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猫にまつわる物語  作者:
ボウイの場合
4/7

ボウイの場合 ー面接ー

 部屋に着くころには、雨は上がっていた。

 机の右横に段ボールを置き、バスタオルを敷いて、その中にボウイを入れた。

「ほら、見ろよ。一張羅が台無しじゃないか」

 ボウイは、まだぐったりしているが、公園に倒れていた時に比べると、表情が穏やかに見えた。恐る恐る頭を撫でてみる。公園で抱き上げたときは、無我夢中だったから、こうして触れるのは初めてみたいなものだ。やわらかくて、温かい。そんなこと、わかっていたはずなのに、少し驚いた。ボウイは、少し目を開いて、僕の顔を見た。


 携帯電話に、転職セミナーで面接した出版社から、明日の午後三時に面接に来てほしいとメッセージが残っていた。動物病院にいる間にかかってきたようだ。電話を返すには、もう遅い。しまった。でも、昼間感じた手ごたえが、確信に変わった。

「おい、やったぞ」

 段ボールの脇にしゃがみ込み、ボウイの頭を優しく撫でながら、小声で報告する。

 僕は、この出版社に入る。決めた。編集者としての採用を希望しているが、何をすればいいだろう。この会社は、この仕事は、僕に何を求めるだろう。僕はそれに応えられるだろうか? すぐに応えられない部分は、どうすればいいのか?

 もう一度、出版社の概要と募集要項を読み返す。文章を書くこと、読むことは得意なほうだ。しかし、DTPソフトと画像処理ソフトの経験が必要とあり、触れたことはあるが、経験があるとは言えない程度だ。だからといってあきらめるわけにはいかない。嘘をつく? そんなことをしても自分の首を締めるだけだ。何か方法はないか? 今まではどうしてきた? できることがあるはずだ。

 段ボールを覗き、ボウイの背中を撫でてみる。手の動きに合わせて、しなやかな毛が柔らかく波打つ。なんだか、落ち着く。頑なになっている気持ちをほぐしてくれる。細胞のひとつひとつにまで血液が行き渡り、力が湧いてくるような気がした。

「あ、そうか」

 できないことは、できるようになる約束をすればいい。便せんを開き、DTPソフトと画像処理ソフトを三ヶ月以内にマスターすることを約束する旨を書き、捺印する。

「よし」

 ボウイは、少し余力が出てきたのか、段ボールの中で伸びをした。もう大丈夫だろう。これなら安心して面接に行ける。


 午後二時四十五分、久しぶりに夏の太陽が照り付ける。焼けたアスファルトから、たっぷりと水分を含んだ熱気が立ち上り、ゆらゆらと逃げ水を映し出す。汗でワイシャツが肌に貼りつくのを気にしながら、早足で面接会場までの経路をたどる。

 出版社は、築三十年は下らない古びた雑居ビルの中にあった。僕は、壁一面が書籍で埋まっている会議室と思しき部屋に通され、面接を待っている。シミュレーションに集中していたところに、扉が開かれる音がして、反射的に立ち上がって頭を深々と下げる。

「こんにちは。平島です。よろしくお願いします」

 中年のかなり太った男性と初老の紳士風の男性が入ってきた。

「あ、座って、座って」

 紳士風の男性が、椅子を勧める。

「こちら、当社社長の工藤です。私は役員の田中といいます。よろしく」

 いきなり社長面接で面を食らう。太った男性が社長のようだ。逆だと思った。

「先日のセミナーで、なかなか熱意のある人が来たと報告を聞いたんだけど」

 社長は、椅子に浅く腰掛け、体重の大部分を背もたれにあずけて、履歴書を眺めながら言葉をぶつけてきた。少し乱暴な口調に、たじろいでしまう。

「はい、是非とも御社で働かせていただきたくて、ここに来ました」

「どうしてうちの会社を志望したのか聞かせてくれる?」

「自分がかかわった本が、書店で売られているのを見たいと思ったからです」

「出版社は、同人誌サークルじゃないんだよ? 出した本は売れなきゃいけない」

「はい、もちろんです。営業をしておりましたので、マーケティングのための引き出しはたくさん持っているつもりです」

「ほぉ。かなりきついよ。残業とか、大丈夫?」

 否定的な質問を投げて、メガネの奥から僕を査定している。

「はい。覚悟しています」

「うちの会社は、即戦力が欲しいんだよね……。君、DTPソフトとか画像処理ソフトの経験は?」

「いえ。ありません」

 やはり、この質問が来た。

「じゃ、編集は難しいな。営業でどう?」

「そういわれると思いまして、こちらを書いてきました」

 カバンから封筒を取り出し、社長に渡す。社長の話を遮り、自分勝手に行動するのは、勇気が要る。堂々としろ、堂々と。

「誓約書です。三か月でマスターしてみせます」

 社長が、便箋を広げる。静けさが、体の隅々にまでひんやりと染み渡り、息をするのも慎重になる。社長の視線が便箋から外れ、ちらりとこちらを見てから、田中役員に回した。

「三か月ね。できなかったら、営業に回ってもらいます」

「はい、頑張ります」

「君、おもしろいな」

 社長は、笑みを浮かべ、「営業向きだと思うけどな」と言いながら立ち上がる。

「じゃ、来週の月曜日にもう一度来てください。入社の手続きをしますので」

「ありがとうございます!」

 オフィスを出た後、エレベーターの中で、一人大きくガッツポーズした。

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