大変申し訳ございませんでした。ご主人様
エルンストが逡巡するように、目をゆっくり伏せた。
(嫌だ。ノア様には知られたくない! )
ミラは前髪を分け、右手の平を広げ、ノアへ向けた。
「あの……それは派手に転んでできた右の眉毛の傷とこの手の傷なんですっ! それを気にしてるんだよね? エル兄?」
正直、我ながら卑怯だと思う。
エルンストとの会話を横取りし、有耶無耶にしようとした。
ノアの顔が見れず、エルンストへ顔を向けた。
「……っ」
エルンストは目を伏せたまま、眉を寄せ、無言。
そんなあからさまに動揺した姿を晒されたら、この傷の話だけではないとまるわかりだ。
「ねえ、エル兄……」
すがるようにエルンストへ声を掛ける。
エルンストは顔を上げたが、手に拳を形作っただけ。
代わりにノアが優雅な仕草で組んでいた足を組み替え、ただ静かに、口を開いた。
「エルンスト・アルドワ。辺境で、ミラが『一生消えぬ傷』を負った経緯を包み隠さず話してください」
エルンストは口を歪ませながら、硬い声を返す。
「それはご命令ですか……ラスフィ公子。たかだか辺境の男爵令嬢の昔話ですよ」
「そう。その昔話は、私の専属メイドであるミラの心身の安全に関わります。主人として把握しておくべきでは? それに、男爵家の主たる辺境伯家にも、説明責任がありますよね?」
ノアは鷹揚に頷いた。
エルンストはその命令に、少しの間、沈黙を守った。
ミラの体温が急に下がって行く。
このままではエルンストの口からあの事件の詳細が話されてしまう。
逃げてきた自分。
情けなくて惨めな自分が知られてしまう。
尊敬してやまないノアに。
「ノア様! エル兄! もう……やめて……ください」
ミラはノアへ顔を向け、ただお願いした。凍ったような喉から声を絞り出す。
ノアは視線の端でミラをとらえただけ。
そして、氷のように冷たい声で言い放った。
「ミラ・オーキッド、誰が発言を許した?」
ミラは身を強ばらせたが、すぐに立ち上がり、深く頭を垂れる。
「……大変申し訳ございませんでした。ご主人様」
声も所作も、心がどこか切り離されたようで、自分のものではないような気がした。
視界の端で、ロイドが咎めるようにノアの名を呼ぶが、彼は一瞥し、黙らせた。
ロイドは、背もたれにどかっと体を預け、組んだ足を揺らす。
「いいよ。もう座って」
ノアが片手をかざした。
椅子に腰掛けたミラは、机の木目の一点をただぼんやりと見つめることしかできなかった。
「さあ、アルドワ令息。どうぞ」
ノアはゆったりと手の平をエルンストへ差し向ける。
エルンストは、何かを抑え込むよう一瞬だけ、ぎり、と歯を食いしばる。
「……承知いたしました。私が知っていることをお話させていただきます」
エルンストはノアをひたり見据えた。
感情を抑えたその声とは裏腹に、瞳の奥には明確な苛立ちと悔しさが滲んでいた。




