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第2話 湖の神殿・目覚めし天秤の脈動④

 二十分ほど歩き続けたところで森林地帯の奥にある湖に到達した。

 その湖の中央には色を失い至る箇所が崩れた遺跡が佇む。遺跡への道は水没してしまったのか、どこにもそれらしきものは見られなかった。

 そのせいもあり、近くまで行くことができなかったので、一旦は遺跡の内部が見渡せる場所で様子を探っていた。

 遺跡内部の広場。その中央に座していたのは、今は古き霊獣の祭壇だ。

 ここまではいいとしよう。水没してしまっていることも、遺跡が崩れていることも、ここが古い場所なのだからいくらでもあり得ることだ。

 しかし、ある一点が俺を強く警戒させた。

 遺跡を包み込むように湖全体からゆらゆらと霧のようなものが絶えず溢れだしてきているのだ。それは消えることもなく、徐々に徐々に水辺を、森林さえも埋め尽くそうとしていた。

 感じとれる魔力から、短絡的に見るならば魔術儀式が行われたことによる現象ともいえよう。だが、――


「何だこれは」

「おまえにも分かるな、ロイド。この霧の異常さが」

「ああ、嫌な気配を感じる。だけど、何だよこれは。霧そのものに魔力も何も感じない。まさか、この霧は自然現象だとでもいうのか」

「そんなところだろうな。今もこうして脚が霧に沈んでいるが、身体に魔術的な違和感や拒絶反応はない。おまえはどうだ」

「俺も同じく、だ。強いて言うなら足元から若干の冷気を感じるくらいか」


 俺がそう答えると、ジルはその言葉を待っていたかのように笑みを浮かべる。


「魔術そのものはこの地にかけられているが、霧を生み出すことが目的ではない。あくまで副次的な作用と思っていいはずだ。ロイド、おまえは霧が発生するメカニズムを知っているか」


 不意の科学の質問に疑問を感じる。感じはするも、なんとなくは知っていたのでとりあえず答えることにした。


「簡単になら、だけどな。たしか水分を多く含む空気は冷やされることで飽和状態になるんだよな。そのせいで蓄えきれなくなった水分が大気中に現れて、細かい水滴を形成する。

 この集合が霧、だったかな。特にこのハルリスは海が近いこともあってジメジメした気候だ。春までだったら早朝に良く靄は発生したけど……」

「それは蒸発霧だな。こことは状況が逆だ。温かな水面の上に冷やされた空気が来ると、水面から発生した水蒸気が急速に冷やされ凝結する。その目に見える形となったものがおまえの言う早朝の霧だ。

 こちらの場合だと、ここまで深い霧はなかなか見られない。ロイド、こっちに来てみろ」


 言うと、ジルは湖に向かって歩き出す。水辺に到達するとしゃがんで水に手を入れる。

 何かに納得したかのように、ジルは静かに頷いた。


「……湖の水? それがどうかしたのか」

「いいから。触ってみなよ」


 手招きするジルに誘われて、自分も同じようにしゃがんで手を水の中に入れると――


「――っ!? なんだ、この冷たさは」


 予想していなかった事態に驚き、反射的に手を引き抜く。まるで氷水に触ったかのような感覚で、俺の手は一瞬にして体温を奪われてしまった。


「今は夏だぞ。霧は自然現象って言われてもまだ許せる。だけどこの湖の水温。こんなこと自然現象であるはずがない」


 驚いている俺に対して、ジルは何事もなかったかのような冷静さを保っていた。

 ゆっくりと水をかき混ぜるように何かを確認した後、立ち上がり濡れた手をハンカチで拭う。


「……ジルさぁ、何でそんなに落ち着いているんだ?」

「おまえこそ何故そこまで取り乱している。さっき、お前が言ったことだろ。このハルリスの湿気を伴った暖かい大気が、この湖の冷気で急激に冷やされることで霧が局所的に発生した。移流霧に近い現象だな。

 この湖の温度変化は魔術的な作用である可能性が高い。いや、確実にだ。そうなればこの神殿、霊獣ライブラの地で魔術を行使している魔術師がいることになる」

「そんな奴が本当に……?」


 だとしたら、行使しようとしているものは『星座の魔術』なのか……?

