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6/6

第六章 投入

 深夜。

 二時を回った。

 無狂はホテルの部屋にいた。

 窓を開けている。

 遠くでサイレンが鳴った。

 テーブルの上にはウェブカメラ。

 ポン引きのヤスが青ざめた顔で立っている。

 足元に男が二人、ころがっていた。

 佐々の部下だ。

 既に死んでいた。

 金塊の入ったバッグ。

 現金が詰まったスーツケース。

 雑賀はどこかホッとした表情で見守っている。

 無狂は椅子に座っていた。

 ライブ配信の調整中。

 テーブルを挟んだ反対側。

 拘束された篠田がいた。

 猿轡を噛まされたまま、荒く息をついている。

 顔は傷だらけだ。

 顔だけではない。

 破れた服の下も。

 満身創痍。

 息をしているだけ他の二人よりマシだ。

 窓からぬるい風が入ってくる。

 そんなものでは微動だにしない。

 部屋にこもった湿気と熱気。

 傷ついた俘囚の絶望は。

 倉庫街に近い。

 運河が見える。

 街灯の明かりが反映して。

 夜でも窓辺は薄っすらと明るい。

「さてと」

 無狂が言った。

「始めよう」

 殺しの生中継が始まった。

 夏の夜は長い。

 ---

 夕方。

 こんな会話があった。

「鳳凰は殺す」

 無狂は言った。

「こいつは」

 縛られた篠田を指した。

「まだ生かしとく」

 部屋に突入する前のことだ。

 数分後。

 二人の男が死に、荷物は戻った。

 それで十分だ。

 雑賀にとっては。

「さっさとズラがりましょうぜ」

「まだだ」

 無狂が言った。

 ヤスは怪訝な顔をする。

「どうするんです?」

「もうやってる」

「何を?」

「準備だ。みんなに同じものを見せる」

「同じもの?」

「敵だよ」

 無狂が答えた。

「あるいは脅威」

「敵がいると思わせる?」

「いるんだよ」

「誰?」

 無狂は笑った。

「それを決めるのは俺じゃない」

「へ?」

「殺しを見た全員だ」

 人ひとりの命はちっぽけなものだ。

 だがそれなりに使い道はある。

 篠田は案件屋だ。

 陣営を問わず手広くやってた。

 篠田を嬲り殺す。

 見た奴らはどう思うかな。

 誰が敵で、誰が味方か。

 自分を殺そうとしているのは誰なのか。

 裏切り者がいるんじゃないか。

 そういう事を考える。

 殺しってものはな。

 自分で殺す時は夢中だが、他人が殺すのを見せられると平常でいられない。

 そういうもんだ。

 無狂はカメラを引っ張り出す。

 機器一式。

 拷問器具、ではない。

 美しい凶器のコレクション。

 そして小さな紙袋。

 無狂は袋を開けた。

 中から黒いプラスチックのケースを取り出す。

 蓋を開ける。

 小さな錠剤が並んでいた。

 無狂は一粒つまんだ。

 口に入れない。

 指先で転がす。

「強力な鎮痛剤」

 篠田に飲ませる。

 じゃないと痛みですぐ死んでしまう。

 気を失われてもつまらない。

 ライブ配信は見世物だ。

 時間と刺激のバランス。

 見世物の、そいつが肝だ。

「そんなもんですかね」

 無狂は何も言わない。

 窓の外を見る。

 空。

 黄昏。

 逆光のビル群。

 どこかで誰かが誰かを疑っている。

 誰かが誰かを殺す。

 その理由を、考える。

 無狂は笑った。

「人間って便利だな」

 蝉はもう鳴いてくれなかった。

 代わりに、遠くで犬が一度だけ吠えた。

 そして、また静かになった。

 ---

 篠田の死の生配信。

 携帯で見た。

 火が点いたまま、煙草が落ちた。

 カーペットに落ちた灰の上に。

 篠田が吐いた?

 血の気が引いた。

 荷物はどうなった。

 連絡がない。

 あいつらは何をやってる?

 もしかして。

 殺られた?

