9.魔物退治
一緒なら、どうにかなる。
マルスとアベルが出会い、親睦を深めていた頃。
アイクとパルは、はぐれてしまったマルスを探して洞窟内を歩き回っていた。
自然に存在する精霊と意思疏通が出来るパルの能力を活かして、二人は何とか彼が逃げて行ったと思われる道を辿っている最中だ。
何度か彼の名を呼んでみるものの、二人の声は岩壁に反響して暗闇に消えていくばかり。
返ってくるのは木霊のみで、マルスの声は返ってこない。
「マルス、いないね……」
「一体どこまで逃げたんだ、あいつは……」
相変わらず何度も現われる分かれ道の壁に刻まれた印を確認し、時には印を上書きしながら二人は慎重に進んで行く。
一体いくつ目になるかも分からない分かれ道をパルの耳を頼りに曲がったその時、不意にアイクが小さなくしゃみをした。
「アイク、風邪……? 大丈夫……?」
不安げにパルが彼の顔を覗き込んで尋ねる。
季節は春とはいえど、太陽の光が届かない洞窟の中は外よりもずっと気温が低い。
複雑な造り故に洞窟にいる時間が長くなったせいで体が冷え、風邪の症状が出てしまったのではないかとパルは心配していた。
「いや……大丈夫だ。噂されているのかもな」
眉尻を下げて顔を覗き込んでくる彼女と一瞬目が合い、アイクはよく分からない恥ずかしさを感じて咄嗟に視線を逸らした。
とはいえ、幼馴染みであると同時に一人の女性でもある彼女に失礼な態度を取ってしまったと思い、アイクはすぐさま誤魔化すように彼女の問いかけに答える。
パルは一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、思った事を言葉にはしなかった。
「……きっと、マルスだよ……」
「だろうな」
大方、一人になったマルスが自分の目の無いところで愚痴をこぼしているのだろう、とアイクは考えながら彼女の言葉に返す。
そう考える一方で、アイクは自分の取ってしまった態度に対して彼女が何も聞いてこなかった事に安堵していた。
「しかし、本当に迷子になるなんてな……」
「だって、マルスだもん……」
安堵しながら、アイクは僅かに呆れを滲ませた笑みをこぼして呟くと、パルも小さく笑みを浮かべて答えた。
親に頼まれたおつかいに行って迷子になる、三人での探検中に一人はぐれて迷子になる。
幼い頃からマルスは度々迷子になるような子だった。
語らずとも二人は同時に昔のマルスを思い出し、彼は迷子になる体質でもしているのではないかと思い、笑いが込み上げてくる。
どことなく和やかな空気が漂い出したが、うかうかしているわけにもいかない。
まだマルスが人面岩に追われている可能性も、他の魔物に襲われている可能性もあり得る。
早いところ彼と合流しようと、二人は気持ちを切り替えて早足で歩き出した。
* * *
二人がマルスを探して彷徨っている頃、マルスとアベルは洞窟の最深部付近に到達していた。
大して後先考えずに突き進む性格の二人であるにも係わらず、こうして目的の最深部に辿り着く事が出来たのは奇跡だ。
後先考えない者には、時折妙なほど運が味方する事がある。
今の二人はまさにその妙なほどの運の良さに導かれて、この最深部まで来る事が出来ているも同然だった。
勿論アイクが分かれ道にある印を辿っているのを見ていたマルスは、見様見真似で岩壁に刻まれた正しい道の印を探してその方向に進むという事もしていた。
だが、印が消えてしまっている分かれ道も中にはある。
そこで二人はどうしたかと言うと、マルスの剣を道の真ん中に立てて、倒れた方向の道に進むという手法を取っていたのだ。
流石にアベルは一抹の不安を感じたが、マルスは父の形見の剣だから父が導いてくれると、どこから湧いてきたのか分からない自信を顔に浮かべて言ってきた。
彼の自信に変わらず不安を感じていたアベルだが、彼の剣による道占いが妙なほどに当たるため、気づけばすっかりその占いを信じ切っているのだった。
