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その数分前──静音と沙耶は神楽殿の近くに潜んでいた。
「いなくなってる」
沙耶が呟いた。
神楽殿の入り口から見える位置にいたはずの、ロウの姿が見えない。直哉の陽動に釣られて、場を離れたのだろうか。
──誘拐した生徒を残して?
彼らの何らかの目的に必要だからこそ、あの男が直接警戒していたのではなかったのだろうか。誰もいない今こそ、光たちを助けるチャンスではあるが──
作戦では、ロウがリーたちの援護に向かった場合は、静音が一旦足止めをし、その間に沙耶が光たちを逃がすことになっている。だが、ここに来るまでの間、ロウとすれ違うことも、その姿を見ることもなかった。
「気付かない間にすれ違ったのかな」
「いや、そんなはずはない。位置を変えて待ち伏せをしているのかもしれない」
「じゃあ、どうしようか」
「こちらは二人いるんだ。行ってみよう」
「了解」
二人は忍び足で建物の入り口へ駆け寄った。沙耶が中の様子の覗き込む。
「スーツの連中もいないね……って、何……これ?」
「どうした?」
沙耶の後ろで周りを警戒していた静音は、不審に思ってたずねた。
「うん……とりあえず見れば分かるよ」
二人は神楽殿の中へ入る。
「な……」
静音の口から戸惑いの声が漏れた。
建物の中には透明な厚手のビニールで囲われた、大きな部屋のようなものが設置されていた。灰色のタイルのような建材が床の上に敷かれ、所々に金属製のパイプが支柱として立ち、ビニールの壁を支えている。天井にもビニールの幕が張られていた。
それは、神社の雰囲気にどこまでもそぐわない異物だった。
「偵察した時は、こんなの無かったんだけど……」
外側は二重、三重のビニールで覆われている。沙耶は近づいて、中をじっと見た。
「……中に人がいる!」
「!」
静音も近くへと駆け寄る。
確かに中に人がいた。ビニールのせいでぼやけて顔までは判別できないが、複数の人が座っているようだ。恐らく拉致された人たちだろう。
「望月、下がっていろ」
言われて沙耶が後ろに下がると、静音の全身から、黒い炎のごとき闇が湧き上がった。
瞬時にその一部が硬質化し、刃となる。
静音が刃を振るい、ビニールを切り開こうとした瞬間、地響きと共に、爆発音が聞こえた。かなり近い。静音と沙耶は顔を見合わせた。
「直哉君たちかな……?」
「分からない。とりあえずこの部屋を──」
向き直り、静音が改めて刃を振りかぶった時だった。
「斉木さん!」
沙耶が叫ぶ。同時に静音の身体が小さく震えた。
長さ二十センチほどの針。それが五本、どこからか飛来し、静音の腕や腹部に突き刺さっていた。沙耶はそれを見て青ざめる。
「……平気だ。身体に届いてはいない」
静音の体を覆う闇によって、針は寸前のところで止まっていた。
力を無くしたように、針が落ちる。沙耶はそれを見て胸をなでおろす。
その彼女を、静音は不意に、胸へ抱くように引き寄せた。
「えっ!?」
動揺する沙耶を余所に、空いている右手を頭上に掲げる。
鋭い衝突音。静音の展開する闇が、何者かの頭上からの一撃を受け止めたのだ。
「はあっ!」
瞬時に状況を把握したのだろう、沙耶が抱きしめられたままで後ろ蹴りを放つ。
相手はそれを膝で受けた。いまだ空中にいた襲撃者は、蹴りを受けた反動で後ろへと飛ばされる。
追い討ちをするように、沙耶は取り出した両手のクナイを、振り向きざま投げつけた。
野球投手の牽制球のようにコンパクトかつ俊敏な動作で、まず右手の三本。続けて身を捻り、左手で同じく三本。しかしいずれも、相手の手に持った剣によって火花を散らして弾かれた。
「──影使いとは珍しい」
壁際に着地した襲撃者が呟いた。背は直哉と同じほどで、道士服を纏っている。
平均的な体つきで、中性的な顔立ちの男だった。手には逆三角の鍔が特徴的な、中国の直剣が握られている。
「斉木さん、気をつけて」
沙耶が静音に注意を促す。
「この男か」
一見、優男にしか見えない。だが沙耶の話では、中国マフィアすら一目置くほどの残虐な男なのだという。
静音も、外見とは裏腹に、男の纏う気の禍々しさに気付いていた。まるで血の臭いが染み付いたような、濃厚な殺気混じりの気配。
男──ロウが静音の制服を見て言った。
「ふむ、神社本庁の人間かと思いきや──彼らの同級生か何かか」
まさか追いかけてくるとは思っていなかったのか、光を攫った二人はロウに詳しい報告をしてはいないようだった。
「これ以上の贄は要らないのだがな」
わざとらしく、困ったような表情を浮かべるロウ。
その瞬間、静音は仕掛けた。誘拐の目的を問うこともない。問答無用の攻撃だ。
ロウの足元の影から、黒い棘が天を衝くように生える。
横に飛んで回避したロウに、沙耶がクナイを投げつけた。ロウの直剣が手首を始点とした八の字を描くと、その全てが弾かれる。
