中部編11-3
イリトットはベッドに横になり、右手で頬杖をつき、軽い体の動きに喜ぶ元人間の魔族たちを眺める。
「(さて、慣れて来たところでそろそろ…。レオンもその仲間にも僕がここにいることが気づかれないように、慎重に…。いいや、2度も邪魔されているんだ。今度は奴らが苦しむ番だ。奴やその仲間を見つけたらすぐにでも八つ裂きにしてやる!)」
イリトットは無表情で目の前の人々の踊りを見る。
庭ではナレルが石柱にもたれて、考え事をしている。ルードが動き出すまでノーマにどうすればいいのかを考えていた。
「(あの子はもうあきらめているんだ。今まで失敗が積み重なって次の手術も失敗だろうと。だからと言って、このまま死にたいという訳でもなさそうだ。いや、正確には何か引っかかっている。これは勘だが、その引っかかりはルードが持っているのではないか?)」
ルードが立ち上がり、ナレル背筋に力を入れてももたれかかった柱から背を離す。
「ああ、悪い。トイレに寄ってから帰る。ここで待っててくれ」
「何だ、じゃあ待ってるよ」
ナレルは力を抜いてまた柱にもたれかかって待つことにする。
……。
…。
「帰ってこない。全く…何をしているんだ?」
ナレルは病院の中へ探しに向かう。
ノーマは部屋に戻ると夕日を背景に人影を見つける。
「誰!?」
「心配いりません。僕の名はイリトット。あなたへのプレゼントを届けにきました」
「?」
「病に冒された体に悩んでいるはず。私の力で完治させましょう」
「いいえ、それには及ばない。もうそんなこと望まない」
「…?では何が望みで?」
「もう私は持っている。あなたの力は別の人へ使ってくださいな」
「もしやもう生きる気は無いのでは…?」
「そう見えるのならば、なおのこと、邪魔をしないで」
「死ぬくらいなら、僕が有意義にその命を使おう。使い道が無いのならいいだろう?」
「嫌ね。なんとなくだけど…嫌」
「そうか。それじゃあもういいよ、さようなら」
イリトットは興味を失ったように、部屋から出ようと歩き出す。しかし、次にノーマが発した言葉にその歩みは停止する。
「レオンに、ナレルに、あなたと…客人の多い日ね」
「レオンとナレルだと!?」
「あら?何か怒らせたのかしら?」
「そいつは威圧感のある目をしていたか?本能に刻み込まれた恐怖を思い出すような…」
「いいえ。でも、目力はあったかも。目を合わせてられなかったわ」
「ああ、人間には感じないものだったか。いや、同名の2人組なんて偶然考えづらい…」
「もういいかしら?」
ノーマはベッドに戻ろうとするもイリトットに腕を掴まれる。抵抗することもなく、手を引かれてノーマの体がイリトットに引き寄せられる。
「お前には重要な役割を担ってもらう」
「私に何かをする元気はないわ」
「佇むだけで十分だ。ククク…」
イリトットは廊下の光に気づいて視線を上げる。魔族となった人間が光線を受けて、人間に戻っていた。その横を走って男が部屋に入ってきた。
「彼女を離せ」
「どうした?光線は使わないのか?…ああ、弱ったこの子には当てると危険か。そうだろう?狩人レオン」
イリトットはノーマの首を右腕で囲う。レオンは椅子に扉の前に陣取る。
「お前のことはよく知っているよ、狩人レオン。そして今日を境にお前の物語は終わりだ」
「誰だお前は?」
「僕は魔王軍特務イリトット。知らないとは言わせない…魔族化した人間を元に戻されたり、分裂砲を破壊されたり…随分と邪魔をしてくれたな」
「そうか、お前が…。ようやく表に出てきたか…ここで仕留める」
2人は互いに相手の姿を改めて認識する。
「彼女を殺めることになるぞ。それでもやるというのか?」
「好きにしたらいいわ。私は道連れにするくらいしか役に立てない」
ノーマは薄ら笑いを浮かべる。
「…だが、お前の考えは違うんだろう、レオン?」
「さあ、どうだろうな」
