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Starry Pandemonium  作者: 焼肉の歯車
第二編 虚構騒乱
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第一章 歩き出したその後 3.暗峰家

 アイスクリームを食べ終わった修人たちは、白奈とみるくを含む四人でアパレルショップをいくつか周り、クリスが着られる服を何着か購入した。途中、白奈がクリスにはよだれかけも必要だとか、女児向けアニメのキャラクターが印字されたTシャツを買おうとして喧嘩になりかけていたが、何とか大事には至らなかった。何とか二人が仲良くなってくれないものかと、修人自身の胃の安全のためにも願わずにはいられない。


 白奈やみるくも自身の買い物を終えた所で、四人は近くのファミレスに入った。

 修人はボリューム満点のハンバーグを、クリスは同じものを二つと、ご飯の大盛りを二杯、白奈とみるくは女の子らしく(?)野菜と海鮮を使ったヘルシーなスパゲティを注文した。それと四人全員がドリンクバーを注文する。補足だが今回は、クリスがちゃっかり修人の隣を確保していた。


「あれクリス、レバーは頼まないのか?」

「レバーやめろ。ていうかファミレスでレバーなぞ出るか」


 雑談を交わしながらドリンクバーでジュースを注ぐ。


「なあクリス」

「なんだ」

「意外と、普通だよな」

「まあ、な……」


 修人の言葉に、クリスが曖昧な返事を返した。

 クリスをめぐる、ヴィロス・アスカスィバルやオルガ=ディソルバートとの戦いからすでに一ヶ月。真祖たる彼女が眷属を作ったとなれば、異端者の断罪を行う十一尖兵や、クリスの力を恐れ、彼女の力を封印した奈落の七王が黙っていないと思っていた。

 だが、実際は何の音沙汰もない。彼女の近況など誰も掴んでいないかのように、二人は平和な毎日を享受することが出来ていた。


 ただ……

 その平和を真正面からそのまま受け取ることなど、壮絶な人生を送ってきた二人には到底できなかった。

 そう、これは。

 まるで嵐の前のような、そんな静けさ……


「まあ別に、平和なら平和で良いだろう。弱体化しているとはいえ私が真祖であることに変わりはない。しゅうとだって別に、常に戦いの日々が良いわけではあるまい」

「そりゃ、まあな……」

「ならば、見えない脅威に怯えるよりも、今目の前にある日常を謳歌するべきではないか? それに私たちは吸血鬼だ。トラブルなんざ、すぐ転がり込んでくる。一歩裏の世界に入れば、人を助ければならない事態などどこにでも転がっているだろうよ」


 いつか二人で自分を好きになれるように――

 そのために今何をすべきなのか、具体的なことは何もわからない。


「しゅうとは焦っているんだ。何もしていない自分を認められない。何かをして、常に誰かの役に立ったり、あるいは自分にふさわしい罰が与えられなければならないと落ち着かない。そんな風にな」

「別にそんなことはないけどな」

「いいや、私には分かるよ。こんなことを言っている私だってそうなんだから。だが、そうやって何もない時も気を張っていては、大切な時にぼろが出る。それではしゅうとの命が危ない」

