孤独どくどく ▼ ニューカマー
月雲美露と生活をともにするようになってから一週間が経過した。
月雲の実家に電話してから三日後、東京の叔父さんから家具が届いたことにより、人質となっていた寝室は解放され、月雲の部屋が別の場所に移された。のちに寝室を入念に調べたところ特に目立った外傷はなく、シーツが乱れているといった軽度の損傷だけで済んでいたのは、俺にとってたいそう喜ばしいことである。
東京から送られてきた家具のほとんどは――予想通りと言ったら予想通りなのだが――成金趣味の産物ばかりだった。叔父さんのセンスを再認識することになった。……恐ろしい。どこが恐ろしいかと言うと、それらの調度品を月雲がとても気に入っていたところが一番恐ろしい。
それからの生活は、まぁ当初の俺が気にしていた事態に陥ることはなく、軽々しい表現をするならば、あっという間だったとも取れるのだろうか。
同じ屋根の下、男女の同居生活と一概にいえども相手が相手なだけに邪な感情は一切芽生えず(一切といえば思い切った嘘になるが、騙し騙し芽生えなかったことにしている)、ここ一週間は平穏無事な日常だったと言える。
手の空いた時間は自室で漫画を読んだり、音楽を聴いたりして過ごすから、差し迫った要件でない限りは月雲に干渉することはない。彼女から仕掛けてくる干渉は部屋に鍵をかけていれば遮断することが可能だ。たびたび鳴るドアがノックされる音もヘッドホンで大音量の音楽を聴いていると、案外気にならなかった。
就寝時になると、夜な夜な壁の向こうから「寂しい……寂しいよ……蛙の声が聞こえないよぉ……」という不気味なノイズが聞こえてくるけれど、この家に心霊なんているはずもないし気のせいだろうと割りきっている。
俺たち二人の生活は至って平凡だ。食事は俺がすべて担当して、洗濯や掃除といった家事はところどころ月雲がやってくれている。堅苦しいのは嫌なので、曜日ごとに分担するとかではなく、時間に余裕のあるどちらかがやるといった雑な取り決めを結んだ。さすがに女物の下着を扱う度胸はないので、洗濯だけは月雲に一任させている。……時々、俺のパンツが忽然と消えるのは気のせいだと願いたいものだ。
仮面夫婦(夫婦という言葉を口にするのもおぞましいが)のように交えるのは最低限の会話のみ。意識しなければどうということはない。起床して学校へ通い、帰宅して食事をとって風呂につかり、自室へ直行して就寝――そんな毎日を過ごす。
また、江本さんとの関係は真摯な態度で向き合ってはいるものの、両者間の溝は深まるばかり。もう、あの日のような関係に戻るのは無理なのかもしれない――そんな弱音が時おり混ざるけれど、それでも逃げずに向かい合った。
一方で罵詈雑言ばかりを浴びせているはずなのに、月雲は今となっても俺にしつこく迫ってくる。登校だけならまだしも下校する時もついてくるし、ホームルームが始まる前の空いた時間、休み時間、昼食時、日が出ている間はだいたい俺のそばにいる。
転校当初は新しい環境による不安もあるだろうし、しつこく迫ってくることが別段おかしなことではないと思っていたが、一週間経過しても――となれば、いくら鈍感な俺でもそろそろ怪訝に思えてくる。
もしかして――――。
そしてこの日、三限目が終わるやいなや教室に入ってくるなり、月雲はこんなことを言い出した。
「……大毅。私、大変なことに気がついた」
「……ンだよ? 新しいエネルギー資源でも見つけたか?」
四限目に使う実験のプリントをカバンから探り出しながら、俺は適当に対応する。
「……違う」
と小さく首を横にふり、この世の破滅を知らされたような顔でこう続けた。
「私、クラスで浮いてるみたい」
「……ああ、だろーな」
「……驚かないの?」
「まぁな」
……やはりそういうことだったのか。だからこうして休み時間になるたびに、唯一の知り合いである俺のところにきているのだろう。自分のクラスに友達がいれば毎時間こうしてやってくることはないはずだ。一緒に昼食を食べる友達も、下校する友達もいないのか……。江本さんの言ったことは大方間違っていなかったわけだ。
そういや長野のおじさんも言っていた。長野の学校へ通っていたときも一人孤立していたと――。名古屋の高校へ転入したのはいいものの、結局、同じことを繰り返してしまったのか。
「……私、転校生って、もっとみんなからチヤホヤされるものだと思ってた。席に着くなり『ねえねえどこから来たの?』とか、『どんなことが好きなの?』とか、『彼氏はいるの?』『セ●クスの経験あるの?』とか質問が多方面から飛んできて、それをバッと答えればたちまち人気者になれると思ってた」
「『セ●クスの経験あるの?』と問いかけてくるような学級は即座に崩壊すべきだ。それで、聞かれなかったのか?」
あくまでも一般的な質問の方だが。
「……初めのうちは聞かれた。……でも、頭の中で考えた言葉って、思ったように出てこない。……気がつけば……みんな私から……興味を失ってしまった」
それはちょっと――切ない……。
