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07:本当の心

 玄関の扉を開けると、少し湿った風が肌を撫でていった。

 今日の天気は曇り。

 昼から雨が降ると、昨夜の天気予報で言っていた気がする。

 傘を持っていった方がいいかもしれない。


 『さわやかな朝』ではないが、眩しくないし、今の私のテンションに合っていてちょうど良い。

 心なしか、ちゃんと巻いたはずのゆるふわカールも萎れて見える。


 昨夜はぐっすりと眠れなかった。

 寝たり起きたりを繰り返していて、頭が痛い。

 これも全部、神楽坂葵のせいだ。

 ……どうせ今日もいるのだろう。

 そう思いながら、玄関のノブを回した。


「黄衣、おはよう」


 ほら、やっぱり。

 いつの通りの穏やかな笑顔があった。

 良かった。


 ……ん?


 『良かった』って、何?

 思わず自分で突っ込んでしまった。

 駄目だ、ちゃんと眠っていないからか、頭がおかしくなっている。

 シャキッとしなきゃ。


 そう思ったところで、奴の足に目が留まり、思い出した。

 昨日は足を捻挫していたが……。


「先輩、足は……」

「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」

「そうですか。心配などしていませんが。……良かったです」


 わざと興味の無い様子で呟き、横を通り過ぎた。

 『一人で行きたいのだ』という自己主張を込めて早足で歩き始めたのだが、奴は何故か嬉しそうな表情を浮かべながら横に並んだ。

 私の意図が伝わらないことも、このニヤけた顔も腹が立つ。


「……はあ」


 この『当然一緒に登校』な感じが嫌だな。

 思わずため息が出た。


「黄衣、お願いがあるんだ」

「お断りします」

「歩くのはなんともないんだけど、今日は逃げる君を、走って追いかけられそうにないんだ。だから、逃げるのは休みにしてくれないか? 今日は、君と過ごすことが多かった金曜日だしね。一緒にいたいんだ」

「……」


 まず人の話を聞けよ、と言いたい。

 一々突っ込むのも疲れたから、言わないけど。


 『金曜日』、ね

 『好感度が上がる日だからだろう』と、思わず言いそうになったが飲み込んだ。

 考えたくない、これ以上暗い気分になりたくない。

 雨が降ってしまう。


「放課後、どこか行かないか?」

「行きません」

「授業が終わったら、迎えに行くよ」

「だから……私の声が聞こえていますか? 耳は正常に機能していますか? 行きませんから!」

「迎えに行くよ」

「……」


 言葉と同時に向けられた、多くの女子が見惚れるこの笑顔は、今はただの脅迫でしかない。

 私の教室は、完全にアウェーになってしまっている。

 迎えに来たこいつを無視すれば、私の好感度がまた下がってしまう。


 あ……でも、男子は応援してくれるだろうか。

 いや、しかし、男子よりも女子友達の方が私には大事だ。

 それにこれ以上、一日中追いかけ回されてそれを無視していたら、いつか女子に刺されそうだ。


「他の休憩時間、そっとしておいてくれるなら、放課後だけはおつきあいしますが……」

「黄衣! する、約束するよ!」

「……今日だけですから」


 昨日、階段落下を庇って貰ったお礼ということで我慢しよう。

 放課後は外に行くだろうし、学校での平穏は守られたと思うことにしよう……うん。




※※※




「平和だなあ」


 天気予報は今のところ外れ、雨は降っていない。

 窓から曇り空を眺めつつ、背伸びをして体を解した。


 午前の授業が終わり、休憩時間が長い『昼休憩』になった。

 奴は約束通り、まだ一度も現れていない。

 久しぶりに、学校で穏やかな時間を過ごせている……と思っていたら。


「……うわあ」


 気を抜いていると、思いがけないところで奴と遭遇してしまった。


 寝不足が原因なのか、頭がぼうっとするので、食後に仮眠をとろうと訪れた裏庭。

 ここには、塗装が少し剥げた鉄製のベンチが置いてある。

 綺麗なベンチではないが、軽く横になるにはちょうどいいのだ。

 それに、ベンチの近くに大きな木があり、適度な木陰が出来る上、人は殆ど来ないので穴場だ。

 天気が微妙な今日は誰もいないと思っていたのに、先客がいた。

 それが奴だった。

 こんなところで何をしているのだろう。

 姿を隠し、こっそりと様子を覗いてみると、熱心に本を読んでいるのが見えた。

 どんな本を読んでいるのか気になり、目を凝らしたが良く見えない。

 恐らく雑誌だと思うが……。


「『好みを理解してくれている』ということは、ポイントが高い。お店選びやプレゼント選びは重要……」


 何かぶつぶつ呟きながら、真剣な様子で目を通している。

 そんな難しい内容の雑誌なのか?


「プレゼント……うーん、注意しなければならないのは、貰った時の気分によっても重たく感じられたり、軽く感じられたり……タイミングも重要か。以前の黄衣たんだったら、可愛いらしい……ポップな女の子らしいものが好きだったけど、今の黄衣たんは、綺麗系でお洒落な物の方が好きそうだなあ」


 聞こえてきた呟きに中に、私に関することがあった?

 というか……私へのプレゼントを、何にするか考えているように聞こえたのだが……。


 わざわざこんな所に隠れて、何やってんの!?

