設定と違う顔
今日もよろしくお願いします!
大聖堂がある敷地は男女どちらも出入り可能なので、男性の声がしたところでわざわざ驚くことではない。それが天上の音楽のごとく涼やかな声音だったから――彼女達は硬直したのだ。
要がぎこちなく振り返ると、そこには予想通り、穏やかな笑みをたたえるチェスターの姿があった。今日も神秘的なほど麗しい。
「こちらにいらっしゃったのですね、カナメさん。以前から申請されていた資料閲覧の許可が下りましたので、お知らせに参りました」
チェスターの、誰もがひれ伏す美貌は有名だ。
リエナ達の強烈な視線が突き刺さる。
第三王子殿下にうやうやしく接されているのだから、当然の反応だった。閲覧許可くらいで彼が足を運んだことも信じがたいだろう。
――まぁ絶対、わざとでしょうけど……。
要は口端が引きつるのを感じながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「恐れ多いことでございます、王子殿下」
「他人行儀になさらないでください。どうかいつものように、チェスターと」
「……チェスター殿下…………」
訂正を求め押し問答するよりも、すぐにこの場を離脱した方が早い。
要は質問を許さぬ笑みを作ると、リエナ達に深々と頭を下げた。
「中座をしてしまうこと、どうぞお許しください。私はここで失礼いたします」
素早く厨房を脱出した要は、気付かなかった。
彼女達の前では常に普通でいたのに、チェスターにつられ上流階級のごとく振舞ってしまっていたこと。そして元来の観察力と理解力、運動神経のおかげでそれが高位貴族もかくやという完璧な仕上がりになっていたことに。
要が去ったあと、しばらくは沈黙が支配していた厨房に、賑やかな声が上がる。
「ちょ、え⁉ 今の見ておりましたか⁉」
「しかとこの目で! もしやカナメさん……いいえ、カナメ様は、どこぞの国のやんごとなきお方なのかもしれませんわ!」
「普段は身分をお隠しになっていたのね! そしてその理由とは、チェスター殿下と……」
「えぇ、えぇ。密かに愛を育まれていらっしゃるのだわ。きっと、セントスプリング国と敵対している国からいらしたに違いありません」
「許されざる恋……素敵……」
「いい……」
刺激の少ない聖神殿暮らしの長いリエナ達の妄想は、どこまでも続く。
「王子が突然現れたら、誰だって混乱するに決まってるでしょ。誰かに遣いを頼めばよかったものを……ちょっとは頭を使いなさいよね」
要が延々と垂れ流す文句を、チェスターは背中で聞き流す。
誰だって一方的に責められたら多少は不快に感じるだろうに、彼の場合はなしのつぶて。この一週間で、そういう性格なのだと把握していた。
穏やか中性的美少年枠であるチェスターは、要にとって癖者だった。
聖女だからか尊重はしてくれる。
建国について書かれた資料を見せてほしいといえば、こうして閲覧申請を出してくれる。共に調べてもくれる。
浄化石の価格を下げもっと広く普及させたいといえば、宗主と十二人の大司教らでなる最高議会に陳情書を提出してくれる。小難しい文書の作成を引き受けてくれたのも彼だ。
一応協力的な姿勢を見せている。
だが、本当にそれだけ。
あれから何度か大胆な接触を試みたものの、好感度は全く上がっていない。むしろ若干軽蔑されているようにすら感じていた。
なぜ作戦がうまくいかないのか。悩み抜いて数日、要はある結論に達していた。
「……あんたが常に穏やかな笑みでいられるのって、他人に一切興味がないからだよね」
「はい?」
先を進んでいたチェスターが、ようやくこちらを振り向いた。常の笑顔を保っているが、煩わしさを隠しきれていない。
彼は、全く穏やかな性質ではなかったのだ。
つまりゲームの中でのチェスターの初心な態度は、聖女獲得のための演技。伴侶に選ばれればセントスプリング国が栄えるからという、ただそれだけを目的としたもの。
――完全に詐欺だよ、詐欺。
こんなことなら、ウィンターフォレスト王国を訪ねた方がまだましだった。
不機嫌な王子は厄介だろうが、知識の国だから蔵書量だけは豊富だったはずだ。
これで万が一、サマートル騎士国のように建国当初の資料が極端に少なかったら目も当てられない。
要の指摘に対し、チェスターは胡散臭い憂い顔を見せた。
「聖女様が何をおっしゃっているのか、私には分かりかねます」
「よく言うわよ。その聖女に対して、慇懃無礼な態度をとっておいて」
「もちろん、聖女様には興味がございますよ。『聖女パンチ』なるもので、サマートル騎士国をお救いになったそうですね」
「絶対喧嘩売ってるわよね。せめて他の王子にチェンジしてもらおうかしら」
両者の間に、極寒の風が吹き荒ぶ。
相容れない。この男とは絶対に相容れない。
イスハークの底抜けの明るさを懐かしむ気持ちが湧いてくる。
けれど、このまま逃げるわけにはいかない。要には成し遂げねばならない使命があるのだ。
チェスターを落とす方法は思い付かないまでも、できることは他にもある。まずはようやく許可が下りた建国に関する書物を調べるところから。
要達は同時に冷笑を消し去った。嫌みの応酬を切り上げ、無言で歩き出す。
国の中枢とあって、聖神殿の書籍館は圧巻の広さだった。
壁面をぐるりと覆う膨大な書物。中央には、吹き抜けになった天井に丸く切り取られた窓。その採光窓をぐるりと囲うように鉄製の螺旋階段がそびえ、上階へと繋がっているようだった。
チェスターは迷うことなくその階段を上り、さらに奥へと進んでいく。
道中何人かにすれ違ったけれど、その数も奥へ行くごとに減っていった。
「この書籍館は一般にも開放されておりますが、二階の禁書がある区域には規制がかかっており国王の許可なしには入れません。せっかく秘匿しているあなたの素性が知れ渡ってしまうでしょうから、お一人で訪うことはお勧めいたしません」
王族と連れ立っていれば要は付き人とでも解釈されるだろうが、単身では特別な許可を与えられる身分であることを喧伝して歩いているようなものだと、そういうことか。
目立たず周囲に溶け込みたいという要の要望を尊重してくれているが、彼の口振りの端々に皮肉が塗されている気がしてならない。それと周囲からチェスターの付き人と思われることも地味に嫌だ。
「……本当、聖女への敬意ってもんをことごとく感じられないわね」
それは独り言に近い呟きだった。
チェスターに届かなくても一向に構わない、皮肉というよりただの愚痴。
けれど先を行く背中は、ぴたりと制止する。
また豪雨のごとく嫌みを浴びせかけられるのかと身構える要だったが、ゆっくり振り向いた彼に目を見開いた。
そこにあったのは、微笑。
けれどいつもの穏やかなものではない。
片方だけを吊り上げた薄い唇は、まるで氷のように冷たく酷薄な印象。
何より、温かみのある琥珀色の瞳には顕著に感情が表れていた。何もかもを拒絶する眼差しの奥、かすかに混じっているのは間違いなく苛立ち。
背中を冷たいものが這った心地になり、要は体を強ばらせる。
「――目的の書物を、何冊かお持ちいたします」
チェスターがそう言い残しきびすを返してから、ようやく詰めていた息を吐きだした。
慇懃無礼な態度の理由が、分かった気がする。
彼は、はじめから要を拒絶していたのだ。要を――突き詰めて言えば聖女を。
私事ですが、第十回ネット小説大賞に応募していた作品が二次選考を通過してました!
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復讐したいのに、もふもふ陛下の溺愛から逃げられません!
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