07
月明かりが照らす、満月の晩。
フィオナの根城であるコテージに、王宮内で偵察を行っていた侍女が報告に戻ってきた。
コンコンコン!
「体調は如何でしょうか、フィオナ様」
「平気よ。入って」
侍女は表向き、療養中のフィオナの容態を王宮へと報告する係だった。が、今では王宮の様子をフィオナに密告するのが仕事である。いわゆる二重スパイの状態で、ミイラ取りがミイラになりフィオナ派になった者の一人だ。
「フィオナ様。どうやら王宮では明日、ヒメリア・ルーインの花嫁衣装の衣装合わせが行われるそうで。予定を決行するのなら、最適かと」
「そう……いよいよなのね。分かったわ、貴女も小さな子供が待っているのだから、もう帰りなさい」
「はっ。息子を救って下さったご恩は必ずや……」
侍女の息子はまだ幼く、強い薬が飲めないため治療法が見つからず、熱病で危うく命を落とすところだった。だが、フィオナが持つ魔女の知恵で……俗にいう民間療法のハーブ薬で、息子は一命を取り留めたのである。
魔女の知恵が人命を救ったのは、今に限ったことではない。遠い昔、まだこの島が干渉島と呼ばれていた頃にも、大陸からやって来た魔女に救われた命は幾つもあった。
だが、島の人間も共に大陸から流されて来た別の人々も結局魔女を裏切って、残酷な魔女狩りを行ったのだ。知るはずのない記憶を、フィオナは遠い記憶のように深く深く思い起こす。
「嗚呼、今日もまた私の魂に古い魔女の記憶が流れ込んでくる。月明かりが古い記憶を夢で見せるように、魔女の無念を晴らすのが私の使命なんだわ……」
* * *
クルスペーラ王太子との結婚が迫る中、次期王妃に選ばれたヒメリア・ルーインも、真夜中のベッドの中で誰かの記憶を夢に見た。
(これは夢……それとも現実? 私に、伝えたい記憶があるの)
かつて、中央大陸には伝説の王すら恐れる九人の魔女がいた。彼女達は若い乙女でありながら、不思議な予知能力と炎を司る魔力を持ち、道具を使わずに火を起こす彼女達を神と崇める者もいるほど。
絶対的な権力者が必要とされた古代文明において、王の座を脅かす魔女達は要らない存在だった。
「国王様、このままでは我が帝国は魔女達にいずれ支配されてしまいます。どうでしょう? 上手く言いくるめて、九人の魔女を辺境の干渉島に送ってみては」
「確かに干渉島のような不便な場所に送ってしまえば、易々と戻って来れないだろう。確か、現地には女神信仰の先住民族が住んでいたが……」
「先住民族達なら、大陸からの交易品で土地の一部を借りられるように手配出来ますよ。あれほど不便な場所で、大陸の珍しい交易品に興味が沸かないはずはない。なんせ、高価な絹糸を安い嗜好品と物々交換してしまうような価値観ですし」
ペリメーラ島はその昔『干渉島』と呼ばれていて、その証拠は海賊が大事に保管していた古い地図に記されている。この世の楽園であり、魚も果物も無限に取れるため、定住先として理想的であると。
そして、干渉島には時を繰り返す糸を吐き出す蚕が生息していて、女神はそれを管理しているのだとも言われていた。
次第に大陸の人々は干渉島の女神伝説を迷信だと軽く見るようになり、貴重な魚や果物、価値の高い絹糸を安く仕入れられる便利な島くらいにしか思わなくなっていた。
「交易品か……干渉島の絹糸ほど、我々からすると価値が高いものはないが。向こうからすれば、大陸のものが魅力的なんだろうな」
「先住民族と貿易商人がその都度交渉するのも手間ですし、現地に魔女をはじめとする島流し予定の者を送り込んでしまいましょう。経済的にみても一石二鳥だ」
王と参謀が、魔女の島流しと干渉島の支配を同時に進める計画をしてからしばらくすると、いよいよ船の準備が整う。
片道切符であろう乗船になるが、処刑を免られるならと島流しを喜んで受け入れる者も複数。体裁上、島流しは教会の温情ということになっていて、ギロチンよりは遥かに軽い罰とされていた。
だが、魔女達は勘が良いのか九人のうち四人は大陸に残ると言い始める。
「全ての魔女が干渉島に渡ってしまうと、大陸の困っている人々を見捨てることになります。せめて半分は、大陸に残ろうと思うのです」
頑なに大陸を離れない四人の魔女達に、苛立ちを覚える司祭もいたが。彼女達の民間療法に頼る庶民達に暴動を起こされても困ると、その条件で計画を進めることになった。
「ふん……まぁいい。魔女が大きな儀式を完成させるには、九人全員のチカラが必要だ。それに島に五人も渡ってしまったら、大陸の四人では半分以下じゃないか。魔女は数が数えられない馬鹿なのか」
「所詮、世間知らずの女どもということですよ。王も参謀も魔女達を必要以上に恐れすぎている。話してみれば、ただの赤い髪の若い女さ」
魔女達は数が数えられないのではなく、仲間のうちの一人が胎内に赤子を身籠ったことを知っていただけだ。けれど、その事実は赤子の命を守るために、固く閉ざされた。
そして、島流しにあった魔女達は数年おきに一人ずつ魔女狩りと称して殺されていき、大陸に残った魔女も同じように消えていった。
「みんな、みんな消えてしまったわ。私達は赤毛の魔女だから。島の女神様は魔女を助けてくれると約束したらしいけど、人間は女神様の言うことを聞かなくなっていた。私が島にお祈りへと巡礼した時には、ペリメーラ島は鎖国すると言って大陸との縁を切った。もはや、あの島には何も残らない……けれど、せめて私だけはこの想いと知恵を記録に残そう……」
赤子はやがて大陸の人々に紛れて魔女である正体を隠し、美しい大人の女性に成長する。そして、魔女達の唯一の生き残りとして後世に魔女の知恵を残した。
赤い髪の女性の後ろ姿がヒメリアの目に映る。
魔女の生き残りである彼女の後ろ姿は、ヒメリアの知る誰かによく似ていた。
「ねぇ……貴女は、誰なの?」
「私のこと、覚えていないのね……女神様の嘘吐き」
女性が哀しそうな目で振り返ると、ヒメリアを見て確かに『女神様』と呼んだ。
ヒメリアの夢は、そこでプツリと途切れた。
変わらない朝が来て、ついに花嫁衣装試着の当日である。もうすぐ、三度目のタイムリープが幕を閉じようとしていた。
――誰かに手によって、強制的に。




