第16話 それから五年
時間というものは不思議だ。
離れに押し込められ、食事も満足に与えられなくなったあの頃は、一日が永遠のように長く感じていた。
だが今は違う。
朝になれば田んぼへ向かい、村人たちと汗を流し、収穫の計画を立て、夜になれば翌年のことを考える。
そんな日々を繰り返しているうちに、一年が過ぎ、二年が過ぎ、気付けば五年近い歳月が流れていた。
十歳になった俺は、かつて森を彷徨っていた小さな子供ではなくなっていた。
◇◇◇
初めての稲作は決して成功とは言えなかった。
雑草だらけになり、水の管理にも苦労し、収穫量も期待していたほどではなかった。
それでも米は育った。
その事実が何より大きかった。
翌年、俺たちは失敗を改善した。
雑草が多かった場所はより丁寧に土を整え、水深の差が出ないよう何度も確認した。
当然ながら失敗もした。
水路が崩れた年もあった。
害虫に悩まされた年もあった。
大雨で畦が壊れたこともある。
それでも毎年少しずつ経験が蓄積されていった。
気付けば田んぼは五メートル四方の試験田だけではなくなっていた。
村の外れにはいくつもの田んぼが並び、春になれば村人たち総出で田植えを行い、秋になれば収穫祭の準備が始まる。
今では米は村の特産品になりつつあった。
◇◇◇
もちろん、米だけで村が豊かになったわけではない。
開拓村であることに変わりはない。
だが確実に変化はあった。
まず食料事情が改善した。
米は保存が利く。
備蓄として優秀だ。
凶作への備えにもなる。
さらに周辺の村や町へ持ち込めば珍しい穀物として交換材料にもなった。
最初は怪しがられていた村人たちも、今では自分たちから米作りの話をするようになっている。
「今年は豊作だったな」
「来年はもう一枚田んぼを増やせそうだ」
「また米飯が食えるぞ」
そんな会話が聞こえるたび、少しだけ嬉しくなる。
◇◇◇
スキルも成長した。
五歳の頃は両手いっぱいの籾しか出せなかった。
本当に情けない量だった。
だから毎日使った。
暇さえあれば使った。
村のため。
自分のため。
とにかく使い続けた。
その結果、スキルは少しずつ成長していった。
今では籾だけでなく玄米や白米も自由に出せる。
生成量も比べ物にならない。
一度に小さな荷車一台分に迫る量の籾を出せるようになっていた。
もっとも、村の主力はすでに田んぼである。
年間で考えれば田んぼから得られる収穫量の方が遥かに多い。
だから最近の俺のスキルは主に種籾の確保や非常時の備蓄として使われていた。
それでも便利なことに変わりはない。
白米も出せる。
これは今でも秘密だった。
村人には籾や玄米を見せているが、白米については伏せている。
理由は二つ。
まずは美味すぎるからだ。
村人へ見せたら間違いなく全部持っていかれる。
だから時々、自分へのご褒美としてこっそり炊いて食べていた。
二つ目は栄養面である。
玄米の方が白米より栄養価に優れる。
それほど食料の種類がないこの村には玄米の方が向いているのである。
まあ精米自体は教えているのでいつかは白米が食卓に並ぶことだろう。
それまで誰にも言わない。
これは俺だけの秘密である。
◇◇◇
生活も大きく変わった。
森へ逃げ込んだばかりの頃はテント暮らしだった。
雨の日は最悪だった。
風が吹けば眠れなかった。
冬は寒かった。
だが今は違う。
村人たちが協力して建ててくれた家がある。
木造ではあるが十分立派だ。
暖炉もある。
米を保管する倉庫もある。
畑もある。
そして何より、ここが自分の家だと思える。
前世を含めても、そんな場所は初めてだったかもしれない。
◇◇◇
村長との関係も変わった。
最初は当然ながら警戒されていた。
得体の知れない子供。
見たこともない穀物。
怪しまない方がおかしい。
だが今では違う。
「セシル」
「なんですか?」
「今年の苗はどうだ?」
「順調です」
「なら大丈夫だな」
そんなやり取りが当たり前になっていた。
完全に信用されている。
少し気恥ずかしい。
だが悪い気はしなかった。
◇◇◇
十歳になった春。
俺は田んぼを見渡していた。
風が吹く。
水面が揺れる。
その向こうでは村人たちが作業をしている。
最初はたった一枚だった田んぼも、今では何枚も並んでいた。
五年前には想像もできなかった光景だった。
「大きくなったな」
思わず呟く。
田んぼも。
村も。
そして俺自身も。
五歳の頃の俺が今の姿を見たら信じないだろう。
飢えていた子供が、村の米作りを任されるようになるなど。
人生は本当に分からない。
◇◇◇
そんな時だった。
「セシル!」
遠くから声が聞こえた。
振り返ると、村の子供が全力で走ってくる。
「どうした?」
「商人が来た!」
「商人?」
「すごい馬車だぞ!」
俺は首を傾げた。
商人が来ること自体は珍しくない。
だが子供がここまで興奮するのは珍しい。
「何か買い付けか?」
「知らない!」
元気よく返された。
思わず苦笑する。
だが少しだけ胸騒ぎがした。
この数年で米の噂は周辺へ広がり始めている。
珍しい穀物。
開拓村の新しい特産品。
そんな話を耳にした商人が興味を持っても不思議ではない。
もしそうなら、村はさらに変わることになるだろう。
俺は田んぼをもう一度見渡してから歩き出した。
五年前、何も持たずに辿り着いたこの場所は、今や俺の故郷になっていた。
そしてその平穏な日々は、少しずつ次の段階へ進もうとしていたのである。




