赤い旋風 襲来
「すこる……なんだって?」
「スコルピオンです」
前回の組織アピール作戦から一週間後、私とアリスは、司令室で今後の制圧エリアの拡大についての協議を行っていた。
塩頭市玉之江町の制圧以降、組織の制圧エリアは順調に拡大を続けており、現在はアジトを中心とした8つの市町村が、組織の傘下となっていた。
制圧エリアへの加入は、私の意向を汲んで通知勧告方式を採用しており、武力による制圧は行わせていない。基本は書面とし、必要であれば、私がアリスを伴って、直接交渉に出向いていた。
反応は様々ではあったが、基本的に塩頭市玉之江町の時と同様で、通知勧告を受けた相手の態度はあっさりとしたものだった。「分かりました」と素直にこちらの要求を受け入れると、早ければ当日中には制圧エリアへの加入が完了していた。
あまりにもあっけない、と雨辺りはぼやいていたが、私としては無駄な争いをしない分、大助かりだ。市町村の中には「真摯な対応に感謝する」といった内容で、手紙を送ってくれたところもあったし、彼らにしてみても武力で制圧されなかった事はよかったはずだ。
ちなみに、この手の交渉の準備や、関わる調査の一切全てを、アリスが取り仕切っていた。私が雨や雪、風美の面倒を見ている間に、コツコツと行っていたらしい。今の制圧エリアの拡大があるのは、アリスの手柄だな。うちのご意見番はネゴシエーターとしても優秀のようだ。
また、戦闘員も順調に増えていた。アリスの報告によれば、今は三十四名が席をおいているそうだ。
戦闘員達は班分けを行い、雨と雪の部下と言う形で配置している。自分より年上の者が部下というのはやりづらいかもしれないが、、あの二人は人当たりも良いし、人をアゴで使うような事もしない。今のところ、戦闘員からの評判も悪くないようで、しっかりと幹部としての勤めを全うしているようだった。
戦闘員の訓練も順調のようで、雨が格闘技を、雪が射撃技術の指導を行っている。感覚派の雨は「びゅっとやる」や「ぱっと動く」など、非常に抽象的な指導をしているのだが、それで何故か戦闘員にも伝わるらしく、雨の技術をしっかりと吸収しているようであった。逆に雪は知識派のようで、理論を元にした技術指導を行っているようだった。こちらは非常に分かりやすいと戦闘員から定評がある。
町民レベルで武器を保持しているこの国の人間にとって、戦闘訓練というのはそれ程苦にならないらしく、ベースになる知識がある為か、戦闘力の伸びは私が思っていた以上に、早いものだった。
ちなみに戦闘員達にはそれぞれ前職の経験がある訳で、そちらの経験を活かした仕事というのもやってもらっている。電気機械技師の資格がある者には施設の整備を、服飾経験がある者には戦闘員の戦闘服を作ってもらったりと、その業務内容は多岐に渡る。
特に最近入ってきた戦闘員31号が元中華料理屋勤務というのもあり、その料理の腕には大いに助けられている。今まではアリスと風美が食事を用意していたので、専門の人間が来た事は大変ありがたかった。料理の腕も確かで、主に雨の胃袋を満足させている。
ちなみにアリスと風美が料理をする中で、雨と雪は台所に近づく事とすらしなかった。少し手伝ったらどうだと私が言うと、「食い専なので」と二人は口を揃えて答えていた。その考えはどうなのだろうと正直思った。
戦闘員の訓練とは別に、私自身の訓練も行っていた。訓練といっても、どちらかというと確認という意味合いが強い。なんせ、私は時限振を起こして周囲を吹っ飛ばす力があるらしいからな。自分の力の戻り具合を確認する事は、不慮の事故を起こさない為にも、大切な事だ。
制御能力は日々向上しているようで、腕力の調整もだいぶできるようになっていた。瓦の20枚、30枚は楽に割れるし、巨大なハンマーで殴りつけられても、何も感じない程度に防御力もある。また前に出した衝撃波やエネルギー弾みたいなものも、アリスの補助があれば使用する事ができていた。
さすがに銃弾を防ぐバリアーを発生させる、といった芸当はまだ出来ないが、多少の戦闘であればなんなくこなせるレベルにはなっていた。
アリスも、JHKのヒーローでも太刀打ちできない強さだという判断をしてくれており、有事の際に何も出来ないという事にはならなくて済みそうだった。
風美の仕事もだいぶ板についてきており、手の空いた戦闘員達と一緒に、施設内の清掃や、資材の発注等の業務をこなしていた。性格の面では大きな進歩はないようだったが、出会った頃のように、自信がまったくありませんというオーラを振りまかなくなっただけ、成長したといえよう。
最近の組織の現状はこんな感じだ。
改めて考えてみると、つい一ヶ月ほど前までは、私とアリスの二人だけの組織だったのに、今では四十名近くの大所帯となっていた。組織の運営が順調だ、という事なのだろう。今後もつつがなく過ごしたいものだ。
さて、そんな順調な組織運営の中で制圧エリアの拡大についてだけは、少しだけ厄介な事になっていた。
それは今の制圧エリア外の市町村が、他の悪の組織の制圧エリアになっており、今以上のエリア拡大を狙うのであれば、必然的に他の組織と衝突する事になるというものだ。その為、戦闘や争いを避けたいという私の方針では、この先、立ち行かなくなっていた。
これに関しては私も考えた。戦闘を回避する方法はないものかと考えた。だが、どう考えても、この先も活動をするのであれば、戦闘は不可避であるという結論に至った。悪の組織を運営する上で、避けては通れない道なのだろうと、私は腹を括る事にした。
だが、それでもだ。組織の皆には出来る限り、危険を冒して欲しくはない。その事をアリスに伝えると、「少し心配しすぎなのでは?」と言われたのだが、最終的には「では、基本方針はそのままで、戦闘も危険性を最小限に留めるように留意します」と、頼もしい返事をくれたのだった。
そして今日の協議の話になる。
アリスは私に次の制圧エリアの話を持ってきた。その内容は、対別の悪の組織という内容だった。
私の話を受け、アリスは戦闘員の錬度を詳細に調査していたらしく、その結果、戦闘を含めた制圧作戦を実行しても問題ないという判断をしたそうだ。時期尚早ではないかとは思ったのだが、実戦は何にも勝る訓練となるとの事で、いたずらに先延ばしにしていても良いというものではないそうだ。
そして、対組織戦の初戦に選んだ相手が、今アリスが言ったスコルピオンという組織だった。
