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静音とロウは数瞬、動きを止めて対峙していた。
静音の視界の端に、二人を見守る沙耶の姿があった。彼女は先ほどから、間に割って入ろうとしなくなっている。自分では足手まといになると判断したのだろう。
「体術もなかなか。これは得がたい人材だ」
ロウは剣を構えたまま笑みを浮かべた。
「しかし、厄介な術だ。相当に気を込めた攻撃でないと、その闇は突破できそうにない」
言葉の内容とは裏腹に、ロウには余裕があるようだった。
何か、嫌な感じがする。
静音が己の直感に従い、一旦距離を取ろうと後ろに下がった瞬間、同時にロウが踏み込んできた。
「!」
反射的に腕を横に振るう。その軌跡の延長線上に黒い三日月の刃が生じ、走った。
ロウはそれを難なくかがんで潜り抜け、剣の間合いへと入る。
続く打ち込みを静音が凌ぎ、放つ闇で間合いが一旦開き、そして再度ロウが打ち込む。
それを数回繰り返すと、気付けば二人は建物の外へ出ていた。
「やはり、硬いな」
確認するようにロウが呟く。
「だが──」
そこまで言うと、再び距離を詰めて斬りかかってくる。
これまでと同様に数度の攻撃を闇で防御し、静音が反撃に転じようとした瞬間だった。攻撃の終わり際、ロウはふいに至近距離から剣を投擲した。
「──っ!」
完全に虚を衝かれた。手首のスナップのみで放つ、ノーモーションでの投擲。にも関わらず、その剣には充分に人を殺せるだけの速度が乗っていた。
能力の発現は間に合わない。静音は一瞬で判断し、身を捩ってかわす。しかし、無理にかわしたせいで体勢が崩れた。
その隙に、ロウは己の懐へと手を伸ばし、何かを掴み出す。それは一見、わずかに曲がった細長い金属の円柱のように見えた。
「──これならどうかな?」
言って、ロウはもう一方の手で、円柱の底にあった紐の結び目を引き抜いた。
途端に円柱は形を崩し、ばらばらとなる。円柱に見えたそれは、中央の穴に紐を通して束ねられた銅銭だった。
宙で散り散りとなった銅銭が、まるで磁力でも帯びているかのように、互いにくっついていく。それらが剣を形作るのと、静音が体勢を立て直したのは同時だった。
至近距離から闇の刃を放つ。ロウはそれを受けるべく、たった今形成された剣を水平に構えた。
「!」
静音の身体に電撃が走った。
今まではかわすのみだったロウが、初めて自分の攻撃を受けようとしている。だが今放った刃は、沙耶のクナイのように軽く弾ける代物ではない。あの剣がどういったものであれ、直哉がそうだったように、反動で大きく後ろへと下がり、隙ができるはずだ。
(一気に飽和攻撃で押しつぶす……っ)
一瞬の判断。屋外であれば建物の倒壊を気にする必要もない。先ほどの乱射から少し時間を置いたので、能力の行使にも余裕がある。
距離が開くのを前提に、異能を全開にする。身を覆う闇の炎が、一層燃え盛り──
「な……」
次の瞬間、静音の目が驚愕に見開かれていた。ロウの身体を遠くに追いやるはずだった闇の刃が、彼の持つ剣に触れた途端、あっけなく四散したのだ。
刃に乗っていたはずの運動エネルギーすら伝わっていない。体勢を崩すこともなく、ロウが無造作に一歩踏み込み、剣を振りかぶった。
咄嗟に闇の防壁を展開する。だが銅銭で出来た剣はそれごと、静音の胴を切り裂いた。
「うっ──」
焼けるような痛み。斬られた箇所をおさえ、たたらを踏む。
追い討ちをかけようと、さらにロウが迫る。
「やああっ!」
そこに、さすがに黙っていられなかったのか、横から沙耶がクナイで切りつけた。