 確信はない。ただ、予感はある。ここに辿り着いてやっと感じ取れた、懐かしくも忌まわしき記憶の一端。星座の魔術が、ここに成されようとしている。


「ロイド。ハルリスの街にいる者でおまえの記憶の中に水属性の魔術を使う者はいるか?」


 雑談などすることなく、冗談を交えることもなく、ジルは業務確認のように話を進める。

 俺にとってジルのそういうところは機械のようであまり好きにはれない。だけれど、今の状況や俺の心情からからすれば、話が早いのは助かる。


「水属性、か……」


 ここで俺は、以前に俺とティアの前に現れたあの人物を思い浮かべる。仮面の男と対峙した時に地元愛やら親切心やらで助太刀に入ってきたあの男、ユリウス・シルヴィオのことを。

 特に俺にとってはあの時、偶然出会っただけの大きな関わりを持たない人物だ。非情だと思われるだろうが、やはりあの男からは怪しさが拭いきれない。

 ほんの少しでも黒に思えるのであれば、情報を流すことに躊躇いはなかった。


「ひとりいる。名前はユリウス・シルヴィオ。レ・クリエールっていうお菓子の有名店で働くパティシエなんだ。そいつが氷の魔術を行使する魔術師だったんだけれど」

「ユリウス、か。ふむ、お菓子には疎いからその名前は知らないな。そいつに会ったのはいつの話だ」

「一週間前の話だよ。それからは一度も会ってないから、その人がどこで何をしているのかはわからない。たぶん夏至祭には参加すると思う。ぜひ店に来てくれって言われたし」

「そうか、所属がわかるのならそれでいい。それが偽装なら無駄に終わるが、この後ユリウスと言う人物を特定して監視をつけさせる。さて、とりあえずはこの湖の周りを一周して調べてたい。魔力の残滓があれば、それがこれから起こることの手掛かりになるからな」

「わかった。それじゃあ二人いることだし、二手に分かれるか」


 と提案してみるも、ジルは呆れたような顔をする。


「それ、意味あるか? 半分ずつ別れて確認したところで、この湖は当然ながら円形だ。合流する地点が向こう側になるだろ。ここまで帰ってくるとなれば、結局のところかかる時間は同じになる。だったら一緒に進んだ方がいい」


 そう言うとジルは湖の水辺に沿って反時計回りに歩き始めた。


「ちょ、待てよ。置いていくなよ、ジル」


 駆け足でジルに追いつく。

 そこからは並んで異常がないか確認しながら歩を進めていくことになった。

 十五分ほど経ったところで湖の反対側を通過する。

 ここまで魔術的な残滓は一切なし。霧の原因は何も掴めなかった。

 左手にある遺跡を見ながら進む。ここまで何もないのなら、ここはいっそのこと遺跡まで行った方がいいのではないかと思えてくる。

 遺跡を取り囲むように霧が発生しているのなら、その中心に何かある可能性は少なくはない。だから、まずはそこを見に行った方がよかったのではないか。

 向こう側への渡り方はまだ考えていない。湖の中入ることは絶対に却下だ。濡れたくないし、冷たいからな。

 それでもジルに提案をするくらいはしてもいいだろう。


「……なあジル、あの遺跡さ、――あれ?」


 そう思い前方を見ると、目の前に広がるのは濃霧の白い壁。

 それはジルの姿を、魔力の気配さえも遮断し、もはや俺の力では捉えることすら叶わなくなった。


「……一緒に進んだ方がいい、とか言っておきながらこれかよ。先に先に進みすぎなんだよ。たまには後ろに振り返れってんだ」


 ……。

 自分で言うのもなんだが、ここで文句を言うのもどうかって思う。

 はぐれたのはずっと視線を逸らしていた俺の責任もあるわけだし。

 まあ、いいか。ちょっと駆け足で進めば追いつけるだろう。

 それにしても、今の服装だと寒いな。今って夏だろ。気が付けば腕には鳥肌が立っている。

 何だか外界から切り離された結界の中に入り込んでしまったかのような気分だった。

 あれ?