 まさか。

 三人も揃っていて。

 確認しなければ。

 自分からかける勇気はなかった。

 携帯を握りしめた。

 画面から、血が噴き出すようだ。

 目が離せなかった。

 佐々は震えた。

 ---

 路地を抜け、古びた看板の下へ。

 裏口から滑り込む。

 昔ながらの連れ込み宿。

 誰もいない。

 誰もいないように、見せかけている。

 千子は現金を置き、木札を取る。

 二階のいちばん奥の部屋へ入った。

 ドアを閉める。

 鍵をかける。

 畳の部屋に一組の布団が敷いてある。

 二人とも、しばらく息を殺していた。

 遠くで通り過ぎる車の音。

 それが消えるともう音はしない。

 外をうかがう。

 人の気配はなかった。

 翠が震えている。

「怖い?」

 千子が聞く。

 翠は答えなかった。

 ただ、千子の服を握っている。

「大丈夫」

 千子は言った。

「ここには来ない」

「……ほんと?」

「ほんと」

 けれど。

 千子自身にも、その言葉を信じる根拠はなかった。

 古い部屋。

 煙草の匂いが染み付いている。

 安っぽいドア。

 ガタつく窓。

 セキュリティは甘い。

 が、誰か来たらすぐに分かる。

 気休めだ。

 翠は布団の端に座ったまま、まだ震えている。

「服を脱いで」

 言う通りにした。

「中へお入り」

 翠はそうした。

 千子は何も言わず、その隣に入った。

 そして。

 怖がる翠を胸に抱いた。

 翠の額が胸元に触れる。

 全身が小刻みに震えていた。

「眠っていいよ」

 千子が囁く。

「私がいるから」

 翠は目を閉じた。

 千子は腕に力を込めた。

 外では。

 また車が一台走り去っていった。

 さっきより遠い。

 二人は。

 その音が消えるのを待ちながら。

 抱き合ったまま眠った。

 ---

 窓が閉まっている。

 防音だ。

 窓の外は隣のビルの壁。

 カーテンはいらない。

 部屋は暗い。

 広くはない。

 冷房が効いていた。

 男が三人。

 ベッドの上に女が一人。

 エリが捕まっていた。

 部下が女を詰問した。

 風間は黙って眺めていた。

「香取千子はどこへ行った」

「知らん」

「心当たりは」

「知らん言うとるやないか」

「いつも一番近くにいただろうが」

「プライベート話すほど、千子さん、そないな気安い人やない」

「隠れ家の当てはあるんだろ。てめえらみたいな女には」

 男が言った。

「いつだって逃げ場を確保しとく必要がある」

「どうやろ」

「話してみろよ」

「うちはそんな安い女ちゃう」

 エリが答える。

「他を当たってくれんか」

「そんな強気でいいのか。体に聞いてやってもいいんだ」

「脅しかいな」

「脅しで済めばいいがな。喋らせる手はいくらでもある」

「話すことなんて、なんもあらへん」

「本当か」

「知らんもん、よう喋らん」

「おい、いい加減にしろ」

 隣りにいた男が業を煮やした。

「減らず口を叩かせるな」

 輝人は苦笑いだった。

「橋下、おまえはいつも口だけだ。全然怖くねえんだよ」

 男は首をふる。

「そんなんじゃ幼稚園児だって口を割らねえぞ」

 ヤクザってのは短気なんだよ。

 そいつを。

 思い知らさねえとな。

 何が聞きたいか。

 口にするまでに三十回。

 殴ってねえと話にならねえ。

 俺だったらとっくに女の顔が変わってる。

 遠山が畳み掛ける。

「威勢がいいのは結構だが」

 風間輝人はゆっくりと立ち上がった。

 ベッドの女に近づいた。

「おまえは商売女だ。金を払えば何でもするだろ」

「抱かれるのは商売やけど、喋るのんは違う」

「じゃあ抱かれてみるか」

 風間はエリの喉首に手を伸ばし、頸動脈をまさぐった。

 エリが顔を引いた。

 風間はすぐに拳を固めた。

「そないなこと、せんといて」

