歌人
学生街でもそこそこ大きな宿屋、白兎亭で、女将が朝食の片付けをしているところに、ありふれた深い若草色の外套を着た娘が帰ってきた。
「ただいま、母さん」
朝帰りなのは仕方ない。彼女は王都の酒場で、歌姫をしているのだ。
仕事が終わるのは真夜中だし、若い娘がそんな時間に夜道を帰ってくるわけにはいかない。もっとも、この頃は週に一度帰ってくれば良い方だ。
「マティかい、お帰り。何か食べるかい?」
「スープだけちょうだい。まだ眠いの」
食べたらまた寝るという娘に、女将はやれやれと言いながら、朝食の残りのスープをよそってきてやる。
外套を脱ぐと、大きく胸が空いた鮮やかな紅色の衣装が現れた。
仕事の時は髪飾りも付け、綺麗に結う濃い金髪の巻き毛も、今はそのまま背に垂らしている。簡単な化粧しかしていないが、それでも十分に色っぽい娘だ。
「ああーもう!昨日は火竜のおかげで、竜の出るサーガのリクエストばっかりよ。母さんは見た?」
食堂の椅子を無造作に引いて腰掛け、女将から渡されたスープの皿を手にもったまま、スプーンを口に運ぶ。
「もちろん見たさ。部屋の掃除が終わったところだったんだけど、お客が騒いで知らせてくれたからね。急いで飛び出したら、お城の方に飛んでいくところだったよ。その後、テリーが手伝いもせずに外を見ていて。おかげで帰ってくるのもしっかり見たけどね」
「あはは。でも無理ないよ。だって火竜だもん。あっちでもお城に降りたから、きっとまた飛んでいくだろうって、皆ずっと外にいたしね。近くで火竜を見たって、お城の兵隊さんが夜に酒場に来てさ。皆に取り囲まれてた」
自慢したかったんだろう。そりゃあ大声で話していたと、マティリアーナは羨ましげに言った。
「知ってる?黒の魔術師が乗ってきたんだって」
その兵隊の受け売りなのだろう。娘がそういうのに、女将さんが納得したように大きく頷く。
「ああそうかい。それでだったんだね」
「なにが?」
「黒の魔術師様は魔法学校にいらっしゃるんだよ」
それで魔法学校から火竜が飛んでいって、帰ってきたのだと、合点がいったのだ。
「嘘っ?あたし聞いたことないよ」
「あんたはうちに帰ってきても、出てこないからねぇ」
「えーだって、うちはあたしが歌うようなとこじゃないんだもん」
白兎亭は普通の宿屋だ。学生街だから客層も学校に用事がある者が多い。お酒も出すが、食事のついでだから、歌姫が商売をする店ではなかった。
「黒の魔術師様が銀の雛様のお師匠だって話だよ」
「銀の雛って、空魔法の?」
「そう、金の魔術師様のお気に入りさ」
それを聞いて娘は食べかけのスープ皿を机に置いて、うーんと考え込んだ。
「ねえ母さん。黒の魔術師って黒髪の滅茶苦茶良い男だったって、兵隊さんに聞いたんだけど、ほんと?」
「らしいね。母さんは会ったことないけど、魔導具店のご主人がそんなこと言ってたね。顔と魔法の腕だけは文句付けようがないってさ」
あの爺さんも、口が悪いが、それは評価に容赦がないせいだ。
「それがどうかしたかい?」
「うん。ねぇ、黒の魔術師に会える伝手って、どっかにないかなぁ」
「なんだよ、いきなり」
「ほら、あたし最近セデスアルノのお師匠さんに、歌習ってるじゃない」
この冬に王都にやってきたセデスアルノ出身の吟遊詩人の歌が、北の古謡などこの辺りでは珍しいものがあって、興味を覚えたマティリアーナが教えを請うたら、快く了承してくれたのだ。
彼も華のあるマティリアーナと組めば客受けが良いこともあり、店の希望で一緒に演奏することも多くなった。
「でね、ヴェル師匠が王都に来たのって、人に会いに来たって言ってたんだ」
「それが黒の魔術師様だっていうのかい?」
「多分。あたしも詳しいこと知らないんだってば。ただヴェル師匠が会いたがってるんじゃないかって」
「‥‥‥はっきりしないね」
どうも、娘の言う感じでは、黒の魔術師様が探し人であったとは断言していないような気がするのだ。
「事情ありそうだし、あんまり突っ込むのもどうかなって思うんだ」
「お前にしては殊勝なことだねぇ」
「でもさ、世話になってるし‥‥‥だって、母さん、あたし今度ルルシアの黒薔薇亭で歌えるかもしれないんだよ」
そこは店が主催する歌や踊りの興行を目的として客が訪れる酒場として、王都でも一流と言われる店である。ルルシアの黒薔薇亭で歌うということは、簡単にかなうことではないのだ。
マティリアーナは十八歳になったばかりだが、婀娜っぽい仕草の似合う娘であり、声にも艶がある。背はあまり高くないが、愛嬌のある顔立ちでスタイルも悪くない。
