10.赤の狂気
垣間見える、恐るべき狂気。
ドラゴンの一匹を倒し、心の中で弔いの祈りを捧げてから、マルスは気を取り直してアベルの方を振り返る。
その時目に入ったのは、ドラゴンを斬り倒したアベルの背後から滑空して襲いかかろうとするもう一匹のドラゴンだ。
「アベルッ!」
マルスの叫び声の直後、剣とドラゴンの鉤爪がぶつかる音が響いた。
背後から迫っていたドラゴンの攻撃からアベルを庇ったのだ。
「は、何やって……」
呆気に取られたようにアベルは赤い瞳を丸くしていた。
「うおおおおッ!」
気合いを込めてマルスはドラゴンを押し返す。
人のためならば殊更、通常時を遥かに上回る力を発揮するのが彼だ。
押し返されたドラゴンはそのまま後ろの地面に落ちる。
「ぐっ……!」
しかし、ドラゴンが落ちる間際に暴れた事で、その鉤爪がマルスの左腕を引っ掻いた。
痛みと共に溢れた血に顔が歪む。
地面に落ちたドラゴンの一瞬無防備になった胸を、アベルの大剣が貫いた。
心臓を一突きにされたドラゴンは絶叫して息絶える。
「何やってんの!? あれぐらい避けられたのに!」
自分を庇って怪我を負ったマルスにアベルは詰め寄った。
「ご、ごめん……でも、アベルが大怪我するかもって思ったら、体が勝手に動いちゃって」
「はぁ? なんでボクなんかに……」
意味が分からない、とでも言いたげな物言いだった。
「だって、友達だから。友達の危機は助けたいって思って当然じゃん」
マルスはそう言って、屈託のない笑みを浮かべた。
眉間に皺を寄せたまま、アベルは茫然と彼の顔を見つめていた。
「友達……」
「そう、友達」
反芻するように呟くアベルに頷きながら、マルスは持っていた回復薬を乱雑に左腕にかける。
完治とまではいかないものの、出血と痛みは治まっていた。
「そっか……友達、か……」
アベルは先刻マルスに握られた右手をちらりと見た。
「じゃ、早いとこ他のドラゴンも倒しちゃお!」
再び剣を構えて、マルスは戦闘態勢をとる。
「こんなとこで死なないでよ」
「え? そりゃもちろん!」
大剣を構え直したアベルから掛けられた言葉に、マルスは首を傾げつつも力強く答えた。
彼の返事に僅かに口角を上げると、アベルは目の前で様子を窺っていたドラゴンに斬りかかる。
マルスも自身の前にいるドラゴンに向かっていった。
* * *
ドラゴンとの戦闘が再開されて十分。
マルスはどうにかもう一匹のドラゴンを仕留める事に成功していた。
やはりドラゴンの硬い皮膚は思うように攻撃が通らず、随分体力を消耗させられた。
息を軽く整えてから、マルスはアベルの方を振り返る。
「アベル、そっちはど、う……」
振り返ったマルスの視界に飛び込んだ光景は、彼の表情を凍り付かせた。
視線の先にあるのは、三匹のドラゴンの死骸。
どれも首を斬り落とされて絶命している。
そして、その死骸に囲まれるようにして、返り血を浴びたアベルが立っていた。
彼の赤い瞳は淀んだ光を宿しており、つい先程までの様子とはまるで違う。
「ア、アベル……?」
言い様の無い恐怖が込み上げてきて、マルスは僅かに震えた声で彼を呼んでみる。
だが、彼にはマルスの声など届いていないようだった。
「あははッ! やっぱり楽しいねぇ! 強い奴をぶった斬るのって!」
アベルは笑い声を上げた。
その笑い声に含まれた狂気に、じわじわと腹の底から込み上げてくるような殺気に、マルスの背筋に悪寒が走る。
僅かな身震いと共に鳥肌が立った。
マルスはその殺気を感じて、何故ほとんどのドラゴンが自分に襲いかかってこなかったのかを理解した。
自分がドラゴンなら、アベルを警戒せずにはいられないだろう。
喰うか喰われるか。
この洞窟で天敵などいなかったのであろうドラゴン達はその感覚を久しく、そして鮮明に感じたのだ。