「……」

「私はお前が死んだら嫌だ。お前が先に勝手に死んだら、この先生きて行ける自信はない」


 だって、あの誓いは二人で立てたものだから――とは、さすがのクリスも恥ずかしくて言えなかった。

 修人はクリスの言葉を聞き、しばらく神妙に押し黙った後、一度だけ深呼吸をした。


「そうだな。クリスの言う通りだ。もう俺の命は俺だけのものじゃないんだ。無茶はするにしても、死ぬわけにはいかないからな」

「そうだ。まったく、本当に世話の焼ける……」


 ぶつぶつと口を尖らせて文句を言うクリスの頭を、そっと撫でてやる。


「大丈夫だって」

「ん……」


 くすぐったそうに目をつむるクリスの口元は、少しにやけている。彼女はこうして頭を撫でられるのが好きらしい。


「それに……」

「それに、なんだ?」

「ああ、いや。何でもないよ」


 口を閉じた修人は、ある少年との約束を思い出す。

 クリスをこの世界の全てから守る。絶対に彼女を死なせないし、彼女のために修人も死ぬわけにはいかない。

 あの殴り合いの果てに、二人の少年はそんな約束を交わした。


「変な奴だな」

「クリスには負けるよ」

「ほほう、しゅうと貴様、私に喧嘩を売ってるな?」


 公衆の面前で頬の引っ張り合いをする見た目高校生の吸血鬼と、見た目幼女の真祖。

 そんな二人を少し離れた席から。白奈とみるくが眺めていた。


「どういうことなでしょう、本当に……」

「……お姉ちゃん、どうしたの? 今日ちょっと変だよ」

「まあ、色々とあるんですよ」


 姉である白奈がなぜか敬語を使っているが、別段二人は気にしている様子もなかった。


「みるくは知らなくてもいいことです」


 少し突き放したような言い方だったが、みるくは「そっか」とだけ言って引いた。

 姉が秘密主義なのは今に始まったことではない。昔からみるくには内緒で大けがをして帰って来ることもあったし、悩みを打ち明けられたことなども、十四年、共に生きてきたが一度もない。

「それよりもあの二人、いつまでああして公衆の真ん中でイチャイチャと……ッ、――!?」


 言い切る前に、少女の血相が変わった。血の気が引き、ただでさえ白い雪のような肌が、一層色を失っていく。


「なぜ、彼が……ッ」

 その少年は、修人とクリスの後ろに並んでいた。




「うりゃッ」

「おいコラ、しゅうと、いい加減に私の頬で遊ぶのはやめろ……!」



「あの」



「へ?」

「む」


 ドリンクバーの前でクリスの頬をこねくり回して遊んでいた修人は、それまで背後に立っていた少年に気付かなかった。声を掛けられたようやく気が付いた二人は、少年が右手に持っているカップを見て、ようやく自分たちが迷惑行為をしていたことに気が付いた。


「あ、すみませんっ」

「む、申し訳ない。すぐに避ける」


 二人は横にずれて道を開けると、その少年の風貌を見た。

 煌めく氷のような、水色の髪の少年。セットされていない少し長い髪は、少年の目元を隠しており、根暗な印象を与えてくる。瞳の色は黒……だが、まるで遠くを見ているような、底知れぬ深淵を湛えた瞳だった。着ている服は学ラン。どうやら学校に行ったその帰りらしい。


「……なあクリス」

「言うな。私も分かっている」


 小さな声で呼びかける修人に、クリスが口を閉じるよう促す。

 二人の心中は同じだった。

 即ち。

 ――この少年、何者だ……?

 修人とクリスに気付かれないまま、背後に立っていた少年。まるで霞のように。唐突に現れたかのように、そこにいた少年。

 少年は黙したまま、何気ない様子でジュースを入れる。

 彼からは、覇気や格というモノを感じない。彼はあくまでも普通の少年。否、それよりも下。負け犬、弱者、落ちこぼれ……そういった持たざる者独特の雰囲気を持っていた。


「ねえ」


 初対面の、それもつい先ほど迷惑をかけた少年に失礼な印象を覚えていた修人が、その少年に話しかけられた。陰気な声。まるで世界の全てに興味を失っているかのような、そんな声だった。


「君、風鳴修人だよね。そしてその隣がクリスティア・アイアンメイデン。真祖と、その眷属」

「――――ッ」

「……」


 瞬間、修人とクリスが警戒を隠そうともせず臨戦態勢に入る。

 近くに白奈がいることなどお構いなしだ。彼は自分たちを知っている。あの事件を知っている者だ。


「そう構えないで。ボクは喧嘩とか戦いとか、そういうのは嫌いなんだ。戦いからは何も生まれない。もちろん悲しみだってね」

「……ッ」

「あれは、ボクらから〝奪う〟モノだ。戦いの結果は常にマイナス。生み出すというプラスの要因は、そこにはない」

「何を言っている……?」

「忠告だよ、これは」


 スッ……、と。

 感情を宿さない、何も窺わせない無表情が、風鳴修人を射貫く。真祖であるクリスティア・アイアンメイデンではなく、その付属品でしかない修人を。


「ボクはこの国が擁する魔術師の家系、暗峰家の者だ。暗峰(あみね)凍夜(とうや)。それがボクの名前。六道六家という言葉は知っているかな? この国が擁する六つの力ある魔術師の家系、その総称だ」