 何故か私が恥ずかしくなってきた、顔が熱くなる。


 違う、これは照れているわけじゃ、喜んでいるわけじゃない。

 また『黄衣たん』なんて、恥ずかしい呼び方をされているからであって……!


「紫織に憧れてるみたいだったし……紫織のオススメを聞いてみようかなあ。アクセサリーは、もう好きじゃ無いのかな……受け取って貰えなかったしなあ。今日もどこに行こうかなあ。難しい……ああ、もうどうすればいいんじゃあああ!」


 『じゃ』!?

 え……実は転生していて、中身はおじいちゃん、とか!?

 若い体になって、ハッスルしてるのだろうか。

 それだったら……許せる気がしてくる。

 デイケアだと思えば、一日くらいデートしてやることもやぶさかではないぞ。

 

 ……などと言っている場合ではなく。

 以前一人で呟いているときもそうだったけど、普段の神楽坂葵とは印象が違う。

 こちらが『本当の神楽坂葵』なのだろうか。


 そう思った瞬間、ハッとした。

 私も、先輩を見ていなかったのではないか。

 奴が本当の私を見ていなかったように、私も、本当の神楽坂葵を見ていなかった?


「司法試験より難しいんじゃないか……!?」


 ……人が真面目に反省しているというのに。

 力が抜けるような台詞が聞こえてきた。

 仮眠は諦めて戻ろう。


「攻略情報がないと、こんなに苦労するなんて……今まで随分楽してたんだな」


 まだ何か呟いているが、どうせくだらないことだろう。

 放課後、逃げたくなってきたかも……。




※※※




 憂鬱なような、そわそわするような、落ち着かない状態のまま迎えた放課後。

 宣言通り、教室まで迎えに来た奴と連れだって学校を出た。


「何処か行きたいところはある?」


 昼間に雑誌を見ていたが、行きたい場所は調べていなかったのだろうか。

 覚醒する前は、こちらから言わなくても、いつも私の好みの場所に連れて行ってくれていたのだが。


「先輩は無いんですか?」

「お、俺は……」


 焦った表情から察するに、どうやら行く当てはないようだ。

 だったら、希望するところがある。


「先輩の好きなところに連れて行ってください」

「え……?」


 神楽坂葵は、恐らく攻略対象の女の子に合わせて、自分を偽っていた。

 私は『頼りになる大人びた年上の男性』がタイプだった。

 だから私には、そういう風に見せていた。

 私も、そういう人だと思っていた。


 昼間、雑誌を見ていた奴を見て思ったこと――。

 やはり、私も神楽坂葵を見ていなかった。

 だから……少し、本当の神楽坂葵を知りたいと思ったのだ。


「先輩が『本当に楽しい』と、『嘘偽りなく好きだ』と言えるところに連れて行ってください」

「……それだと、黄衣はきっと楽しくないよ?」

「構いません」


 私が楽しくない場所なんて、予想が付かないけど、どんなところなのだろう。

 戸惑っている様子だったが、再度『楽しくないよ?』と念を押す声に頷くと、重そうな足取りで進み始めた。

 繋ごうとしてくる手を叩き、後ろを歩いて続いた。




※※※




「ここは……ネットカフェ?」

「一応、知っている中で一番お洒落なところなんだけど……ごめんね」


 辿り着いたのは、駅前のアーケード内にあるネットカフェだった。

 確かに、ネットカフェと言われてイメージするものより、お洒落な内装だ。

 シンプルだし、落ち着いたトーンの配色で英国風だ。

 こういうところあったんだなあ、ちょっとワクワクする。


「ふふ。私一度、来て見たかったんです」

「そ、そうなのか?」


 一度来てみたいと思っていたが、恐らく友達は行きたがらない。

 一人で行くには勇気がいる。

 連れてきて貰って、予想外に嬉しい。


「凄いですね! ドリンク飲み放題なんて! ソフトクリームやフローズンもあるし! よく来るんですか?」


 思っていたよりサービスもいい。

 客の数は少ないけれど、女性の姿は見かけるし、案外居心地も悪くなさそうだ。

 どうしよう、テンションが上がる!


「たまに……。いや、結構来るんだ」


 今、一瞬嘘をつこうとしたな?

 何故なんだ、頻度なんてどうでもいいのに。


「ここで何をするんですか?」

「オンラインゲームもするし、漫画やDVDを見たり。どれにする?」

「私のことは気にせず、先輩がやりたいものを」


 何をすればいいのか分からないし、今日は私が遊ぶことが目的ではない。


「……DVDを見よう。何か見たいのある?」

「じゃあ……」




※※※




「うっ……うわっ……!」

「……先輩、こういうの駄目なんですか?」


 DVDのチョイスも任せようかと思っていたが、目に入ってしまった。

 気になっていた、ゾンビアクションのホラー映画が。

 画面では、主人公がバッサバッサとゾンビを倒している。


「こ、怖くはないんだ! 突然バッと出て来るから吃驚するだろ? それが嫌なんだ」

「へえ」


 興味のない言い訳に、適当に返事を返した。

 私は画面に集中したい。

 だから気が散る鬱陶しい声を出さないで。


 DVDを見る部屋は、個室で狭かった。

 広さは畳一畳分くらいだろうか。

 設備はテレビにソファ、壁にドリンクを置ける小さいテーブルがついているくらいだ。

 二人でソファに腰掛け、並んで見ている。

 ……やっぱり狭い、どうしても肩が当たる。

 最初は近いことを意識して嫌だった。

 映画が進むにつれて、気にならなくなってきたけれど。


「うわっ!」


 今は主人公がゾンビを全て倒し終え、安心していた所に、突如背後からの奇襲にあった場面だ。

 