 加減もなしに、鼻っ柱をぶん殴る。

 声も立てずのけぞったエリの鼻から血がたれた。

「やめて。そういうの、

 エリはかすれ声を漏らした。

「好きやない」

 なんとか言い切った。

「あ」

 気が遠くなった。

 そのままベッドに倒れた

 風間はエリの上に跨がった。

「金は払ってやる。どうだ?」

 エリはうめいた。

「お客さん、やめてくれんか」

 それでも気丈に反応した。

「首しめは禁止や。暴力は一切あかん。あんたみたいな乱暴者はキスもお断りや」

「そうか」

 もう一発。

 頬骨が赤くなる。

 すぐに腫れて、何日も痣が残るだろう。

「高級ぶった鳳凰の女がどんなもんか試してやる」

 風間の携帯が鳴った。

「出とけ」

 橋下に命じた。

「相手は」

「また不明です」

「例のやつか。写真か。動画か」

「えっと、これです」

 橋下が携帯を渡した。

「ライブ中継のようです。篠田ですかね、縛られてるの」

「案件屋か」

「そうです」

「おっと、こいつは」

 今しも。

 画面に血が噴き出した。

「面白い」

 輝人は携帯の画面をエリに見せた。

 エリの顔が真っ青になった。

「ウチは、ほんまに何も知らんのや」

 女は絶え絶えに言った。

 ワンテイク・トゥー・ダイ。

 無狂の殺人ライブ。

 胸糞悪い見世物が続く中。

 エリは犯された。

 泣いてはあかん。

 泣いたら男が喜びよる。

 それだけは嫌や。

 エリは呻きを呑み込んだ。。

 恐怖を押し殺して快楽を演じた。

「絶倫やね」

 エリは言った。

「まいったわ」

「商売女は口が達者だな」

 男は軽口を叩いた。

 男たちは疲れを知らない。

 溢れる血が奮い立たせるのか。

 代わる代わる女を犯した。

 ---

 明け方。

 後始末を終えて三十分後。

 無狂は部屋を出た。

 心地よい疲労感。

 眠気は払拭できない。

 エレベーターの鏡に自分の姿が映った。

 無狂は笑った。

 エレベーターが一階に着く。

 ドアが開く。

 淀んだ空気。

 風はない。

 それでも。

 夏の夜明けだ。

 爽快な気分になってもいい。

 無狂は運河の匂いを嗅いだ。

 見回した。

 街は眠らない。

 目覚めることもない。

 混沌。

 ただそれだけ。

 静寂を噛み締めた。

 空を仰いだ。

 また暑くなる。

 今日の一歩を踏み出した。

 ---

 男はその場に留まって見張っていた。

 生き残るには状況判断が必要だ。

 一足早く。

 雑賀が車に乗り込むのを見た。

 金塊と現金をかかえていた。

 迎えに来た手下が四人。

 車は二台。

 ヤスが路地からワゴン車を出す。

 裏口につける。

 非常階段の下。

 死体袋が三つ。

 ゴミ袋が一つ。

 協力して手早く積み込む。

 細かな気配りはポン引きの習性。

 こんな作業にうってつけだ。

 あたりを警戒しながら出発した。

 それから、男は無狂を見た。

 恐怖で寒気がした。

 ---

 浮田は佐々の子飼いの部下だった。

 隠れ家のホテルの部屋をでた。

 食料の買い出しだ。

 帰途、男はたまたま見かけた。

 篠田を連れた無狂の一行。

 慌てて身を隠した。

 物陰から伺った。

 案の定。

 ホテルに入った。

 見てしまったら、行けなかった。

 相手は無狂だ。

 殺される。

 逃げたからには戻れなかった。

 佐々は金長流を裏切った。

 その佐々を俺は裏切った。

 ダブルの裏切り者。

 もうどこにも戻れない。

 強奪がバレたからには陸山だって許さない。

 臆病者。

 卑怯者。

 逃亡者。

 浮田は朝の光の中で深々とため息をついた。

 運が悪かった。

 この業界、運がない奴はとことん運がない。

 そういう奴はすぐどん底に落ちる。

 さもなければ死ぬ。

 死体袋に収まった連中がそうだ。