きっと人見知りな月雲のことだ、一斉に百家争鳴と浴びせられた質問をさばききれず、たじろいでしまったのだろう。コイツとのつき合いも彼此一週間になる。人前で凍りついている姿は想像できる。
「私の友達がいない原因を分析してみたのだけれど、どうしても分からない」
「ふうん」
本人の前ではとても言えないが、コイツの容貌は悪くない……いや見た目だけに限ればとても可愛い。なので、転校した当初は興味を引く対象となったことだろう。だがそれが災いしたのかもしれない。一目置かれる存在というのは必然的に人よりも目立ってしまうわけで、恨まれたり、目をつけられたりしてしまう。要するに目立った容姿には、はみ出した杭のように打ちつけられる危険性があるわけだ。
成績は平凡で運動神経も悪くないと親戚のおじさんは言っていた。少々ドジなところがあるが生活には支障をきたすほどではない(方向音痴は除いて)。だから原因は多分、極度な人見知りなところとアスペルガー症候群気質なところにある。いや、一週間前の江本さんとの口喧嘩した時のように猥語を容赦なく発言するところもか。
極言してしまえばコイツは――変態なのだ。
変態女に友達など――出来るはずがない。
「机を釣れって言われて、『釣竿持ってきてない』と答えたら、クラスメイトから変な目で見られた」
「ああ、『机をつれ』ってのもこっちの方言で、要するに『机を運べ』と同義だ」
「教科書忘れた時、ごまかそうとして、『お礼に私の処女を捧げてあげよっか?』って小粋なジョークを言ったら、もっと変な目で見られた」
「そうかそうか、お前、この学校に黒歴史を築きにきたのか? 名古屋にはな、謝罪する際に処女を捧げるといった邪教信仰はないぞ」
「ふ、長野では常識、大爆笑必至。驚いた、これがカルチャーギャップ……」
「悪いことはいわん。一度、長野県民に謝って来い」
おっと、月雲の相手をしている場合ではなかった。次の時間は化学、移動教室だ。
他のクラスメイトたちはテキパキと移動を開始しており、教室にはもう誰も残っていなかった。早く俺も向かわねばならない。
「いいから、もう自分の教室戻れよ。放課終わんぞ」
いつまでも執拗につきまとってくる月雲を突っぱねた。すると力強く腕をグッとつかんできた。いくら腕をブンブンを振ったところで放そうとしない。これが男だったら床に叩きつけているところだが、相手が女子である手前そこまで横暴な手段をとるわけにもいくまい。
やれやれ……。
「……なんだよ、まだなんかあんのか?」
今にも泣き出しそうな潤んだ瞳を俺に向ける。
「どうしよぅ……大毅ぃ。……友達が一人も出来ない」
なんか、こいつの情けねえ顔を見てると胸の奥からイライラが募り出す。つまりはイライラするので助けてやりたいと感情が揺れ動くのだ。存外俺は泣き脅しというやつに弱いのかもしれない。
「……ち、知らねえって。んなこと」
しかし、そんな甘っちょろい言葉で揺さぶられるような男ではない。
「そんな友達欲しいんだったら放課になるたび、こんなところ来てないで友達つくる努力をしろよ」
「……友達が欲しい。友達が欲しい。友達が欲しい」
「あんなぁ……俺はランプの精じゃねえんだ。涙ぐましく何度唱えたところで行動に移さないかぎり出来るわけ……」
ないだろう――と言いかけたところで、窓わくにガッと手が引っ掛けられた。外から教室内に侵入してくる影。まるでテレビから抜け出してくる貞●みたいだった。そのホラーテイストな影は月雲へ目掛けてユラユラと向かってきた。
「よろしければ、お兄ちゃんとお友達に……「發ッ!!」ぶぐあああああッ!」
月雲の呪文に見事につられ、飛びかかってきた山内清人を裏拳で吹き飛ばした。
「な……なにするんだね、木更津くんっ!!」
メタルフレームのメガネをグイと上げながら、こちらを睨みつける清人。
「うっせえ! 隙あらばお近づきになろうとする、テメェのような変態の魂胆は見え透けなんだよ! だいたいここは二階だ! 登ってくるバカがあるか!」
「ふふふふ! 舐めてもらっては困るな、木更津くん。僕は月雲嬢に呼ばれればどこへだって駆けつけるのさっ!」
「ああ、そうかい、そんなにくたばりてぇのか? ならば徹底的に痛めつけるだけだ」
パキパキと手の関節を鳴らしながら、横たわった清人に向かっていく。
と――そんな時、どういうわけか両手を広げた月雲が、清人をかばうように立った。
「やめて、私の“友達”になんてことするの……」
「お前はお前でこんな下衆を友達だと認定してんじゃねぇよ! 見境ねえな!」
よりにもよって清人とまで交友を結びたがるだなんて、目が曇るにもほどがあるぜ。……ドロップとおはじきを間違えるくらいに友達に飢えてやがる。
放課が終わると、月雲は寂しそうな顔を浮かべて教室から出ていった。親鳥から餌をもらえない哀れなひな鳥を見ている感覚で可哀想だなぁと思うが、言い換えれば、湧いて出てくる同情の精神はその程度だったとも言える。
気絶した清人を教室に残したまま、教材を手にとり教室を出た。
いつまでもバカやってないで、すぐに向かわねばならない。
次回
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