夢想と吐息と ▼ デンジャーシグナル
――俺は目を覚ました。今流れ込んできた七年前の映像はどうやらすべて夢だったらしい。ごくまれに潜在する記憶が夢に顕れることがあるといった話を聞いたことがある。きっとそういった作用が見せた追憶だったのだろう。はた迷惑なことに中途半端な記憶が蘇ったことにより、胸ん中がどうにもムカムカしてならない。
それにしても――今こうしている間にも神聖な寝室のベッドであの変態が寝返りを打っているかと、考えただけでも空恐ろしく腹立たしいぜ。
ああ、まぶたが開けられないほど眠い。普段冷房をつけないようにしているこの部屋、六月に入ってから熱気がこもり出すようになり寝苦しい季節になったとそろそろ実感するようになった。
それなのに今日はいつもよりなんだか涼しくて心地がいい。ベッドで横になる俺の耳に流れ込んでくるのは、生温い細やかな微風、もしくは生温かい…………吐息?
「……大毅、あ・さ・だ・よぉ・ふぅぅぅ」
「ひぃ!?」
バッと視線をスライドさせると、枕元、ベッドに両肘をつけて俺を見る微笑ましそうな(心底腹の立つ)顔をした月雲の姿があった。
「お、おま、お前、今なにをした!? 耳の中がゾクゾクしたんだがッ!? ゾクゾクしたんだがッ!?!?」
「……いくら揺さぶっても起きないから、内面から起こしてみようかと」
だからって耳ん中に息を吹きつけてくるやつがいるか!
まぁ、実際のところ効果覿面だったわけだが。
「どうして勝手に人の部屋にいるんだよ……?」
「……鍵かかっていなかったから」
チ、油断していた。普段は一人で生活しているため、わざわざ自室に鍵をかける習慣などないのでスッカリ忘れていたわけだ。これからは気をつけねばならない。コイツにつけ込まれる隙を見せるとなにをされるか知れたものではない。なお、「部屋にいる理由」が「鍵がかかっていなかったから」となるのも些かおかしな話だが、今さらツッコみはしない。
「……そろそろ起きないと学校に遅刻する」
「んなことはねぇよ。もう少しくらいは寝ていられる」
まだだいぶ時間は早い。時計を見やれば針は六時半を指しており、登校せねばならない時間までまだ一時間以上もある。コイツを早いところ部屋から追っ払って寝直そうか――と考え、月雲に視線を……。
「ぶッはッッ!!!!」
コイツの格好を視認した俺は覚醒を禁じ得なかった。
「おい、貴様、なんて格好してやがるんだ……?」
「…………エプロン……姿?」
「そうだな。間違いなくエプロン姿だな。ああ、どういうつもりか、エプロン“のみ”だな」
「……大毅が喜ぶと思った」
「よ、喜ぶわけが……ないだろう?」
「……大毅、どうして疑問系? それに目が泳いでる」
こ、ここここここ、これが伝説の装備――裸エプロンだというのか。いくら小柄な月雲にしたってキツキツな子どもサイズの浅葱色のエプロン。サイズが小さいゆえにそれだけでは隠しきれずにチラチラ見える白い肌。キツキツのエプロンに潰され広がった――豊満なニク。
落ち着け、落ち着け、木更津大毅……ここで取り乱してはならない、見てはならない、昨日の二の舞を演じるつもりか。いや、江本さんがいない今ならば……いやいやいかんいかん。やはりコイツは――危険だ。全身の筋肉が危険信号を鳴らしている。
「ばかたれがっ!!!!」
「はう!」
とりあえず、正気を持ち直すためにチョップしておいた。
「大毅は酷い。なにも殴ることないのに……。体に傷が残ったら責任とってもらうから」
「軽くコツいただけだ。その程度の打撃でへこむのであれば今すぐ豆腐屋に売りに出す」
「うう……。男の人は裸エプロンが好きだって、教えてもらったのに……。想像していたリアクションと違う……」
「はぁ……。なにを朝っぱらからバカなことを言っているんだか……」
裸エプロンは好きだし、男たちのロマンであることも否定はしない。裸エプロン女子という生き物は伝説上の生き物だ。「朝起きたら枕元に裸エプロンの女の子がいてさー」と言われるよりも「この間うちのリビングでツチノコを見たよ」と言われた方がまだ信じられるくらいである。だから、裸エプロン女子と遭遇した男子としてテンションが上がらない方がおかしい。
しかしながら、俺が長年夢に見てきたのはコイツの裸エプロン姿ではない。いくら乳がデカかろうとコイツはあくまで変態、いちいち動揺していては月雲の思う壷だ。
「バカやってないで、さっさと着替えてこい」
「……私の姿に大毅が魅了されるまで引かないと言ったら?」
「ああ、そういえば長野から送られてきたダンボールがまだあったな。畳むのも面倒だし、それに詰めて長野に送り返そう。暑いといけないからチルドで発注してやるよ」
「……うぅ、酷い。せめて写真を撮るくらいはして欲しかった」
「いや、買ったばかりの携帯電話だったからカメラの使い方がよくわからなかっ……ってアホか」
危ない。またしても巨乳の誘惑に負けるところだった。
「あ、それ、スマホ」
科学の産物を初めて見たといわんばかりに月雲が目を輝かせたのでスマートフォンを手渡してやった。俺ですら操作に四苦八苦しているんだ、こんなアンポンタンに使えるはずがない。さあ、思いのほかスベスベなモニタに戸惑うといい!
