うつむく横顔 ▼ ミスティフィケーション
風呂からあがった俺は、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いだ。風呂上りの牛乳はうまい。喉を鳴らしながら一息で飲んだ。それで中身が空になったので、牛乳パックは水で洗って乾かしておく。
牛乳好きな月雲がこの家で暮らすようになってから牛乳の摂取量が著しく増えた。床に切り開かれたパックが三つほど散らかっている。いぜんは安くすむようにお茶ばかりを飲んでいたので、この家で紙パックの空き容器がかさむことは珍しかった。
ふとリビングの方へ視線を投げれば、月雲は先ほどの水着姿のまま成金趣味のソファーにもたれていた。体操座りで収まっている。座っているというよりも、ソファーに飲み込まれていると表現した方が適格かもしれない。
「つーか、なんでお前、着替えてないんだよ?」
「いい、どうせ、あとで、脱ぐから」
女子高生というよりはおっさんみたいな発想だなと思いつつ、彼女のそばまでよった。いつもは風呂を上がるとすぐ自室に直行するのだが、今の月雲を一人にさせる気にはなれずに、月雲との間に一人分の空間を開けて座った。
やけに大きなソファーはこうしていると――ちょうど二人分だった。
元からそのように設計されていたというように、この家は二人で暮らしてもなんら不自由がない。まったく、この間までなんとも思っていなかったのに、おかしな話だ。
「早く入ってこいよ、湯、冷めちまうぞ」
「もうちょっとだけ、大毅と話をしていたい」
とはいうものの、月雲は無気力な表情のまま口を開こうとしない。過去のことで色々話したいことがあったのだが、気難しい話はしたくなかったので、やめておいた。手頃な話題を選択する。
「……風呂では顔、つけれるんだろ?」
「うん」
「だったら水だって変わらねぇだろ」
月雲はぶんぶんと首をふった。
「……冷たい水はどうしてもだめ」
そういえば、俺も昔は苦手だったなと思い出す。今でこそ克服したものの、あの事件のせいで水を見ただけで恐怖心を煽られた時期が俺にもあったのだ。発達観はついつい忘れがちになるから厄介だった。こういう心理上の変化が「そんなことも出来ないの?」と人を見下してしまう意識の始まりなのだろうか。そんなことを漠然と考える。
「そんなに……怖いのか?」
情けない顔をした月雲はこくりと小さく頷いた。
「やれやれ……」
どれもこれも、“嵐の夜”――つまりは俺のせいか――。
きっと俺を助けるために川のなかに飛び込んだのはいいものの、それがトラウマになってしまったのだろう。俺は胸のなかであの日の情景――華麗に泳ぐ月雲の姿を思い出していた。たしかにあの嵐の日がやってくるまでは、水泳が得意だったはずなのだ。
「よし月雲! 明日は土曜日だ! 特訓するぞ!」
らしくないことをしているなとは自分でも思ったが、その時々の気分にまま行動するのも悪くはないなと考えを改めた。
「うん……!」
月雲も俺のやる気に答えるように頷いた。ちょっとだけ元気よく答えてくれたように聞こえた。
「私、お風呂入ってくるね……!」
「あ、すっかり忘れていたけどお前、熱いの苦手なんだっけか。張ってるお湯、チンチンだから気をつけろよ」
「……は?」
「いや、だからチンチンだから……」
「……あの……さっきのこと気にしているのなら、ごめんなさい!」
顔を真っ赤にして、月雲は視線を下げた。
「はあ? なにいってんだお前」
「あ、あのその、び、びっくりしちゃったから、さっきは、つい……言葉にしちゃったけれど……お粗末っていうほどじゃない……と……思う!」
はげますような言葉をかけたあと、顔をめいっぱい赤らめて浴室のほうへタタタタと走って行く。
「えっと……どうしたんだアイツ。つーか……」
なんか、今俺、励まされなかった?
もしかして、もしかしなくとも……。
アイツ勘違いしていないか!?
「ちょっと待て! お前は勘違いをしている! チンチンってのは方言で……」
「チンチン、ほうけ●……!」
「ちがーうッ!!」
「分かってる! おっきくなった時はあんなもんじゃないことは、分かってるからっ!!」
「おい、ちょっと待て! 誤解だ! チンチンっていうのはな!」
「……わ、わかってるからーっ!!!」
ああ、ちなみに「チンチン」とは方言で「熱い」という意味を持つ。クソ、中学までは東京で育って来たのに、いつのまにか名古屋の方言が身についてやがる。ついつい常用語と交えて使ってしまう。悪いくせだ。
ソファーに寝そべった。すると後頭部が……先ほどまで月雲が座っていた箇所が温かい。変に意識してしまい、くつろげなかったので仕方なく、ずらして腰掛けることにした。
「なんだか……なぁ……」
俺はひとつ、ため息をもらす。
次回 ▷
【庭園揺るがす ▼ ヘルダイブ】
明後日やんなあ……(予定)。
追記、充電器壊れました。投稿が一週間くらい遅れます。