「…!世の中は思い通りにならないことだらけだ。それでもどうにかできるんじゃないかという可能性があり、それができそうな力を見せることで人は揺らぐ。何かを諦めなければ次のステージへは行けない。過ぎた力は視界を歪ませてしまう。こういう駒は矛盾に気づかずに使いやすくて便利だな」
レオンは背後の気配に気づいて横に跳び、魔族の殴る拳を避けて、剣を構えて第二打を受けつつ後退する。その隙にイリトットはノーマを抱え上げて魔族の後ろを走り抜ける。廊下へ出る寸前、レオンを横目で見て勝利の笑みを浮かべる。
レオンは刀身の無い柄を構える。姿勢を低くして、飛び込まんとする魔族に光線を浴びせ、黒い霧となってイリトットの呪いを引き剥がす。相手は人間に戻って、飛び跳ねるでもなく、そのまま地面に崩れ落ちた。
急いで廊下に出るが、もうイリトットの姿は見えない。
柄をぐっと強く握る。
レオンは視線を感じて横を見る。ナレルは鞘に納めた剣を持って走って来る。
「戦闘の跡が見えた。どうしたんだ?」
「魔族の幹部の一人、イリトットがここにいる。ノーマがそいつに連れ去られた」
「なんだって!」
「魔族に変えられた人間が襲ってきた。しかし、1人ずつだ。おそらく、操れるのは1度に1人だけだ」
「そう思わせる罠の可能性がある。いや、それよりも…僕らに襲い掛かるような条件で力を与えたのではなく、何か別の目的だったというのが重要か。敵が潜んでいるというのにルードは1人でどこかへ行ってしまうし…」
「連れ去られた方向だが…何か見なかったか?」
「それらしい人影は見ていない」
「ならこっち側か」
2人は廊下を走ってイリトットを探す。
空いている手術室。イリトットはノーマと話をしている。ノーマは首から下を柱に布で縛り付けられ、長い髪をかき上げることができずに、顔に乱れた髪が垂れている。しかし、それを気にすることなく、虚空を眺めている。
「逃げた方がいいんじゃない?」
「その必要はない。僕は奴に負けはしない」
「だってさっき逃げたじゃない」
「手が塞がるのが嫌だったからだ。逃げたのではない、状況を整えたのだ」
「どうだか…」
イリトットはノーマの正面に来る。
「お前に僕の力を分け与えてもいい」
ノーマの前髪を掻き分けて、額をあらわにする。
「面倒なのは結構よ。勝手にやればいいのにできないの?不便なものね」
「君の生きがいは相手を怒らせることと見える。でも煩いから黙っていてくれ」
扉が開き、何者かが侵入する。
「レオンではないな。誰だお前は?」
「ノーマを返してもらう」
ルードは鉄棒を持って、弧を描くようにじりじりとイリトットへと近づいた。
「それは無理だ。お前には死んでもらう」
「出て行って!」
ノーマの怒声に2人は驚いて少女を見る。
「あ…」
自身の出した大声にも驚いているようだ。息を切らして、大きく吸い込む。
「駄目よお兄ちゃん。私みたいな役立たずの代わりに死んじゃ。私より前を歩いているんだから…まだまだ楽しいことあるんでしょう?」
「何を言っている?」
「私の最後の心残りがお兄ちゃんだから…死んだ方が迷惑かけるんじゃないかと怖かったから…。でも今は生きている方が迷惑かけてる」
ノーマの頬には涙が流れる。感情が希薄になっていた妹の涙にルードは面食らう。
「ねえ、お願いだから…」
哀願する声にルードは歯を噛みしめる。
「その願いは…聞けない!俺より後に生まれた癖に…俺より先に死ぬことなんて許さないからだ!」
「アッハハハハハ!いいぞ、いいぞ、気が変わった!お前ら2人とも殺してやる。頑張って意識を保って、相手より後に死ぬがいい」
イリトットは重心を落とし、前に踏み込んで左手で掴みかかる。ルードは鉄棒の両端をそれぞれの手で握って防ぐ。イリトットの手に押されて鉄棒はぐにゃりと曲がり、その圧で足が宙に浮く。イリトットはルードを鉄棒ごと真上に持ち上げて、後ろに投げる。ノーマの柱の側にルードは落ちて転がった。
「ぐ…くそ…」
イリトットは両手を抜き手の構えで2人に近づく。
「嫌…誰か、誰か助けて!」
「そう都合よく助けなんて来るものか。死ね」
ノーマは目を瞑る。目の前が真っ赤になる。