着地と同時に、今度はロウが複数のヒョウを放った。
「うわおっ!」
沙耶は慌てて横に飛んで避ける。一方、静音は動かず、精神を集中させる。すると身に纏う闇の炎が、より一層激しく燃え盛った。
ヒョウが静音に殺到する。続けて鈍い音がし、その複数が彼女の纏う闇に食い込んだ。しかし、静音の体までは届いていない。
「ほう」
ロウの目が細められた。
「ただの影使いではないな。生半可な術であれば、貫けるはずだったのだが」
静音は答えず、手のひらをロウに向けて差し出した。
瞬間、閃光のごとき数条の闇がロウへと放たれる。
「!」
咄嗟に屈んだロウの頭上を闇が貫いた。壁と、外に生えていた樹木もが穿たれ、弾け飛ぶ。それに動じた様子もなく、ロウは地を這うような低い姿勢のまま、一気に間合いを詰めにかかった。
静音はたて続けに漆黒の槍を放つ。
ロウは横に飛び、壁を蹴り、天井の梁までも使って、立体的に回避しながら、なおも迫る。槍の雨をかいくぐり、苦も無く剣の間合いまで接近すると、突きを放った。
「……っ!」
何度も闇を放った直後の為か、静音の体を纏う闇が無くなっていた。半身になり、すんでの所で突きをかわす。制服の端が、剣によって断ち切られた。
突きがそのまま横薙ぎへと変化する。静音はさらに体を引いてそれを避けるも、今度は胸元のタイが浅く切り裂かれた。
ロウがさらに踏み込む。切り払いからの袈裟がけ。静音が手をかざすと、腕の前に発現した闇が剣を受け止めた。
「くっ!」
歯を食いしばり、能力をさらに行使する。足元に落ちる影が円状に広がり、そこから鎌のような、曲線を描く巨大で肉厚な刃が複数生えた。
ロウは直前に飛びのき、これを回避。追撃の槍を放つも、全てかわされる。
静音の顔に焦りの色が浮かんだ。自分も体捌きにはある程度自信があるが、ロウのそれは達人の域だ。接近戦は避けるべきなのだが、こうも容易く回避されるのでは、距離を保つことすらままならない。
あるいは、自分と似た異能者との戦闘経験があるのだろうか。至近距離からの攻撃ですら、難なく避けられるとは……。
いや、しかし。それがなんだというのか。すぐそこに姉がいるのだ。静音は一瞬、横目でビニールで覆われた部屋を見て、呟いた。
「貴様を殺して、姉さんを助ける」
闇の炎が、再び静音の身体から立ち上った。
境内に屹立した八つの柱は、その役目を終えると、淡く滲むように空に溶け消えた。
リーの眼前で立ち上った巨大な火柱は既に消え、代わりに土煙が立ち込めている。やがてそれも晴れると、そこには深くえぐれ、クレーターと化した境内の地面が現れた。近寄ってみると、底面にある土が赤熱し、融けているのが見える。少年の姿はない。
(跡形もなく消し飛んだのかしら)
ならばもうここに用はない。リーは神楽殿へ向かうべく、振り返り──
「な──」
五メートルほど前方に、全身から煙をあげながら佇む、少年の姿があった。
瞬間、衝撃が胴を貫く。気付けば、半身になり、深く腰を落として放った少年の掌底が、自身のみぞおちに突き刺さっていた。
「あ……」
身構える間すらない。一瞬で意識を断ち切られ、リーはその場にくずおれた。
「っ……」
リーの意識が完全に失われているのを確認すると、全身を襲う火傷の痛みに直哉は顔を顰めた。
紙一重だった。
動きを封じる術を破るのがほんの少しでも遅かったなら、ただでは済まなかっただろう。際どいところで術の束縛を破った直哉は、全力で跳躍して柱の包囲を飛び越え、死地から逃れたのだった。
影縫いのようなややこしい術でなかったのが幸いした。
恐らく、格で言えば影縫いよりも今回の術の方が上なのだろうが、その原理は呪力による力押しでの束縛だ。そういった術を破るのに難しいことは必要ない。同じく単純に、気で力任せに抵抗すればいいのだ。
姉に散々鍛えられているので、気でのゴリ押しには自信がある。むしろ影縫いのような、呪いの側面が強い術を破ることの方が、直哉にとっての難易度は高かった。
何しろ、呪いの質に応じて、気の練り方や、質、意識を変えなければならない。影縫いならいいが、別系統の呪術に根ざした術だったら、また最初から術の解析とそれに応じた錬気をする必要がある。それでは到底、脱出は間に合わなかっただろう。
「まともに食らってたら死んでたな……」
間一髪で逃げおおせたものの、一瞬炙られる程度に受けた炎は、直哉の纏う気の防御を容易く突き破っていた。直撃していたら、命がなかったのは明白だ。
だが幸いにも、火傷は深刻なものではなかった。痛みはあるが、動く分には支障ない。
ふと、直哉は周りを見回した。
昂の姿はない。場所を変えて戦っているのだろうか。探して加勢するか迷うが、ロウとさらわれた生徒たちのいる神楽殿も気になった。
若干の逡巡の後、結局直哉は神楽殿の方向へと足を向けた。




