初めての学園
「おにーちゃん、ちゃんと起きてる?」
扉の向こうから聞こえてきたシアラの声に、ミケチは布団の中で軽く伸びをしながら、わざとらしくぼやく。
「ねてますねてます。シアラのキスじゃないと起きれません〜……」
「……はいはい、バカなおにーちゃんは放っといて行くからね?」
少し呆れたような声が返ってきたが、どこか笑っている気配も混じっていた。
「うそうそ、起きてるって。今日からだもんな」
魔法学院入学の日。いつもと違う緊張感が部屋の空気を少しだけ張りつめさせていた。
眠気を振り払いながらベッドから起き上がると、制服に袖を通し、鏡の前でくしゃっとなった髪をざっと整える。
「よし、こんなもんでいいか」
かばんを肩にかけ、玄関に向かって小走りに進む。
「たまには、迎えに行ってやるか。驚くだろうな」
家族が朝食を囲んでいるリビングをちらりと見て、ミケチは笑顔で声をかける。
「行ってきまーす!」
「いってらっしゃーい」と家族の声が返ってくる中、ミケチは玄関のドアを勢いよく開け放ち、朝の光の中へ駆け出していった。
「おはよ、ノヴァ!」
ノヴァの家の前で声をかけると、扉が開き、ノヴァが顔を出す。
「……珍しいな。ミケチが俺を迎えにくるなんて。いつも寝坊して、俺を待たせてるくせに」
「たまにはいいだろ? 今日は特別なんだから」
ふたりは並んで歩き出す。朝の空気はひんやりとしていて、心地よい緊張感が漂っていた。
やがて見えてきたのは、見慣れたはずの白亜の門と、その奥に広がる荘厳な校舎。
「何度か来てるけど……今日からは、ここが“俺たちの学校”なんだな」
ノヴァが少し緊張した面持ちでつぶやく。
ミケチもうなずき、まぶしそうに空を見上げた。
「うん。やっと始まるって感じがするな」
ふたりは校門をくぐり、中庭を抜けて校舎の入口へと向かう。
「お、あれ……案内板か?」
ノヴァが掲示板を見つけて足を止める。ミケチも近づいて、その内容を一緒に読み込んだ。
「教室、どこだ?」
「んー……ここに書いてあるな。二階の奥っぽいな。あっちだな」
ミケチが指さした方へ、ふたりは歩き出す。
「なんか、改めて入学って感じするよな」
「だな。ちょっと緊張してきたわ」
ふたりは階段を上りながら、小さく息を整えた。
「僕、お手洗いいってから行くね! ノヴァ、先行っててよ」
「わかった! じゃあ、またあとでな」
ノヴァと別れたミケチは廊下を曲がり、お手洗いを済ませて外へ出た。そのとき、ふと一人の女の子が近くに立っているのに気づく。彼女はこちらを見ながら、どこかおずおずとした様子だった。
「……どっかで見たことある顔だなぁ」
ミケチはそう小さく呟き、軽く会釈をして教室に向かおうと視線を逸らしかけた。
その瞬間——
「あ、あの……お、おはようございます!」
女の子が小さな声で、けれどしっかりと呼び止めた。
「おはようございます」
ミケチは少し驚きながらも、自然に挨拶を返す。
「わ、私……オモチといいます。その、妹を助けてくださって……本当に、ありがとうございました!」
震える声で頭を下げる彼女を見て、ミケチはようやく思い出す。
——そうだ。入学試験で第3位だった子。確か、あのときの……。
「い、妹って……」
「チモです。妹、チモから聞きました。誘拐されかけたところを助けてもらったって……まさか、こんな形でお会いするなんて思ってなくて……。昨日、特待生に選ばれてるのを見て、“あっ、この人だ”って……本当にありがとうございました」
「あっ、チモちゃんのお姉ちゃんなんですね!」
ミケチが軽く目を見開いて応じると、オモチは胸に手を当て、小さく息をついた。
「私、チモから話を聞いたとき……思わず泣きそうになるくらいホッとして。あの子、なにもなかったみたいに笑ってたけど、私……もし何かあったらって考えたら、怖くて……。本当に、ありがとうございました」
「……無事でよかった。ほんとに、よかったです」
ミケチの言葉は、短くてもまっすぐだった。オモチはもう一度、深く頭を下げた。
「いえ……こちらこそ。あの、それより……これからは同級生ですし、仲良くしてもらえたら、うれしいです……!」
ミケチはにこっと笑って、自然に手を差し出す。
「あっ、えっ……」
オモチは戸惑ったように目を泳がせた。父親以外の男性と手を握るのは、これが初めてだったのだ。頬をほんのり染めて、目を逸らしながらも、おそるおそる手を差し出す。
「よ、よろしくお願いします……」
そっと手が触れ合い、短い握手が交わされる。
「じゃ……じゃあ、あの……わ、わたし、教室戻りますねっ……!」
