中部編2-1
王宮前の一等地,魔術師たちの住む地域がある.白地を基本として,節目を濃い色ではっきりと塗る建造物が立ち並ぶ.町のざわつきは水路とその周囲に敷き詰められた石,それを覆う河畔林によって吸い込まれ,一等地は閑静な住宅街となっている.肌をくすぐるようなひんやりとした風が吹き込み,葉から放出される清涼な香りが鼻を抜け,頭を明瞭にさせる.全てが凛とした雰囲気を醸し出す.
ある屋敷内,大きな音に建物がボワボワとする.
ある男がもう1人の男に怒鳴っている.怒鳴られた男の顔色はよく,しかし目は虚ろで無表情でいる.
「お前が姉さんを!」
「そうだ.(助けられなかったので)俺が殺した(ようなものだ)」
「何か弁明はあるか!?」
「言い訳はすまい…」
「ならとっと死ねえ!」
殴りかかるが,透明な壁に阻まれる.
「悪いが俺はまだ死ねない.俺の術でも助けられる命がある」
「姉のために死んで詫びるより,そいつらを生かす方が上だというのか!」
「……」
「何とか言ってみろ!」
「…やはり理解は得られなかったか」
「!!」
「……」
「もういい,人殺しは上に言いやしねえよ.お前は俺の手で殺す,絞首台じゃ人道的すぎる…それじゃあ姉さんは浮かばれない.俺が!このエンタ・エフレインがお前を苦痛の全てを与えて殺してやる!」
エンタは外へ走り出ていった.残った男は手を伸ばすが直後に力なく下ろした.
男は一等地から外に出て人通りの少ない路地の壁を叩く.
「畜生!俺に力があればあんな奴!」
「お困りのようだね」
「誰だ?」
背後の声に振り向くと端正な顔立ちをした少年が立っていた.しかしその声はとても少年の者とは思えないほどに安定した澱みのない声だった.
「僕はイリトット.君に力を授けることができる」
「お前は何だ?人間か?」
「どうでもいいじゃないか?協力する上で気にすることないさ.…怖いのかい?」
「怖くなんかねえ,人間だったらガキの悪戯だ」
「ははあ,じゃあ言うけど,僕は魔族さ.魔界の頂点に君臨する種族,そして人間の兄弟みたいなもの.魔法に関しても僕らの方が上だ,この世界では薄すぎて使いこなせないがね」
「も?」
「単純な筋力でも君らより上だ.だけど僕らと並ぶ方法はある.僕の力で魔族になることだ」
「くだらない,どけ」
男はイリトットを押しのける.イリトットは男の腕を掴む.
「離せよ」
「やればいいじゃないか.できるものなら」
男は腕を引く.手ではなく体の方が引っ張られる.まるで大岩の穴に手を挟んでしまったかのように動かない.
「信じてくれたかな?」
首を縦に振る.
「じゃあもう離すよ.気を付けて」
イリトットは手を離す.
「本当にその力を手に入れることができるのか?」
「できる!ただし条件がある.君を手助けする代わりに僕の手伝いもしてもらう」
「どちらが先だ?」
「君の用事を先にしよう.君を信用してのことだ」
「いいだろう.力をくれ!」
イリトットは男に膝をつかせて,頭に右手の人差し指と中指を当てる.男の体が黒い霧に覆われる.
霧が晴れるとそこには一回り大きくなった男がいた.
歩こうとするとよろけ,手を前に出すと出すのが早くて突っ張り返して横の壁に体をぶつける.
「まだ体が慣れていない.変に動かす癖がついても困るから,まずはゆっくりと動くことからだ.どうだい?人間よりも手は不器用だが,遥かに優れた呼吸器官に消化吸収器官,そのエネルギーを如何なく発揮する筋肉,それを支える強い骨,素晴らしいだろう?それに加えてすごい兵器だって持ってるんだぜ,この世界だと動かないだけで」
男は石を掴みあげて粉砕する.
「すごい…」
「まだだ,そんなものじゃない!鍛えれば皮膚を硬化できるようになる.しかし表面だけ固くても内部に衝撃が通ると思うだろう?」
「そうじゃなきゃズルい」
「武術はやったことあるか?あれは基本的に体の中心を動かして,手先や足先を動かさないで固くする.もちろん動かす技もある.同様に動かさないように鍛えるんだ,そうすれば僕たちの場合は人の筋力では剣も槍も通らず,斧やハンマーで叩かれようと衝撃を跳ね返せるようにできる!まあ今すぐは必要ないだろう.今度鍛えよう」
「感謝する.これで復讐できる…」
男の口角が上がっている.
「十分に慣らしてからだ.じゃ,健闘を祈るよ.今度は黄金広場で会おう.僕か僕の仲間が待っているから」
イリトットは手を振って去っていった.
レオンとナレルは病院の前を歩いていた.2人の前で男がふらっと倒れそうによろけた,2人は地面を強く蹴ってよろける相手に近づき,倒れないように支えた.
「大丈夫か?」
「ん,ああ…すまない」
顔色が悪く体もぐったりとしている.レオンはナレルに任せて立ち上がって周囲を見渡す.
「治療に向かわなければ…」
「駄目だ.そんな状態ではミスする」
ナレルは腕を引いて引き留める.驚くほどあっさりと引き戻せた.
「しかし…」
「力尽きる寸前じゃないか.忙しい時期なのかもしれないがもう無理だ,休め」
「う〜」
レオンは人通りの邪魔にならない場所,病院の敷地内の長椅子を指さす.ナレルが引っ張て行く.
「この波長…普通の人間とは違う,魔術師ってやつか?」
「そう,魔術師ケム・リューレン.専門は回復魔法.生命エネルギーを修復に作用させる」
「そのエネルギーが尽きかけているお前にどうこうできるものか」
2人はケムを長椅子に横たわらせる.
「寝るにも体力が要る.まず横になって休め,食事も睡眠もその後だ」
「…自分にはあなた方の制止を振り切る力はないようだ…大人しくしよう」
「そんなに多忙なのか?」
「人助けというのは助けるよりも助けられなかった方が気になる.休み時間を減らしていったらこんなことに…」
「医者なら遊ばずに不眠不休で働けとでも言われたのか?」
「いや…自分の考えで….あなたは思わないだろうか?自分が遊んでいた間に救えた命があったかもしれないと」
「全く考えないわけじゃない.しかし効率ばかり目を向けて心を蔑ろにすることもできない.大体,俺は十分な休養も取らず遊びもせずにできるような簡単なことをしていない」
「ああ,そう自信を持って言い切れたらどんなにいいか…」
「まだ君は伸びるから,限界が見えていないからそう思うんだ.だから尚のこと体を大事にしなければいけない」
「やめてもらえます?…泣きそうになるので」
ケムは頭を横に向けた.
「でもやっぱり…あの時に遊びに出かけていなければ,小さな異変に気付いた時に強引に聞き出していれば,一緒にいれば…….そう思うと遊んでなんていられない」
レオンとナレルは人の視線に気づき視線を辿る.
「あ,あの…リューレン先生」
同僚の医者が尋ねる.
「見ての通り満足に動けません」
「いえ,そうじゃなくて…お話があるので来てほしいと」
「?…誰だろう」
「とりあえず来てください」
ケムは起き上がって歩いて行ってしまった.
「……」
2人はその後ろ姿を見つめていた.