ドラゴン達の生存本能を刺激するほどの殺気を放つアベルの強さは如何ほどなのか、鈍感なマルスでも容易に想像が出来た。
「でもさぁ、こんなんじゃあ足りない! そっちのデカい奴なら、ボクを楽しませてくれるのかなぁ!?」
そう叫んだアベルは狂気を孕んだ笑みを浮かべて、奥に控えていた最も巨大なドラゴンを鈍く光る血のような瞳で見据えた。
ずっと警戒して臨戦態勢を取っていたそのドラゴンは、威嚇の声を上げながら凄まじい勢いで彼に向かってきた。
ドラゴンは接近すると共に、巨大な口から赤々とした炎を吐き出す。
アベルは大剣を盾にしながら、吐き出される炎の軌道を避ける。
炎が収まるとアベルは間合いまで駆け、大剣を振り回しながら跳び上がる。
傍らで呆然と見ているマルスの視界に一瞬入った彼の顔には、玩具で遊ぶ幼子のような表情と、殺しを快楽とする狂人のような表情が同居していた。
マルスが彼の表情に恐ろしさを感じた瞬間、彼の大剣が巨大なドラゴンの首を斬り裂いた。
ドラゴンには断末魔を上げる暇も無かった。
切り裂かれた首が大きな音を立てて地面に落ち、そして静かに残された体がゆっくりと倒れていく。
呆然とするマルスには一瞬に感じられるような早さの出来事だった。
彼はマルスがやっとの思いで倒したドラゴンの、それも特別大きな個体をいとも簡単に斬り倒したのだ。
その強さと彼の纏う純粋さと狂気が入り混じった異様な雰囲気に、気づけばマルスの手は震えていた。
震えを誤魔化そうと手を握り締める。
「確かにここの洞窟では一番強かったけど、こんなもんなんだぁ……。つまんないの」
つまらない遊びだった、と言うかのように軽く溜め息をついてアベルは大剣についた血を振り払った。
「あぁマルス。そっちも倒したんだ」
大剣を背中に担ぐと、自分をじっと見ているマルスの存在に気がついたアベルは彼に顔を向けてそう尋ねた。
赤い瞳に見据えられて、マルスは思わず肩が跳ねる。
「あ、う、うん。倒したよ」
震える手を抓って恐怖をさらに誤魔化しながら、マルスは必死に笑顔を取り繕って答えた。
彼のどこか余所余所しい態度に首をかしげながらも、アベルは笑顔を返してくる。
その笑顔は先程の狂気を孕んだものでは無く、向けてくる瞳も淀んだ血の色では無かった。
この場に辿り着くまでに見せていた様子と何ら変わりが無く、マルスはひどく安堵する。
だが、辺りに散らばる斬り倒されたドラゴン達の死骸と彼の髪や肌や服についた返り血のせいで、恐怖心は払拭しきれない。
「思ってたよりもずっと弱いから、なんか拍子抜けしちゃった」
「あ……そ、そうだよね! さっき戦った毒蛙の方が強かったかも!」
恐怖と動揺を必死に抑え込んでいるマルスとは正反対に、アベルは今さっきの狂気めいた様子など感じさせない口調で彼に声をかけてきた。
いくら恐ろしいと感じたとはいえ、先程まで仲良くしていた相手にそれが伝わってしまうのは失礼な事だと思ったマルスは、話題を変えて気を紛らわそうとする。
「ああ、あのデカガエルね。ボクも戦ったけど、あいつは気持ち悪かったなぁ」
「だよね! あのデカさとか色とか、気持ち悪かった!」
アベルと普通に会話が成立している。
ただそれだけの事に、マルスはひどく安心を覚える。
普段感じる事も無いような不思議な安心感にマルスが包まれていた時、この最深部に足を踏み入れる者があった。
「マルス! やっと見つけたぞ」
現われたのは、はぐれてしまっていたアイクとパルだ。
二人の登場に、マルスはさらに言い様の無い安心感を覚える。
「アイク、パル! 今までどこにいたんだよぉ! オレ、寂しかったんだから!」
アベルへの恐怖心でずっと緊張していたマルスは、二人に飛び付かんばかりの勢いで駆け寄る。
「ひとまず、お前が無事で良かった」
飛び付きそうな勢いで迫ってきたマルスを手で制して苦笑しながらも、アイクは彼の無事を喜ぶ。