「だっさ」

「……っ」


 隣の奴は、驚きで肩がビクッと跳ねていた。

 ぷぷっ。

 思わず笑ってしまうと、拗ねたように目を逸らしていた。

 こういう顔、初めて見たな。

 ……ちょっと可愛いかも。


 視線を前に戻すと、主人公が銃で撃ちまくった後、頭を蹴り落としていた。


「蹴り落とすなら最初からそうすればいいのに。撃った分の弾が勿体無いと思いません?」

「……」


 話し掛けたのに、返事がない。

 再び隣に目を向けると、奴は目を瞑っていた。

 さては、見ない作戦をとっているな?


「そんなに怖いなら、見るのやめます?」

「み、見てるよ!」

「見てませんが」

「……見てるよ」


 顔を近づけて確認すると、確かに薄っすら開いていた。

 それ、殆ど見えてないでしょう。

 そんなに無理をして見なくていいのに。


 そこで、ちょっとした悪戯心が湧いた。

 驚かしてやろう。


「わっ!」

「ああぁっ!?」


 肩をガシッと掴むと同時に、耳元で大きな声を出した。

 すると奴はこちらが、こちらが吃驚してしまうほど驚いて、ソファから落ちた。


「ふふっ」


 見開かれた目で、私を見ながら固まっている。

 ソファから落ちた姿は、服も着崩れ、表情も崩れ、間抜けに見える。

 未だ硬直の解けない綺麗な顔を見ていると、我慢出来ず笑ってしまった。


「……黄衣。死ぬかと思ったよ」

「死んだら先輩もゾンビになっちゃえばいいんですよ、ここに参加出来ますよ」

「……全く、黄衣には敵わないな」


 画面を指差しながら笑うと、項垂れながらソファに戻ってきた。

 一度驚いて緊張が解れたのか、妙に緩い表情をしている。

 何故そんなに嬉しそうなのだ。


「黄衣が手を握っててくれたら、怖く無いんだけどな」

「じゃあ、一生怯えててください」


 元気になっているし。

 放っておいて映画見よ。




※※※




「……楽しかった!」

「……やっと終わった」


 約二時間だったが、あっという間だった。

 こういう場所で見るDVDも中々良かった。

 隣でげっそりとしている奴に感謝だ。


「ありがとうございました。良いところを教えて頂きました」

「ど、どういたしまして……」


 また来たいと思う。

 会員登録をして帰ろう。

 リモコンを元の位置に戻しながら感謝を伝えると、奴は疲れていた様子から急に姿勢を正し、やけに真面目な表情でこちらを見た。

 狭いソファで体をこちらに向けられると、足が当たって嫌なのだが。

 真剣な顔をしているので、とりあえず我慢はするけれど。


「黄衣」

「はい?」

「じ、実は俺……本当は、オンラインゲームがしたかったんだ」

「え!?」


 思わず顔を顰めてしまう。

 我慢しなくても良かったと思い、立ち上がった。

 こういうこと、後から言う奴嫌い!

 だったら始めに言えばいいのに!

 私の機嫌が悪くなったのを察知したのか、慌てて話し始めた。

 ソファに戻るように手を引かれたが、ペシッと叩いて返り討ちにしてやった。


「で、でも……! ゲームより、黄衣とこうやって狭い空間で二人きりでいられるなら、こっちが断然いいなと思って……邪な理由だけど」


 確かに最初は近いし、肩も触れるし、意識したけれど。

 そんなことを改めて言われると、恥ずかしくて気まずくなる。


「黄衣が俺の好きなところに行きたいと言ってくれて、凄く嬉しかった。俺に興味を持ってくれたことが、本当に嬉しかった。でも、こんなデートをするなんて、夢にも思ってなかった。格好悪かっただろ……幻滅した?」

「まあ……そうですね」


 格好良かったか悪かったか、どちらかと聞かれたら『悪かった』だろう。

 小洒落ているといえ、ネットカフェだし、ホラー映画にビビってばかりだったし。

 でも……。


「『素敵』とは言い難いですが、今までで一番記憶に残ると思います。楽しかったです」


 知らなかった表情を見ることが出来たし、取り繕って表面だけ完璧なデートより、ずっと有意義な時間を過ごせたと思う。

 だから本当に楽しかった、素直にそう言える。


「黄衣……」


 気のせいか、奴の目は涙ぐんでいるように見えた。

 心細そうにも、安心したようにも見える笑顔で微笑んでいる。

 ……この表情も、初めてみたかも。


「こんなダサいデート、どう考えても失敗なのに……。俺も、今までで一番楽しかった。……『デート』って、きっと喜んでくれるって、いつもわくわくした気持ちで迎えてた。でも今日は、黄衣に喜んでもらえるえか分からなし、不安だった」


