第14章 死
僕には家族がいない。その事実に気づいたのは、半年くらい前だった。
実際に家族を失ったのは、今から一年以上も前のことだ。旅行先での交通事故。地方では小さな記事として新聞にも載ったし、僕は自分の家族三人の葬儀にも出た。当時受験生だったためか、僕は一人家に残されていた。それは幸運だったのか不運だったのか……いや、僕自身としては不運だったと認識している。どうせなら、僕も一緒に逝きたかった。
その事故が、僕が自殺に至った理由だと思う。
両親と涼香、大切な人を一度に三人も失い、僕は茫然自失としていた。僕の引き取り先など、多くの親せきが話し合っていたような気がするが、正直あまり覚えていない。ただ放心状態のまま、僕はどうすればまた家族一緒に過ごせるのかを考えていた。
自殺したきっかけが曖昧なのは、僕自身、記憶に齟齬が生まれている可能性があるかもしれないからである。家族を失ったことが、本当に自殺の引き金だったのかは、今となっては不確かなものだ。なんせ脳に障害を持ってしまったのだから、この記憶が絶対だと言い切ることができない。
だがしかし、自殺を決行してから自分に家族がいないと気づくまでの半年間、再び自殺をしようと思わなかった理由は、僕には当たり前のように家族がいたからで間違いないと思う。
別に矛盾はしていない。
僕は家族を失った。けど、すぐに新しい家族を得た。
顔も名前も知らないあの人が、僕の家族を演じてくれた。時に母親、時に涼香に化け、父親は単身赴任で地方に行っているという設定を加えて。
あの女の子が、僕の命を繋ぎ止めていてくれた。
偽りの家族を演じはじめて半年後、僕が彼女を本当の家族でないと気付いた理由は、特にない。相貌失認といえど、半年一緒に暮らしていた家族の特徴くらいは覚えられる。ある日、ちょっとした違和感に気づいただけだ。涼香と母親が、実は同じ人物なんじゃないか、と。
疑いを持ち始めてから、記憶の戻りは早かった。
記憶の片隅に残っていた、家族三人が交通事故で死ぬ風景。それが夢でないことに思い至り、記憶を頼りに図書館で事故を調べた。母親か涼香、どちらに化けているか分からないあの人に、鎌をかけてみたりもした。僕の家族がすでにこの世にいないことを理解するまで、そう何日もかからなかった。
でも……僕はその現実を受け入れた。
僕が今の生活を否定したところで、本当の家族は戻ってこない。ならばいっそ、この不満のない偽りだらけの生活を続けていこう。あの人がどこの誰かなんて関係ない。あの人は僕の家族だ。僕の……最も大切な人だ。
いずれ終わりが来るまで、僕は幸せな人生を妄想しよう。
そう、納得した。
「あー……なんて謝るべきか……」
むしろ僕が謝るべきなのか? 兄として、ここは頑として向こうから謝りに来るのを待つべきではないのか?
そんなくだらないことを考えている帰り道。
もうすっかり夜は更けていた。民家の明かりは消灯している方が珍しいものの、出歩いている人はほとんどいない。この辺りは住宅しかないためか、車も滅多に通らない。暗闇の中、独り取り残された気分だ。妄想にふけるのには最適である。
「いやいや、どちらが悪いにせよ、僕の方が飛び出していったんだから、こちらから謝らなきゃならないよな」
まるで浮気がばれて、家から閉め出された男のようだ。笑えねぇ。
まぁ、僕から謝るのが筋というものだろう。それで相手の謝罪を待つ。向こうだって、遠まわしで荊木さんを貶したようなものなんだ。あの人だって、謝る義務はあるだろう。
「……ん?」
と、奇妙な違和感に襲われた。
家を飛び出した時は感情的になっていたから見逃していたものの、よくよく考えれば不思議なことがある。
涼香の一言、「死んでしまった人」とは荊木さんのことだろう。つまりあの人は、荊木さんのことを知っている。……いや、それだけじゃダメだ。僕が日常的に荊木さんを想っていることを知らなければ、あの発言は出てこない。
何故……あの人は僕と荊木さんの関係を知っているのだろうか?