しかし、親としての欲目を入れても、ようやく贔屓もつきはじめ、芸人としては駆け出しの域を出るか出ないかといったところである。コネと実力の両方が必要であるルルシアの黒薔薇亭に出られるとは、思ってもいなかった。
「ほんとかい?」
「黒薔薇亭の常連さんで、ご主人にも顔が利く人が、ヴェル師匠の歌が気に入って、話をもってきてくれたんだ。前座で、一度やってみないかって。それで一曲はあたしも一緒にどうだって、師匠がいってくれたの。ね、すごいでしょ」
こんな機会は二度とないかもしれないと、マティは胸を躍らせた。一度歌ったからと言って、認められるほど甘くはないだろう。それでも、夢を見てしまうくらいには、これは大きなチャンスだった。
そんな機会をくれた師匠の役に立ちたいと、彼女が思ったのも当然のことかもしれない。
「ああ、この冬に王都にきたばっかりで、たいしたもんだ」
彼は学生街でも歌っていたから、女将も聞いたことがある。リュートの腕前も良いし、持ち歌である北方の曲を歌う低い声には何とも言えない魅力があった。
「だからさ。ねえ、ダルトールの旦那さんに頼んでみようかな」
「でもねぇ、魔法学校は今、出入りにすごく厳しいからねぇ」
ダルトール魔導具店のご主人でも、無闇な紹介はできないのではないかと、女将は言う。
「あれ、姉ちゃん。帰ってたんだ」
奥から出てきた弟のテリエスが、久しぶりに帰ってきた姉に声をかける。
その弟を見て、マティはこれ見よがしにため息をつく。
「あんたが、魔法学校をクビになってなけりゃあね」
一年次の進級試験に落ちて、魔法学校をやめたテリエスが、その遠慮のない言い様にむかりとくる。もっとも、王都魔法学校は入学できても卒業できる者はさらに少ないのだ。テリエスのように中途でやめることになっても、残念だが仕方ないで済まされる話だった。
「うっせぇな。姉ちゃんなんか、入学もできなかったくせに」
そこそこの魔力を持つ王都の子供なら、大抵一度は魔法学校の試験を受けているものだ。まして学生街の住人なら、受かれば幸いの記念受験である。
「あたしには歌があるからいいのよ。アンタだって治癒魔法の適性があったから、ギリギリ入れたんじゃない」
テリエスは治癒魔法に適性が認められ入学できたが、魔力が伸びず、結局初級の回復魔法を習得できなかった。もともと入学試験時で魔力が基準に足りないくらいで、治癒科でなければ、半年試験で自主退学を勧告されていただろう。
治癒魔法は四元素属性魔法より難しく、必要とされる魔力も多い。また適性はあっても、向いていない者もいて、テリエス自身、一年次の半ばで無理だと自暴自棄になってもいたのだ。
それでも、魔法学校で訓練されたから、生活用魔導具に少しだが魔力を補充することくらいはできるようになったので、儲けものと家族は思っていた。
「そういえば、銀の雛って金の魔術師のお気に入りでしょ。あんたのクラスメイトじゃなかった?友達とか、銀の雛と話できる子の知り合いっていないの?」
「いるかよ、そんなのっ」
反射的にテリエスは怒鳴り返してしまった。
「なによ、もう」
「あいつ、特別だったから付き合いある奴少ないんだよ」
「ふーん、そっか。そういえばあんた、金の魔術師の贔屓がどうとか、言ってなかった?」
「う‥噂がさ‥‥有名だったから、金の魔術師のお気に入りって」
今となっては言えるはずもない。友人と二人で、腹立ち紛れにルディシアールに絡んだなんて馬鹿なことは、忘れたい過去だった。
ダルトール魔導具店の店主が魔導具職人であるギルハルトと、ルディに特注された魔導具のひな形を持って魔窟を訪ねてきた。
「こんなとこでどうかな。ピアスが嫌だと言うもんで、耳飾にしてみたんだが」
ブランがピアスでないものをと望んだので、耳輪に装着する形にしたのだと、布に包まれた装身具を、魔導具職人のギルハルトが机に出した。
ミスリル製で平打ちの小ぶりな耳飾はシンプルで、これなら付けても悪目立ちしないだろうと思わせる出来だった。
「許容範囲だな。どうだ、いけそうか?」
「魔石が思ったより小さいものになるから、これだと魔力がきついかも。うーん、常に身につけているから、維持する魔力をため込む形にしなければいいかな」
考え込むルディに、ブランが横から助言する。
「魔石をもう一つ付けて、魔力の供給の役割をもたせればどうだ。展開させる時には魔力は外から供給せざるを得んのだから、常時はそれでいいだろう。レオならうまくつくれるんじゃないか」
「杖というより、封呪の首輪に近いものじゃな。ま、どうせ使うのはお前さんと坊主じゃ。これの維持に必要な魔力など、垂れ流そうと毛ほどの影響もないじゃろ」
空間を繋いで声を届ける魔導具である。受信するために常時起動し待機しているのだが、それに必要な魔力を装着主から吸い取る形にしようというのだ。