 ポツポツと、私に話し掛けているのか、独り言なのか分からない様子で言葉を零している。

 声を掛けるのは野暮に思えて、黙って耳を傾ける。


「でも、この気持ちが大事なんだね。相手の気持ちを考えて……時には失敗して……。そうやってお互いを知っていくんだね」


 そう呟くと、口を閉じた。

 何か考えている様子で俯き、押し黙った。

 私も黙って、その様子を見守った。


「本当の俺を見ようとしてくれてありがとう。これからは俺も、ちゃんと黄衣を見る」


 顔を上げたかと思うと、真っ直ぐな目で、私を見た。

 今まで見た中で一番凛々しくて、綺麗な目だった。

 その姿が輝いて見え、慌てて目を逸らした。


「か、勝手にしてください」

「……ありがとう」


 『別に見なくてもいいんですけどね』と零すと、今度は屈託の無い笑顔を向けられた。


「黄衣って、ツンデレだったんだね」

「はあ?」


 なんだかな……二人でこんな時間を過ごすつもりは無かったのだけれど。

 悪くない時間だったと思えてしまう自分に反抗したくなる。


「あ、そうだ。これも……格好悪いんだけど」


 そう言いながら差し出されたのは、コンビニのナイロン袋に入ったペットボトルのミルクティーだった。


「別に喉は渇いてませんけど?」

「いや、まあ……そうかもしれないけど、なんというか……」


 気まずそうに、何かごにょごにょ呟いている。

 何なのだ、薬でも盛られているのか?


「……なんですか? 怪しい物ならいりません」

「怪しくはない! ただのミルクティーなんだけど」

「だったらなんですか?」


 はっきりしないのは嫌いだ、苛々する。

 ジロリと睨むと、壁の方に視線を向け、私の方を見ずに話し出した。


「黄衣の好きな物をプレゼントしようと思ったんだけど……考えすぎて分からなくなってしまって。自分が知っている好きな物はなんだろうって考えてたら、良くこれを飲んでたのを思い出して……。気づいたら買ってた」


 確かに、私がいつも飲んでいたミルクティーだ。

 今も飲みかけの同じ物が鞄に入っている。


「プレゼントがジュースとか、ありえないから。とりあえず、それはそれで。また、リベンジするから……!」

「そんなもの、いりません。これで十分です。……ありがとうございます」


 雑誌の成果がミルクティーだなんて、ダサい。

 あまりにもダサくて……反抗するのも忘れちゃう。


 神楽坂葵は自己嫌悪に陥ったのか、俯いて凹んでいる。

 私は結構気に入ったんだけどね?






 家に帰り、ミルクティーを飲むため袋から出すと、そこに何か入っていた。

 深い紺色に水色のリボンが付いた小さな巾着で、中には見たことのあるペンダントが入っていた。

 私が神楽坂葵の手から落としてしまった、あのペンダントだ。


 巾着の中には、小さな紙も入っていた。

 そこには……。


『やっぱり、黄衣に似合うと思うから。いらなかったら捨てて』


 そう書かれてあった。


「しつこいなあ。……ふふっ」


 青い石は、やはり私の瞳と同じ色だった。

 そう思うと、捨てられない。

 ペンダントを手に取り、ぶらぶらさせながら眺めた。


「この前は、落としちゃってごめんね?」


 モチーフの部分をツンと突くとブランコのように揺れた。

 揺れ終わるのを待って、自分の部屋の机のアクセサリー掛けに飾った。





※※※






 その日、教育実習生の赤里が教壇に立っていた。

 彼女は最初、やけに私に険しい視線を向けていた。

 睨んでいるというより、何か思い詰めている様子だった。

 だが、授業を進めるうちに、陰は薄れ……。

 次第に生き生きとした様子で教鞭をふるっていた。


 それは良かったのだが……私は何故か集中攻撃を受けた。

 ことあるごとに、問題を解くようにと当てられた。

 ……なんなの。


「鳥井田さん」

「はっ、はい?」


 授業を終え、机の上を片していると赤里に声をかけられた。


「貴方ばかり当ててごめんなさいね。私の……ささやかな嫌がらせなの。これで納得したから」

「はあ……? あ」


 赤里が職員室に戻るために手にしている教科書などの手荷物の一番上にある赤い手帳に目が止まった。

 その表紙、透明なカバーの下には一枚の写真が。

 それは、彼女と恩師の思い出の写真だった。


「私の恩師で、憧れの存在なの」


 赤里が私の視線に気付いたようだ。


「毎日目にして、初心を思い出せるように、手帳に挟んだの」


 写真に落とした眼差しは澄んでいた。

 もしかして……。


「彼も前に進み出したようだし、私も大事なことを忘れて、立ち止まっていたら駄目ね」


 俯きながら零した言葉は聞き取れなかったけれど、穏やかな表情をしている。

 付き物が落ちたような、すっきりとした笑顔を見ると、希望が湧いてきた。

 赤里の目は覚めた、そう思えてきた。


「今日答えられなかったところは、ちゃんと復習してくるように!」


 『先生』の顔をした赤里は、足取り軽く去って行った。



 



 そして休憩時間。


「ちょっと顔かしなさい!」

「ええ!?」


 わけも分からず引っ張られ、連れて来られたのは、実習棟にあるひと気の無いトイレ。

 誘拐犯は翠だった。

 上級生からトイレに呼び出し!?