 どん底でも生きている方がいい。

 死ぬよりは全然マシだ。

 無狂にだって見つからなかった。

 俺は運がいい。

 浮田はゆっくり後退りした。

 その場から姿を消した。

 ---

 連れ込み宿の和室。

 窓は暗い。

 ビルの谷間だ。

 朝の光は届かない。

 携帯に着信。

 千子は目を開ける。

 翠は眠っている。

 穏やかな寝息を立てていた。

 千子もつられて「ふーっ」と大きく息を吐いた。

「真人」

 先に声を出す。

「無事ですか」

「はい」

「よかった。何よりです」

「冗談でしょ」

 千子は言った。

「店がなくったわ」

 返事はない。

「びっくりした?」

 千子は言った。

 真人が絶句したのがわかって、少し嬉しかった。。

「ごめんなさい。冗談を言う相手がいなくって」

「ご愁傷さま」

「笑い事じゃないのはわかってる」

 千子が言う。

「でもね」

「そうですね。弱みは見せたくない」

「誰が襲ったか知っているの?」

「社長です」

「なんで風間が」

「あなたを捕まえるため」

「私を?」

 千子は意外に思った。

「捕まえてどうするつもりなのかしら」

「あいにく目的までは」

「人質。あなたに言うことを聞かせようとして」

「命令には逆らいませんよ。そんなことをしなくても」

 真人が言った。

「逆効果です」

「そうなの」

「ええ」

「意外ね」

「社長は変人ですがバカじゃありません」

「あなたのことよ」

「私が意外、ですか」

「そうよ」

「自分のことはよくわからない」

「でしょうね」

「そこは安全ですか」

「いまのところ」

 千子は答えた。

「場所は言わないわ」

「その方がいい。俺は監視されてます」

「通話は」

「見張りの目をかすめて」

「大丈夫なの?」

「リスクはあります」

 監視がいる。

 部下も失った。

 動こうにも動けない。

 ただ話をするだけだ。

 慰めにもならない。

 申し訳ない。

「いいのよ」

 千子が言った。

「話せただけで」

 事態は変わった。

 予想不可能。

「なるようにしかならないわ」

 千子の言う通りだった。

 ---

 携帯を切った。

 即。

 また鳴った。

 社長の呼び出し。

 危なかった。

 見張りが戻ってくる。

「別府さん」

「行こう」

 車で向かう。

 アパートの前に止める。

 風間輝人が下りてきた。

 男二人が両側から女を抱えて下りてくる。

 女はエリだった。

「よぉ、来たな」

 輝人が言った。

「おまえに倣って鳳凰の女を寝取ったところだ」

 エリは支えられないと歩けなかった。

 脚の閉じ方を忘れてしまった。

 力が入らない。

 殴られた顔の傷跡が痛々しかった。

「香取千子は逃した」

 輝人はわざとらしく不満そうに言った。

「部下の仕込みがなってないな」

 唾を吐き捨てた。

「女一人誘拐できん」

 煙草を取り出す。

 真人が近づいて、火を付ける。

 エリが一瞬、真人を見た。

 目が合った。

「災難だったな」

 真人が言った。

 輝人の侮蔑の視線。

 それをかいくぐり。

 言葉を絞り出した。

 エリはよろけたふりをして、男に近づく。

「真人ちゃん、女に手え出さんから好きやったのに」

 憔悴した顔を向けて、女が言った。

「千子姐とあないなことになってて幻滅やわ」

 男は黙って話させる。

「覚めてもうた」

 男の肩につかまる。

 真人が支えた。

 エリは話し続ける。

 あんたら。

 気安く女を輪姦さんで欲しいわ。

 あてらの体は資産で、設備で、消耗品や。

 もそっと優しく扱わな。

 女で商売するんやったらな。

 よう言っとき。

 後で痛い目見ることになる。

 元も子もなくなるで。

 とかなんとか。

「真人」

 風間輝人が言った。

