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4 魔女の呪い1

「セレジェイラは大きくなったら何になりたいの?」


 それは絵本ばかりを読んでいた子供の頃に訊かれた事だ。


「お姫様になって王子様と結婚するの!」


 今となっては心から呆れる程、それはそれは純心だった自分。

 五つまでは小さな屋敷に母と一人の女使用人と生活していて、時々父がやって来る毎日を過ごしていた。特に不自由もなく不思議にも思わなかったその生活は幸せであったと思える。

 父は娘の自分から見ても美男で優しくて、自分も大きくなったらこんな人と結婚するのだと思ったこともあった。

 父は来る度に絵本を持ってきてくれた。

『シンデレラ』『白雪姫』『眠り姫』『美女と野獣』『人魚姫』『白鳥の王子』『ラプンツェル』『親指姫』

 大抵は王子様と幸せになる夢物語。

 幼い少女が夢を見てしまっても仕方がないだろう。


 ――― 世間知らずな少女のくだらない夢だったのに……その時魔女が囁いた。


「そう。じゃあその願いを叶えてあげる」


 血で染めたような赤い唇がにっこりと弧を描いて ―――




 王太子リアムの秘書として登城するようになって数週間。その生活にも慣れてきた頃、そんな幼い頃の夢を見た。


「イラついているようだがどうした?」

「……夢見が悪くて」


 執務机に積み上げられた文献を整理していればリアムに声をかけられた。表情に出るほど苛ついているとは自分でも気付かなかった。

 大きな本を書架に戻し溜息を吐いて次の本を手に取る。

 後から思えば幼い頃に過ごしていたあの屋敷は父の用意した愛人を囲っておくための家だったのだ。持参してくれていた絵本も姉達が幼い頃に読んでいたもの。

 幸せだと思っていた自分が愚かだったと悟ったのは五つの時。

 母は突然アークライトの屋敷に押しかけて、セレジェイラをアークライト夫人に押し付けた。

「貴女の夫の子どもです。差し上げるのでお好きなように」

 そしてそのまま知らない男とどこかに消えてしまった。

 アークライト夫人が善人でなければどうなっていたのか。使用人として使われるのならまだいい。奴隷として売られても文句も言えないではないか。

 実母の記憶は実のところあまり残ってはいないが、残っているものでもそんなふうにほとんど良いものはない。


「殿下は大きくなったらなりたかったものってありますか?」

「考えたこともないな」


 それはそうか。アストルム王国の第一王子。生まれたときから道は決まっている。それ以外の道など考える間もない程にその道を進むしかない。


「今、選べるとしたら何になりたいですか?」

「このまま、だな。他に出来ることが分からない」

「そうですか」


 畑仕事や力仕事をする姿は確かにこの綺羅びやかと言える容姿からは想像し難いが、その頭脳と腕があれば何でも出来そうだ。

 そしてリアムは人に使われて満足するような性分ではない。いつかは上に立ち人を率いる者になるだろう。


「セレジェイラは?」

「……男になりたいです」

「全力で阻止してやる」

「阻止されずともなれるものではないでしょう」

「何故男になりたい?」

「自分で身を立てられれば周りに左右されずに生きられるからです。所詮女は結婚相手に左右されますし疲れます」

「確固たる居場所が欲しいんだな?」


 リアムがさらりと言った言葉にセレジェイラは瞳を見開く。

 そうなのか。

 自分は確固たる居場所を求めていたのか。

 自分の居場所はいつも足元が不安定だ。

 愛人だった実の母、父の愛がなくなればその割合幸せだった生活は一変しただろう(母はその前に自分で壊したが)。引き取ってくれた継母は厳しくもとても優しくてアークライトは自分の家だと思えるけれど、いずれは姉の子に継がれるものでいつまでも居られるところではない。

 そろそろ次の家を見つけるのだと本能が告げているのかもしれない。

 安住を手に入れるには生涯自分だけを愛してくれる相手を見つけるか、愛人がいても妻として生涯面倒を見てくれる誠実な人を見つけなければならない。アークライトが権威ある伯爵家であれば家同士の結婚でも軽視されることはないが、没落貴族の娘など飽きられれば簡単に離縁されてしまうのだから。