 ど、どうしよう……シメられる!


「あんたって本当に嫌な女! ちゃっかり抜け駆けしちゃってさあ!」


 何の話なんだろう?

 壁に追いやられ、ドンと手を突かれた。

 何気にこれ、壁ドンだし!

 全くときめかないけど!


「聞いてるの!?」

「はっ、はい!」

「全く、こんな子のどこがいいのよ……」

「?」


 何のことか分からないが、貶されていることは分かるので、顔を顰めてしまう。


「『ちゃんと向き合いたい』か」

 

 眉毛を吊り上げていた翠だったが、ぽつりと何か呟いた後、息を一吐きしながら私を見た。

 すると、翠を覆っていた淀んだ空気が急に晴れ……。

 私から離れ、モデルのような腰に手をあてたポーズで微笑んだ。


「仕方ないわよね……完敗だわ! あんなこと言わせるほど、惚れさせちゃったんだから。……私も、目を背けちゃいけないことがあったのを思い出したわ」

「あの?」


 赤里の時もそうだったが、何かを受け入れている様子だった。


「逃げちゃだめよね。全部分かってたの。自分が成すべきことも……葵のことも。本当はあんたのこと、ひっぱたいてやりたいけど」

「!?」


 ひっぱたくって言いました?

 あれ、私……やっぱりピンチなのでしょうか!


「今度一緒にお茶しよ! 葵を落とした技を、是非教えてね?」

「何の話をされてます?」


 会話が成り立たないまま、翠は去って行った。

 よく分からないけど、お茶の約束もしたし、仲良くなれた……?

 だから、なんなの!?

 よく分からないけれど……翠が何か吹っ切れたことは分かった。

 彼女も目が覚めたのだろうか。


 トイレから脱出し、教室へ向かっていると、今度は女神紫織様に呼び止められた。

 これ、何かのイベント!?


「まんまとしてやらたわ。あれは作戦だったのね? ……なんてね」

「あの……?」

「この前貴方が言ったことが本心だということは、何と無く感じたわ。だから納得したの。むしろあれが作戦なら、敵ながら天晴れよ。でも貴方はそんなに、お利口なタイプではないでしょう?」


 口元を隠しながらクスクスと笑う姿は、何度見ても優雅で綺麗だが……もしかして私、笑われてます?


「……そういう運命だった、ということでしょう。私は私の成すべきことをするわ。大事な人達と一緒にね」

「……はい!」


 よく分からないこと続きだが、紫織先輩に良い兆しがあったことは間違いない。

 ペンダントが、前回会ったときよりも輝いて見えた。

 それにやはり紫織様は美しい。

 うっとりしながら、去って行く姿を見送った。


 ……でも、本当になんなの?

 こんなに立て続けに、攻略対象者に声を掛けられるなんて……。

 神楽坂葵が何かやらかしたのだろうか。


 その答えは、その日の放課後に分かった。


「黄衣」


 誰もいなくなった教室で、帰る身支度をしていると、後方のドアが開いた。

 なんとなく、今日は現れる予感がしていた。

 『今日は』と言っても、結局は毎日現れているけど。

 ただ、いつもとは違う『何か』があるような予感がしていた。


 神楽坂葵の、いつもより覇気のある呼び声が聞こえ、振り返ると……。


「ど、どうしたんですかそれ!」


 整った綺麗な顔の両頬が、赤くなっていた。

 微かに手形のようなものがついている。


「あれ、まだ赤いかな? ま、まあ、気にしないで」

「はあ……」


 気にしないでと言われても、話していると視界に入るから気になりますけど!

 攻略対象者達が代わる代わるやって来て、謎の言葉を残して行ったのは何か関係しているのだろうか。


「俺が仲良くしたい女の子は、黄衣だけなんだ。だから……ちゃんとしてきた」

「ちゃんと……?」

「黄衣、聞いて欲しい」


 やけに真剣な目をこちらに向けてくるかと思いきや、両手を掴まれた。

 え? 改まって何?


「本当の俺は、地味で、田舎者で、要領が悪くて、冴えないダサい奴なんだ。だから……調子に乗ってたんだ。周りを見ず、人の気持ちを考えず、自分が楽しくなることばかり優先して……。でも、黄衣に拒絶されて、気が付いた。今の愚かな自分と、本当の自分に」


 もしかすると『本当の俺』というのは、前世のことだろうか。

 私が知る限り、今の神楽坂葵は田舎育ちではないし、外見はダサいとは思えない。

 要領が悪いという印象も無い。


 度々俯きながらも必死に伝えようとしている姿は、懺悔しているようにも見える。


「自分と向き合うようになって、黄衣のことをよく考えるようになったんだ。やっぱり、黄衣が笑うと嬉しい。もっと欲しくなるんだ、全然足りない。でも……俺には、笑ってくれなくなった。なのに、他の男に見せたりしている。それが我慢ならない。黄衣の笑顔を独占したい」


 握っている両手に力が入っている、熱い。

 緊張しているのか、微かな振動が伝わってくる。


「……黄衣が好きだ。黄衣に俺を見て欲しい。だから……お、俺がと付き合ってください!」

「……」


 ……これは、『告白』というものだろうか。

 男女交際の申し込み申請である、あの『告白』……。

 以前私が、神楽坂葵にしようとした『告白』だよね?