「どうでもいい。……お前は、俺たちの敵か」


 凍夜の昆虫のような瞳に見つめられる修人は、ただ端的にそれだけを聞く。彼は戦うべき敵なのか。修人が倒さねばならない、世界の脅威の一人なのか――


「違うよ」


 緊張の末に投げられた問いに対する答えは、至極あっさりとしたものであった。


「安心してよ、風鳴くん。ボクは君の敵じゃない。敵ならば、ボクなら君が一人の時を狙って、顔もばれないようにして殺すだろうしね。忠告なんてありえない。だから、ボクを信じてくれ」

「……ッ」

「戦いには何の意味もない。だから君は、これから襲い来る敵に対して正面から戦っちゃだめだ。誰が来ても、何に襲われようとも、君は常にあしらい、逃げるべきだ。脅威は大きく、何より多い。全部と戦っていては、君も主も身が持たないよ」


 凍夜が全てを言い悪と、修人は数秒黙り込んだ後、口を開いた。


「何で、こんな忠告を……」

「それは言えない。申し訳ないけれど、これ以上は君に語ることは出来ないんだ。不可解かもしれないけれど、僕の忠告を聞いて。君は戦っちゃだめだ。そう何度も、奇跡は起きないんだから」

「……っ」

「忠告はいくらか君の心に棘を刺せたみたいだ。良かった。ならボクはここで失礼するよ。あまり長居すると怖い人たちに怒られてしまうからね」


 そう言って凍夜はジュースの入ったコップを持って自分の席に戻った。テーブルには彼と似た髪色の少女が座っており、にこやかに彼を迎えていた。


「……しゅうと」

「ああ。よく分からないけど、厄介なことになってきたな」


 先までは何もないことに不安を覚えていたというのに、危機が迫ると分かると冷や汗が止まらない。

 次なる脅威――明確に示されたその可能性に心が負けぬよう、修人は懸命に拳を握りしめた。


☆ ☆ ☆


 その後は特に何を買うでもなく、適当に街をぶらぶらと歩き回るだけに終わり、日も傾いてきたところで修人たちは、天川姉妹(?)と別れた。


「では先輩、明後日の学校で」

「そうだな。じゃあまた」

「はいっ」


 相変わらず感情の読めない無表情だが、修人には返事の声が、が心なしか弾んでいるように感じられた。

 おそらく修人が前を向くようになったことが、友人として嬉しいのだろう。口にはしていないが、あの優しい少女のことは修人も多少なりとも理解しているつもりだ。

 みるくが笑顔で大きく手を振るかたわら、白奈も控えめに修人に手を振っている。


「またあおーねー! 修人くーん! クリスちゃーん!」

「さようなら、また学校で」

「おう、じゃあな」

「学校とやらでしゅうとに色目浸かったら殺すからな、白髪」

「うるさいです、あなたには話しかけていません」


 クリスと白奈は最後まで相変わらずだったが、修人がどう仲を取り持とうとしたところで無理だろう。あの二人には、何やら修人の知らない部分で譲れないものがあるようだ。


「さて、じゃあ帰るか」

「そうだな」


 今度は自然に手を繋いでいた。

 夜空の下、橙色の光が照らす街を歩く二人は、親子のようにも、兄妹のようにも、恋人のようにも、老夫婦のようにも見える――そんな不思議な組み合わせだった。


☆ ☆ ☆


 修人とクリスが曲がり角を曲がり見えなくなったところで、白奈は荷物をみるくに押し付けた。服やら日用品やらが詰め込まれた袋を無理やり持たされたみるくは、面食らって姉に質問した。


「どうしたの、お姉ちゃん? そんなに怖い顔して……何か、あった……?」


 案じるように尋ねるみるくの仕草は、どこからどう見ても女の子のものだ。そんな彼女の在り方に、分かりにくいながらも優しい笑みを溢した白奈は、申し訳ないという気持ちを押し殺し、あくまでも冷たい声で告げる。


「ごめんなさい、みるく。私は少し調べることが出来たから寄り道をします。あなたは真っ直ぐ家に帰ってください。今住んでる方ではなく、実家の方へ」

「え……?」


 唐突な白奈の言葉に、さすがのみるくも困惑を隠しきれなかった。

 現在、白奈とみるくは二人でアパートを借りて暮らしている。家のしきたりとして、一人前となるため、名家である実家を出て二人だけで高校生活を送っているのだ。生活費は両親が出してくれているが、それ以外のことはすべて自分でせねばならない。その間、実家に帰ることは、相当切迫した事態でなければ許されていないのだ。


