林弘彦美術館パンフレット 一部抜粋
※林弘彦美術館パンフレットより、一部抜粋。
■林弘彦
本名・小野寺弘彦。幼少時、父の影響で水彩画を始める。大学在学途中よりオランダへ留学し、卒業後も現地で画家として活動を始め、油彩画を手がけ後に帰国する。繊細なタッチと独特の幻想感、油絵らしからぬ淡い色彩が特徴とされている。エデン的な作品が多い。作品数は決して多くはないが、一つ一つにテーマがあり、貪欲なまでに美しさ、包容力が色濃く反映されており、『Schilder van het paradijs(楽園の絵師)』とも呼ばれる。
林は温厚で物腰の柔らかい人物であったとされるが、一人の時間を好み、好んで公の場に出ることは無かった。しかし知人の資産家が後援を行った為その筋に愛好家が多く、知識人や一部の資産家や政治家との繋がりは強いとされている。結婚はしていないが恋多き男であったとされ、複数人との親密関係、又は愛人関係などが見られる。享楽を好みそれに誘うが自らが溺れることはなく、悪徳を美徳とするも慈善団体や知人友人への多額の寄付をするなど、矛盾の多い人物像であった。
晩年に描いた『空に潜る』が代表作とされていたが、現在では、死後に知人の家で保管されていた学生時に描いたとされる水彩画『永遠の少年』と、同じく死後発見され、亡くなる前に描いたと見られる油彩画『永劫の青年』の二つが代表作となっている。
若くしてアトリエにて服毒を果たした。栄光と名声に事欠かず、未来ある最中での若き画家の訃報は国内外を問わず惜しまれ、知人の後援を得て林弘彦美術館が建てられ今日に至る。
・『永遠の少年』
20××年 水彩、カンヴァス 99.5×90㎝ 林弘彦美術館
林が学生であった頃の作品。地域の小規模なコンクール最優秀賞を受賞したが、その後長い時間知人が所有しており、再度発見されたのは林の死後である。幻想的で近代的な作風であり、白を基調とした全体の明度が高く、人物や物体は背景の光に溶けるようである。晩年と比べると技術自体は幼くはあるが、少年期独特の細やかな観察眼を生かしている。
自然の景観と学生の教室が混合する景色の中央に、朗らかに笑む少年が座る。姿勢良く座る姿と笑顔に無垢が見える。人物には少年期の独特な透明感と爽やかさを。また教室床代わりの足下の芝生や四隅の春夏秋冬織り込まれた背景に儚い青春の時間と自由さを描いており、回帰できない一種のサンクリュアリを思わせる。近年、赤外線・X線での科学検査により、下書きでは全体に檻のような縦線が描かれていることが発見された。林の代表作の一つ。別名『白い少年』、『少年アデル』。晩年の作品『永劫の青年』と対であると思われる。
・『永劫の青年』
20××年 油彩、カンヴァス 99.5×90㎝ 林弘彦美術館
未発表であった為、林の死後彼のアトリエで発見された。『永遠の少年』(以下『少年』)の対であると思われており、水に映したように上下が反転した構図である。絵画を反転して飾ることで完成とするユニークさの他、彼の作風にしては珍しく明度が低く、また濃い。茶や黒、一部に効果的な赤などを基調としている。
上下反転しているが『少年』と同じ位置である中央に青年が腰掛ける。『少年』に描かれていた背景や教室は時を経て廃れており、足下の草は枯れ、枝は手折られ、左下(『少年』では左上)に見える夏の山は山頂が削られ住宅地やビル街となっている等時間の流れを悪意的に捉えている。中央の青年は重厚な椅子に足を組んで悠然と座り、微笑には余裕と見る者を見下すような視線で描かれている。また、表面には泥沼の水面を思わせる波紋が見え隠れしている。絵画の正面、一定のに立つと視線が合うよう計算されて描かれている。『少年』同様、近年の調査で下書きの段階で左右に横断する鉄格子のような線が幾重にも描かれていたことが判明した。遺作の可能性がある貴重な一枚となっている。
面立ちが違う為この青年が『少年』の成長した姿とは考えにくく、林本人の肖像ではないかといわれている。
尚、この二枚の絵画には逸話があり、絵の所有者が対であるならと上下に繋げて二点を飾ろうとしたところ、トラブルが相次ぎ断念したという。一方で、一点だけを他館へ貸し出す場合も何かしらのトラブルが生じる場合が多く、同館別室が最も良いとされ、現在も林弘彦美術館では館の左右フロアそれぞれのメイン作品として隔離して展示されている。他館への貸出の場合も、当館展示と同等の展示を推奨している。そのような逸話も含め、楽園の絵師・林弘彦と二枚の絵画の変わらぬ魅力の一つである。
林弘彦美術館
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