こうして二人は妙なまでの幸運に導かれ、目的の魔物が住処としているらしい最深部に辿り着いているのだ。
「この先、かな? 例の魔物の巣って……」
声を潜めて言いながら、マルスは恐らく目的の魔物がいるのであろう場所の直前にある曲がり角で立ち止まる。
曲がり角の先からは、僅かな揺れを伴った地響きに近い足音と翼がはためく音が聞こえてくる。
さらには、何かが焦げるような鼻を突く匂いも漂ってきて、その匂いを誤魔化すようにマルスは指で鼻の下を擦った。
聞こえる音や漂う匂いから、マルスはこの先に一体どのような魔物が待ち構えているのかと考える。
それと同時に、どうやって攻めていくのが一番良いのかも考え始めた。
町の手練れ達でも手に負えないような魔物だという話を思い出した彼は、しっかり戦略を練っていく事が重要だと感じていたのだ。
とはいえ、普段ろくに戦略のような難しい考え事などせず、アイクに任せているマルスには良い案など思い付きもしない。
「この先にいるのが、ここのボスってとこかぁ。さ、行こ行こ」
「あっ、待ってよ!」
警戒するマルスとは反対にアベルは全く変わらぬ調子でそう言って背負っていた大剣を手に持つと、彼の横を通り過ぎて先へ行ってしまう。
アベルが先に行ってしまった以上、ここで遅れを取るわけにはいかなくなったマルスは、慌てて自分も剣を鞘から抜いて彼の後に続いた。
遂に二人はオスクルの洞窟の最深部、討伐目標である魔物の巣に足を踏み入れる。
その場所は、これまで通ってきたどの場所よりも広く、地面から天井までの距離も遠い。
二人がその空間に足を踏み入れたその瞬間だった。
翼を持つ七匹ものドラゴンが、上空から二人に襲いかかってきた。
予測していなかった急襲に、思わずマルスは息を飲んだ。
苔のような薄汚れた緑色の厚い皮膚と大きな翼を持つドラゴン達の体長は、二人の身長を合わせた大きさを優に超えている。
ドラゴン達は大きな前足の鉤爪を振り上げながら二人めがけて勢いよく飛んでくる。
咄嗟にマルスは身を翻してそれをかわし、アベルは大剣を盾にして攻撃を防いだ。
「こ、このドラゴン達が、町の人達を困らせてた魔物かな?」
急襲に驚きを隠せないマルスは軽く乱れた呼吸を整えつつ、ドラゴンから距離を取る。
大きな口に巨大な牙、巨大な鉤爪、太い尻尾。
ルイムの町で見た魔物の絵の特徴と、ドラゴン達の特徴は一致する。
「そうだろうけど、ボスはあっちの方じゃない?」
そう答えるアベルの指さす先には、五匹のドラゴン達とは比べ物にならないほどに巨大なドラゴンがいた。
高いと感じていたこの場の天井に、あと頭一つか二つ分ほどで届いてしまいそうなその大きさに、マルスは驚きの表情を浮かべる。
体長に比例した大きな瞳は炎をそのまま閉じ込めたかのような赤色で、この洞窟の親玉とも言える存在たる威厳すら感じさせる。
その瞳に睨まれたマルスは顔を強張らせ、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
姿を見ただけでも、町の手練れの者でさえ歯が立たない相手だと言う事にも合点がいった。
「先に小さい方の奴らを倒そう! でっかい方はすぐには襲ってこなさそうだし」
その威厳を携えた双眸で二人の様子を睨むように見つめている巨大なドラゴンは、こちらの出方を窺っているのか未だ動く様子は無い。
そこでマルスは、先に機動力の高い五匹のドラゴンを倒してしまおうと提案した。
アベルは彼の提案に同意を示して頷く。
二人は背中合わせになり、互いに背中を預ける形で今にも襲いかかろうと様子を窺いながら周囲を飛ぶドラゴン達と対峙する。
そして、二人は各々の目の前にいるドラゴンにまず狙いを定め、武器を構えて駆けた。
「はァッ!」
マルスは自身の目の前に滞空していたドラゴンの一体めがけて剣を振り下ろした。
