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扉の隙間から白い手  作者: 金切 白花
扉の隙間から白い手
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第三話 踊る埃と、暗い部屋と。

 ネットカフェの慣れないソファでうつらうつらとしている間、俺は胸を搔き乱す夢を見ていたのかもしれない。目が覚めると、涙がとめどなく溢れていたらしく、顔を幾筋か涙の跡が伝っていた。意識が覚醒してからも再び目を瞑る。そうやって悲しい夢を見た後に、残る痛みに耐えていると、誰かがそっと頬を撫でてくれた気がした。

 

 ……驚いた。

目を開けると、座っている俺の両膝の間、顔の正面に女の子が立っていた。俺の顔を、覗き込むように見上げるその不鮮明な顔は、どんな表情をしているのだろうか。


 俺が瞬きをした瞬間に、女の子はいなくなっていた。正面にある電源の落ちたパソコンの黒い画面に俺の顔が映りこむ。今にも吐きそうなひどい表情だ。眠る前に薬を飲んでおけばよかったと後悔した。足元に置いていたショルダーバックから、ペットボトルとピルケースを取り出した。そしていつも常用している抗鬱(こううつ)剤を喉に流し込む。

 

 手早く準備をして、朝食は摂らずに受付で会計を済ませてから駅に向かった。まだ暗い空の下、都会の町は人工の明かりに包まれており、その中を人々が行き交う。

 一人頭を垂れながら歩いていると、誰かから見られているような気がした。辺りを見回すと、俺を見つめている気配が消える。だが再び歩き出すと、確かに何者かの視線を感じた。怪訝に思いながらも歩く速度を上げて駅へと急ぐ。


 近道をするため、人通りの少ないレンガ道に入った。コツコツ、コツコツと、俺の足音が響く。

歩いていると、その道に並ぶショップのショーウインドウに陰鬱な俺の歩き姿が映りこむ。俺はそれをなるべく見ないように目を逸らした。今の不安定な精神が、ショーウインドウに何を映すかは分からないからだ。


 視線を逸らした先にあったのは、月も見えない真っ暗な空だった。さらに気持ちが滅入ってしまいそうだと思い、仕方なく前を向いて足早に歩く。

 その時だった。俺の足音に、誰かの足音がかすかに混じり合ったのは。

 



 始発の電車に乗って、約2時間。実家にたどり着いたときには7時半ばを過ぎていた。到着すると、久しぶりの実家の空気によって、張り詰めっぱなしだった緊張をやっと解くことができた。出迎えてくれた母が朝食を用意してくれていた。食べて腹が膨れると、いつの間にかこたつの中で深く眠っていた。二度目の眠りは、夢を見ることなく深く深く無意識の海に沈むことができた。


 目が覚めたときには、とっくに昼過ぎだった。両目を擦って上半身を起こすと、父がこたつの向こうで静かに本を読んでいた。長い間の苦労をまとったような、威厳のある顔だち。しかしその目はどこまでも穏やかだった。


「千也。起きたか」

「ああ」


 こたつから抜けだして立ち上がる。膝がぎちぎちと音をあげた。


「行くのか?」

「そろそろ行く。陽が沈まないうちに戻るから」


 俺も父も、会話を楽しむ性格ではない。だから会話はどうしても淡白なものになってしまう。しかしそれは苦痛ではないため、変に気負わずに済む。

 だが最近思う。俺ともっと話したいことが、父にはあるのではないか、と。 父が話したいことをぐっと我慢しているようだと、なんとなく察する。いったい、何を俺に伝えたいのだろうか。


 眠気を醒ますためシャワーを浴びて動きやすい服に着替えた。軍手と懐中電灯など、必要なものをショルダーバックに詰めて父のいる部屋に戻ると、父が昔の実家の鍵を用意して待っていた。

 鍵を預かり、部屋を出ていこうとする時に父が声をかける。


「……気をつけてな」


 振り向くと、父がそっと俺の顔を見つめていた。

 

「分かった。行ってくる」


 そう返事をして、僅かに不安げな表情を見せる父の視線から逃げた。




 自転車を10分ほど漕いで、久しぶりに昔の家と再会する。

午後を過ぎて曇り空になってきたためか、あるいは背の高いブロック塀に囲まれているせいか。廃れるままの旧実家は、暗い印象を受ける。

 大きい家の外観を見回す。玄関の引き戸や窓のガラスは割れてはいない。わらの混じった土壁と、後から補強で入れた材木や鉄柱が少しアンバランスだ。屋根瓦は、見える範囲では壊れているところはなさそうだった。


 草取りは、有難いことに(たま)に近所の人に手伝ってもらいながらしていたとのことだった。そのおかげもあって、雑草に覆われるなんて事にはなっていない。家の中も一応点検はしていたそうだが、ここ数ヶ月、父が腰を悪くしてからは中にはあまり入っていないという。

 

 玄関の引き戸に手を伸ばす。鍵を差し込み回そうとするが、建付けが悪くうまく回らない。左手で引き戸を少し引っ張りながら鍵を回すと、カチッと鍵が回った。ガラガラと音を立てて引き戸を開けると、昼間なのに家の中は薄暗く、部屋全体の輪郭は曖昧なものとなっていた。だが、懐中電灯をつけなければならないほどではない。窓から外光が入ってそれが足元の目印となるように照らしていた。


 土足のまま玄関を上がり、廊下を進む。 

家の中の空気が揺れて、外の明かりが差し込むところでは無数の埃が光りながら舞っていた。歩を進める度に、廊下の木がぎいぎいと音を立てる。それ以外は無音だった。

 

 ゆっくりと、まずは客間に向かった。障子を開けると、当たり前だが殺風景な空間が広がっていた。

家具もなにもない部屋だ。部屋の隅には、何かしらの道具をいれた黄ばんだ発泡スチロールの箱が無造作に置いてあった。昔住んでいた馴染みのある家だが、何もないと本当に印象が変わる。ほんとに人が住んでいた家だったのかと、疑問を持ちたくなるほどだ。


 客間の壁に目を向けると、俺のひざ下くらいの高さに落書きを見つけた。有名な教育番組のクレイアニメのキャラクターだ。細長い体に丸い頭。頭に生えた間抜けな3本の毛。俺が子供のころ、壁に落書きして怒られた絵だ。あの時はこっぴどく父から怒られた。そのあと父が棚で隠したのだった。

 少しだけ懐かしい気分になる。




 ……がたり。


 唐突に物音がして、肩が無意識にびくりと動いた。家のなかではあるとは思うが、俺がいる客間とは別の部屋か廊下からだろうか。なんだ? ネズミだろか?

 音の正体を突き止めるため、俺は客間をあとにした。


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