力なんてなくても
いつもありがとうございます!
今日の投稿です!
「殿下!」
「お怪我はありませんか⁉」
慌てた侍従達が駆け寄る。
一瞬のことで何が何やら分かっていないイスハークは、しばらく倒れたままだった。
その後目を丸くしながらいきなり上体を起こしたので、受け身はとれていたようだ。彼が頑丈にできているのはこれまでの様子からも確かだった。
要自身は高さがあるため、一度壁を蹴って、その勢いでくるりと空中を回転。落下速度を殺してから完璧な着地を決める。
呆然と要を見上げるイスハークに、笑みすら返す余裕があった。
「言ったでしょ、全力で来いって」
本気でやり合うために彼らの意識を変える必要があると思ったのだが、さすがに煽りすぎだろうか。
心配になった時、不意に我に返った。
全力でパルクールを満喫している場合じゃない。攻略対象を完膚なきまでに叩きのめしてどうするのか。悪女になろうにも、好感度を上げておかなければ話にならないのに。
後先考えず行動したことを悔やんでいると、食い入るようなイスハークの眼差しとぶつかった。
こちらを見つめる瞳が、キラキラと輝きだす。
「すごい……すごいぞ、カナメ‼ お前、武術の心得もあるだろう⁉」
イスハークが、飛びつく勢いで要の両手を握る。
憤りどころか尊敬しか感じられない眼差しに、こちらの方が怯んでしまう。
「あの一瞬でよくそこまで分かったわね……近所のおじさんが合気道の道場を開いてて、子どもの頃に通ってたの。このくらい向こうの世界じゃ普通よ」
「普通……」
「普通とは」
侍従達がもの言いたげに呟いているが、要は華麗に黙殺する。
サマートル騎士国の戦士達が持つ鋼の肉体は、真っ向からぶつかり合うことを前提としている。
騎士としては正しいのだろうが、非力な者には向かない武術だ。
要が習った合気道は、騎士道とは全く異なる概念から生まれたもの。そもそも、敵と戦い打ち破るための術ではない。
相手の懐や死角に入る体捌きである入身、それを利用し合理的に相手の体勢を崩す転換。円を描くがごとき動きを基軸とした、円転の理が合気道の根源にある。そのため相手の勢いを受け流し、少ない力で制することが可能――つまり、体格や力の強さに左右されないのだ。
突進してくるイスハークの勢いをかわし、最小限の動作で横をすり抜けた際、確かに入身を使った。
けれど、あの僅かな動きで見知らぬ技であることを看破してしまうとは。
イスハークは喜びを抑えきれないのか、要を衝動的に抱き上げた。
「なっ……」
「カナメ、お前は最高の聖女だ‼」
要の腰を両腕で抱き、彼はクルクルと回り出す。
まるで小さな子どものような扱いだ。要は恥ずかしくなって腕の中で暴れた。
「ちょっと、離してよ!」
「俺を選んでくれてありがとう! お前のような武闘派の聖女が現れてくれたおかげで、瘴気など恐れるに足りないものだと思えるようになった!」
「いや武闘派聖女って人聞きが悪すぎるし、まだ浄化の一つも満足にできてないのに、そんな手放しに喜ばれても……」
「それでもだ」
腰に回された腕の力が強くなる。
心から安堵するイスハークの声は、感極まって震えていた。
「サマートル騎士国は、四ヶ国の中で最も瘴気の脅威にさらされた国。お前の体術を会得すれば、救われる命も多かろう」
間近にある黒曜石の瞳が潤み、褐色の頬に一筋の涙を流す。
曇りのない涙。白い歯を見せて照れ臭そうに笑うイスハークがあまりに眩しく、要は顔を背けた。
「私……私は……」
要は未だに、聖女の力とやらに目覚めていない。
修練は毎日している。身を清め、瞑想をし、誰かの癒やしとなれることを祈る。
それだけで能力が発現するらしいのに、要には何の変化も起こらない。どこか遠い地が浄化されたという報告もない。
毎日欠かさず修練をすれば、いずれ浄化の力に目覚める。焦ることはない。
誰もがそう口にするが、じわじわと追い詰められているようで、王宮に一人閉じ籠もっていると息が詰まりそうになるのだ。
快適なベッドに、過酷な環境から守られた暮らし。砂漠のただ中にあっても、豊かな水や高級な食材が惜しげもなく供される。
だからこそ何も返せない自分が歯痒く、せめてできることをと、侍女の仕事に手を出してしまうのだ。役に立ちたくて。
これまで、あくまでゲームの世界だからと自分を騙してきた。
要が何もできないままでも困る人などいない。必死になったって意味はない。
……けれど、今目の前で国民のために涙を流す王子を、否定できるのか?