「お姉ちゃん……家は……」

「分かってますよ。その上で言ってるんです。みるく、今すぐ実家に戻りなさい」


 みるくは事態を掴めていない。姉の言動の意味も、実家に帰ることが許されているのかどうかも。

 だが――


「大丈夫です。別に命の危険が迫っているわけではありません。少し不測の事態に陥ってしまった――それだけの話すですから」


 みるくの体を反転させ、そっと背中を押してやる。優しさが手のひらから伝わってくる。そしてその優しさが、みるくにこれ以上の追及を許していないこともまた、みるくには分かっていた。

だから、少女の姿をした少年は沈痛な面持ちで頷いた。


「大丈夫。みるくは大切な妹です。私があなたを一人にすることはありませんから。だから、ほら。行って」

「うん……」


 自分はいつも助けられてばかりだ――そんな悔しさを抱きながら、みるくは姉の言う通り歩き出した。


「さて――」


 みるくが視界からいなくなったのを確認すると、白奈は面持ちを変えて歩き出す。修人とも、みるくとも異なる方向へと。


☆ ☆ ☆


 疑似日光灯が消沈し、一寸先も見通せなくなった路地裏を、一人の天使が堂々と歩いている。

 白い髪と白い肌。そして純白のドレスが特徴的な、どこまでも白が似合うその少女は天川白奈だ。


(この臭い……)


 訝しみ足元へ目を落とすと、そこには血の跡がある。それも、死体が引きずられたかのような、そんな痕だった。


「酷い……」


 そんな彼女の呟きに紛れて、パキッ、と何かが割れる音がした。

 だが、少女はそれには注意を払わず先へと進む。

彼女の神聖さすら感じさせるその姿は、身体に粘つくような湿り気と、死臭が充満するこの場所では明らかに浮いている。雷雨の中、虹がかかっているかのような――絶対に共存しない両者。

 故に。


「ここは――少しばかり浄化しないといけませんね」


 此度は、虹が雷雨を淘汰した。

 立ち止まった少女から純白の閃光が放たれた。白光は路地を貫き、ドブネズミが如くこの場所に巣食っていた者達が、光の下にあらわになる。


「なっ、テメエ!」

「おい、メスガキが俺たちに気付いてやがった! すぐに捕まえろ、久しぶりの上玉だ!」


 闇に紛れ白奈を誘拐しようと物陰に潜んでいた男たちが、一斉に飛び出した。白光に照らされ居場所がバレた以上、実力行使が手っ取り早いと判断したのだ。


「あなた達がこの辺りを支配している人たちですね。一つ聞きますが――、今日は何人殺したんですか?」

「ああッ? 知るかそんなん! 売った人間は五人ってとこだが、殺した人数なんていちいち数えるかよ!」

「――ッ、奴隷商、ですか……っ! 下衆ですね……っ」


 その時点で、彼女はもう対話を諦めていた。思考は戦闘モードへシフト。すぐさま状況の確認に移る。

 敵は四人。前方から二人と、後方から一人。

 そして――


「上から、一人」


 呟くと同時、少女の右手に白光が収束されていく。


主よ、我に使徒の手を(アケスス・アンフェルゥ)――受信(コネクショヌ)熾の天使(セラフィム)〟」


 それは、吸血鬼が己の血に飼う悪魔へ命令を下す際の呪文と酷似していた。悪魔の力を借り、その力の一端を扱う吸血鬼の秘奥魔術。彼らにのみ使用することを許された、暗黒の命令権。

 即ち悪魔使役という力。それと同じ領域にある絶技。古来より彼女の家にのみ受け継がれ続けてきた、天使の力を借りる術式。神の代行者たる天使の妙技、その一端を扱う破魔の光こそ、彼女固有の魔術である。

 即ち、天使降霊。

 神に祝福されし、聖なる血を受け継ぐ『天川家』の人間にのみ許された、神の寵愛とも呼ぶべき力だ。


「お覚悟を、救いを求める羊たち。今、その身にこびり付く汚れを余さず聖浄(あらいなが)しましょう」


 右手に収束された白光は、純白の炎の如く揺らめきながらも、剣を象った。鍔の存在しない、柄と刃でのみ構成された無骨な剣が、少女の右手に握られている。


「ふっ――」


 小さく呼気を吐き出し、剣を上空より迫る敵へ一閃。

 毒の塗ったナイフで少女の肩を狙っていたその男は、しかし――白炎の剣に腹を横一文字に断たれた。手からナイフが滑り落ちる。当然白奈に掠りもしない。地面にぶつかり刃は折れ、使い物にならなくなった。