 この感覚、前にもあったような――


「――っ!」


 瞬間、背筋が凍るような悪寒に襲われた。

 殺気ではない。敵意すら感じない。だが、ふりまかれる圧倒的な力の重圧が俺を圧殺しようとする。

 気配の先は湖の中央付近。薄っすらと見える湖から突き出した遺跡の周りにそびえる柱。

 その上に立つのは、あの夜に現れた仮面の男だった。


「おまえは……」

「おや、先日の君か。勘違いしてもらいたくないのだが、これは僕の方から会いに来たわけではないからね。僕にとってもこれは予想外だよ。しかし、偶然にしては出来過ぎている」

「偶然だって? おまえ、俺を狙ってきたんじゃないのか」

「何を言っているのやら。僕はただ調査に来ただけだ。霊獣の状態と星座の魔術の進行度についてね」


 言うと、仮面の男は跳躍し俺の目の前で着地する。


「だが、とんだ期待外れだ。まさかここもテレジアと同じだとは思わなかった。なにせ霊獣が消えた後の術式の発動となっているのだから」


 仮面の男を睨む。

 体内に循環する魔力を起動させ、即座に魔術を発動できる態勢を整える。

 依然として仮面の男からは敵意そのものを感じない。

 不愉快極まりなかった。こいつにとって俺は邪魔な人間のはずだ。だが今の様子はどうだ。こいつは俺を敵とすら認識していない。俺を倒すのに構える必要すらないってことか。

 くそっ。何焦っている。穏便に済むのならそれでいいじゃないか。この場にはこいつの目的の一つであろうティアはいない。

 話の進め方次第では戦うことなくこの場を終わらせることができるはずだ。無駄に魔術を晒すことも危惧しなくていい。メリットなら十分にある。


「……おまえ、何を知っている」


 その問いに仮面の男は俺を凝視する。

 いや、仮面で目が隠れているのだから、こいつがどこを見ているのか分からないのだけれど。それでも、鋭く冷たい視線が俺の身体を突き刺すような感覚。それが間違いなくあったのだ。

 仮面の男は言葉を紡ぐ。

 だが、それは俺の質問に対する答えではなく、


「君はこの街を守りたいのかい? それとも特定の誰かを守りたいのかい?」


 そんな意味の分からないことを言い放ったのだ。


「僕は君の魔術や事情などまったくもって知ったことじゃない。だが、君の内に秘めた決意、この先に成そうとしていることには興味がある」

「……は?」

「ここの調査は終わったから、僕はすぐにでも退散するよ。事を荒立てたくはないからね」


 仮面の男の意図が分からない。言葉の意味そのものは理解できる。だけれど、それは今ここで言葉にすることなのか? こいつにとって俺は一体何なんだ?


「ところで、いい機会だから一つだけ聞いておきたいんだけれど、いいかな?」

「……なんだよ」

「半年ほど前のことだ。君は二人の能力者と戦っているはずだ。顔に縫い目の入った大柄の男性と包帯で顔の半分と両腕を隠している女性だ。特徴的な人物だから記憶には残りやすいはずだけれど。あの時君は何故あの二人を襲った?」


 そんな質問をしてくる。

 心当たりがまるでない事柄。


「すまないが、その二人については何も知らない。俺を誰か他の人間と間違えれたりしないか?」

「……そうか、だったらいいんだ。これから何が起こるか分からない。ティアさんのこと、離すつもりがないならちゃんと守ってあげなよ」


 そうして仮面の男は特に何をするでもなく、次第に霧に溶けていく。

 訳の分からない問いかけをされただけで、拍子抜けなほどに何もなかった。

 仮面の男は立ち去ろうとし、俺はそれをただ見ているだけ。

 このまま戦闘もなく、何事もなく事を終えた。

 ――はずだった。


「……?」


 仮面の男の背後に現れた揺らぎ。

 今さっき現れたのか?

 元からそこにいたのか?