「スコルピオン……か。確か、さそり座のフランス読みだったか?」
「はい、その通りです。彼らはサソリの紋章を掲げており、相手を弄りながら徐々に弱らせ、殲滅していくという戦法を得意としています。その弱らせ方は、まるでサソリの毒が徐々に体内に浸透していくような、そんな陰湿な手口だと資料にはあります。彼らの毒針により被害を受けた者達は数え切れません」
アリスの調べでは、彼らは私達の制圧エリアの北東、上畑市から軽井沢までを制圧エリアとしているそうで、その規模は上方エリアで第一位だそうだ。
初戦の相手にそのように規模の大きい組織で大丈夫なのかという不安はあるが、アリスに言わせれば、私一人でどうとでもなる規模だと言う。彼女は私の事を過大評価している部分があるので、素直に納得する事はできないのだが、私の体には不可思議な力がある訳であり、その力を使ったのであれば、たぶん、問題の無い相手なのだろう。
向こうの戦闘員がどの程度の強さかは分からないが、さすがに生身で鋼鉄のハンマーを越える者がいるとも思いにくい。ここはアリスの判断を信じよう。
「それで、どのような作戦で行くつもりなんだ?」
「はい、それはですね……」
彼女は手元の端末をいじると、目の前のスクリーンに地図を表示する。長野県の北東部の地図のようだ。地図には複数の小さな点が表示されており、赤い点滅を繰り返している。
「スコルピオンは広範囲に根を下ろしている組織なので、その支部も各地に点在しています。一つ一つ潰すのは時間がかかり、結果として持久戦となってしまいます。その場合、持久力という意味では私達の組織が圧倒的に不利になりますので、そのような戦闘の仕方は避けるべきだと考えました」
地図上に大きな赤い点が表示され、その周辺が拡大スクロールされると、画面の右端に建物の画像が表示された。
パッと見では廃工場の倉庫のような場所に見える。倉庫の天井の板は禿げ落ち、壁のトタンは赤黒く錆びている。画像からでもその朽ち果てた感じが伝わってくるようだ。
アリスが話を続ける。
「その為、本部を強襲し、その指揮命令系統を壊滅させます。この規模の組織であれば、トップがいなくなれば、再度結束してまとまる事はできず、他の組織にやられるか、JHKにやられるかして、自然消滅するでしょう。私達は、スコルピオンの本部を占領し、その勢いでエリア内の市町村に通達を出し、そのまま制圧エリアを奪います。概略としてはこのような感じです」
そこまで話し、アリスは私の方へ向き直った。
この子は電子系の操作の他に、このような作戦の立案もできるのだな。
実際、アリスの知識は深く、広い。頭も良く、要領も良い。見た目が子供なのでついつい忘れがちになるのだが、生体演算機という肩書きは伊達ではないようだ。
「……マスター?」
アリスが不安そうな表情で私を見ていた。どうやら私が何も返さないので、何か問題があったかと不安になったようだ。
「あぁ、すまんな。お前がこのように立派に作戦を立案してきたので、少々驚いていたところだ。たいしたものだな、お前は」
そう言って、アリスの頭を優しく撫でた。彼女はくすぐったそうに目を閉じると、頬をほんのり上気させる。
「あ……その……恐縮です」
頭を撫でながら考える。
これまで組織として戦闘らしい戦闘はしていない。雨や雪はもちろん、戦闘員達にとっては初陣となる。
危険なリスクは背負い込みたくないし、できれば、戦闘はないままでいきたいのが本心だ。だが、その事に関しては既に腹は括った。それになにより、アリスが無理な作戦を立てるとは思えない。彼女が大丈夫だと言えば、それは今まで全て大丈夫だった。だから、今回も大丈夫なはずだ。
「アリス、念の為に聞くが、組織の皆に危険はないのだろうな?」
「ぁ……ぅん……はぁ……」
何故かアリスは放心状態になっており、目の焦点が定まっていない。まるで熱に浮かされた夢遊病者のような表情だ。
私が頭から手をどけると、しばらくふらふらと左右に揺れていたが、ハッと気付いて、俯きなら「……す、すみませんでした」と謝罪してきた。アリスは撫ですぎとトリップしてしまうのだろうか? もしそうなら、次回から気をつけよう。
「で、組織の皆の危険性なのだが」
「は、はい。それは問題ありません。本部の強襲に連れて行くメンバーは錬度の高い者だけとしますし、基本的にはバックアップ要員とする予定です。ある程度の戦闘はあるでしょうが、それは経験と言う言葉の範囲で片付けられるものだと判断しています。スコルピオンの組織力は確かに上方エリアで第一位ですが、戦闘員の強さとしてみれば、ちょとしたスポーツ選手程度で、大した事はありません。むしろ、雨さんや雪さんの方が強いぐらいです。危険は限りなく少ないと判断しています」
「そうか」
で、あるならば、問題はない。
こうして私達の、第二回目の制圧作戦は実行される事になったのだった。
「こんな廃工場を、よくもここまで整備したものだ」
私は自分のアジトの事を棚に上げ、相手の組織、スコルピオンの組織の設備に感心していた。
一見ただの廃工場に見えるこの場所は、長野県北東部にあるスコルピオンの本部施設だ。
私達の正面には崩壊寸前のあばら家のように見える建物があるのだが、その屋根には言われないと気付かないレベルのカモフラージュをされたレーダー・アンテナが設置されている。敷地内の電柱には、監視カメラが設置されており、これも言われないと分からない巧妙さで隠されていた。物陰にはいくつかの動体センサーが隠されており、今のところアリスの指示で全てうまくかわして来ているが、なかなかの厳戒態勢だ。
「それだけ、相手の規模も大きいという事ですわね」
私の傍で控えていた雪が、緊張の面持ちでそう言った。彼女は弓道の道着姿で、背には矢筒を背負っており、右手には弓が握られていた。何かあった場合、後方から支援すると言って、道具一式を持って来たのだそうだ。彼女の腕前は私も知るところだ。頼もしいと思う。
その隣では雨が指をパキパキと鳴らし、やる気満々の表情で控えている。彼女はいつも通りの制服姿だ。
その格好で暴れたら色々と問題があるのではないかと出発前に注意したのだが、彼女的には「スパッツ履いてるから大丈夫なのだ」だそうだ。しかも、証拠を見よと言わんばかりに、目の前でいきなりスカートをめくり上げられ、スパッツを見せ付けられた。にこにこ笑いながらやられたので色気の欠片もなかったが、現役女子高生にいきなりスカートを捲り上げられる行為は、大人の私であっても、正直ドキリとくるものがある。本当、心臓に悪いから、そういうのはやめてもらいたい。というか、絶対やめさせよう。帰ったら雨には正座で反省文10枚の刑だ。
