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修道院に一匹、猫が増えた。
レイチェル嬢が新しいマリア像の納品をした際に、荷馬車に潜り込んでしまった猫で、元はカシス嬢の別荘で飼われていたらしい。
ほぼ黒猫だが、手足の部分だけ白色の靴下猫だ。性別は女の子で、可愛らしい顔立ちだが性格はおてんばのよう。猫部屋に初めて連れて行かれた時は、早速顔合わせの猫相手に『やんのかステップ』を披露していた。
猫を捕獲したヒメリアとシスターカタリナは、猫のお世話係にはならなかったものの、責任感からか時折様子を見にくる。
「こんにちは。猫ちゃんのご機嫌はどう?」
「今、他の子達と一緒にご飯を食べてるわ。数日前まではあんなにやんのかステップしてたのに、今ではこんなに馴染んで……」
今日の彼女は機嫌が良いらしく、並べられた餌を他の猫と仲良く食べている。床に行儀良く整列するモフモフは毛糸玉のようで、寒い冬には見た目も暖かく心地よい。
「えぇと、最初はそのなんとかステップで他の猫を威嚇してたけど、最近は慣れてきたと」
「可愛いでしょう! 私、神様が作った生き物で一番可愛いのは猫だと思っているの。こんな可愛い生き物を作ってくれて、感謝しておりますって毎日祈っているわ。だから、どんなに辛いことがあっても信仰を失わないで済んでいるの」
猫の世話係は特に誰がやるという分担が決まっていない。けれど、自発的に猫の世話を甲斐甲斐しくこなしているのがこのシスターウェレナだ。
「猫好きな人って、シスターウェレナみたいに信仰を保っている人が結構いるわよね。けど、確かに猫のフォルムは神がデザインした生き物の中でも上の方だと思うわよ」
「でしょ! それでね、今作っている修道院附属の喫茶店にも、この猫達スペースを作れないか提案中なの」
「喫茶店に? それって、もしかして猫カフェってやつじゃない」
目を輝かせて猫カフェ計画について語るウェレナは、まさに今が最も充実しているという表情だ。
「ただの猫カフェじゃないわ。新しい飼い主さんと顔合わせするための、保護猫カフェにしたいの。どんどん野良猫が増えるから修道院でずっと飼えるわけではないし、せめて優しいご主人様とで会えればって」
「そっか。カシスさんは呼吸器の病気だから、もう猫ちゃんは飼ってはいけないそうだし。この猫ちゃんも、新しいご主人様を探さなきゃならないものね」
「うん。ノカちゃんや他の子も、気温が暖かくなった頃には新天地に行けるようにね」
カシス嬢が飼っていた猫の名前は、いつの間にか『ノカちゃん』に決定していたようだ。おそらく、『やんのかステップ』から取った名称だろう。男の子だったらヤン、女の子だったらノカ、と言ったところか。
お腹がいっぱいになって眠いのか、ノカちゃんも他の猫達に混ざりソファの上で丸くなって寝てしまった。
(こんな可愛い猫達も、中世では魔女狩りの標的になっていたなんて信じられないけれど。今の時代に、野良猫を教会が保護するのは当時の贖罪なのかも知れないわね)
* * *
ノカちゃんと名付けられた猫は、まだ産まれて間もない頃の夢を見ていた。猫と呼ぶには頼りない毛玉だった頃、彼女の周りには古い糸車があった。蚕の絹糸を摂るためのそれは、役割を失ったせいでただのアンティーク家具扱い。
けれど人々が寝静まった夜中に、昔生きていた魔女の魂が糸車を動かしていたことを猫は知っている。
『カタカタ、音が鳴ってるにゃ』
『あら、猫ちゃんには私が見えるの? 待っててね、もうすぐ終わるから』
『にゃあ』
魔女はシルクの玉を一つ作り上げると、満足そうに木の椅子からゆっくりと立ち上がる。そして、小さな玉に何かを語りかけると不思議なことに白い子猫が現れた。
『みゅう、みゅう……』
『貴女の新しいお友達よ、仲良くね』
翌朝、白い子猫はたまたま屋敷に遊びに来ていた来客に大層気に入られて、すぐに出て行ってしまった。
『公爵様、あの白い子猫をお気に召したようでしたね』
『なんでも、姪っ子さんが猫を欲しがっていたとかで。ちょうどタイミングがあったのでしょう。迷い込んできた野良猫なのに、運が良いわ』
せっかく魔女が作ってくれた新しいお友達とすぐに離れ離れになってしまい、ノカはとても哀しかった。いろいろあってあの屋敷からも飛び出してしまったが、猫の毛玉が呼吸器に悪いとお医者様が話しているのを聞いて家出を決意したのだ。後悔はしていないし、新しい居場所も居心地が良いので問題ない。
(後悔、しないのニャ。だって、今は仲間の毛玉に囲まれて幸せ……)
すやすや眠る猫達は、実は全て魔女が糸車で作った毛玉なのだろうか。それともノカとあの白い子猫だけが、魔女の使い魔か?
気がつけば時を超える手紙は火に焚べられて、ノカの最初のご主人様の悲劇の手紙はなかったことになっていた。けれど、魔女の糸車は何度も繰り返されたタイムリープを全て糸として紡いでいたし、その紡いだ糸の余剰な魔力は小さな毛玉として今も命を帯びて生きているのだ。
辛い因果は炎に消えて、柔らかい毛玉だけがすやすやと寝息を立てて眠っている。