 ……なんで?


 あんなに冷たい言葉を吐いたのに。

 私は全く可愛くなかったはず……。

 わけも分からず、きょとんとしながら奴をみると、さっきよりも全体的に赤くした顔で私を見ていた。

 冗談を言っている様子はなさそうだ。

 本気で、私に告白してるの?


 もしかして、私に告白するという話を、他の攻略対象者に話したのだろうか。

 それで彼女達は、私のところにやってきたのだろうか。

 そんなことをするなんて……それだけ真剣だということ?

 ハーレムを捨てて、私を選んでくれたということなの?


 そう思った瞬間、体温が一気に上昇するのを感じた。

 顔も熱いし、胸にも熱いものが込み上げてきた。


 まさか……私、喜んじゃっている?


 私が停止してしまっている間も、真剣な眼差しはこちらに向けられている。

 正直逃げたい。

 なんでこんなことになったのか理解出来ない。

 でも……。


 逃げちゃ駄目だ。

 神楽坂葵が、ここまでやったのだ。

 いや、もしかしたら裏があるかもしれない、私が今考えていることは、そうあって欲しいという願望が目を曇らせているのかもしれないが……。


 『今度は信じられる』そう思った。

 間違った判断の可能性もあるけれど、私は信じられる、そう思ったから……私も向き合おう。

 ちゃんと言おう、自分の気持ちを。


 ……緊張する。

 ツインテールを揺らしながら告白しようとした、あの時よりも。

 大きく息を吸い込み、呼吸を整えて口を開いた。

 

「お断りします」


 今度は、先輩が固まる番だった。


「………………え」


 目がさっきよりも見開かれた。

 予想外の言葉だったのだろうか。

 その目を見ながら、言葉を続ける。

 はっきりと言わなければならない。


「私は、まだ貴方のことを信用していません」


 握られた手をゆっくりと解き、離した。

 体も距離開けようと、一歩下がろうとしていると、ガシッと両腕を掴まれた。


「黄衣が、俺がわざと女の子達に期待させるような態度をとっていたことに気づいていたことは分かってる。だから……黄衣が好きだから、そういうのはやめるって話をしてきたから……!」


 焦ったような必死な表情が目の前に映る。

 言いたいことは分かるし、それは分かっている。

 分かった上での返事だ。


「私が信用していないのは、そういうことではありません。もちろん、それも大事ですけど……」


 私の言葉を、一つも聞き漏らさないようにしているのか、腕を掴んでいる手の力も増しているし、距離も近くなっている気がする。


「そもそも、私は本当の先輩のことを、あまり知らないんです。そんな人と付き合うなんて出来ません。だから……。あなたのことを教えてください。私のことも知ってください。話はそれからです」


 正直に言うと、もう憎しみは殆どない。

 くすぶった怒りは残っているけれど、それを押さえる好感が今はある。

 でも……だからといってすぐに、胸に飛び込むなんてことは出来ない。


 これもきっと『意地』だ。

 意地っ張りな私の意地。

 すぐには攻略されてなんかやらない。

 ある意味、復讐だ。


「黄衣……」

「お互いのことがもう少し見えるようになって、それでも私を好きだと思ってくれたのなら……。その時は、もう一度さっきの言葉を聞かせてください。もちろん、どう返事するかは分かりませんが……。出来るものなら、私を攻略してみてください」


 『やれるものならやってみろ』

 言葉にはしないけれど、ニヤリと笑った笑顔にそれを込めた。


 先輩は私を見て固まっていた。

 言葉が出ないのか、空白の時間が流れた。


「……分かった。それまでに、レベルを上げておくよ」


 私の意思は伝わったのだろうか。

 神楽坂葵も綺麗な顔を、強気に綻ばせていた。

 少し寂しそうにも見えたけど。

 これでいいと思う。

 私達は、羽が落ちてきたあの日から、最初からやり直そう。




※※※




 開け放たれた窓から、暖かい日差しと柔らかい風が差し込んだ穏やかな教室。

 人の姿は無い、私一人だ。


 今日は金曜日。

 ゲームであれば、私の好感度が上がる日……なんてことを、一年前はよく考えていたなあ。

 今は私も二年生になり、『先輩』と呼ばれるようになった。

 あと一年もすれば、『先輩』と呼ぶ人たちも卒業していなくなってしまう。

 ……葵先輩も卒業かあ。


「ふぁあ。遅い」


 今日はネットカフェで、映画を見る約束をしている。

 楽しみにしているホラー映画を早く見たいのに、何をしているのだろう。


「……また驚かせてやる」


 情けなく飛び跳ねる姿を想像すると笑いが込み上げてくる。


 それにしても、良い天気だ。

 絶好のお昼寝日和ともいえる。

 ああ、気持ちいいなあ……寝ちゃう。


 そう思った時には遅かった。




 ……寝てしまった。


 あまり時間は経っていないような気がするが、瞼が重い。

 なんだろう、心地良い感触がある、髪を撫でられている?


 先輩かな?