彼の姿を見つけた時に一瞬だけ見えた、何か恐ろしいものでも見たかのような表情が気にはなったが、今は彼の無事の方がアイクにとっては重要な事だった。
「マルス……あの子、誰……?」
アイクの隣で共に彼の無事を喜んでいたパルが、アベルの存在に気がついてそう尋ねた。
「オレの友達! アベルって言うんだ。迷子になってからずっと一緒にいてさ」
あの狂気めいた一面を除けば、マルスにとってアベルは理想的とも言えるほどに気が合う友達だ。
今は恐怖を感じたあの一面を忘れる事にして、マルスは彼を二人に紹介する。
よろしく、とアベルはどことなく素っ気ない口調で二人に軽い会釈をした。
「あっ、そうそう、ルイムの町の人を困らせてるって魔物、オレとアベルで倒したんだ!」
マルスは二人に自慢するような口調で言いながら、アベルの肩に腕を回す。
よしてよ、とアベルは嫌がるように彼の腕を引き剥がすが、その表情は彼の行為に対して感じた嬉しさを隠しきれてはいなかった。
「本当……? すごい……」
「たった二人でこのドラゴン達を……」
アイクとパルは辺りに散らばる五匹のドラゴン、そして一際大きなドラゴンの死体を見て驚きの表情を浮かべる。
思った通りの二人の反応に、マルスはますます得意げに鼻を膨らませて笑みを深めた。
(まぁ、ほとんどアベルがやったんだけどね……)
得意げに笑うその裏、胸の中でマルスは呟く。
口に出すとまた恐怖心が蘇ってきそうなのが怖くて、アベルがやったという事実にはあえて触れなかった。
「あ、マルス……怪我、してる……」
「へへ、ちょっとしくじっちゃって。回復薬使ったから、そんなに痛くないよ」
左腕の怪我を見つけたパルは、心配そうにマルスを見る。
マルスは彼女に明るい口調で返し、後で治癒魔法をかけてほしいと付け加えた。
「マルス、ボクはそろそろ帰るよ。たぶん迎えが来てるだろうから」
三人のやりとりが一段落すると、アベルはそう言って元来た道を戻って行こうとする。
慌ててマルスは彼を引き止めた。
「アベル、帰り道分かるの? もし分かんないなら一緒に行こうよ」
「帰り道なら、マルス達が印か何かつけてるでしょ? さっきもマルスがつけてたの見たし。それ辿って行くよ。それに、ボクあんまりゾロゾロ歩くの好きじゃないんだよね」
一緒に行こうと誘ってみるが、アベルはそう言って彼の申し出を断る。
マルスはひどく残念そうな顔になるが、彼には彼の都合があるのだと思い、それ以上無理強いする気にはなれなかった。
「まあ、マルス達も気をつけて。じゃあね、マルス」
「アベル! いつか、いつかまた会おう!」
ひらひらと手を振って歩いて行くアベルに向けられたマルスの声には、別れを惜しむ想いが強く滲んでいた。
恐怖心を抱いたとはいえ、それ以外は本当に気の合うアベルと別れなければならない事をマルスは寂しく思っていた。
ひどく名残惜しそうな顔をしているのが見て分かる。
「うん、もちろん。約束ね」
アベルは彼が自分との別れをここまで惜しんでくれる事を嬉しく思い、歩みを進めながら振り返って微笑んでみせる。
狂気などどこにも感じさせない屈託の無い笑顔にマルスは大きく頷いて微笑み返すと、手を振りながらアベルを見送った。
しばらくアベルを見送り、彼の姿が元来た道の暗闇に消えて見えなくなってから、マルスがそっと口を開いた。
「オレ達も、町に戻ろっか」
「その前に、倒した証拠を採取していくぞ」
マルスの肩を軽く叩いてアイクはそう言うと、剣を鞘から抜きながらドラゴンの死体に近づいていく。
討伐対象であろう魔物――ドラゴンを倒したという証拠を持って帰らねば、町の人々は完全に安心はしきれないだろう。
その事に納得がいったマルスは、自分も彼に倣って剣を抜き、ドラゴンの巨大な牙の採取を手伝い始めた。