その更に後ろには戦闘員が数名控えており、トンカチやら釘バットやらを握り締めている。もうちょっとマシな武器があってもよさそうなものだが、表ルートで手に入る武器と言うのは、案外限られているらしい。子供でもライフルを持っているこの国ではあるが、さすがにホームセンターで気軽に購入という訳にはいかないようだ。この辺は、今後の課題だな。
「陽動が効いているようですね。正面には見張りの影はありません」
斥候として出向いていたアリスが戻ってくる。彼女は監視カメラやセンサー等を知覚できるようで、戦闘員を二名連れ、偵察に出向いていた。
彼女に労いの言葉をかけ、隣に座らせる。
今回の作戦内容はこうだ。
ここから少し離れた所に、スコルピオンの支部の一つがあり、そちらの方に腕の立つ戦闘員による別働隊で陽動をかけ、本部が手薄になったところを、私達の本隊が強襲する。事前の情報によると、本日、スコルピオンの主力部隊は隣街の銀行に襲撃をかける予定らしく、本部の戦力はいつも以上に手薄になっているらしい。そこに陽動をかけ、更に戦力を分散させる事により、安全に内部へ侵入しようというのが、今回の狙いである。
今のところ作戦は順調に進んでいるようで、状況は計画した内容の通りだった。
「では、内部へ侵入します。皆さんは私の後についてきてください」
アリスを先頭に、私、雨、雪、そして五名の戦闘員が続いていく。アリスの指示通りに動き、各種センサーを交わしながら、倉庫内へ進入する。この先に地下への階段があり、そこが本部施設となっているとの事だった。
倉庫内は薄暗く、天井のトタンが剥がれた隙間から外の光が降り注ぎ、地面に白い染みを作っている。周囲には工場の閉鎖の際にそのまま打ち捨てられていったであろう作業用機械やよく分からない鉄の塊が転がっており、そのどれもがドス黒い油汚れを身に纏っていた。放置されてから、かなりの時間が過ぎているのだろう。寂れた感じが物悲しい。
しばらく進むと、奥の方に休憩室のような小部屋があった。周囲を警戒しながらその中に足を踏み入れると、部屋の中央にぽっかりと穴が開いているのが見えた。近づいて見てみると、それは地下へ降りる階段のようだった。
思いのほかあっさりと見つかってしまった。外のセンサー類が巧妙に隠されていただけに、この分かりやすさは異常ともいえる。
「この階段の下、で間違いはないのか?」
「はい、事前の情報が正しければ、この先に本部施設があるはずです。ですが、おかしいですね」
アリスはその場にしゃがみ込むと階段の縁を指でなぞり、その指先を凝視する。
「かなり時間は経過していますが、これは炭です。付着した状態から考えると、局地的に火事があったような感じなのですが……」
そのまま指先を見つめた状態で考え込んでしまった。
「工場の汚れか何かではないのか?」
「いえ、それでしたらもっと濃密に、べったりと付着しているはずです。ですが、この炭はまばらで、大きな塊とそうでないものがハッキリしていますし、触れば簡単に取れてしまいます」
まるで地下室で火事でも起こったような付き方です、と彼女は言った。
「それにこの階段が、こんなにも分かりやすい状態で放置されているのも気になります。なにかの罠の可能性も……」
「火事か罠かは先に進んでみればわかる事なのだ。先に進もうよ~」
雨が落ち着き無く体を揺らしながら、アリスを急かす。早く戦いたくてうずうずしているようだ。うーむ、危ないな。一応、一言注意しておこう。
「雨、少し落ち着きなさい。浮かれた状態で戦闘に望んでも、手痛い目にあうだけだぞ」
「はーい、わかってるのだー」
唇を尖らせ、雨はしぶしぶといった感じで、了解した。
「アリス、ひとまず先へ進もう。何があったかは先へ進めば分かるはずだ。ただし、細心の注意を払ってな」
「かしこまりました。では、見張りとして、戦闘員を二名残し、先へ進みましょう」
階段の先は暗くてよく見えない。
念の為に、各自懐中電灯を持つと、足元を照らしながら、慎重に奥へと進む。
階段に入ると、ひどく篭った異臭が鼻をついた。それは下へ降りれば降りるほど濃くなり、密度を増していく。
「くさいくさい」と雨が鼻をつまみながらぼやく。少し静かにしていろ。私だってくさいとは思っているんだ。
その異臭の正体は、地下室に降りて、分かった。
「な、なんですの、これ?」
地下室は焼け落ちていた。火事があったというアリスの予測は間違っていなかった。
壁も床も天井も、その全てが黒く塗りつぶされており、焦げ臭い異臭を放っている。
「……誰も、いないようなのだ」
そう、そして誰もいない。スコルピオンの戦闘員も、その幹部も。いると思っていたはずの人間達は誰一人、そこにはいなかった。
足元に真っ黒な石のようなものが転がっている。それを右足で踏むと、ほとんど抵抗無く潰れてしまった。完全に炭化しているようだった。
私は皆を連れ、部屋の奥へと進む。
この地下室にあった照明も焼け焦げて使い物にならなくなっており、手にしている懐中電灯の明かりだけが唯一の頼りだ。
部屋の奥には入り口のようなものがあり、その先には少し広めの部屋がもう一つあった。だが、ここの惨状は先ほどの部屋よりもひどかった。
壁に沿って配置されていたであろうコンピューターは全て焼け焦げており、椅子や机も、完全に炭化している。床には敷いてあったであろう絨毯の燃えカスがあったが、その大部分が消失しており、無残な姿をさらけ出していた。
部屋の奥の壁には、金属製のプレートが掲げられているようだったが、溶け落ちたのか、原型が分からない。なんとなくサソリのようにも見えるのだが、これはスコルピオンの紋章か何かだったのだろうか? プレートの表面は煤けており、ぶつぶつと気泡のような穴がいくつも空いていた。高温で炙られた証拠だ。
壁や天井には、なにかでえぐられたのか、穴がいくつも空いていた。このえぐれ方はどこかで見た事があるような気がするが……。
私達が部屋の状態を調べていると、雨の携帯が鳴った。
どうやら話の内容から陽動部隊からの連絡のようだが、連絡を受けるうちに段々と雨の表情が曇っていき、最後には目を見開いて、「えぇっ!?」と大声で叫んでしまった。何か問題があったのだろうか?