顔を真っ赤にしながらも、オモチはひらりと身を翻すと、まるで何かから逃げるように小走りで去っていった。
ミケチはその背中を見送りながら、ほんの少しだけ首をかしげた。
ミケチは教室に入ると、すぐにノヴァの声が飛んできた。
「おそいぞ、ミケチ〜」
「ごめんごめん」
ミケチは笑いながらノヴァのもとへ駆け寄り、その隣の席に腰を下ろした。
教室を見渡しながら、小さく拳を握る。
「僕ももっと強くなって、誰かの明日を変えられるような人になりたいな」
その真っ直ぐな言葉に、隣のノヴァがふっと目を伏せる。
一瞬だけ、感情の読めない笑みが口元に浮かんだ。
「……おう、そうだな。立派な心がけだよ」
「なんか他人事みたいな言い方だな〜、ノヴァってさ」
ミケチがからかうように笑いかけると、ノヴァは肩をすくめる。
「いや、悪い意味じゃねぇよ。お前みたいなのが一人くらいいた方が……バランス取れる、ってだけ」
「……ん? なにそれ意味深じゃない?」
「さあ? 気のせいだろ」
とぼけるように返しつつも、ノヴァの目はどこか遠くを見ていた。
そんな何気ないやり取りを交わしていると——
ガラッ、と勢いよく扉が開き、ヒールの音を軽やかに響かせながら、一人の女性が教壇へと歩いてきた。
「席について〜。朝礼を始めるよ〜」
柔らかく通る声。ふわりと揺れる金髪に、整った顔立ちと笑みを浮かべた表情が印象的な、かわいらしい雰囲気の女性だった。
「おはようございます! 私はクローバー。今日から君たちの担任を務めることになったよ。これから一緒にがんばろうね!」
教室内には自然と拍手が起こる。
クローバーは軽く手を振って続ける。
「みんな緊張してるかもしれないけど、大丈夫。ここではたくさんのことを学んで、いっぱい成長できる場所よ。失敗してもいいし、わからないことがあったら何でも聞いてね。よろしくねっ♪」
そう言ってニコッと笑うと、生徒たちからくすくすと笑いが漏れる。
「さてさて、まずは大事な初日のスケジュールね。特待生じゃない子たちは、先に能力測定をやっちゃいましょう。そのあと、全員そろって入学式があるから、できるだけ早めに済ませたいの」
そして少し間を置き、教室に残る生徒たちへと視線を向ける。
「特待生の6人はここで待っててね。少しのんびりしていて大丈夫だから」
そう言って、クローバーはクラスの半分以上の生徒たちを引き連れ、にこやかに教室を後にした。
「じゃあ、のんびりタイムだね〜。後でまたね!」
ウィズリーが軽く手を振って席へ戻ると、ひとりの少女が立ち上がった。髪の毛先にかすかに光を宿した、不思議な雰囲気の少女——ソヤだった。
「……ねえ、せっかくだし……この六人、名前だけでも言い合わない?」
彼女の声は控えめで、けれどどこか芯がある。
「……名前くらい、言い合わない? べつに仲良くなるためじゃなくて……これから一緒に動くかもしれないし」
教室の空気をそっとやわらげるように、ソヤが小さく言葉を落とした。彼女の声は控えめながらも、どこか芯のある響きを持っていた。
しばしの沈黙ののち——
「じゃあ、僕から」
ミケチが一歩前に出て、明るく名乗る。
「ミケチ。剣はちょっとだけ得意。よろしくね!」
「ノヴァ。一緒に戦うなら、手は抜かないよ」
短くも確かなその言葉に、鋭い意志が宿っていた。
「……くだらん……」
キートは低く吐き捨てるように言って、椅子を引いて立ち上がり、スタスタと廊下へ出ていった。
「ちょ、キート? どこいくの?」
ウィズリーが慌てて声をかける。
「……トイレだ」
「……え、トイレ? 今!?」
ウィズリーはぽかんとした顔でドアの方を見たあと、少し気まずそうに振り返る。
「えっと……みんな、キートがごめんね! 気にしないで! じゃああらためて——
ウィズリーだよっ☆ 明るくて元気で、成績はそこそこ! よろしく〜!」
「……わたし、ソヤ。剣が得意。……一応、よろしく」
目を伏せつつも、はっきりとした声で名乗る。先ほどの一言とは対照的に、意志を込めた挨拶だった。
最後に、ずっと黙っていた小柄な少女が、モジモジと袖を握りしめながら、小さな声でつぶやいた。
「……オモチです。よ、よろしくお願いします……。えっと……回復魔法……ちょっと、得意……で……」
「……あーもう、かわいすぎかっ!」
ウィズリーが思わず身をよじる。
教室には、一瞬だけふわりとやさしい空気が流れた。
だが、誰もが心の底から打ち解けていたわけではなかった。
この中には、すでに魔王軍の幹部として潜り込んでいる者がいる。
それを知る由もないまま——
六人の学園生活が、今、静かに幕を開けた。