 意識ははっきりとしてきたが、なんとなく寝たふりを続けた。


 髪をといている。

 真ん中で分け、左右をそれぞれ束ねて……って。


「……先輩、何をしているのでしょうか」

「!? 黄衣、起きてたのか……こ、これはその……」

「ふんっ」

「ああっ!」


 器用に纏められたツインテールを両手で一気に外した。

 油断も隙も無い。


 先輩に告白され、それを断ってから一年。

 関係に変化はない。

 だが、先輩の化けの皮は少しはがれ、今では私をツインテールにしようとするストーカーのような変態に仕上がりつつある。


「黄衣、お願いがあるんだ」

「なんですか?」

「一度でいいから、もう一度ツインテール……」

「絶対嫌」


 そんなにツインテールが好きか。

 ツインテールなら誰でもいいのか!

 ツインテールじゃなきゃ私は可愛くないのか!

 失礼な奴だ、絶対ツインテールなんてしない。


「……もうそろそろ、いいんだけどなあ」

「黄衣?」

「なんでもないです、行きましょう」


 何とは言わないが、自分で言ったことを少し後悔することもある。

 私は意地っ張りだけど、せっかちでもあるということを忘れていた。


 腹が立つ。

 今日はいつもより虐めてやろう。


「今日の映画はホラーだし、スプラッター要素があって刺激的ですよ」

「スプラッター!? きょ、今日はちょっと話があって……それは今度にして貰えないか?」

「そんなことを言って、持ち越して無かったことにしようとしても駄目ですよ」

「違うんだ、本当に話があって! 流石にスプラッターを見ながらする話では……ムードどころじゃなくなるっていうか……」






 主人公と攻略対象者が結ばれたら、それは『システム』なのだろうか。

 『システム』とはなんなのだろうか。

 運命?

 必然?


「そんなことはどうでもいい。自分が幸せと感じていれば」


 『運命の羽』は、気が付かないうちに、全ての恋人達のもとに舞い降りているのかもしれない。





※※※






 休憩時間で騒々しかった教室が、扉が開いたことでタイプの違うざわめきに変わった。

 扉を開けたのはこの学校で一番のイケメン、女子の憧れ、野郎の敵、二年生の神楽坂葵だ。

 耳に届く不快なざわめきは女子の黄色い声。


「……はあ。きいちゃんと神楽坂先輩、仲直りしたみたいだな」

「短い夢だったな」

「うるせえ」


 視線の先には、金の髪をふんわりと巻いた蒼い目の美少女がいる。

 神楽坂葵に手招きされ、チョコチョコと駆け寄った愛らしい姿を見ると、胸が痛くなった。


 彼女の周りだけ空気が違う。

 女子の輪の中にいても埋もれることの無い輝きを放っている。

 他の女子に言うと『お前が言うな』と殴られそうだけれど……周りは完全にモブ。

 彼女は間違いなくヒロインだ。

 やっぱり、ヒロインは主人公(ヒーロー)とくっつくものなのか。


「所詮お前はモブなんだよ。モブとヒロインはゴールインしないものさ。『モブな俺がヒロインのあの子と!?』なんて、それはモブの仮面を被ったただの主人公なんだ。だがお前はただのモブだ。正真正銘のモブだ。だから当然の結果なのさ」

「お前だってただのメガネモブだろう!」


 センチメンタルな気分に浸っているオレに、無粋な茶々を入れてくるのは長い付き合いの友人だ。

 こいつもオレと同じタイプの人間だ。

 オレ達は、視界に入っていても認識されない、透明な空気のような存在だ。


「おいおい、ただの無印モブの君と、メガネモブの僕を一緒にしないでくれたまえ」

「一緒だろ」


 こいつのしゃべり方や動作は、何をリスペクトしているのか知らないが、一々白々しくて癇に障る。


「何をいう。『メガネ』という枕詞がつくことで、僕のアイデンティティを全て表現出来ている。『モブ』と聞いても、誰のことか分からないが、『メガネモブ』と言うと、このクラスでは僕のことだと分かる。この差は歴然だ」