「大首領様、大変!」
雨が携帯電話片手に、とまどいを隠せないまま、私に告げる。
「陽動の人達の行った場所も、こことおんなじ状態だったんだって!」
結局、私達は外へ出てきた。
あそこには焼け落ちた地下室しかなかった。念入りに調査をしたいところだが、あまり長居をして問題が起きても対応できない。なんとも気持ちの悪い気分のまま、私達は地下室を後にしたのだった。
ちなみに陽動部隊も引き上げさせた。今頃はアジトへの帰路についているはずだ。
「結局、なんだったのでしょうか?」
倉庫の外へ出ると、雪が眉をしかめながら、そう言った。雨もアリスでさえも、難しい表情をしている。戦闘員達はマスクで表情が分からないが、三人と同じようで、どことなく重い雰囲気を身に纏っている。それほどまでに、先ほど見た景色は、不可思議で異常だった。
「……私達が来る前に、どこか他の組織が襲撃をかけ、壊滅させた、という事は考えられます。ですが、スコルピオンに対抗できる程の組織力を持った組織が、他にあったかどうか。それに、そういう動きがあるという情報もありませんでした」
私達以外にもスコルピオンをターゲットとした、悪の組織があったのだろうか。確かに、襲撃を受け、破壊しつくされたと言われれば、納得できる状況ではあったが。問題は、誰が、だな。
そこでふと思い出す。あの壁のえぐれ方だ。あれは、そう、前のアジトで見た戦闘の跡と同じだ。何かが爆発して、破壊された跡とそっくりだ。
「アリス、警察やJHKの線はないのか?」
「それも考えられなくもない話なのですが、スコルピオンはランクとしてはかなり下位の組織です。他の組織が猛威を振るっている状況で、はたして優先順位の低い組織の壊滅に乗り出すかどうか……」
「詳しくは調べてみないとなんとも……」と、アリスは言った。
「お悩みのようだな」
ふと男の声がした。
周辺を見回してみるが、私達以外には誰もいない。
「どこ見てるんだか。上だぜ、上」
振り返り上空に目をやる。倉庫の上に、人影のようなものが見えた。逆光で表情は見えないが、どうやら倉庫の屋根の縁に腰掛けているようだ。
来る時は、あんな所に人なんていなかったはずだ。
「おやおや、悪の組織に幼女がいるぜ。よく見れば女子高生に袴美女までいるな。こいつはとんだ好色家だぜ……っと!」
男は勢いよく立ち上がると、そのまま上空へ跳躍。空中で綺麗に一回転すると、私達から少し離れた所へ、音も無く着地した。
地面から屋根までは六、七メートルはある。普通に飛び降りたら、骨折だけでは済まない高さだ。その高さを、跳躍したのか!?
男がこちらへ振り返る。
厚手のコートを身に纏っており、足にはライダーブーツ、手には皮手袋を装着している。全て黒色で統一されたその出で立ちは、この真夏の昼下がりは、不釣合いで不気味な格好だ。
短く切りそろえられた髪を逆さに立て、眉毛も目元もだらしなく垂れ下がっている。筋肉質なようで頬骨から肩にかけて、がっしりとした筋肉が見て取れた。
この男は、何者だ?
アリスが険しい表情で男を見つめている。
「……変です。私の音感センサーに反応がありませんでした。こんな事、ありえません」
男は右手を左肩に添えると、仰々しくお辞儀をした。
「ようこそ、大首領とそのご一行様。お待ちしていたぜ」
顔を上げた男の口元はニタリと吊り上げられていた。ふざけた態度なのに、目が笑っていない。
「お前は誰だ?」
「答える義務はないぜ?」
「なぜ、私を知っている?」
「なぜって、そりゃ、あんたは有名人だからな、この界隈じゃ。知らない奴はモグリだぜ」
「お前はスコルピオンがあの状態になっている理由を知っているのか?」
「なぜ、そう思うんだ?」
「質問に答えろ」
「やれやれ、一方的だぜ」
男は手のひらを返し、おおげさにおどけて見せた。
「一つだけいい事を教えてやるぜ。スコルピオンを壊滅させたのは、他の組織じゃぁない。俺だ」
瞬間、男は少し腰を落としたかと思うと、勢いよく飛び上がり、私に向け拳を振り落としてきた。
咄嗟に腕をクロスし、その拳撃を受け止める。重く、鈍い衝撃が私の両腕に走る。
「いきなり何をする!?」
「わかんねぇかな、こうするんだぜっと!」
男の右足が下がり、左足が疾走する。右腹に鈍い衝撃が走るが、耐えられない程ではない。
私はガードを解き、男の腕を掴もうとして、その腕が弾かれる。男の腕を掴んで動きを封じようとしたが――逃げられた。掴み損ねた腕が、逆に私の腕を掴み、捻り上げられ、そのまま体を浮遊感が襲ったかと思うと、背に重い衝撃が走った。投げ飛ばされたのか!?