 どちらにせよ人のような形状をしたソレは、自分の意識を捉えて離さない。

 正体を探ろうと目を凝らすと、ソレは白装束で鬼のような角を生やした影に見えてきた。

 あれは何だ?

 仮面の男の魔術なのか?

 それとも俺が見ている幻覚?

 今にも消えてなくなりそうな小柄で華奢な身体。

 男か女かもわからないシルエット。

 反して何者をも視線だけで殺すような紅い双眸。

 それと目が合ってしまった。


「――っ、」


 身体に雷が落ちたかのように衝撃を受ける。

 全身が痙攣して言うことを聞かない。

 苦しい。目が合って、ただ睨まれただけだというのに。

 頭痛が酷くなる。吐き気がこみあげてくる。

 嫌な汗が噴き出してきて、急に全身の力が入らなくなった。

 ガクッと身体が折れ、地面に膝まづく。


「――はぁ、はぁ、……ぐぅっ……」


 苦しい。痛い。熱い。

 喉に何かが詰まるような感覚で息ができなくなる。

 自分の中の何かが暴れて、抑えがきかなくなりそうだった。

 視線が霞んでくる。まるで霧に包まれていくように。



 目に見える世界が白く染まり切った時、俺の身体は深い湖の中にいた。

 深い深い、湖の底に沈んでいく。

 浮かび上がろうとしてどれだけ足掻こうとも、暗き闇に引きずり込まれる。

 水面に煌めく一筋の光。

 それが残された希望であるかのように思え、俺は手を伸ばす。

 そんなもの掴めやしないとわかっている筈なのに。

 それでもこの場所から逃れたいと足掻き続ける。

 嫌だ。

 こんな闇に沈みたくはない。

 嫌だ。

 こんな苦しみの中で消えたくはない。

 嫌だ。

 俺は、俺は、俺は――


「あいつのところに帰らないと。俺がいないとあいつは、――」


 グイッと強い力で身体を引っ張られる。無数の触手に絡めとられたかのように動きを抑えられる。手足だけでなく首さえも。

 そして耳元で何者かが囁く。蠱惑的で艶めかしく、かつ厳格な声色。

 冷たい氷のような両手が俺の顔を覆う。もう振り返ることはできなかった。



『だったら証明しなくてはな。貴様が真に、余の力を使うに値するかどうかを』



 そして奇妙な魔力が無理やり俺の中に流れ込んでくる。

 すると頭痛も吐き気も息苦しさも、不調といえるそれらがすべて癒されていった。

 そして――



「――はっ!」


 目の前に広がるのは何の変哲もない清々しい青空。

 気が付けば、俺は仰向けで地面に倒れていたらしい。

 先ほどまでの奇妙な感覚は完全に消えることはなく、その残留があの幻が現実だったことを示している。

 仮面の男の気配は感じられず、既にこの地から去っているようだった。

 俺だけが取り残された静寂の空間。

 危険要素の一切を排除したかのような穏やかさ。


「ああ。何だったんだよ、いったいさ」



          ◇



 あの後、やってきたジルに支えられ湖から離脱した。

 俺が仮面の男と対峙している間にジルは湖を一周して調べ終えていたらしい。はぐれてからなかなか追いつかない俺を気にして引き返してくれたようだ。

 今後俺にできることは特に無いようで、二か所の結晶体の件も含めてジルの連絡を待つしかなかった。


 ジルと別れた夜、日が沈んでから家に帰った。

 既に自分の家であるかのようにソファの上でくつろいでいるティア。

「おかえり、ロイドくん」と声を掛けてくれ、続けて業務連絡のように試験結果を伝えてくれる。

 俺の成績は学部内で六位。まずまずの結果だった。

 だが問題はジルの成績。

 結果だけ言うとジルの成績は四位。

 悔しいことにまた負けてしまったようだった。

 また嫌味を聞かされることになるな。悲しくなってくる。

 ちなみに余談ではあるが、俺とジルの間、つまり五位が誰だったのかも教えてくれた。

 その名前を聞いて俺は昼時のあの状況に納得してしまった。エイラとライノ。あの二人の異様なテンションの高さが何を示していたのか。

 学部内五位、それはなんとアイリなのだった。

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