「なっ」

「あいつ――」

「クソォ! 魔術師だ! それも天川家の化け物女じゃねえか!」


 仲間の一人が容赦なく上下に裂かれたその瞬間を目撃した男たちが、戦慄に表情を歪ませた。

 ここに来てようやく、彼らは化け物を敵に回したのだと理解する。

 だが、そんな彼らの戦慄と恐怖を和らげるかの如く声が響いた。


「安心してください、死んでいません」


 朗々と響くその声は、声量そのものは小さいというのに、何か別の力でも働いているかの如く三人の耳に届いて来る。


「この剣は、肉体ではなく罪を切ります。あなた達の業が深ければそれほど痛みは増し、逆に善良な人間ならばこの剣に斬られたとしても、痛みなど感じません。――あなたはどうですか?」

「ぁ、ぁああ、ああああああ……グガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?」


 白奈が語り掛けると同時、斬られた男が腹部を抑え付け、この世のものとは思えぬ絶叫を上げながら地面をのたうち回った。


「いぎっ! ギギッッ! いがっ、ぁあああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 戦闘不能となった一人から視線を外し、彼女の標的は背後の男へ。


「ひっ――」


 既にこの瞬間、狩る者と狩られる者の立場は逆転していた。――否、そもそも最初から、天川白奈がここに現れた時点で、勝負は決していた。脳を隠していた鷹が獲物の巣穴に潜り込み、今その爪を剥き出しにして暴れているだけに過ぎない。


「次はあなたです」


 爪を光らせ、牙を剥く天使が一人。

 背徳の罪人へ、叛逆の天使を討ちし炎の剣を振り翳す。


「まっ――!」


 命乞いなど聞きはしない。特殊な歩法で敵の意識の空白を突き、その懐へ潜り込むや、白奈は容赦なく剣を振り抜いた。

 反転。

 背後から聞こえてくる外道の絶叫を無視し、白奈は正面の二人を絶対零度の瞳で睨む。


「クソがァ! だったら街一つ壊そうが構わねえッ!