「おはようございます。セレジェイラ殿。お手伝いしましょうか?」

「エドワード様いつもありがとうございます。でもこのくらい平気です」


 回廊で掛けられた声に数冊の文献を持つセレジェイラはにっこりと愛想よく返事をする。相手は「いつでも手伝えることがあったら言って下さい」と笑顔を返してくれる。

 城を歩いていると、こうして幾人かの城勤めの令息に声をかけられる。王子のお気に入りの秘書官だからあからさまにデリカシーのない言葉をかけられることはないが、こっそりと好意や誘いの声は寄せられる。遊びか本気かくらいはある程度分かるし、当然すぐに誘いには乗らずに後で為人を確認する。結婚相手として悪くないと思う人も数人いるが、いまいち乗り気になれない。

 だから例え本当に親切心だけで声をかけてくれているだけとしても、下心を隠しているかもと思えば(手を借りずに出来ることなら)甘えられない。自分がその気になれないのなら見返りを求められても困るし、男を手玉にとりたいわけでもないのだから。


「あの方がセレジェイラ様ですわ。可愛らしい顔をなさって随分と色々な意味で遣り手らしいですわよ」

「可愛い顔をしているが故でしょう」


 令息と挨拶をし別れれば、今度は令嬢達の皮肉混じりのクスクス笑いが聞こえる。

 今日は王女主催のお茶会が開かれる予定だからそれの出席者か。家柄ばかりよくても人柄は良くないようだ。


「登城は送迎付きの上、身の回りの物は全て殿下に揃えさせているとか」

「あの制服もなのでしょう」

「流石、継母や姉に尽くし媚びて生活していただけあっておねだりが上手ですこと」

「殿下のお仕事が早いというのも殿下が有能だからでございましょう。それを自分の手柄のように言っているとか」

「まあ、図々しい。言われた通りに文献資料を集めるくらい私にも出来ますわ」


 真実もあるが、殆どがやっかみだ。

 リアムが用意してくれるものは一応秘書官に必要なもの、送迎についてはアークライト邸までは馬車で三十分ほどかかる処にあるので甘えている。しかもそれがリアムの秘書官になる条件なのだから妥当というものだろう(給金が良い事については無視しておこう)。

 それにしても母や姉のことを悪く言われて気分が悪い。城では面倒事を起こさずに過ごしたかったので大人しくしていたが、今日はあまり我慢が出来そうにない。

 早くこの場を去った方がいい。


「セレジェイラ!」


 そう思ったのに、背後からよく通る澄んだ声に呼び止められる。セレジェイラを呼び捨てにするのは城の中ではリアムだけだ。声の主の姿が近づいて令嬢達のクスクス笑いがピタリと止んだ。


「……殿下、何でしょうか?」

「……どうした? 美しい顔が台無しだぞ」

「いいえ……なにも……」


 セレジェイラの浮かない顔を見て、リアムは心配気に訊ねる。

 こういう時はしおらしい姿を見せるに限る。端から見ても健気な女に見えるだろう。リアムも「演技はやめろ」等と言うこともない。寧ろセレジェイラが反発しないのをいいことにお前に夢中だというような態度で接する。

 王子にすり寄る女性の牽制に使われているのではないかと思う。


「苛められたか? そういう時はすぐに言え」


 セレジェイラはちらりと令嬢達を見て寂しそうな顔をした。令嬢達は告げ口でもされるのかと顔を強張らせた。


「……いいえ。いいんです……私が至らないのが悪いのでしょう……もっと努力します……」

「セレジェイラ、お前はよくやっている」

「ありがとうございます……あの、それでご用件は?」

「急に必要になった資料があって取ってきてもらおうと思ったのだが」

「はい。行って参ります。リストは?」

「これだ。こっちはコナーに頼まれたものか? 俺が持っていこう」

「まさか。殿下に頼むなんて出来ません。それに殿下自ら来られずとも使いの者で済むではないですか」

「お前の顔が見たいんだ」

「殿下……」


 令嬢達の悔しがる顔が想像できてセレジェイラは心で笑った。けれど、そんなふうに自分を慰める己にすぐに嫌悪した。


「セレ……」

「きゃああああ!」


 リアムが掛けようとした声が鋭い悲鳴に遮られた。


「リアム殿下! 避けて下さい!!」


 背後からの叫び声と何かの気配を感じてリアムが反射的に腰の剣を抜こうとすれば、セレジェイラが前に出た。リアムが庇う間もなく何かがセレジェイラに襲い掛かった。


「痛!!」

「セ……!!」


 小さな獣がセレジェイラの腕に噛み付いた。令嬢達の悲鳴が上がる。慌ててリアムがそれを斬ろうとすればそれより早くセレジェイラの鉄拳が獣の頭に落ちた。


 ゴツン!