加減を助言してやれば、ギルハルトならなんとかするだろうと、店主は請け負った。
「対にしてしまうから、それでいけると思います。‥‥‥やっぱり複数との通話は無理かな。水晶球使う奴も、台座の魔石を対として登録すれば、幾つかははめ込めるにしても、繋げるのは一度に一つだけだし」
「欲張っても仕方ないだろう。安定して使えなければ話にならん」
魔導具は確実に使えてこそだと言われ、ルディは残念そうだが、納得する。
「ですよね。わかりました。これで進めてみます」
「耳飾の型はもう二対必要だな。仲間はずれにすると、ババアが拗ねそうだ」
あり得そうな話に、ルディは引きつった。
「えっと、先生とのものがうまくいったら、もう二つ作ります」
細かい仕様の打ち合わせに入ったルディとギルハルトを横目に、レウォルがチョイチョイと、ブランを引っ張って部屋の隅に行く。
「なんだ、爺?」
「ちょいと内緒話があってな」
こそりと、レウォルが声を潜めた。声が漏れないように風の防壁を張れと要求するレウォルに、ブランは怪訝な顔をする。
「これでいいか?」
要求通り風の防壁を周囲に展開したブランに、ちらりと気配を察知したルディが視線を流したが何も言わなかった。
最小限の魔力での防壁に気がついたルディに、ブランも視線で気にするなと告げる。
「いやなに、聞かれん方がいいと思ってな」
「だからなんだ?」
思わせぶりな言い方と、それでいてレウォルの躊躇う表情に少しばかりイラッときたブランがさっさと言えとせっつく。
「お前さんとの付き合いも二十年以上になるがな。ついぞ朴念仁だと思っていたが、まさかのう‥‥‥」
「レオ‥‥」
「一昨日、お前さんの息子だという者が店に訪ねて来たんじゃ」
「はあっ?」
あまりに意外なことを聞いたブランは、らしくもなく呆けた顔で目を見開いた。
「クソ爺、それを信じたのか?」
「いや、のう‥‥‥ワシも頭から信じたわけじゃないが、お前さんはワシと同い年じゃろう」
ブランもレウォルも六十五歳だ。年のわりには若いとはいえ、めっきり薄くなった髪を心配しているレウォルと、出会ったときと変わらない二十歳程にしか見えないブラン。これで同じ歳とは、知らなければ絶対にわからない。
「そいつはお前さんと同じ黒髪でな。見た目は三十半ばくらいなんじゃが、四十四だと言うんじゃ。セデスアルノの出身での、名前はヴェル・グラーノ。母親は」
「レニエ‥‥‥レニエの息子か!」
「なんじゃ知って‥‥‥まさかほんとにお前さんの」
息子を名乗った男の名前に対するブランの反応は激烈だった。
押し殺すような声で母親の名を言い当てたブランに、身に覚えがあるのかと、むしろレウォルは驚愕の表情を浮かべた。
「それで、そいつは俺に会いたいと、爺のとこに来たんだな」
「そうじゃ。何しろ魔窟にいるお前さんに会うのは、簡単なことじゃないからのう」
せめて伝言を頼むと頭を下げた男の言い分を信じたわけではなかったが、魔窟に行ったついでに伝えるくらいはよかろうと、レウォルは思ったのだ。そのときは、ブランをからかうネタとして、笑い話になるだろうと考えていた。
ブランがエール=シオンに来たいきさつは知っていたし、長い付き合いのなか、彼の口からレニエという女の名が出たことはなかったからだ。
「それで、どうするんじゃ?」
ブランは朴念仁だが、レウォルは今までの付き合いで、同じ男として女性経験がないわけではなさそうだと思っていた。
しかし、身籠もったことを知らなかったにせよ、深い仲になった女性を捨ておいて、平然としているような男ではないだろうと、レウォルは未だ半信半疑ではあった。
「そいつの連絡先は聞いているんだろう?」
「学生街の白兎亭の女将に言えば伝わるそうじゃ」
「わかった。爺は忘れてくれ」
「おい、ブラン」
「レニエって女は、少しやっかいな事情を抱えているんだ。レオは関わらない方が良い」
「しかし、のう‥‥‥ブラン」
「俺がエール=シオンに来て四十五年だ。まして、ここにいるのは隠していたわけじゃない。何故今になってと考えるのはおかしいか?」
それは当然の疑問だった。よりにもよって、銀の雛を庇護しているこの時になってだ。銀の雛を護る最大最強の楯である黒の魔術師に対してアプローチをかけてくる意図を考えずにはいられない。
あるいは、黒の魔術師が軍に復帰する今になってと言うべきかと、ブランはその意味に思いを巡らす。
「そう、じゃの」
事実を聞いていないが、レウォルはそれ以上の追及をしなかった。自分が踏み込むべき問題ではないし、必要があれば、ブランは話してくれるとの信頼もある。
話は終わりだと、ブランは風の障壁を解いた。