「もう用はない。女を家へ送ってやれ」

「はい」

 輝人はダルそうに車に乗り込んだ。

 出発した。

 エリの体からがっくりと力が抜けた。

 真人に身をもたせかけた。

「たすかったわ」

 エリが言った。

 聖人はエリを車に乗せた。

 男が二人を遠巻きに見張っている。

 車を発進させた。

 案の定。

 尾行がつく。

 エリは後部座席に寝そべった。

「千子姐は?」

「逃げたらしい」

「そう」

「家は危険だ」

「そやかて」

 エリはふざけてイヤイヤをした。

「眠りたい」

「尾行を巻いてホテルを探す」

「ありがと」

 エリは限界だった。

「真人ちゃん、いい人なんやね」

 目を閉じた。

「おおきに」

 ---

 開園日の動物園。

 正門の前。

 朝早くから行列で埋まる。

 多くは家族連れ。

 父親に手を引かれた子供。

 ベビーカーを押す母親。

 麦わら帽子。

 日傘。

 ハンディファン。

 開けかけた水筒。

 ぐずる子供。

 はしゃぐ子供。

 奇声。

 悲鳴。

 子供をあやす母親。

 暑苦しい真っ黒なアームカバー。

 爆弾を抱いたテロリストに見えるフェイスカバー。

 父親の疲れた顔。

 それらすべてに。

 夏の日差しが照りつけた。

 アスファルトが鈍く光っている。

 開門。

 人が押し寄せる。

 うねり、流れる集団。

 少しずつバラけ、また集まる。

 それが人気の場所だ。

「ホッキョクグマ」

 子供の声が上がった。

 水槽の中。

 大きな白い身体がゆっくり泳いでいる。

 ガラス越し。

 でも迫力が違った。

 子供たちが張りつく。

「こっち来た」

 ホッキョクグマが水面から顔を出す。

 歓声。

「見て。クマさんが笑ってる」

 餌を食べたばかりだ。

 口のまわりが薄赤く染まっている。

 母親が笑いながら写真を撮る。

 人気のエリアが続く。

 美しい毛皮をまとった猛獣が涼し気に見えるのはなぜだろう。

 その向こうでは。

 ペンギンの行進が始まった。

 小さな身体を左右に揺らしながら。

 一羽。

 また一羽。

 列になって歩いてくる。

「かわいい!」

 子供たちが柵の前に集まる。

 ペンギンは歩いていく。

 蝉が鳴いている。

 強烈な日差し。

 木々の枝が差し渡す濃い緑。

 青い空。

 白い雲。

 売店でソフトクリームが売れている。

 父親が子供の帽子を直す。

 母親が汗を拭く。

 子供たちが走り回る。

 笑い声。

 上気した顔。

 呼び出しのアナウンス。

 園内のあちこちから聞こえる。

 いつもの一日。

 何も変わったことはない。

 誰かが、誰かを呼ぶ。

 騒音に紛れてよく聞こえない。

 ---

 ビルの裏口。

 中学生がたむろしている。

 高広。

 エイジ。

 健勝。

 守正。

 柊太朗。

 多田野。

 不良グループの仲間だ。

 表の通りを車が通り過ぎる。

 そのつど目を遣る。

 夏の空の下。

 向かいで作業服の男が何かしている。

 白人の男。

 年齢はわからない。

 五十にも見えるし、六十にも見える。

 髪は短い。

 白髪が混じっている。

 背中に小さく英語が書いてある。

 バグ・コントロール・サービス。

「パトロールじゃねえの?」

 高広は笑った。

「害虫駆除屋」

「ダサいな。害虫駆除屋なんて」

「何だったらいいんだ?」

「仕事なんてみんなダサい」

 エイジが笑った。

「ずっと遊んでいたい」

「害虫駆除なんて、遊んで暮らすみたいなもんだろ」

 健勝が言った。

「虫けら相手の殺し屋だ」

「バン、バン、バン」

「何だよ、それ」

 全員が笑った。

 作業服の男は聞いていないようだった。

 道路脇にしゃがんで下を覗いている。

 マンホールの蓋に何か取り付けた。

 手元のスイッチを押す。

 バシッ!