首を狙った横薙ぎ。ロウは身を倒してかわす。
「ぐあっ」
同時に沙耶が呻き声をあげる。腹部にロウの踵が突き刺さっていた。かわす動作がそのまま後ろ回し蹴りとなっていたのだ。
うずくまる沙耶を一瞥して、ロウは静音へと視線を戻す。
静音は膝を折って、腹部に手を当てていた。流れ出た血が地面へ滴る。
すぐに命に関わるほど深くはないが、けして浅くもない傷だった。いずれにしろ、最早戦闘は不可能だ。せめてもの意地で、静音はロウを下から睨みつける。
その視線を受け流し、ロウは再度笑みを浮かべた。
「この銅銭剣は邪気を払う為に用いられる、陽の剣。お嬢さんの影は、陰の気を含んだ強力な異能のようだが、その陰の気がゆえに、この剣ならば容易く切り裂ける」
切っ先が静音の眼前に突きつけられた。
「希少な異能者を殺すのは惜しいが、致し方ない」
ロウが銅銭剣を振りかぶる。
「ちょっと待った!」
その背に声が掛かる。どの様にしてロウに気取られず移動したのか、沙耶が神楽殿の中に戻っていた。蹴りを受けたダメージが残っているのか、苦しげな表情だ。
ロウは振り返り、沙耶を見た。
「動かないで。動いたらこの変な部屋の壁、切り裂くよ」
沙耶がクナイをビニールの壁にあてた。
「あんた、戦闘中もこれに攻撃が当たらないように立ち回ってたよね。目的が何だか知らないけど、台無しにされたくなかったら、指示に従って」
彼女の言った内容に、静音は内心驚いていた。確かに思い返すと、最初の不意打ちも投げたヒョウも、ロウの今までの攻撃全てが、部屋を巻き込まないよう放たれていた。
ロウと真正面から切り結んでいた静音には、それに気付く余裕などなかった。恐らく、自分が外へと誘導されたのも、意図してのことだろう。
ロウの口元が釣りあがる。
「大した洞察力だ。いいだろう。従おう」
「まず、その剣は捨てて。斉木さんからも離れて」
ロウは指示通りに、銅銭剣を地面に落とし、三歩ほど下がって静音から離れた。
沙耶は極度の緊張の中にあった。
咄嗟にこの奇妙な部屋を人質にして、静音の命を救えたまではよかった。しかし、まだ一瞬たりとも油断はできない。この男の経験してきただろう修羅場の数を思えば、今の状況を覆す手段がいくつあってもおかしくはない。
けしてまだ、こちらが優位に立ったわけではないのだ。
「それから──」
ロウの動きを警戒しながらも、さらなる指示を出そうとした時、近くで物音がした。
見ると、白袴の男性が広間の隅に倒れている。両手両足が縛られ、口には猿轡が噛まされていた。意識はあるらしく、沙耶に必死の形相で視線を送りながらも、もぞもぞと動いている。
「そのまま動かないで!」
言って、ロウから視線を外さないまま、その男性へと駆け寄る。
格好からして、この神社の神主だろうか。そう考えつつも沙耶が猿轡を外すと、男性は大きく息をついた。
「大丈夫?」
「ああ……すまない、ありがとう」
それを見て、ロウが思い出したかのように、慇懃無礼な態度で言った。
「おや、意識が戻っていたのですね。針を打つのを忘れていましたよ」
「貴様……一体何が目的だ」
ロウを睨みつける男。
「おじさんは、ここの神主さん?」
沙耶がたずねる。
「いや、わしは神社本庁から派遣された田所という者だ。お嬢さんは?」
「わたしはそこの部屋の中にいる、さらわれた人たちと同じ学校の生徒」
「なんと、人さらいまでしておったのか……」
田所は呻いた。
「縄を切るから動かないで」
沙耶は言って、田所の腕を縛る縄にクナイをあてる。
その折、ロウが何気なく片方の膝を腰の位置まで上げ、片足立ちとなった。
すぐに気付いた沙耶は、立ち上がって縄からビニールの壁へとクナイを戻し、