「あぁ……そうか」
あの人が熊谷の身代わりになったんだとしたら、聴いてたはずだもんな。荊木さんについての忠告を。結局のところ、僕のミスにより、あの時にはすでに第三者に秘密を知られてしまっていたわけだ。情けない限りである。
「これで呪いが解けたかといえば、そうでもないけどなぁ」
それにもう一つの方の呪いは解けそうもないしな。
何があろうと、僕は『彼女』を忘れることはないだろう。この夜道にも、今まさにひょっこり現れそうではある。
そんなことを考えているから、正面から歩いてくる人物に驚いてしまった。
もちろん誰だか分からないので、僕の妄想より造りだされた『彼女』ではない。だからといって、僕の身を心配して迎えに来てくれたあの人でもないだろう。前方の人は、体格からしても多分男だ。僕は毎日こうやって、視界に入る人物を観察しているのである。
坂の上から下ってくる男性に驚いて、一瞬だけ立ち止まった後、僕は顔を伏せてから再び歩き出した。そして不自然にならない程度に、男性から離れるように斜めに歩く。見知らぬ人と顔も合わせられない、シャイな坊やなんですよ、僕は。
そうして距離を置き、僕らは何事もなくすれ違う……はずだった。
「人の物を盗ったら犯罪なんですよ。進藤君」
「……え?」
男の声。僕は咄嗟に顔を上げた。
いつの間にか、目と鼻の先に男がいた。手を伸ばせば触れられる距離。
男の眼が、じっと僕を見据えていた。僕もまた、彼の瞳を睨み返す。
知り合い? 最初に浮かんだ疑問はそれだった。
いつものことだ。話しかけられた際、僕はまず、相手の素性を確認する。そうでなければ話が進まない。いや、そうでなくとも、この人は僕のことを知っていて、かつ相貌失認であることを知らない誰かだ。僕の知り合いで、それに該当する人物は……。
とまで考え、唐突に思考が停止した。
「……え?」
何が起こったのか分からない。どうして混乱しているのかが理解できない。
まず、両脚の力が抜けた。下半身の感覚が無くなり、全身の体重を支えられなくなる。僕はその場に倒れた。頬が冷たいアスファルトと接触するのと同時に、腹部に激痛が奔る。反射的に両手で腹を押さえようとしても、薄っぺらい金属が邪魔をする。最終的に目視で確認すると、下腹部辺りに、生物としては致命的な突起物が刺さっていた。
「死なないでくださいね。私もまだ、殺人者にはなりたくない」
目の前の革靴が動いた。地面に倒れた僕を、まるで路傍の石か何かを避ける動作。足音が徐々に遠のいていく。
三歩ほど僕から距離を置いた男が、足を止めた。
「でも、これ以上彼女と仲良くするようでしたら……今度は殺しますよ」
慇懃無礼な捨て台詞を残し、男は去っていく。
でも僕は、そんな男の言葉など聞いていなかった。聞けるはずもなかった。
額から大量に汗が浮き出る。呼吸が乱れる。腹が痛い。どのような体勢が一番痛くないのか身じろぎして試すも、ほんの少し動くだけで激痛が奔る。結局は動かない方がベストと判断し、今度は荒れた呼吸を制御しようと試みる。
なんだ、意外と冷静でいられるものだな。
僕はたぶん、通り魔に襲われたのだろう。腹に刺さってるのは包丁だ。これは抜かない方がいい。失血死してしまう。痛いけど我慢しよう。とりあえず救急車を呼ばなきゃ。えーっと、携帯は持ってたっけ? あぁ、家に置き忘れてたな。じゃあ赤木先生に頼むか。いや、大学病院までは遠いな。歩いて行ける距離じゃない。むしろ家の方が近いな。涼香は家にいるんだっけ? 仮面被ってても、電話に出れるのか? いやいや通り魔なんだから、警察に通報しないとな。喫茶店に刑事がいるはずだ。誰か連絡とって……。
あ……………………死ぬ。