 体中に衝撃が走る。

 その場にいた全員が。

 感電して尻餅をついた。

 作業着の男を除いて。

 中学生は呆気にとられていた。

 言葉は出なかった。

 悲鳴すら誰も上げなかった

 男はコードを手繰ってまとめた。

 機械を持ち上げた。

 ワゴン車のボックスにしまい込む。

 エンジンがかかる。

 車が路地を抜けて走り去っていく。

 夏の光の中へ。

 反対に、光の中から物陰へ。

 無狂が姿を現す。

「おい、仕事だ」

 中学生は無狂を待っていた。

「何へたり込んでんだ」

 高広が頭を振った。

 ようやく意識を取り戻した。

 守正が愛想笑いを浮かべた。

 多田野が健勝を支えに立ち上がる。

 柊太朗はまだ腰を抜かしていた。

「さっさと立て」

 最後にエイジが立ち上がった。

「行くぞ」

 歩こうとして、すぐによろけた。

 無狂はエイジの襟首を片手でつかんで引き起こした。

 車の中に放り込んだ。

「バグの奴がいましたね」

 運転席からヤスが声をかける。

「つまらんパフォーマンスだ」

 無狂が助手席に乗り込んだ。

 中学生は後部スペースにぎゅうぎゅう詰めだった。

 冷房はあまり効いていない。

 車が出発する。

 殺し屋の行為は正確な図形を描いていた。

 それは地上絵のように一般人には見えない。

 殺し屋の視野でだけ意味を持つ暗号通信。

 多分こんなところだったのだろう。

 ---

 バグ・コナーズのメッセージ。

 **仕事にガキを使うのか**

 無狂の答え。

 **ガキは抑制が効かないからな**

 **不測の事態は楽しいぜ**

 **血みどろのお遊戯会をごらんあれ**

 ---

 女は空港から長距離バスで到着した。

 ローラ・パーカー。

 赤毛の女。

 長身。

 現役のFBI捜査官。

 だが実際の職務は非公式の殺し屋。

 来日は職務ではない。

 プライベート。

 観光旅行。

 キャリーバッグを引いていた。

 スーツケスの中には。

 違法に持ち込んだ拳銃。

 大量の弾薬。

 ナイフ。

 毒薬。

 注射器一式。

 プラスチック製の拘束具。

 ローラはバグ・コナーズの元恋人だった。

 先日、十七年ぶりに連絡があった。

 FBIの殺し専門のアドレスをハッキングして。

 **会いたければ会いに来い**

 **決着をつける**

 それだけだ。

 ローラはメッセージを読んだ。

 同時に、日ノ本夏彦の訃報を聞いた。

 訪日を決めるのに時間はかからなかった。

 バスを降りた。

 駅前広場の時計は正午を過ぎていた。

 暑い。

 噴水が眩しかった。

 それでも、わずかな冷気さえそよがなかった。

 藤棚の下。

 数人がベンチに座っていた。

 ミストを浴びていた。

 老婦人が立ち上がった。

 日傘をさして歩き出した。

 どこかで救急車のサイレンが聞こえた。

 遠ざかって消えた。

 ---

 金長流はA市内だけでも五つの家を持っていた。

 客を迎える見栄えのいい家。

 いざという時に籠もる要塞の家。

 一般人に紛れて家族と暮らす家。

 異なるタイプの隠れ家が二つ。

 事務所に顔を出す用はめったにない。

 妻と娘がいる家には護衛が二人ついていた。

 鯨岡と手島。

 有能な部下。

 ヤクザっぽくもない。

 金長流は不機嫌だった。

 涼子は黙って知らぬふりをした。

 美玲さえ気を使って話しかけなかった。

 顔色も悪い。

 煙草に火をつける。

 ろくに吸わずにもみ消した。

 相次ぐ組員・構成員の殺害。

 女の店の襲撃。

 殺人の生中継。

 それに。

 例のビデオ。

 どす黒い感情が黒い靄のように湧き上がった。

 表情がさらに曇る。

 打つ手が遅すぎた。

 ビジネスで陸山に遅れを取っただけではない。

 風間に先手を取って攻撃された。

 金長流は顔を上げた。

 エンジン音。

 急ブレーキの金切り声。

 またアクセルを吹かす音。

 家の前。

 一台の車が猛スピードで突っ込んできた。