「動くなって言って──」
そこまで言ったところで、ロウの足が鉄槌のごとく地面へと落とされた。
ズン、という地響きのような縦揺れ。直後、沙耶の体を衝撃が襲った。
それは足から入り、腰、背骨、脳天へと、電流のように垂直に走り抜けた。その瞬間、沙耶は身体の内部──背中の中心で、何かが圧砕される音が響くのを聞いた。
「う……あ……」
全身の感覚が麻痺し、膝が折れる。
「望月!?」
「お嬢さん!」
静音と田所の呼びかける声が聞こえる。痛みはない。だが、身体が動かない。
全身を奇妙な痺れが覆っていく感覚と共に、沙耶は意識を手放した。
倒れこむ沙耶を見て、静音はロウを睨んだ。
「何をした」
ロウは肩をすくめた。
「なに、踏み込みの衝撃を、地面を介して彼女に当てただけだ。動いている相手に当てるのは至難の業だが、止まっている相手ならこの距離でも届く。遠当ての一種だな」
それを聞いて、静音は絶句した。
十メートル近く離れている相手に、地面を介して衝撃を伝える──
彼女の想像もつかないような、絶技だった。
「さて──」
ロウは地面に落ちた銅銭剣を拾い上げた。そのまま静音の横を通り過ぎる。
静音が振り向くと、ロウは背後の木に手を伸ばしていた。そこに、先ほどの戦いの中でロウが放った、直剣が突き刺さっていたのだ。
引き抜き、静音の前に戻ってくる。
「骨などを切断するのに、銅銭剣はあまり向いていないのでね」
まるで、料理に使う包丁を選ぶかのような気安さで、ロウは言った。
「では、名残惜しいが、死んでもらおう」
「っ……!」
ここまでか、と静音が目を閉じた時。
僅かな音が聞こえた。ロウにも聞こえたらしく、振りかぶった剣の動きが止まる。
断続的な音だった。最初は小さかったそれが、瞬く間に大きくなる。こちらに近づいてきているのだ。近づくにつれ、音の輪郭がはっきりしてくる。まるで獣のような速さで迫るそれは、しかしれっきとした人間が大地を蹴立てる音だった。
ロウが振り向く。そこには、今まさに木刀を打ち込まんとする直哉の姿があった。
「──っ!」
直哉の走りざまの切り払いを、ロウは咄嗟に直剣で受けた。予想以上の衝撃だったのか、大きく体勢を崩す。そこにすかさず、直哉の前蹴りが入った。
「ぐおっ──」
ロウは一○メートル近く吹き飛んで神楽殿の壁を突き破り、その中に姿を消した。
「──っ、悪い。遅くなった」
荒い息遣いのまま、直哉が言った。
服のいたる所が黒く焦げたようになっており、露出している肌には火傷のような跡が見える。一目で、満身創痍と分かる状態だった。同時に、彼が作戦通り、瞳術を使う女を打ち倒したのだと理解する。
一方こちらはというと、二人がかりでこのざまだ。人質すら助け出せていない。
静音は直哉を見上げて、そして目を逸らし、
「……すまない」
と、一言だけ言った。
「気にするな。……! 大丈夫か?」
静音の腹部から流れる血に気付き、慌てる直哉。静音はそれを手で制した。
「平気だ。死ぬような傷じゃない。それより、望月が」
言われて、直哉は建物の中を見る。
「おい、望月!」
直哉の呼びかけに、別の声が応えた。
「大丈夫だ! お嬢さんは生きているぞ! 恐らく失神しているだけだ!」
「誰だ……?」
田所と初対面の直哉が呟いた。
「神社本庁の人らしい。それと、あのビニールで囲まれた部屋の中に、さらわれた人たちがいるみたいだ」
「そうか、じゃあ早いところ助けるか」
「だがその前に──」
静音はロウが消えた壁の穴に視線を移した。
「ああ、あれを何とかしないとな」
静音の言葉に続けて、直哉が言った。




