いざ王宮へ
ノアと正式に婚約者となったミラは、その後知恵熱で3日寝込んだ。
寝不足のくせに冷たい雨の中逃げた疲労と、ノアからの告白など、全てがキャパオーバーだったらしい。
この数日間ほど目を覚ますと、ノアが当然のようにミラを抱きかかえるようになった。
抱かれたら最後、甲斐甲斐しく顔を拭かれたり、ご飯を手ずから食べさせられる。
これほど誰かに世話をされるのは、赤ちゃんの頃以来だ。
ミラが本気で嫌がればノアはやめるだろうが、なぜかミラは断れない。
ノアの気持ちを知ってしまった今、その行為に明確な愛情を感じてしまう。
そのためか、ノアが触れた途端逃げたくなるが、身体のどこかがノアに触れていないと、そわそわする。
(いきなり立場が変わったことに慣れていないのかも……きっと)
メイドと主人から婚約者、いずれは夫婦になるのだから、慣れなくてはと意気込んだのだが。
「あの……本当に婚約者同士は馬車の中でも膝の上が定位置なんですか?」
「ミラは好きじゃない?」
「……大丈夫です」
唯一これだけは、己の羞恥心が爆発しそうなので抵抗したが、完敗だ。
誰よりも美しい男性にしゅんとしょげられたら、断れるはずがない。
あの事件から1週間が経つ現在、ミラはノアの膝の上かつ、王宮へ向かう馬車に乗せられていた。
ちなみに前公爵という同乗者がいるにも関わらずだ。
アルヴィンによるミラ誘拐事件とノアとミラの婚約を陛下へ直接報告するためだという。
数多の疑問と戸惑いが増殖したが、社畜であるミラはぐっと飲み込み、ひたすら長いものに巻かれることにしたのだ。
世の中には、粛々とやらなければならぬこともある。
気を取り直したミラがキリッとノアを見つめると、ノアは直ぐさま相好を崩す。
途端、向かいの座席から笑い声が飛んでくる。
「はは! 愚息の色ボケが思った以上に見苦しいな!」
「父上には絶対に言われたくありません!」
「どうだか……」
噛み付いたノアに、呆れたように大げさに肩を竦めた前ラスフィ公爵だ。
前公爵に意味ありげにちらりと目を流され、思わずミラは俯き、顔を真っ赤にする。
ミラの様子を捉えた前公爵はおや? と片眉を上げた。
「意外と愚息は好かれていたのか……」
まじまじとノアとミラの顔を交互に見ると、ゆったりと足を組み替えた。
「俺とミラは気持ちのある婚約なので!」
得意げにするノアにいたたまれなくなり、さらに頬が熱くなる。
そうかい、と呆れたため息を落とした前公爵は、切り替えるようにミラへ声を掛ける。
「これからミラは愚息よりも鬱陶しい者たちの相手をするけれど、覚悟は良いかい?」
悠然と問いかけられた言葉の毒が致死量だ。
ノアの纏う空気が剣呑なものに変わり、突然殺気が飛び交う室内だ。
しかし、ノアの気持ちを受け取ったとき、もう腹は括ったのだ。
「どんな相手だろうが構いません!」
きっぱりと言い切ると、前公爵とノアが息を呑んだ。
なぜノアも驚くのだろうか。そこまで意気地なしだと思われていたということなのか。
それにしてはノアが顔を片手で覆い、くるしそうに呻きだした。
「俺のお嫁さんがかっこいい! また惚れちゃうう……」
よく聞き取れず、ノアを覗き込もうとすると、あははと前公爵の爆笑が上がる。
「では私は、可愛い義理の娘をどんな相手からも護ろうかな」
柔らかな笑顔を浮かべた前公爵は、ノアにとても似ていた。
自然と頬を緩ませると、なぜか腰に回った腕がきつくしめられる。
「婚約者の俺が、護るので結構です!」
「……ミラは苦労しそうだね」
前公爵のつぶやきにミラは曖昧な笑顔を返すことしかできなかった。
◇◇◇◇
「……ねえ、私の考えた通りだっただろう?」
「はい。想像以上に……」
王宮に到着したミラはノアにエスコートされ、廊下を歩いていた。
だがつい先程、駆け寄ってきた貴族男性に、突然手を握られると、片膝をついて挨拶された。
驚きで未だに心臓が変な音を刻んでいるミラへ、隣を歩く前公爵が得意げに小さく囁く。
だが、その横でノアはミラの右手を自身のハンカチでごしごしと拭っていた。
つい先程、握られた箇所だ。
親の仇のように拭われるミラの手は、摩擦で赤くなっている
「くそ! ミラの手を勝手に握るなんて! 許さない……変態め……」
初めての王宮をじっくり見てみたかったのだが、無理そうだ。
現在、注目を集めてしかたがない麗しい貴公子2人を無視して、ミラへ強い視線が注がれている。
その視線が問題なのだ。
不躾な値踏みをするようなものであれば、反骨心ではねのけられる。
けれど、明らかにミラよりも爵位が上であろう貴族から、狂気すら感じられる視線をねちっこく受けるのは堪えてしまう。
「見たところ、先程のマクロライド宰相みたいな狂信者はそうそういないはずだから。……王家以外」
前公爵はなんともないように言うが、最後の1言の重みが心をえぐる。
ふと隣に目をやると、射抜くような鋭い瞳が行き交う貴族たちを見据えていた。
頼もしい、敬愛する『氷血の貴公子ノア・ラスフィ公爵』の顔だ。
どこまでも自分はノアに守られていたのだな。
今ほどこう思わずにはいられなかった。
「もうここまで来たら、大丈夫だよ」
針のむしろのような絢爛豪華な廊下を抜けた先、王宮の最奥へと足を踏み入れると、ノアが言った。
渡り廊下を渡るたびに、人気はなくなり、荘厳さは増していく。
恐ろしいことに内装の色彩が白の大理石とアメトリンを思わせるすみれ色と金色ばかりなことだ。
(……尊き色)
「どこかの神殿みたいで、すごいですね」
「あー、そうかも。でもミラのほうがキレイな色だよ」
圧倒されたミラがそう漏らすと、ノアは安心させるように微笑む。
つい重くなった足取りがほんの少しだけ軽くなる。
しばらく進んだ先、白大理石の重厚な扉の前で前公爵は足を止める。
「……ではいこうか」
心の準備をする間をミラに与えず、前公爵は扉を開けた。
「えっ?」