起き上がろうとして足に力を入れようとした、その私のすぐ上を、男が迫っていた。体を横に転がし、男の攻撃から逃げる。瞬間、ズドンと鈍い音が聞こえた。
男から少し離れた所で、体を起こし、片ひざを付いた状態で、男を睨む。男は先ほど飛び込んできた姿勢のままで、こちらを見ていた。
見ると、男の足は、地面に埋まっていた。あれを喰らっていたらと思うと、ゾッとする。
「いいぞ、いいぞ、大首領。スコルピオンの奴らとは大違いだ。やっぱ、このぐらいは流してもらわないとだぜ」
地面から足を引き抜き、口元を愉悦に歪ませる。
「やめろ! 私にはお前と争う理由が無いし、襲われる心当たりも無い!」
「そっちには無くても、こっちは大有りなんだぜ……っと!?」
男が後ろへ大きく跳躍する。次の瞬間、男がいた場所に一つ、二つと矢が刺さる。
遠くの方で雪が弓を構えている姿が見えた。
「雨、お行きなさい!」
「わかってるのだ! 戦闘員の皆、大首領様をお助けするのだーっ!」
雨が戦闘員を率いて、男を追撃する。
その間にアリスと雪が私の元へ駆け寄ってくる。
「大首領様、ご無事ですか!?」
「マスター、立てますか?」
重い攻撃ではあったが、ダメージ自体はそんなにない。雪とアリスに問題ないと返す。
「アリス、奴が何者か分かるか?」
「……すみません、調べた範囲の情報では該当しない人物です」
雨達と男の戦闘は、五対一の乱戦になっているが、男は数の差を気にしていないのか、余裕の表情を浮かべ、雨達の攻撃を、一つ、また一つとかわしていく。男の攻撃は戦闘員達を確実に捕らえるのに対し、雨達の攻撃は一向に当たらない。
雨の体術は未熟とはいえ、一般人以上だし、私でも避けるのは難しい。それが当たらないという事は、相手も相当な使い手なのだろう。
「マスター、撤退を進言します。身のこなしを見ても、一般人とは思えませんし、彼が言うように一人でスコルピオンを壊滅させたのだとしたら、戦闘力は雨さん達以上です。それに私が感知できなかったというのも不可解です」
「あの男は危険です」と、アリスがハッキリ言う。それほどまでに相手の戦闘力が高いのだろう。
「いやー、わかってるね、お前達! ボス前には戦闘員達との前哨戦! やっぱこれがなくっちゃだぜ!」
雨達の攻撃をかわしながら、男が愉快そうに叫ぶ。
一旦男から距離を取ると、雨は腰を落とし、拳を腰溜めに構える。次の瞬間、勢い良く大地を蹴って、男に突進、鳩尾目掛けて拳を突き立てる。
「ナメるななのだーっ!」
閃光のように早い雨の拳を、男が片手で弾く。だが、雨は止まらない。返しで左手の突きが走り、それが弾かれると、右足が跳ねる。男が交わし、動き、突き、かわされ、薙ぎ払う。肉体と肉体がぶつかり合う鈍い音が響く。一呼吸で一撃が、二撃、三撃と増えていく。
「いいぞ、いいぞ、お嬢ちゃん!」
雨の攻撃をいなしながら、男が叫ぶ。
そこへ周りを囲んでいた戦闘員達が、男に向け一斉に襲い掛かる。男は戦闘員をチラリと見ると、突き出された雨の腕をガッシリと掴み、雨を体ごと引き上げる。突然の事に、雨がバランスを崩し、悲鳴を上げる。男はそのまま雨を引き寄せ、腹に膝蹴りを放つと、戦闘員の一人へ雨を放り投げた。雨と戦闘員はそのまま激突し、後ろへ弾き飛ばされる。他の戦闘員達が二人に気を取られている隙を狙い、男の手と足が猛威を振るう。
気付けば、男以外、その場に立っている者はいなかった。
男の周囲で、倒れた雨や戦闘員達が呻く。その様子を見て、男はフンッ鼻を鳴らした。
「さぁ、前哨戦は終わりだ。いくぜ?」
男が両手を広げる。
コートの前がめくりあがり、腰に備え付けられたバックルが、太陽の光を反射し、鈍く光る。その形は、子供が遊ぶおもちゃのように独特の形をしていた。
それを見たアリスの目が、見開かれる。
「……っ!? 雪さん、彼を止めてください!」
アリスが叫ぶ。いきなりの事に驚きながらも、雪は男に向けて、矢を放つ。
「着装!」
矢が当たる瞬間、男の体が閃光に包まれ、彼の足元から旋風が巻き起こり、男の体を包み込む。旋風は矢を弾き返すだけではなく、周辺で倒れていた雨達も吹き飛ばす。とっさに雨達に駆け寄ろうとして、アリスが私を引き止める。
「マスター、いけません!」
「だが、雨達が!」
「生命に問題がある状態ではありません! それよりも今はあの男です!」
アリスが声を荒らげる。彼女がこんなにも焦慌を露にするのは珍しい。
旋風が弱まり、男のシルエットが浮かび上がる。
「な……なんだ、あれは!?」
先ほどまでのような黒い影ではない。全身に真っ赤なウェットスーツのようなものを纏い、頭には流線型のヘルメットのようなものを被っている。
なんで、姿が変わっているんだ? あの姿はどう見たって……。
「ひ、ヒーローなのか!?」
男は変身していた。どういう技術かは分からない。だが、確かに変身していた。
男の姿は、まるでテレビの特撮番組に現れる、戦隊物のバトルスーツ姿だった。
真っ赤なヘルメットには、額の部分に黄色のラインが描かれており、その中心には竜の紋章のような絵が描かれている。目は黒いバイザーで覆われており、口元は鈍い銀色のマスクになっていた。
全身赤色で、左肩から真っ直ぐに黄色いラインが伸び、左胸には頭部にあるものと同じ絵が描かれたバッチを着けている。腰には黒色のベルトをしており、その両端には銃や警棒と思えるような武器をぶら下げている。手袋とブーツは白色で、太陽の光を反射し、白く輝いていた。
「……データー照合の結果、一件該当者あり。あの姿、ファイヤーレッド、です」
「俺を知っているとは、嬉しいぜ。一応、セオリー通り名乗り口上でも上げておくぜ?」
男は右手を前に突き出し、左手を大きく上に掲げる。
「焔の戦士 ファイヤーレッド、只今、参上……だぜ!」
男の後ろで真っ赤な爆煙が上がる。
「お前は、JHKなのか?」
「いえ、それはありません」
男の代わりにアリスが答える。
「ファイヤーレッドは10年前の戦いで死亡しており、JHKのヒーローデータにも新たな登録がありません。JHKはヒーロー達を厳格に管理しています。登録漏れのヒーローがいるはずがありません」
「だけど、奴は変身したぞ? 違うのか?」
「変身は、JHKじゃなくてもできるんです」
「そう、確かに俺はJHKじゃないんだぜ。お穣ちゃんの言うとおりだ」
「あなた……不正利用者ですね?」
不正利用者? なんだそれは?