 ――六道の第四層にて広がる獣の法へ願い奉る!」

「……あなた、六家の……輝光(きこう)家の者ですか。名家の出だというのに、人身売買などっ。……力に呑まれ畜生に落ちましたかっ?」

「うるせえよッ! 俺はすでに勘当されてるってのォ! ――おいテメエ、時間を稼げ。上手くいけば、ここを切り抜けられるかもしれねえ」

「いやでも――!」

「今すぐ死にたきゃ好きにしろ? ゼロか一だ。お前が選べ」

「うっ」


 くすんだ黄色の髪の男に睨まれたもう一人の男が、目に涙を溜めて白奈へ襲い掛かった。

その間に、輝光(きこう)家という家系から勘当されたという黄髪の男は、己の手のひらに傷を付けると、その血を舐めた。


「不遜なる人の身から墜ちたが故に悟りを開けぬ者よ


 我は知性を削られ、理性を奪われし哀れな獣なり


 ならばこの身に宿すは自然の猛威


 永遠なるこの鎖から逃れんために


 解脱は叶わぬとしても来世を信じよ、今を生きるのだ



 畜生道展開――『黒豹(コクホウ)』」



 瞬間、男の骨格が変わる。それは獣人化だ。体表が黒い毛で覆われ、大腿の筋肉がしなやかな筋肉を身に付ける。

 変化が終わった彼の姿は、長命種たる獣人と何ら変わらない姿であった。モデルは黒豹。なるほど、己よりも弱い者だけをターゲットにするという点では、彼と全く相違ない。

 魔術における詠唱――それは己の表層意識、あるいは妄想を、より強固なものとすることで魔術の精度と威力を格段に高めるプロセスだ。

 人間では神の御業を想像できぬ故、詠唱を加えることでイメージを固める。いわば自己暗示。自らを洗脳するための手段に過ぎず、故にその形式は記述通りでなくてよい。

 滅茶苦茶な詠唱であろうとも、その結果、魔術を形作るイメージがより鮮明となるのならば、それは『正解』というわけだ。


「なるほど、そこまでこの剣が怖いですか。ならば、だからこそ――あなたは懺悔するべきです。あなたが救われるように、私が微力ながらその背を押します」


 敵が本気を出したことを受け、白奈もまた力の一端を引き出す。

 涙と鼻水で顔を汚くした奴隷商の一人を白炎の剣で斬るや、少女もまた詠唱を開始する。


「第六の実を落とせ


 美のセフィラたるティファレトの守護者よ


 我、汝が神たる光の炎を宿すことを知る者なり


 ならば主よ、其を知る我もまた光を享受することを許したまえ


 証を此処に」


 詠唱を区切り、白奈はワンピースのポケットから黄色の折り紙の切れ端と、赤みがかった金属片を取り出し、右手に持つ炎へくべた。


「黄の紙と黄金を食いし炎よ


 汝、この空にない太陽の代替としてあれ」


 瞬間、少女の右手に持つ白炎の輝きがさらに増す。

 そう、まるでそれは――在りし日の太陽のような、天地を照らす希望と夢を魅せる輝き。


「此度、大天使長は立った


 彼は我と友を守護する者なり


 壮絶なる苦難を耐え忍んだが末の今


 救済の時は来た 安らぐがよい


 汝、かの書に刻まれておらずとも、我が汝を救うと誓おう」


 そして、祝詞は完成した。

 神に祝福されし女の術式が、ここに成る。


「罪を追え――聖浄の剣(エスパーダ)


 白炎の輝きが臨界に達し、その刀身から無数の棘が放出される。ミサイルの如く刀身から放たれる極光の(スピア)が、黄髪の男の全身を貫いた。


「その棘は人の罪悪感に反応します。熱源に反応する追尾型ミサイルを参考に組み上げた術式です。逃れることは出来ませんし、全身を己の罪に刺されるのです。その激痛は恐怖となり、恐怖はあなたの心を入れ替えさせる。時間はかかるでしょうが――これであなたは、もう非道を働くことはないでしょう。ゆっくりで構いませんから、必ず立ち上がってください」


 それはまさしく、神の代行者たる天使の術式にふさわしい魔術であった。

 自身の罪の炎でその身を焼き、力と痛みと恐怖でもって、異端者たる罪人の心を入れ替えさせる。ともすれば、傲慢にも思えるその術式は、その実、罪に穢れ人道を外れた者の心を入れ替えさせたいという、清く美しい願いの形であった。


 男の絶叫に背を向け、右手を一振り。白炎は空気に溶けるように消え去る。

 やがて四人の男たちの意識が、痛みによって切断され悲鳴も収まると、後には静寂だけが残った。

 小さく息を吐き、再び闇に包まれた裏路地を油断なく眺める。

 警戒は解かないまま、しかして武装もせずに闇の奥へと声を投げた。


「出てきてください、暗峰(あみね)凍夜(とうや)

「ばれてたんだ」


 墨を塗ったかの如き濃密な闇の向こうから、その少年は現れた。

 氷を連想させる水色の髪と、虚無を思わせる黒い瞳。陰鬱な表情は感情を伺わせず、どことなく不気味である。


「それにしてもこんな裏路地までボクを追って来て何の用だい?」


 彼の視線に敵意の類や、責めるような色はない。彼はただ一つの疑問として白奈に問うていた。


「君とボクでは明らかに立場が異なるはずだ。それも、文字通り天と地ほどの身分の差が存在する。六道六家における最有力家系である『天川家』の次期当主である君が、六家最弱の家系である『暗峰家』の――それも当主候補でも何でもない落ちこぼれを、こんな裏路地まで追いかけるだなんて、どうかしているよ」

「いえ。私がそうするだけの理由がありました」

「……。なるほどね。天川白奈の、もう一つの顔として、か……」


 凍夜が言葉を発した瞬間、彼女の瞳が鋭く尖った。


「図星だね。なら君は今、六道六家最強の『天川家』次期当主の天川白奈としてではなく――」


 なるほど、彼を追いかけてきて良かった。――白奈の直感は核心へと変わっていた。


「総聖堂〝十一尖兵〟序列第十一位、『熾天使(セラフィム)』の天川白奈として、ボクの目の前に立っているわけだ」


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