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扉の隙間から白い手  作者: 金切 白花
扉の隙間から白い手
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第六話 体温。怖気と鳥肌。

 気付いた時には、白い手は消えていた。変わりにいつもの女の子が俺の顔をじっと視ていた。お姉さん座りをしていた彼女は立ち上がり、両手を広げてクルクルと踊りだす。それからバレエダンサーのように、さっと足を広げて優雅に飛びあがり、着地を決めた。

 そうやって可愛らしく踊りを披露してくれたのだが、女の子は恥ずかしそうに廊下の陰に隠れるのだった。


 彼女なりの励まし方、だったのだろうか。恥ずかしげにこちらを伺う女の子に、ありがとうと心の中で言う。少し落ち着きを取り戻した俺は、ショルダーバックからウェットティッシュを取り出して右手を拭った。あの忌々しい体液は拭い去ることができたが、据えたゴキブリの体液の臭いはどうしても取れない。


 今すぐ帰りたい。だが空き家とはいえ、ここもまたうちの家だ。そこに何かが住みついているのは非常によろしくない事だ。早々に正体を突き止めて、その何かにお帰り願いたいと思う。


 俺は立ち上がり、再び廊下を歩きだす。中庭から差し込む光はさっきより暗くなってきていた。曇り空というせいもあるだろう、暗くなるのがいつもより早い。俺はどの部屋に行くか悩んだが、とりあえず両親の寝室がここから近いのでそこに向かうことにした。

 



 寝室の引き戸は障子が貼られているが、それは黄ばんでいて、ところどころ破けていた。滑りが悪くなった戸をこじ開けると、がたがたがたと派手な音が鳴る。部屋には埃にまみれた、乾いた草の匂いがする畳が残っていた。畳はだいぶ傷んでおり、裸足で歩けば、けば立ちですぐに怪我をしてしまうだろう。

 

 ここに住んでいたときは、俺はこの部屋が苦手で中に入る機会は少なかった。苦手だった原因は、部屋の上方に等間隔に並べられている。懐中電灯で照らすと、飾られていた先祖代々の人物が写された写真が浮かび上がった。


 どれも同じように視える濃い茶色に染色された額縁。それに入っているほとんどが、時代を感じさせる、色のない白黒の写真だ。写真の中で、俺が知っている顔は祖父と祖母くらいだった。他の写真の人物は、俺が生まれた時には亡くなっているはずだ。

 

 こちらを視つめてくる写真たち。


 写真の中の人物たちは目が無機物な感じを受ける。とくに白黒だからだろうか。カラー写真ならまだ生気を感じるかもしれない。作り物めいた血縁関係者たちと目線を絡ませる。ある程度症状が緩和していても、人の視線がやはり怖い。それでも俺は、視線を逸らすことができず、乾いた喉を鳴らしながら生唾を飲んだ。


 ……目の錯覚だろうか。写真が大きく近づいたり、離れたり。この部屋にいるにつれて写真たちがそんな風に視えだした。

 まずい、と思った。体調が悪い時の幻覚症状だ。人の、写真の中に在る人間だったものの視線が、俺の精神に負荷をかける。俺は慌てて目を背けた。




 かたかたかたかた。


 怯える俺の耳が物音を捉えた。音を立てる存在は、さっきよりも俺に近づいてきているようだ。ここに来てから、俺の心は休息を知らずにいる。

 ごとごと、と天井からも音がした。天井の音に関しては、ネズミだろう。きっとそうに違いない。……だが、ネズミはこんなに体重のある物音を立てるものなのか?行きたくはないが、天井部分にある二階の部屋に昇ってその正体を暴くべきだろうか。




 寝室から出て、今度は父の書斎に向かった。父の部屋は中庭を囲む廊下の突き当りにある。女の子に導かれながら、俺は廊下を進んで開き戸の前に立つ。この部屋も、住んでいた時にはあまり入ったことがない。

 

 この旧家は全体的に和風な造りであるが、父の書斎に関しては、洋風に改装してあり、入り口の扉は開き戸となっている。 昔の習慣でノックしそうになったが、俺は思いとどまってドアノブに手をかけた。

 

 扉を開いて中を覗くと、開放感のある大きな窓と、白い床、壁、そして天井が見えた。それらは十分な光を取り込み、部屋のコントラストを明るくしている。後ろ手にドアを閉めて中に入る。その時、俺は念のためであったのだが、ちょっとだけ隙間を開けておくことにした。


 さて、問題の足跡はここにもあった。

だが床だけでなく、壁にも人が歩いたような跡があった。……いったいどうやって足跡を残したのだろう。頭をひねっても、不思議は解決することはなさそうだ。俺は立て膝をつき、足跡に目を凝らした。

 その時。


 ドンッ!!

 という音が響いた。足跡に神経を集中させていた俺は、突然の物音に文字通り飛びあがった。音がしたのは窓のほうからだった。俺は慌てて窓へと近づき、外を(うかが)った。


 窓のすぐ外の地面に鴉が転がっていた。気絶しているのか、死んでいるのか。恐らく鴉は窓が視えていなかったのだろう。透明な壁が鴉の行く手を阻み、ガラスに当たってそのまま地面に落ちたのだ。

 死は、こんなにもすぐ傍に在る、と誰かが囁く。 

 

 ふと気付くと、女の子が俺の横にいた。窓に手を当てて鴉を視ていた。

 

 俺は何もできず、女の子と鴉を眺めていた。するとしばらくして、鴉は虚ろな眼をしながらもぴくぴくと動き出した。俺は鴉が生きていたことに胸を撫で下ろす。頭をブルブルと振るわせて片足で毛づくろいをした後、鴉は静かに空に還っていった。

 しかし、鴉は何に目掛けて飛んできたのだろうか? そんな考えが頭を(よぎ)ったその時だった。 


 ――さわり(・・・)、と。


 突然、首筋の後ろに、体温を感じた。全身の毛穴が一斉に縮こまるような感覚が、全身の皮膚を走る。

 そして、誰かの視線が俺を舐め回すのを感じた。後ろを振り向くと、扉の隙間から、充血するほど見開く目がこちらを見ていた。そして、バタンと勢いよく扉が閉じられた。  

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