イスハークは頼れる兄貴分というキャラ設定だったはずなのに、実際の印象がだいぶ異なったのはサマートル騎士国の事情のせいだ。
四ヶ国を少しずつ蝕んでいる瘴気だが、対処法がないわけではない。
浄化石。
聖者の祈りによって生み出される、奇跡の石。
聖女のように瘴気を完全に浄化することはできなくても、影響を最小限に抑えることのできる石だ。
だが、浄化石はセントスプリング国でしか生産されない。ゆえに、非常に高価なのだ。
サマートル騎士国は周辺国に比べ豊かでないため、生命線である水の浄化に使う分で手いっぱい。
最近は、取りこぼした瘴気の影響で正気を失った動物が、魔物となって人に襲いかかる事件が頻発しているらしい。
だからイスハークはサマートル騎士国を、四ヶ国の中で最も瘴気の脅威にさらされた国と表現した。
国民はすべからく体を鍛え、魔物の襲撃に備えている。民までもが戦士となり、まず自らの命を守ることを覚えるのだ。
強くあろうとするのは、こういった国の事情があるから。イスハークとて元より脳筋だったわけではないのかもしれない。
――分からない。それともこれが現実だから、イスハークの性格も設定と違うの?
何日も寝起きを繰り返して、そろそろ夢だと否定し続けるにも限界が来ている。
けれど現実だと断定するのは、要にとってあまりに恐ろしいことだった。
本当に、ここが現実だとして。
要は耐えられるのだろうか。この国で起こることを、彼らに降りかかる災いを知っていながら、仕方がないと割り切れるのか。
たとえゲームのシナリオ通りに進まずとも、瘴気の浸食が続けばいずれ大きな災いが訪れるだろう。それは時間の問題だというのに、要は未だ聖女の力を身につけていない状態だ。
人が傷付くかもしれない。
ゲームかもしれない。
分からない。何も。
『頑張りすぎ』
頭の中に友人の声が響く。
そう言われた時、要は相手を見返すことができず、適当な理由をつけ逃げ出したのだ。
周囲に合わせる癖は昔からのもの。
一緒にいる人が欲しがる言葉を与え、好かれるための自分を演じる。嫌われるのも、輪から外れるのも怖かったから。
だから誰にでもいい顔をするし、ゲームでも運動でも何でもした。
きっと友人は、要のそういった滑稽さを見透かしていたのだろう。
苦い気持ちを強引に飲み下す。
要は迷いながら、恐れながら、それでもゆっくりと顔を上げた。
「私……私に、本当に聖女の力があるのか、分からない。だけど……できることをしたい」
要の宣言に、イスハークの笑顔がさらに輝いた。
期待に応えられなくても、民を想う優しい王子の心を、少しでも守ることができたら。
「イスハーク、街に連れて行ってほしいの。オアシスの向こう――瘴気が蔓延してるっていう、より砂漠に近い方へ」
「〜っ、カナメ!!」
もはや大型犬と化してしまったイスハークが胸元に遠慮なく頭をすり寄せるから、要は真っ赤になって脳天に手刀を振り下ろした。




