1ビットの奇跡
「……はぁ。また天井目前で単発か」
喜多蓮司(きた れんじ・34歳)、通称レンジは、深夜のパチンコ屋の駐車場で深いため息をついた。
仕事は製造ラインでの淡々とした作業。唯一の楽しみは、仕事帰りにパチスロの「期待値」を追いかけ、1ミリでも勝率の高い台を打つことだけだ。
「僕の人生、いつになったら『設定6』をツモれるのかな……」
疲れからか、歩道橋の階段で足を滑らせた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
次に目を覚ますと、そこは湿った土の匂いが漂う、見知らぬ森の中だった。
「ちょっと! そこでぼんやりしてる人、危ないわよ!」
鋭い声に顔を上げると、大きな杖を抱えた少女が、必死の形相で怪物——巨大な角を持つ狼と対峙していた。少女は金髪のツインテールを揺らし、何度も杖を振り下ろす。
「今度こそ……当たりなさい! 『フィン・デル・ムンド(世界終焉)』!」
杖の先がパチリと音を立てるが、出たのは指先ほどの小さな火花だけ。狼は退屈そうに欠伸をし、次の順、鋭い爪を振り上げた。
(……待て。今の音と光り方、どこかで見たことがある)
レンジは反射的に体が動いた。狼の突進を間一髪でかわし、少女の背後に回り込む。
「君、その魔法……発動の仕組みはどうなってるんだ?」
「な、なによ急に! 私の魔法は最強なのよ! ただ、その……内部の魔力回路が不安定で、16回に1回しか高出力モードにならないだけなんだから!」
レンジの脳内に、かつて解析サイトで読み込んだパチスロ機の内部仕様が浮かび上がる。
「16分の1か……。16 は 2 の 4 乗。つまり内部的には、4つのビットがすべて『1』に揃った時だけ大魔法のフラグが立つ設計だな」
パチスロのプログラムにおいて、2 の累乗は非常に管理しやすい数字だ。1ビット(0か1か)の抽選を4つ用意し、そのすべてが「1(アタリ)」を引いた時だけ作動させる。シンプルだが、それゆえに確率は残酷だ。
「君、さっきから何回撃った?」
「ええと……10回! 全部スカよ! おまけに、これを見てよ!」
少女——リノンが悔しそうに足元を指差すと、そこには空になった「魔力回復ポーション」の小瓶がいくつも転がっていた。
「一回撃つのに魔力を使い切るから、不発のたびにポーションを飲んでるの。でも、もう手持ちが3本しかないのよ! これで当たらなかったら、私、食べられちゃう!」
(……なるほど。1回あたりの『投資』が重すぎるんだな)
現在、トータル10スルー。ポーションは残り3本。つまり、あと3回しかチャンス(試行回数)がない。
1/16を引くまでに、彼女の財布(魔力)がパンクする。これは典型的な「資金ショート」だ。
「よし、わかった。僕がタイミングを指示する。君は余計なことを考えず、ただ撃つことだけに集中して」
「11回目、いくよ。……そこだ、叩け!」
「えいっ!」
スカッ。杖から虚しい煙が出る。11スルー。リノンは震える手でポーションを煽る。
「12回目、……今!」
「……ダメ、またハズレよ!」
12スルー。残るポーションはあと1本。リノンの顔から血の気が引いていく。
確率は常に一定だ。だが、12回外れた後、残り1回の試行で1/16を引ける確率は……依然として約6.25%に過ぎない。
「リノン、最後の一本を飲んで、深呼吸しろ。指先の震えを止めろ」
レンジは狼の動きを凝視する。狼が大きく地を蹴り、トドメを刺しに跳躍した。その瞬間、レンジの脳内で「レバーオン」の幻聴が響いた。
「——今だ、ねじ込めッ!」
「いっけぇぇぇ!! 『フィン・デル・ムンド』!!」
その瞬間、杖の先で眠っていた4つのビットが、ついにすべて「1」へと書き換わった。
轟音と共に放たれた漆黒の奔流が、狼を影すら残さず消し飛ばし、背後の大樹をなぎ倒していく。
「や、やったぁ! アタリよ! 本物が出たわ!」
少女が膝をついて喜ぶ横で、レンジは静かに手帳に「13回目:当選」と書き込んだ。
「ふぅ……。ポーションが切れる前に引けてよかった。確率は裏切らないね」
「あなた、すごいわ! 私、リノン。ねえ、あなた、これから私の専属軍師になりなさいよ!」
強引に手を引くリノンに、レンジは困り顔でついていく。
チート能力も魔法もない。ただ、数字を信じ、試行回数を稼ぐ。
異世界という名の巨大な「パチスロ機」を相手に、レンジの冷徹な攻略が始まった。