「にゃう!」

「ダメ!!」


 獣の体を掴み睨みながら強く一言言ってセレジェイラは視線を外すと「檻に入れて無視してください」と獣を捕らえようとやって来た者に言った。


「セレジェイラ! 大丈夫か!? 手当を!」

「大丈夫ですよ。少し血が出ているだけです」

「何でお前はそんなに冷静なんだ!」

「猫に腕を噛まれただけですよ? 殿下こそこんなに小さなものに剣を向けようとするなんて」

「背後のものの大きさなんてわかるか! それによく見ろ猫じゃないだろうが!」


 リアムの指差す檻に入れられた獣を見れば白毛に薄く縞模様の入ったその姿は確かに形は猫だが、骨格が太く手足が大き。なにより猫よりも随分と逞しい。腕についた噛み傷も猫にしては牙痕が大きく深いように見える。


「なんですか? これ」

「どうでもいい! 手当てだ!」

「手当ては後で。この猫の正体が知りたいです」

「ああ、もう! 何だこれは!?」

「虎の亜種です」


 獣を捕まえにきた者にリアムがイライラと訊ねた。

 それは東の国から謁見にきた大使が献上品として持ってきたものだという。


 虎は食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。

 通常の虎は背面に黄色や黄褐色で黒い横縞が入っているが、檻に入った虎は白毛に色の薄い黒の縞模様。ホワイトタイガーは希少種で献上品というのも頷ける。でもそれ以上にこの大きさが普通の虎とは違う。


「虎の子にしては小さくないですか?」


 セレジェイラは獣に噛みつかれた事など気にする様子もなく訊ねた。

 普通虎の出産直後の幼獣の体長は三十センチから四十センチというが、この生き物は幼獣としても二十センチ程しかない。


「この品種は東国にしか生息していない種で成獣でも体長が五十センチ程度にしかならないそうなのです」

「そうか。正体は分かった。行くぞ、セレジェイラ」


 子供サイズのままの虎とは確かに珍しく、女性受けしそうだとも思うがリアムにとって今はそんなことはどうでもいい。セレジェイラの腕は服の上にも血が滲んで来ていて、そちらの方がよほど気になった。