「JHKに所属せず、変身装置を無断使用している者達の事です。言ってしまえば、犯罪者です」
「ご名答」
男――ファイヤーレッドが手を叩く。
「この変身装置は、ちょっと訳ありで手に入れたもんでな。裏家業をやっている俺には丁度いいんだぜ」
「JHKではないのであれば、なぜ私を狙う?」
「あんたにいられちゃ困る奴がいるんだぜ。俺はそいつから依頼を受けて、あんたを殺すだけだぜ」
「そいつは誰だ?」
「クライアントの事をベラベラ喋る奴なんて、いないんだぜ?」
そう言って男が腰を落とし、構える。
「言っておくけど、俺をそこらのJHKや組織の連中と一緒だと思ってると色々やばいぜ? さぁ、パーティーの始まりだぜ!」
男が、動いた。その速さは、身に纏っているスーツの色も相まって、赤い旋風のようだった。
ファイヤーレッドの動きは先ほどとは比べ物にならなかった。速さ、パワー、その両方が格段に強化されていた。バトルスーツを身に纏うという事は、これほどの事なのか? 先ほどまでの動きであれば、私でもなんとかいなす事が出来た。だが、今は、受けるだけで精一杯だ。
「ほらよっとっ!」
ファイヤーレッドが突きを放つ。咄嗟に体を逸らし、その突きが私の左腕を掠める。チュインと弾丸が掠った様な音が耳に付く。それ程に彼の突きは早く、鋭い。
避けた事により後ろにズレた重心を左足で強引に押し戻し、ファイヤーレッドへ突進する。相手はそれをかわしたかと思うと、右手を一閃。反射的に頭を下げると、頭上を旋風が駆け抜け、返しの左腕が私の胸に狙いを定め垂直に落ちてくる。咄嗟に右手で相手を強引に押し返すと、バランスが崩れたのか、左腹を掠めながら拳が抜けていく。わずかに重心をずらしたおかげで、胸への直撃だけは避けられたようだ。
その勢いで、私も相手も、後ろへ跳躍し、距離を取った。
さきほど彼の手が掠めた左腹部分に眼をやると、金属部分がえぐり取られ、溝のようになっていた。あの突きの直撃を受けていたら、もしかしたら、胸に大穴が空いていたかもしれない。
アリスの話では、どんな攻撃もこの体には効かないとの事だったが……。それほどまでに、彼の攻撃は強力なのだろう。
私と男の衝突は何度も繰り返される。
その度に、私の攻撃はかわされ、体は傷を刻み、何度も吹き飛ばされる。両の肩当ては叩き割られ、男の攻撃を受けている両腕の甲冑も、醜く歪んでいく。
初めは受け止められた攻撃が、どんどん受け止められなくなっていく。一撃一撃が重くなり、私の体力を奪っていく。
満身創痍の私に対し、相手はかすり傷一つ負っていない。この戦力差は、マズイ。状況は最悪だ。
「アリス、雨達を連れて、この場から離れろ!」
「ですが、マスターを一人置いていく事などできません」
「状況を見て分からんのか、私ですら、これなのだぞ! それとも場を覆せるような策があるのか!?」
「それは……」
能力の封印をしたせいで、アリスの方から私の潜在的な能力を操作する事はできなくなっている。私の知らない不可思議な力を使って相手を倒す事は、今現在、不可能だ。
今の状態でも使える衝撃波やエネルギー弾を使う事は考えたし、使おうと試みた。だが、そんな隙を奴は与えてくれなかった。その二つを使うには、アリスが傍にいて、なおかつ力を溜める時間が必要なのだ。息つく間もなく攻められていては、そんな状況も作れない。
雨や戦闘員達はまだ倒れたままだし、雪やアリスでは奴の相手はできない。ならば、私が時間稼ぎをして、皆を逃がすしかない!
「全員逃がしゃしないんだぜっと!」
男が腰の銃に手をまわすのが見える。咄嗟に体を動かし、男と雨達の斜線上に体を滑り込ませる。
「ファイヤーショットだぜ!」
銃口から赤白い閃光が放たれる。瞬間、私の胸を熱と衝撃が襲い、後ろへ弾き飛ばされた。そのあまりの衝撃に、口から内臓が飛び出そうになる。胸の辺りからどす黒い煙が立ち上り、鎧は熱で溶かされ、醜く歪んでいる。なんだ、今の攻撃は!? 普通の銃弾ではないのか!?
「マスター!」
「大首領様!」
アリスと雪が悲鳴を上げる。駆け寄ってこようとしたところを、「来るな!」と叫び、静止させる。
「貴様、今、彼女達を狙ったな……!?」
「女子供だって、悪の組織は悪の組織なんだぜ? 殺されても文句は言えないと思うんだぜ?」
「それが男のする事かぁぁぁっ!」
震える膝に力を篭め、男へと突進する。右腕を大きく振りかぶり、男の顔面に向け、全力で放つ。それを男は片手で受け止め、そのまま拳を握りこむ。右手に力を込め、押しつぶそうとするが、男の体はピクリとも動かない。
「何ども言うように、俺がヒーローなのは見た目だけだぜ? JHKの連中みたいに正義ぶったりなんて、俺の性には合わないんだぜ」
「ふざ、け、るな……っ!」
「ふざけてるのは、あんたの弱さだぜ?」
おもしろくなさそうに、男が答える。
その男の背後に、雨と、戦闘員達の姿が映る。
「でぇりゃぁぁーっ!」
男の背中に雨の拳が、横腹、肩口、太もも、頭頂部に戦闘員達の手にしている鈍器が叩きつけられる。無防備な姿勢で喰らったその攻撃でも、男の体は動かない。
「お邪魔だぜ!」
男が左手を真横に一閃。瞬間、熱風と旋風が巻き起こり、その衝撃波が雨達を吹き飛ばす。
雨達に気を取られた私の腹に、男の足が突き刺さり、一瞬だけ浮遊感を感じる。腹の底から何かが這い出てくるような衝動を堪え、なんとか踏みとどまり、顔を上に上げると、巨大な拳が目に飛び込んでくる。その拳が、私の知覚できる速さを超える速度で、顔面に叩き込まれた。
脳が揺れたのか、思考が追いついていないのか、神経が混乱したのか、目の前の景色がグニャリとゆがみ、意識が一瞬途絶えそうになる。
「さぁ、とどめの時間だぜ?」
歪む景色の向こうで、男が腰のホルスターから警棒のような物を抜き取るが見えた。上段に構えると、棒の先端部分が赤白く発光する。
「レッドソード……ファイヤーブレイクだぜ!」
閃光が走る。閃光は無防備な私の左肩に突き刺さり、そのまま袈裟懸けに右腹まで切り裂く。瞬間、閃光の辿った道筋が弾け、爆発炎上。すさまじい熱風と衝撃波を受け、私の体はそのまま後方に吹き飛び、背中に衝撃が走った。
背中に土の感触がある。私は倒れているのか? すぐに起きなければ……そう思って体に力を入れようとするが、四肢が萎える様な感覚しかなく、体がピクリとも動かない。なんとか首だけ動かすと、袈裟懸けに切り裂かれた、自分の胴体が見えた。私の鎧は既にその意味を成しておらず、赤黒く焼け爛れ、どす黒い煙を吐き出していた。
「かはっ……げほっ……っ!?」
遅れて、胸に焼けるような痛みが走る。あまりの痛みに、全身が痙攣し、このままでは危険だと体が警鐘を鳴らす。
神経が焼き切れそうな痛みに悶えながら、両手を地面につき、立ち上がろうとする。
腕は振るえ、力が入らない。
でも、立たなければいけない。戦わなければならない……!