しかし、空中を移動出来るドラゴンは軽く翼をはためかせて、彼の攻撃を簡単にかわしてしまう。
「くっそぉ……って、うわわわ!」
マルスの攻撃をかわしたドラゴンは直後に身を翻して彼の方へ再び接近したかと思うと、突然炎を吐き出してきた。
慌てながら咄嗟に回避したおかげで直撃を避ける事は出来たが、炎による熱風が彼に襲いかかる。
「あちちちッ!」
熱風が持つ想像以上の熱さにマルスは堪らず悲鳴を上げた。
熱風を直接受けた彼の右頬は軽く火傷を負ってしまったようで、ほんのり赤くなり、空気に触れるとヒリヒリとした痛みを帯びた。
「くっそぉ、炎なんか吐いて! 百倍にして返してやる!」
右頬の痛みを誤魔化すようにドラゴンに向けて叫ぶと、マルスは剣を構え直して再び駆けた。
とはいえ、空を飛び回るものが相手では圧倒的にマルスの方が不利だ。
そこで、彼はドラゴンの翼に狙いを定めた。
ドラゴンの翼は鳥と違い、翼骨に翼膜が張られた作りをしているため、穴になるような傷を与えられれば飛行能力を奪うのは簡単だろうと彼は踏んだのだ。
だが、ドラゴンは重そうな体を器用に翻しながら彼の攻撃を避けるため、なかなか翼まで剣が届かない。
かわされる度にマルスの体力は消耗していく。
このまま当たるまで攻撃を繰り返していても、体力が無駄に消費されるばかりだ。
ドラゴンもそれを分かっているのか、わざとらしく低い位置に下りてくるなどして挑発してくる。
(落ち着け、オレ……)
うっかり挑発に乗ってしまいそうになるが、マルスは手早く深呼吸をして焦っていた頭を落ち着かせる。
剣を構えながら、挑発を繰り返してくるドラゴンの動きをよく見定める。
「ここだッ!」
何度か様子を窺う中で最もドラゴンの翼が低い位置に来たその瞬間、マルスは狙いを定めて素早く間合いを詰めて飛び上がり、大きく広げられたドラゴンの翼を斬り付けた。
翼を斬りつけられたドラゴンは、炎を吐き散らしながら悲鳴を上げる。
空気を掴めなくなった翼はその飛行能力を失い、ドラゴンの重い体は僅かに地面を揺らして落ちた。
「よし、地上戦に持ち込めればもう怖くないんだからな!」
ドラゴンが吐き散らす炎をかわしながら距離を取ると、マルスは剣を向けながら強気に叫ぶ。
翼を傷つけられたのは初めてらしく、冷静さを欠いたドラゴンはまた飛ぼうと必死に空気を掴めぬ翼をはためかせている。
飛べなくなった事にドラゴンが気を取られている間に、マルスはすぐさまその背後に回り込んだ。
「これでもくらえッ!」
マルスの接近に気づいたドラゴンは咄嗟に振り返ろうとするが、それよりも早くドラゴンの首に彼の剣が振り下ろされた。
ドラゴンはその衝撃に、悲鳴と炎を同時に吐き出した。
しかし、ドラゴンの皮膚は様々な生物の中でも硬い部類にあり、未熟なマルスの力では一度でとどめを刺せない。
「硬っ……!」
一度斬りつけただけではとどめも致命傷も与えられない初めての敵に、マルスは驚きが隠せなかった。
だが、ここで驚き戸惑っていては反撃に遭って、形勢を覆されかねない。
マルスは戸惑いで一瞬静止しかけた体に鞭を打って、吐き出される炎を懸命にかわしながらドラゴンの首目掛けて剣を何度も振り下ろす。
そして、遂にドラゴンは断末魔を上げた。
刹那、ドラゴンの首からは炎よりも赤い鮮血が吹き出す。
炎が消えるように吹き出した血が収まると同時に、ドラゴンは絶命してしまった。
「こんなに硬い奴もいるんだ……」
ドラゴン一匹相手に想像以上に体力を消耗したマルスは浅い呼吸を繰り返す。
彼の胸にはこれほど攻撃が通らない相手がいる事への驚きと共に、自分の弱さへの悔しさが溢れてきていた。
もっと自分が強かったなら、このドラゴンに繰り返し苦しい思いをさせずに倒す事が出来ただろうにとも彼は思う。
魔物は倒すべきものではあるが、拷問めいた苦しさを与えてしまった事に彼は罪悪感を抱いていた。




