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井戸の傍に建てた豆腐小屋で、親子三人水入らずでアットホームな夕食を食べていると、突然スマホが鳴った。
「おっ!スマホが地底とつながったぞ!」
「アンテナを沢山立てた甲斐がありましたね」
「しかし、念話じゃなくてスマホをかけてくるって一体誰だろう?」
俺はリラックスした声でスマホに出た。
「はいはい。もしもし。こちらカエル男だよ。君は誰かなあ?」
「ああ!よかった!つながった!」
「ん?その声は井稲 真耶ちゃんだな。久しぶりだな」
「バカッ!!それどころじゃないわよ!!」
井稲 真耶は切迫した口調で叫んだ。
のんびりしていた俺も、たちまち真顔に戻って尋ねた。
「一体どうした?」
「ゾンビが、ゾンビが襲って来た!」
「なんだ、ゾンビか…」
俺はほっとため息をついた。
「ゾンビぐらいさっさと倒せばいいだろう」
「馬鹿野郎!ゾンビの数がすっげぇ多いんだ!10や20じゃねぇぞ!100匹以上いる!!」
「100匹以上!?な、な、何で!?ロックリーフの周りはしっかり明るくしていたはずだぞ」
「小田 桃歌達の話では、『村襲撃イベント』だそうだ」
「村襲撃イベント!?」
そうだった!
この異世界では一定の確率で、夜になると例え松明で明るくしていても大きな村の中に大量のゾンビが沸くことがあるのだ。
ロックリーフには9人の転生人に3人の赤ん坊が加わった。
この異世界で、かつてこれほどの人数が集まった集落はない。
ロックリーフは大きな村と認識され、村襲撃イベントが始まったのだろう。
「それで今、どんな状況なんだ!?」
「みんなバラけて小屋に閉じこもっている。周囲はゾンビに囲まれ、窓やドアが今にも破られそうだ」
「そっちには魔法の弓矢も剣もあるんだ。その上、最強の防具まであるんだ。誰かそれを着て倒しに行けよ」
「―――武器も防具も宝物庫に収納して、手元にはない………」
「な、なんだと!?不用心すぎるぞ!」
(ごめんなさい!私の判断ミスよ!)
西 香菜子が念話で会話に割り込んで来た。
(あなた一人に戦闘を押し付けて、私達は自分で戦うつもりがなかったから。まさか、こんなことになるなんて……)
香菜子は激しい後悔にさいなまれているようだ。
念話から悲痛な思いが伝わって来た。
(香菜子!みんなに窓とドアを石ブロックで塞ぐようにスマホで伝えるんだ。それで時間稼ぎができる)
(いくら時間を稼いでも、この地底世界では朝になっても陽の光が差さないのよ。朝になってもゾンビは消えないわ)
(今から俺が行く!それまで、何とか持たせてくれ!)
そう言うが早いか、俺は自分のインベントリーを開けた。
俺は鉄の防具を着込み、鉄の剣と鉄の弓を持った。
そして、手持ちの材料で鉄の矢を10本だけ作り、炎の属性をつけてインベントリーに入れた。
これが今の俺にできる最上の装備だった。
「緊急事態だ!ちょいと今から地底に行ってくる」
俺がそう告げると、美衣奈は激しく動揺した。
「で、でも、牛革もまだ集めていないのに!行ってもどうやって帰ってくるんですか?」
「今はとにかくゾンビからみんなを守らないといけないんだ。帰る方法はまた後でゆっくりと考えるさ」
俺は豆腐小屋を飛び出すと崖っぷちに立ち、穴倉の底を覗き込んだ。
しかし、ただただ暗く不気味な漆黒の空間が続いているだけで何も見えなかった。
水流に乗って降りて行ってはとても間に合わない。
このまま水流のそばを自由落下するしかない。
穴倉の底には湖があるから墜落死する心配はないだろう。
だが、途中に鉱石の塊が浮かんでいてそこに衝突したり、ワイバーンに気づかれて襲われる危険はあった。
「それじゃ、行くぜ!」
俺は振り返って、背後で心配そうに見つめる美衣奈にほほ笑んだ。
「気を付けてね。もう、死んだらダメですよ」
「なあに、死んでも今度は始まりの家のベッドの上で蘇るだけだ。すぐにここまで戻って来れるさ」
「それは考えが甘いと思います」
「えっ?」
「やっぱりこの世界でも、人は死ぬと何かを失っていると思います。あなたも一度死んで、以前のあなたとは何か違っています」
「そうなのか。自分じゃ分からないけど」
「死ぬたびに、あなたはあなたでなくなっていく、そんな気がします」
「わかった!絶対に死なないで帰って来るから安心してくれ」
「約束ですよ」
「ああ。約束だ」
俺は美衣奈と指切りをして約束した。