――と思いきや、手慣れた手つきで月雲はサクサクと操作している。意外と機械には強いのか?
「ねぇねぇ、大毅。You've got mailって言ってみて」
「……はぁ、You've got mail?」
意味のわからないまま俺がそう言うと、スピーカーから『――You've got mail?』俺のしゃべった言葉がそのまま再生された。なぜだ……なぜ携帯電話から、どうして俺の声が――!?
――自分でいうのも何だが、俺はなかなかの機械音痴なのである。
「……さっきのを着信音に設定しておいた」
「……今すぐ元に戻せ。機械音痴をからかうんじゃねぇっての」
もしも着信音を誰かに聞かれてクラスメイトたちから、ナルシシズム人間だと思われたらどうしてくれようか。
「……それよりも、ねえ、大毅。どんな夢見てたの? ずいぶんとうなされていたみたいだけど」
「うっせえな。エロい夢見てたんだよ。すっごくエロエロで素晴らしい夢だったんだ、それを邪魔しやがって。つーか早く着替えてこい」
「……エロい……夢?」
見れば月雲がふふふと薄気味悪く笑っている。
「あんだよ?」
「……そっか、そういうことだったんだ……。ふふ、大毅、ベッドの上で悶えながらずっと『月雲』って呼んでた」
「ぶッ!!!」
七年前のことだと告げたくなかったがために下手な嘘をついたのがアダとなった。
「そ、そうだな……よく考えれば違ったな、大学受験をお前に邪魔されて失敗する悪夢を見ていたんだ。よくぞ、起こしてくれた」
適当にごまかしてみると月雲は唇を尖らせた。嘘をついたことを怒っているのかと思いきや、どうやらそういうわけではないらしい。
「……はぁ、私、悲しい。……夢の中でも名前を呼んでもらえなかった」
「……またその話か。なんだって、んな名前で呼んでもらいたいんだよ?」
「……私、苗字じゃなくて名前で呼ばれる方が好き。昔から周りの人はみんな名前で呼んでくれていた。だから大毅からも美露で呼んでもらいたい」
期待するように目を細めてジッと見つめてきた。
むず痒い気持ちにさせられ俺は頭をかく。恋愛経験もとい女友達が乏しい俺は女子の名前を呼び捨てにするのに、酷い抵抗を覚える。一時期男女の仲になった“江本さん”ですら、ご覧の通り苗字に敬称をつけた形で呼んでおり、「都華咲」などと下の名前で呼んだことは一度だってない。
それなのに、どうして怨敵の呼称をファーストネームにせねばならん? 大体、月雲の話によれば昔の俺は「美露」と名前で呼んでいたらしいが、人見知りだった七年前の俺の性格上そんなことはありえないと思うので、多分あれは月雲の虚言だったのだろう。信用ならないからな、コイツ。
「前も言ったろ、昔は昔だ……。今は今。そして月雲は月雲だ」
そう言うと月雲はションボリと暗い顔をした。目を伏せ沈黙している月雲を見ているうち、つられたように俺もほんの少しだけ物悲しくなってきた。
昔は昔、今は今――か。
長くなってしまったので分割しました、よろしくお願いします。次回が「意識飛ぶほど ▼ ファンタスティック」となりますんで、そこんところよろしくお願いします。自分、サプライズが大好きなので読者の方々を驚かしたいなと、企んでいつも連日投稿し続けておりましたが、今度こそ予定通り明後日に投稿します。フリじゃないです。どうかよろしくお願いします。