「大首領様を、よくもっ!」
雪が叫びながら矢を連射する。だが、それらの全ては男の手にした棒で払い落とされ、返しで振られた棒から発生した衝撃波が、雪を直撃する。吹き飛ばされた彼女は呻くだけで、起き上がれなくなった。
負けたのか? たった一人に?
男以外が立っていないこの状況に、その言葉が頭に浮かんだ。
重武装で身を固めた何十人と言う兵隊から攻撃を受けても何もなかった。大勢の警察官に囲まれても、腕の一振りで片が付いた。
能力の封印をしてはいるが、それでも自分の体は、自分の力は、どんなものにも負けなかった。
それが、ただ一人の男の力によって圧倒されてしまった。
これが、ヒーローの力だというのか?
これほどまでに、ヒーローの力とは強大なのか?
気付くと、私の目の前に小さな影があった。
見覚えのある影だ。太陽の光を反射して輝くブロンドの髪。絹のような白い肌。蒼いワンピースに、白いエプロン。
アリスは、男から私を守るように、手を広げて、私の前に立っていた。
「やめてください!」
アリスが叫ぶ。その声は悲痛だ。
「やめるも何も、悪い奴が倒されるのは世の道理だぜ? お穣ちゃん、そこどきな」
「どきません」
「お穣ちゃんも怪我するぜ?」
「構いません」
「俺は本気だぜ?」
「マスターに、これ以上、手出しはさせません」
「おもしろいぜ……」
男が動く、腕は上段に振りかざされ、その手に持つ棒が発光し、アリスを狙う。「やめろ!」と叫ぶが、体が動かない。アリスが斬られる!
「……本当におもしろいぜ」
アリスの額のすぐ傍で、棒はピタリと止まっていた。斬りつける姿勢のまま、男が値踏みするかのようにアリスを見る。
「大首領、一つ聞くぜ? 聞いた話じゃ、あんたはどの組織よりも強大で恐ろしい戦闘力を持っていたそうだが、なんで今はそんなに弱いんだぜ?」
そんな事を答えれば、この男が何をするか分からない。
私は答える代わりに、男を睨みつける。
「せっかくモノホンのバトルができると思ったのに、肝心の大首領がこれじゃ興ざめなんだぜ」
男は構えを解くと、アリスの手を掴み、そのまま持ち上げる。吊り上げられたアリスは、苦悶の声を上げた。
「まぁ、復活したてだって話も聞いたし、本調子じゃないの……かな?」
「あなたに話す事は……ありません」
吊り上げられた状態で、気丈にもアリスは男を睨みつける。
アリスの表情から何かを感じ取ったのか、男は「クックックッ」とくぐもった声で笑った。
「なるほどね。これじゃ、俺も不完全燃焼だから、一回だけサービスしてやるんだぜ。一晩やるから、調子を元に戻すんだぜ。弱ってるお前を倒しても、ぜんぜん楽しくもなんともないしな」
「何を……っ!?」
「いいから黙って言う事を聞くんだぜ? どの道、今のお前に選択権は無いんだぜ?」
分かっているのかと言わんばかりに、男が腕を掴む力を強める。その痛みに、アリスが呻く。
「やめろ……アリスを放せっ!」
「お前が逃げないようにこの子は預かっておくぜ。あと、逃げようとしても無駄だぜ? あんたぐらい、すぐに見つけて、ぶっ殺せるんだからさ」
「俺をがっかりさせんなよ?」、そう言って、男は跳躍。一足で、倉庫の屋根まで飛び移ると、笑い声を残し、姿を消してしまった。
「ぁ、アリス、アリスーーーーっ!」
私は声の限りにアリスの名を呼んだ。
だが、答えてくれるべきアリスは、もういなかった。
アジト司令室。
いつもは穏やかなこの場所は、今現在、慌しい喧騒に包まれていた。
スコルピオンのアジトから戻った私達は、傷ついた者の手当てとアリスの捜索を開始した。
幸い雨達の怪我は軽く、ひどい者でも打撲程度で済んでいたが、私の方は違った。肩や腕、腰の甲冑は砕け、胸には深い斬傷が刻まれており、その傷の奥からは、赤黒い肉がうっすらと覗いていた。
私の姿を見た風美は小さな悲鳴をあげ、顔面蒼白となったのだが、すぐに頭を振ると、私の傷の手当を開始してくれた。今も風美は私の胸に包帯を巻いている最中である。その顔は泣きそうな表情で、未だに青白い。
雨と雪は、怪我の手当てが済むと、すぐに司令室の計器を動かし、雨の探索を始めた。
組織の人間には、万が一に備えて、居場所が分かるように発信機を持たせてある。それを受信できれば、アリスの居場所が分かるはずだ。
だが、普段この手の情報操作はアリスが一人で行っていた。多少のレクチャーはされていたようだが、二人の知識では計器を動かすだけが精一杯のようで、捜索は難航しているようだった。
それでも、戦闘員の中でコンピューターに明るい者の力を借り、懸命になんとかしようとしてくれている。
そういう私は、今は自分の甘さを痛感しているところだった。
そう、甘かった。私は甘かったのだ。
不思議な力に不思議な体。その力があるから大丈夫だと、過信していた。その過信は、能力が制限されている今の状態でも問題ないだろうと、勝手に自己解釈させてしまっていた。アリスが大丈夫だと言うから大丈夫だろうと、判断を相手に委ねてしまっていた。その結果がこれだ。
戦闘に関してもそうだ。
実際の戦闘は違った。ヒーローは強く、私の力は通用しなかった。圧倒的に、暴力的なまでに、相手の力は強大だった。今の私達が敵う相手ではなかったのだ。
どうしてJHKや他の組織が来るかもしれないという事を考慮できなかったんだ。もっと慎重に事を運ぶべきだった。
しかも、そのせいで、アリスは……!