 門柱を擦り、急停止する。

 後部ドアが開いた。

 人間が放り出された。

 鯨岡と手島が同時に飛び出す。

「野郎!」

 車は急発進して走り去った。

 投げ落とされた人間を見た。

 信一だった。

 口から泡を吹いている。

 白目を剥いて、汗をかき、全身が激しく痙攣していた。

「ボン!」

 鯨岡が抱き上げる。

 手島が脚を持った。

「中へ!」

 二人は信一を抱えて、家の中へ駆け込んだ。

「組長、大変です。ボンが」

「なんだ」

「今の車が」

「お兄ちゃん」

 美玲が叫んだ。

「こいつは」

 金長流が言った。

「オーバードーズだ」

 服を脱がす。

 水を浴びたようにぐしょ濡れだ。

 意識はない。

 動悸が激しい。

 呼吸は不規則だ。

「救急車を呼べ」

 金長流は叫んだ。

「早く」

「すぐ来ます」

 鯨岡が叫んだ。

「畜生!」

 涼子は声も出なかった。

 抱きしめる。

 何の反応もない。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 美玲が泣きながら覗き込む。

「大丈夫」

 涼子の声が震える。

 バスタオルで息子の体を拭く。

 突然、清一は瀕死の猿のように歯を剝き出した。

 体は腕の中で別の生き物のように大暴れした。

 両脚が跳ね上がった。

 小さな性器が勃起していた。

 中学生にしては未熟な、幼稚園児のような性器だった。

「こっちです」

 手島が救急隊員を案内する。

 ストレッチャーに乗せられる。

 救急隊員が運び出す。

 涼子もついていこうとする。

「じゃまになる」

 金長流が言った。

「それに一人で出歩くのは危険だ」

 美玲が玄関まで追いかける。

 救急車が走り出す。

 サイレン。

 赤色灯。

 すべてが遠ざかる。

「あんた」

「美玲のそばにいてやれ」

 金長流は力なく言った。

 ---

 砂が流れる

 海となって波立ち。

 崖となって聳え。

 指の間からこぼれ落ちる。

 夢をなぞって変化しながら。

 結局、砂がとどまることはない。

 肉体は砂をすり抜ける。

 砂は去り。

「俺は肉体を失った」

 彼はそう言うしかない。

 老いが刻まれた残骸だけが残る。

 日ノ本夏彦が死ぬ前に見ていたもの。

 男はそれを考えた。

 日本政策振興会・財団本部。

 建物自体は大きくない。

 二階の会議室。

 男は窓辺に立っていた。

 窓は建物の規模を越えてでかい。

 防弾で耐火仕様。

 他には誰もいない。

 煙草だけが時間を潰す。

 庭園。

 緑濃い木々と芝生。

 花はない。

 静寂。

 夏の空。

 煙草を消した。

 時計の針が動き出す。

 誰かが誰かのために殺す。

 誰かが自分のために動く。

 誰かが生き残るために裏切る。

 誰もが意味もなく死ぬ。

 結末は、すでに決まっている。

 男は窓の外を見た。

 庭園は静かだった。

 風がない。

 木の葉一枚、動かない。

 何も考える必要はない。

 何かを見るまでもない。

 証拠に残る書類はない。

 連絡の履歴も残らない。

 携帯は鳴らない。

 背後の部屋。

 いや、当然。

 それだけではない。

 建物も、財団も。

 すべては故人のものだ。

 壁に掛かった日ノ本夏彦の肖像写真。

 人も知る。

 裏社会の大物。

 一癖も、二癖もありそうな。

 横柄で。

 陰険で。

 冷酷な。

 近づきがたい印象通り。

 いや、それ以上に。

 胸糞悪い人間だった。

 日ノ本の遺志は遂げられるだろう。

 だが、それは本当に彼の遺志なのか。

 そんなことはどうでもいい。

 男は知っていた

 他人を意のままに操るものが。

 操っていると思っているものが。

 実は操られている。

 よくあることだ。

 男は決して振り返らなかった。


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