「え? はい? なんですか?」


 横にいるセレジェイラの手を引こうとすれば、彼女はリアムの言葉にも上の空できらきらとした目で虎の子を見ていた。


「……手当てだ!」

「後でいいです」

「セレジェイラ!」


 これまでのセレジェイラの大人しい令嬢姿しか見たことのない者達は、その落ち着いた様子に驚いた。

 普通の令嬢なら獣に噛まれ腕に血が滴るほどの怪我をすれば泣き崩れてしまいそうなものをセレジェイラは飄々としている。

 そしてその姿をリアムは驚くというよりはただ心配しているようで、セレジェイラの隠していた一面をみたという驚きは見られない。


「……殿下、私は結果として貴方を庇って怪我をしました。償いに一つ願いをきいては貰えませんか?」


 二人の遣り取りを遠巻きに見てさわさわとしていた観衆がざわりとした。

 リアムは一度咎めようと開きかけた口を閉じ、考えを改めた。


「……ああ、女性に怪我をさせた償いはせねばな。望みを一つ何でも叶えよう」


 小さな悲鳴のような声が上がり、息を詰める雰囲気がする。“何でも”と言われれば令嬢達には言いたい言葉があるだろう。


「あの虎を殿下の執務室で飼って下さい!!」


 セレジェイラの言葉に辺りがしん、とした。

 王子を襲った(怪我をしたのはセレジェイラだが)獣など例え献上品でも処分が妥当だ。それを執務室で飼ってくれと言う。なんの償いと言えるのだろうか。


「……もっと他にあるだろう? 一つだけだぞ?」


 リアムが令嬢達に聞こえないようにこっそりと言えばセレジェイラも小さな声で答える。


「何ですか? 金の延べ棒でも強請れと言うのですか?」

「……ここにいる令嬢方ならだれでも言うであろうことだ」

「別に望んでません。私が言うとでも?」


 “何でも”と言われれば“女性の体に傷を付けた責任を取って下さい”……つまりダメもとで結婚を迫ることが出来る。


「今なら腹いせに言うかと思った」


 リアムが溜息混じりに呟く。セレジェイラが令嬢方に静かに怒っていることはお見通しのようだ。


「もういい。陛下には打診してやるが返事次第だ。まずは手当に行くぞ!」

「あっ! ちょっと待って下さい!」

「今度は何だ!」

「マリエッタ様。これを」


 セレジェイラはリアムの手を振りほどいて令嬢の一人に紙片を差し出した。


「な、なんですの?」

「殿下が持ってきて欲しいと言う資料のリストです。先程出来ると言っていたので、私の代わりに揃えて届けてください。いいですよね? 殿下」

「ああ、三十分で揃えて持ってきてくれ」

「はい。分かりました!」


 マリエッタは喜々として答えた。ここで自分にも出来るのだと証明できれば、自分も秘書として召し上げられるか、そうでなくとも目には止まると思ったのだろう。


「意地悪ですね」

「お前程じゃない」


 資料室の方へといそいそと歩いていくマリエッタを見てセレジェイラが言えばリアムはあっさりと返した。行くぞと言うように肩を抱かれて医務室の方へと歩き出す。


「獣に噛まれた傷を侮るな。化膿するぞ」

「献上品ですから清潔にはされているでしょう。それにご存知のようにそこまでか弱い深窓の令嬢ではないんですよ。犬猫と遊んでいて噛まれたり引掻かれたりはよくありました。ほら、もう血も止まっています」


 袖を巻くって傷口を見せれば、確かに血が流れ出ているということはない。けれどそこには鮮血が光っていた。

 どうしてもこの色はあの弧を描く口許を思い出させる。


「痛むか?」

「え?」

「眉間にシワがよっている。痛むなら痛いと言え」


 そう言うリアムの方がよほど痛々しい顔をしている。本気で女性に怪我をさせたことを悔いているようだ。


「いえ……痛いは痛いですけど……それほどでも。本当に平気です」

「本当か? お前は変なところで意地を張る。お前のような奴はたいしたことないときは大騒ぎして、本当に痛いときには何でもない振りをするんだ」

「そ、そんな事はありませんよ! 自分に赤い口紅が似合うかと考えていたんです!」


 若干身に覚えがある事を言い当てられて、つい話を反らすためにそんな事を言ってしまった。


「赤? お前は赤ではなくピンク……赤としても薔薇色だろう? 欲しいのなら贈ってやるが」

「いえ、似合わないならいいんです」


 赤が似合いたいとは思えない。あの女とは少しでも違う女でいたい。否定されて少し気が晴れた。


「赤はあまり好きではないようだな」

「表情を読まないで下さい!」

「ははっ。それにしても今のでお前の大人しく健気なイメージは壊れたな」

「殿下のお気に入りでいる以上どうしても嫌われるのでどうでもいいかと。演技も疲れました」

「今日は随分と投げ槍だな。どうでもいいでは困るのだが、王子妃になれば向こうから媚を売ってくるしな」

「そうですね。高位の貴族夫人となれば自然そうなりますよね」

「俺は王子妃と言った」

「……殿下、私、先程殿下に庇われて心でほくそ笑んだんです。それに殿下の言うように意地悪でマリエッタ様に仕事を頼みました。そんな浅ましい女嫌ではありません?」

「その後で後悔しただろう」


 人の事をよく見ている。おそらくあの時自分自身に呆れた表情を気取られたのだ。


「私、結婚相手は最高位でなくていいんです。ある程度の権力があれば」

「……コナーとかか?」


 コナーは侯爵子息であり王子の執務補佐官で将来を約束された地位にある。リアムまでといかないまでも整った顔をしていて、沈着冷静なところも利点だ。結婚相手として充分な存在だ。


「そうですねぇ。いいんですけれど、コナー様の眼中に私はないようです」

「コナーは俺の気に入りの娘に手を出すことはないから諦めろ」

「相変わらずの信頼関係ですね。別に本気で狙ってはいませんよ。殿下の無体を放置するところはいただけないです」

「……本気でそう思っているのか?」

「はい? 思っていますよ? ここからは一人で行きます。では」


 リアムの執務室は回廊を右方向に曲がる先にあり、医務室は階段を降りることになる。先に戻って下さいと別れれば、また背後から声がかかった。


「セレジェイラ。傷を付けた責任は生涯とるぞ」

「傷を付けたのは殿下ではなく虎の子です。でもいただけるのなら金銭でお願いします」


 セレジェイラは振り向いてにこやかに答えた。

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