「くそっ!」
右手をデスクに叩きつける。
包帯を巻きつけていた風美がビクッと震える。
「だ、大首領様……その、やめてください。き、傷にさわります」
泣きそうな顔で私にそう言ってきた。
「すまん……だが……アリスが……!」
そう言って力なく頭を垂れる私に、風美は何も言えなくなってしまったようだ。
手当てを終え、彼女が私の元から立ち去る。
男のシルエットが頭に浮かぶ。シルエットが、アリスを羽交い絞めにし、あざ笑う。その影が、憎らしい。
腹の底から憎悪が沸き起こる。何もかも破壊してしまいたい衝動に駆られる。それ程までに、あの男が憎いと思った。そして、それ以上に、自分の甘さに腹が立った。「なぜ作戦を許可したのか」と後悔が私の心を蝕んでいく。侵食は止まらず、思考が右へ左へと迷走する。
「……っ!」
冷え冷えとした、どす黒い息が口から漏れる。
どうすればいい、どうすればアリスを助けられる?
くそっ!
「……大首領様、落ち着いてください」
俯いたままだった顔を上げると、目の前に雨と雪が立っていた。
「アリスちゃんは、必ず見つかりますわ。それよりも、今は体を直すべきです」
「……そうではあるが、しかし!」
「大首領様、ちゃんと体を直さないと、次も戦えないよ?」
次も戦う? 奴と、か?
そうだ、アリスを助けるには奴を倒さなければならない。だが、手も足も出なかった私が、奴に勝てるのか?
いや、それだけじゃない。今回はこの程度で済んでいるが、次は彼女達だってどうなるか分からない。奴の攻撃は、私の鎧を砕き、切り裂いた。それを彼女達が、生身の彼女達が喰らったらと考えたら……。
私の脳裏に、死という単語がよぎった。
そんな場所に、また、連れて行くのか? この子達を、そんな場所に、連れて行くのか?
そんな事……できる訳がない。
私が黙ったままでいると、雨と雪が互いに無言で頷きあい、一歩前に出る。
「……大首領様、先に言っておきますわ。ごめんなさい!」
雨と雪の手のひらが、私の顔をはさむ様に打ち付ける。ビンタ……されたのか?
いきなりの出来事に、思考が止まる。
「大首領様、落ち着いた?」
「殿方が一度の敗北で、なんですか。奪われたら奪い返す。それだけの事ですわ」
二人が、真剣なまなざしで私を見つめていた。
「しかし……今回はこの程度で済んだが……次はお前達がどうなるか!」
私の不安が、そのまま口からこぼれる。
「大首領様、戦って怪我するぐらい、皆、覚悟してるのだ。そうじゃなかったら、悪の組織になんていないよ?」
そう答える雨は、気負っていない自然体の、いつもの雨だった。
「だが……!」
次は、お前達が、大怪我だけじゃ済まなくなる可能性だってあるんだぞ!?
「大首領様が私達の事を大事にしてくださっているのは、良くわかっていますわ。今まで戦闘らしい戦闘をしてこなかったのも、そのせいなのでしょ?」
雪が真剣なまなざしで続ける。私の考えは、雪にはお見通しだったらしい。
「でも、怪我をさせたくないから戦わせないなんて、棚に飾られた人形のような扱いは不要ですわ。私も雨もそんな事を望んでいません。戦って、勝って、負けて、それでも戦って。そうやって血路を切り開いていくのが、悪の組織というものですわ。だから、私達への心配は無用です」
「そうそう。心配してくれるのは嬉しいけれど、あんまり心配されすぎるのも困っちゃうのだ」
彼女達は戦う事を覚悟していた。傷つく事を恐れていなかった。
悪の組織に席を置くという事はそういう事。彼女達は、自分よりも、ずっと前に心構えができていた。
私が……彼女達の覚悟を理解していなかっただけなのか?
私は今日まで彼女達の何を見ていたのだろう。
ふと見ると、戦闘員達もこちらを見ていた。
表情こそマスクで見えないが、その視線は「何をいまさら」と言われているような気がした。
ここにいる者は誰一人として、戦う事を恐れていないようだった。
全員が全員、悪の組織とはそういうものだと、理解しているように見えた。
理解していないのは、私だけだったのだ。
そうだ、私だって戦う事に対しては腹を括っていたはずだ。悪の組織なのだから、戦闘も仕方がないと覚悟をしていたはずだ。なのに、自分の力が通用しなかったというだけで、いとも簡単に混乱してしまっていた。
足りなかったのは、私自身の覚悟だ。
心のどこかで、チリッと何かが弾ける音が聞こえた。
「大丈夫、アリスちゃんはきっと助け出せますわ。私達だって、二度も三度もやられたりはいたしません」
「次はガツンと決めちゃうのだ!」
「アリスが待っている」、二人が笑顔でそう言った。
心のどこかに火が灯るのを感じる。
アリスが待っている。
そう考えると、腹の底から何かが這い上がり、それが体にめぐり渡るのを感じる。細胞の一つ一つが動き出す。体が、心が熱くなる。
アリスが待っている。
そうだ。負けた事を悔やんでいる場合じゃない。私はアリスを助けなければいけないんだ。
私は強くない。弱い。弱者だ。
かつては強者であっただろうが、今は違う。何もかもがちぐはぐな、矛盾だらけの弱者だ。
だが、それがなんだ。
大切なものが傷つくのが嫌なのであれば、自分で守ればいい。力とはそういうものだ。
それに彼女達の覚悟を無視するな。それを無視して我を通す事は、彼女達の想いを踏みにじる事だ。それは間違っている。
そうだ。何を躊躇う必要がある。戦いは必然だ。戦って、勝って、取り戻すんだ。
炎が私の心を、燃え上がらせる。
「だ、大首領様?」
雨と雪が目を見開いて驚きの声を上げる。
気付けば私の体の表面から、黒い煙があがっていた。
煙は全身を覆い、それに伴って、メキメキと何かがうごめく音がする。まるで、私が戦うと決意した事を、体が歓喜しているようだ。
切断されていた神経が繋がる。焼け落ちていた皮膚がふさがる。砕け散っていた鎧が、元の姿を取り戻す。
煙が晴れた後、私の体には傷一つ残っていなかった。
「……しゅ、修復されたので、すか?」
「自己なんちゃらかんちゃらがあるってアリスちゃんが言ってたけど、すごいのだ……」
両拳を握る。
痛みは既にない。
不思議と先ほどよりも、力を感じる。
その時、電子的なアラームが鳴り響き、司令室のスクリーンに赤い光点が表示される。
光点の下には「A」の文字。
アリスの持っている発信機の電波を、受信機が受信したのだ。
「……雨、雪、お前達の覚悟、この大首領がしかと受け止めた」
椅子から立ち上がる。
準備も、心構えも出来た。力も、やる気も十分だ。
後は取り戻すだけだ。
「さぁ、第二ラウンドだ」
二度目はないぞ、ファイヤーレッド。