「メガネは枕詞でもないし、メガネがお前の全てなのかよ。ってか、クラス全員がメガネだったら、お前のアイデンティティは消えるわけだ?」

「はっは! そんなクラスあるわけないだろう。あるなら拝んで見たいものだね!」

「……お前と話してるとやっぱ苛々するよ」


 これ以上余計なストレスは受けたくない。

 眼鏡が全ての可哀想な友人から視線を外し、机に突っ伏した。


「伊藤君」


 誰かに名前を呼ばれたので、頭を横に向けた。

 倒れた視界にスカートが見えた。

 視線だけを上に向けると、それはクラスメイトの金木さん、学級委員をしている女子だった。

 銀縁眼鏡をかけていて、頭が良さそうな雰囲気を醸し出している。

 実際にそうで、クラスではトップの成績だ。

 見た目は眼鏡だし、長い黒髪を二つに分けて三つ編みにしているという地味な感じだ。


「これ、先生から預かってきたの」


 上半身を慌てて起こし、お礼を言いつつ一枚のプリントを受け取った。

 どうやら提出したプリントに不備があったようで、訂正箇所に付箋が貼ってあった。

 後で直そうとプリントを折っていると、視界の端で主人公とヒロインが、連れだって何処かに行く光景が映った。


「はあ、きいちゃん……」


 神様は残酷だ。

 夢を見せてれたと思いきや、一瞬で絶望に早変わりだ。

 あんなに手広く女子と交遊していた神楽坂葵が、きいちゃん一本に絞るという最悪の結果になるなんて……。

 主人公の本気に、モブが勝てる分けが無い。


「伊藤君も、やっぱり鳥井田さんみたいな可愛い子が好きなの?」

「……相手にされないけどね」


 オレの心の悲鳴が金木さんに届いてしまっていたようだ。

 本音がダダ漏れでも、恥ずかしさすら沸かない。

 もう乾いた笑いしか出てこない。


「でも、よく話していたでしょう?」

「少しの間だけだったけどね」


 葵坂葵から逃げていたところを助けたあの日。

 勢いで告白しようとしたけれど、相手にされず、終いには置いて行かれた。

 翌日謝ってくれたけど、あれからまともに話をしていない。

 挨拶を交わすくらいだ。

 まだ『英君』と呼んでくれていることだけが救いだ。

 他の男子は、彼女に下の名前で呼ばれることなんてないので、かなり羨ましがられる。

 オレの唯一の自慢だ。

 でも……所詮、そこまでだ。

 彼女の『特別な存在』になんか、なれっこない。


「オレみたいなのは釣り合わないよなあ、何の取り柄もないし」


 凹む。

 神様、モブから主人公に進化できる方法を教えてください。

 『皆の主人公』じゃなくていいんだ、そんな贅沢は言わない。

 一人の女の子にとっての主人公になれたら、それでいいんだ。


「そんなことないよ!」


 金木さんが急に大きな声を出し、友人と二人、目を丸くした。

 どうしたのだろう。

 目が合うと、気まずそうに視線を逸らされた。


「伊藤君にも、良いところはいっぱいあると思うの。この前も……掃除を断れない私の代わりに、言ってくれたし」


 ジーッと見ていると、口籠もりながら、今の言葉の理由を話してくれた。


 『この前』?

 パッとは思い浮かばず、記憶を掘り返す。

 あー……『掃除』か、あったな。


 あれは確か……金木さんが教室清掃当番だった日のこと。

 机の上を片し、帰宅するべく席を立ったところ、掃除道具入れの前で何か揉めているのが目に入った。

 揉め事に関わるつもりは無かったので、通り過ぎながらだが野次馬根性で耳を傾けると、会話が聞こえてきた。


『ねえ、お願い! 私達今日は早く帰りたいの!』

『でも、流石に一人じゃ……』


 掃除道具入れ前での会話だし、すぐに察することが出来た。

 当番のメンバーである他の女子三人が、金木さん一人に押しつけ、遊びに行こうとしていたのだ。


『それはないんじゃない?』


 関わるつもりは無かったのに、思わず足を止め、声を出してしまった。

 四人でやればすぐ終わることなのに、一人に任せて自分達は遊びに行こうだなんてあんまりだ。


『は?』


 だが、三人の女子の冷たい視線を浴びて、声を出してしまったことを後悔した。

 一瞬で三人に囲まれ、格好つけるなと文句を言われ……あっけなく敗北。

 女子の口撃力に、オレなんかが敵うはずがないのだ。


「結局、三人とも遊びに行っちゃったけどな」

「安定のがっかり感、天晴れ」

「うるせえ」


 お前の苛々を煽る能力もぶれないな。

 視線で抗議すると、更に苛々を掻き立てる笑み返してきやがった。

 そろそろ殴るぞ、眼鏡割るぞ。

 

「でもその後、手伝ってくれたでしょ?」

「それはまあ……」


 力になれなかったから、手伝いくらいはしようと、一緒に掃除をした。

 逆に言うと、それしか出来なかった。

 ……オレ、残念。


「私、凄く嬉しかった。伊藤君は優しいし、そういう男の子って……素敵だと思うの」


 そう言うと、金木さんは自分の席に戻って行った。

 その様子を、オレは黙って見守った。

 す、素敵?


 俯きながら座る彼女の横顔を見ていると、束ねた髪の間から見える耳が赤く染まっていた。

 それが分かった瞬間、自分の耳も熱を持ったのが分かった。


「……無印モブのくせに、生意気な」

「う、うっせー」


 もう一度ちらりと金木さんの横顔を盗み見た。

 色白で、綺麗な肌だ。

 あの銀縁眼鏡をとって、コンタクトにして、髪を解いたら、凄く可愛くなりそうだ。

 あれ、金木さんってこんなに可愛かったっけ……?


 気づけば、あんなに落ち込んでいたのに、今はなんともない。

 きいちゃんが教室に戻ってきていたことにも気が付かなかった。

 ヒロインに気づかないなんて、オレはおかしくなったのか?


 『ヒロイン』、か。

 ヒロインってなんだろう。

 人目を引く、外見が良い子?

 物語になりそうな行動をする、躍動感のある日常を過ごしている子?


 もう一度金木さんを見た。


 はっきりとは分からないけど……何かを掴んだような、分かった気がする。


「やっぱりオレも、主人公なんだよ。お前もメガネモブなんかじゃない」

「なんだ? 急に悟りを開くとは。ちょっと褒められたくらいで、賢者にでもなったつもりか? 調子に乗るなよ。これだからモブは」

「はいはい」


 神様、さっきの『主人公になりたい』っていうのは取り消します。

 必要ないみたいです。

 モブで主人公なオレの毎日は、オレなりの躍動があって面白いです。

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