意識飛ぶほど ▼ ファンタスティック
裸エプロン姿だった月雲をひとまず追い出してから三十分ほどが経過した時、制服に着替え終えた月雲が部屋に入ってきた。頼んでもないのにわざわざ制服姿をお披露目しにきたようだった。
「……どう? 大毅」
「ま、まぁ、似合うんじゃない……か?」
「……疑問系なのが気になるけど、私、嬉しい」
月雲の制服姿を見るのは初めてだったが、ツヤのある長い黒髪には制服がよく映えると、純粋に高い評価をくだした。もっと素直にいえば、とても魅力的に見えてしまった。クソ、変態なのに……。
「お前、本当にうちの学校に転校したんだな……」
そんなことを我が校の制服を見て実感する。
「……うん」
「登校しなくちゃならない時間までもう少しあるから、ほら、ここから出てけ」
見とれてしまったことを悟られないよう追い返そうとするのだが、月雲は引こうとしない。
「待って、大毅。あの……あのね……」
「なんだよ?」
「……私、大毅が眠っている間に朝食作った」
「………………は?」
「いや、だから、大毅が今日一日頑張れるようにと朝食を作った。リビングのテーブルにあるから大毅に食べてもらいたい」
「お前が……料理……したのか?」
「……うん。私、大毅のために料理をしてみた」
なんだか――猛烈に嫌な予感がする。もしかすれば――いや、もしかしなくとも――このネジの外れたドジのことだ、食べ物とは呼べないものが食卓に並んでいる可能性が天文学的にみて高い。
「趣味は料理です」とか言い放ち、「へえ、意外と料理するんだな」と相手を油断させておいて恐ろしいものを食わせようとする――漫画ではお決まりなパターンだ。
あくまでこれは現実だが、いろいろと常軌を逸している月雲ならばコミカルな展開を用意していてもおかしくない。
いや――でも、まさか――さすがに……。
「……私、大毅のために……“生まれて初めて”……料理をしてみた」
「……………………」
前言撤回、恐ろしいどころの騒ぎではない。
自室のドアを開けて廊下に出ると、そこには立ちのぼる黒い煙がムクムクと蔓延していた。
煙の出どころは――……キッチンか!!!
たなびく煙に咳き込みながらキッチンに駆け込んですぐに換気扇を回した。煙がだんだんと霧消していく光景を眺めながら嘆息したあと、リビングのテーブルに置かれた物体に視線を落とす。
はて、これは――……なんだろう?
皿の上に載った炭のように真っ黒い物体――ただし炭と呼ぶには水気がある。このブツをよく見れば、水性ニスを塗りたくったようなツヤがあることが観測された。
こんな汚物は昨日までテーブルの上になかったはずだ、このような部屋の片隅にあるのがよく似合うゴキブリを駆除するようなアイテムなど――。
「……それ……一生懸命……作った……私の……料…………理」
語尾にいくにつれて弱々しくなる月雲の声。
――嫌な予感は的中した。
「これが……料理……か?」
「…………うん」
俺が感想を口にするのを待つように、チラチラと顔をうかがってくる月雲。
……いくら恨めしい相手といえど、せっかく作ってくれたのだからバッサリ酷評をくだしてしまうのは可哀想な気がした。怨敵に抱くにしては少々甘ったるい感情かもしれないが……。
……それよりも本当に――これはなんだ?
黒い物体を箸で突いてみたところ、それには思いのほか弾力があった。
どこかにヒントはないものかとキッチンの方へ視線を流す。手がかりは三角コーナーに入れられた卵のからと黒く濁ったスポンジ、シンクに広がった原油のように黒い液体。さあ、あとは連想ゲームだ。
「えっと、これはなんだろうなぁ、ははは、オムレツかな? 卵焼きかな?」
「……違う。大毅……見て……分からないの?」
「ぐ……」
月雲は不安そうな顔をして潤んだ瞳を俺へ向ける。
ここは男らしく正解をバッと答えてやりたいところだったが、正解が俺の知っている語彙にあるとも限らないので降参することにした。
「……悪い、月雲。正直に言うと見当もつかない。ギブアップだ。……こ、これはなんだ?」
悲哀に満ちた顔をした月雲は、哀調の帯びた声で――たった一言――こう言った。
「……ヘドロ」
「…………」
「…………」
「俺の気遣い返せッッ!!! このキッチンブレイカーめッッッッ!!!!」
「……はう、大毅はひどい。……また殴った」
「どうしてこうなった! 一体、なにを作ろうとしたんだ! どうしてこうなったッ!?」
「……うう、ゆめゆめ返す言葉が見つからない。はじめはスクランブルエッグを作るつもりだった。それがどこでどう違えたのか、どんどん黒く濁ってしまった。途中で味見してみたけれど、どう考えてもそれ、ヘドロでしかなかった。気がついた時にはヘドロばくだんだった。それ以外に形容する言葉が見つからない……」
