侮蔑の意をもってアベルを睨み付ける。
彼が自分に向ける視線は大抵睨みが多いため、アベルはこの時も睨まれた事を大して気にはしなかった。
だが、「馬鹿」と言われるのは何度経験しても無視する事は出来ず、つい声を荒げてしまう。
「ふん、いいよ。どうせ勇者なんて弱いだろうからいつでも倒せる。それに、なんか気の合う奴と会えたし。お前みたいに皮肉で陰険な嫌な奴じゃなかった」
アベルは口を尖らせて、拗ねた口調で言う。
皮肉で陰険な嫌な奴、という言葉だけはわざとらしく強調した。
とはいえ、青髪の少年はアベルからの悪口には慣れているらしく、ただ呆れたように彼から視線を逸らす。
「……一応聞いてやるが、どんな奴だったんだ?」
洞窟内で出会った者ならば、勇者である可能性も十分にあり得る。
そう考えた青髪の少年は、アベルに出会った者の事を尋ねた。
「明るくて、何か抜けてるとこがあるけど、ボクと気が合うすごい良い奴で……」
「性格の話はいい。外見の特徴を答えろ」
出会った者が勇者なのか確かめようとしている青髪の少年の意図はアベルには伝わっていないらしく、彼はマルスの性格や良い所を挙げていく。
咄嗟に青髪の少年は彼の話を遮り、自分が欲している答えを求めた。
「んーと……茶髪で青い目をしてたなぁ。他に特徴って言ったら……あ、そうそう、右手になんか入れ墨みたいなのがある奴だった」
アベルはマルスの姿を思い出しながら、彼の外見上の特徴を挙げていく。
マルスがグローブの中に入った砂を出す時に、一瞬だけ見えた右手の入れ墨のような物の事を口にすると、青髪の少年はひどく重々しい溜め息をついた。
その様子を見たアベルは訝しげな顔をして彼を見る。
「貴様……やはり馬鹿だな」
「なんだよ! さっきから馬鹿馬鹿って!」
再び呆れた様子で馬鹿と言われ、アベルは思い切り眉間に皺を寄せて彼に詰め寄った。
掴みかからんばかりの勢いでアベルは迫ったが、少年は微動だにせず、面倒そうにもう一度溜め息をつく。
「……そいつが例の勇者だ。右手の紋章を見ても気づかなかったとは……馬鹿にも程がある」
洞窟で出会った少年――マルスが自分達の標的である勇者だという事実を、少年は低い声で淡々と告げる。
アベルは彼の言葉を聞いて、目を見張る。
気が抜けて重力に逆らえなくなった口が自然に開くと同時に、アベルの声がこぼれた。
「あいつが……勇者……」
彼の視線が少年から地面へと落ちていく。
アベルの方が頭一つ分ほど背丈が小さいため、俯いている彼の表情は少年には見えない。
「ハデス様の御力で、一度顔は見たはずだ。ああ、馬鹿だから忘れていても仕方ないか」
「………………」
少年は先程までと同様に嫌味を言ってくるが、アベルは俯いたまま何も答えない。
「友、とでも言えるような奴が敵でそれほど残念か?」
いつもならば食い気味に反論してくるが、今は全く反応しないアベルがどうにも気になり、少年はそう尋ねた。
「……ふっ、あははっ……! 何言ってんの? そんなわけ無いじゃん」
その途端、俯き沈黙していたアベルの口からこぼれたのは、笑いだった。
笑いながら、アベルは顔を上げる。
その笑顔は、マルスの前でも見せた、無邪気と狂気の二つが入り混じったものだった。
彼の二面性が同居するその笑顔に、少年は僅かに顔を顰める。
少年には怖いものなど無いに等しいのだが、アベルのこの笑顔だけはどうしても気味悪く感じていた。
二人のそばに生えた樹木に留まっていた鳥達も、その異様さに音を立てて羽をばたつかせながらその場を逃げ出した。
「そっかぁ……あいつ、敵なんだ……楽しくなりそう……。うん……あいつはまだまだ強くなるよ。強くなったあいつを、ボクが倒すんだ……!」
独り言のようにアベルは言う。
「友達になろう」と言ってくれた彼。
怪我を負いながらも自分を庇い、己より遥かに強い腕力を持つ敵を押し退けてみせた彼。
アベルがマルスに感じていたのは、自分にはない、生まれて初めて見る「強さ」だった。
赤い瞳に、獲物を前にした獣のような貪欲で鋭い煌めきが宿る。
「あははっ! 本当に楽しみだなぁ……」
アベルはそう言って、楽しげに笑う。
新しい玩具を見つけた幼子のような無邪気さと、強い者と戦う事を快楽とする戦闘狂の如き狂気。
二つの相反するものを纏った彼の笑い声は、広い草原に響き渡っていった。