料理の理は理の理だ。俺にはスクランブルエッグを作っているうちに黒く濁ってしまう理が分からない。一つ分かっていることは――コイツの料理は間違いなく万物の理を乱していることだけだ。
「たく、食いもん粗末にしてんじゃねぇよ」
「……分かった。大毅がそういうなら私、二度と料理しない。……ごめんなさい」
やや厳しめな口調で叱責すると月雲は分かりやすいほどシュンとなった。
そんな顔されると、こちらまでバツが悪くなる。
「いや……まぁ、自覚あるだけ、よしとする」
漫画や小説の世界には、月雲よりもはるかに恐ろしい料理音痴たちがいる。なによりドイツもコイツもそろいもそろって、どうしてだか自分が料理音痴であることに自覚がないのだ。
そういうとんでもない神経のやつらと比べれば、料理で人を殺められることに自覚がある分、月雲はだいぶ良心的な方だ。
「それと、べつに二度と料理するなとも言わねぇよ。たまに練習するくらいなら構わないんじゃねぇのか」
「……大毅、いいの?」
「まぁ、たまに――ならな。ただし、今度はちゃんと食えるもん作れよ」
「……うん、分かった」
月雲はパーッと顔色を明るくさせる。
「じゃあ、じゃあ、今度はベーコンエッグレタスバーガー作ってみる……っ!」
あれ? 致死率がググっと上昇したような気がした――。
「も、もっと簡単なのから始めろ。順序があるんだ、なにごとにもな」
「情事にも……ね」
「うっせーよ!! やっぱお前黙ってろ!!」
汚物を間近で見せられ食欲をなくした俺は朝食を抜きにしようかとも考えたが、四限目に体育の授業があったことを思い出し、体力を蓄えておくことにした。もちろん、月雲の作った料理をテーブルのはしによけ、朝食としてトーストでも食おうかと『絶熟』に手を延ばす。……そこで月雲にパシッと腕を掴まれた。
月雲が据わった瞳でまっすぐ俺を見据えている。
……なんだ、その目は?
……なにを主張している?
「まさかとは思うが……」
「私の実家、農家、残すの絶対、ダメ」
「あいにく俺は、劇物の知識に明るくないんだが……?」
「……食べもの、べちゃる(捨てる)の、ダメ」
もしかして俺は命の恩人に命を取られようとしているのか……!
「そ、そういうお前はキチンと平らげたんだろうな!!」
結局、俺は開き直ることにした。女の作った料理を無理してでも男が食わねばならないのは、あくまでも相手に愛情がある場合に限る。俺はコイツのことを好いていない。むしろ嫌悪をだいていると言ってもいい。
俺が開き直った途端に月雲は苦しそうに俯き沈黙した。やはりーー。
「はん、食ってねえんだろっ! さては、食ってねえんだな! 汚えぞこらッ! テメェが食えねえもんを人にだけ食わせようとするなんて、ちょっと都合がよすぎるんじゃ……」
……月雲は青ざめ俯いたまま、黒く汚れた皿を持ち上げていた。そこに――「ヘドロ」は載っていなかった。
「……頭痛ひどいし、舌ひりひりするし、さっきから耳鳴りがやかましい」
「怒鳴って悪かった。ありがたく頂戴させていただこう」
あれだけのことをのたまってしまった手前、俺が食わないわけにはいかない……。
スクランブルエッグを遠巻きにして箸で掴むと、それは生き物のように「ぐぐう……」と音を立てた。
…………バカな……。しゃべった……だと……?
「いいか、月雲。食うぞ。食うからな……」
「……ありがと、大毅。けれど涙まで流されると私、ちょっと複雑な気持ちになる」
勇気を奮い起こしてブツを口に放り込む――……それは……――見た目に勝る味だった。咀嚼しているうちに鬱屈した気持ちばかりがこみ上げてくる。
明滅を繰り返す意識の中で、なかば意固地になった俺はなんとしてでも食い遂げてやろうと「おいしいミルク」と共に一気に流し込む。が、吐き出したほうが身のためだったとすぐに気がついたしかし遅かったミルクのまろやかな味が加わったのがいけなかった黒々としたこの料理にはまろやかになろうとする意思はあるもののそれが三流映画のクライマックスシーンのように余計な緊張と緩和を生んで吐き気が渦のように襲いつけてくるいよいよピークとなり佳境にさしかかったかと思いきや俺たちの戦いはこれからだという宣言が高々に入り苦しみは間断なく続いていく何度も何重も繰り返されるその痛みは地獄のふちで石ころを積んでは崩され積んでは崩されといつまでも繰り返しを要求される懺悔の処置にも似ているようでいてよくわからないしげきがからだじゅうをかけめぐりめぐりめぐってしんけいさいぼうをきずつけていくあたまにはげしいいたみが……ああ……ああああああああああああああああああああああ!!!!
次回からようやく学校編(?)
不埒な果実の ▼ マイクロスイッチ




