ニセモノ、本物、傷もの 2
「アルヴィン殿下への、はったりではないですか?」
聞き間違いではないようだ。もう一つ考えついたことを尋ねる。
「はったりなんかで、そんな大事なこと言えないよ……」
ノアにじとっと非難がましい目を向けられた。
その視線に、謎に追い詰められたような心地に陥る。
実際はノアの膝の上であり、考えすぎだ。
「そもそもノア様の婚姻にはしきたりがあるのでは?」
「ミラも王族だよね」
ノアがキョトンと返してくるが、さらに追い詰められた気がしてならない。
だが、自分とノアが婚約なんてありえない。
いや、しきたり云々の前に、保護者の公爵様が許さないだろう。王族かもしれない傷ものメイドとなんて。
きっとそうだ。そうに違いない。
ぎゅっと膝の上で拳を握る。
「その……公爵様はなんと?」
「ん? 俺はミラと婚約したいなーって……」
顔を赤くし、おどおどとしだすノアに、ミラはぎゅぎゅっと眉間にシワを寄せた。
頬を染める美青年を不審者のように数秒見つめ、ミラはあることに思い至る。
「そうです! ノア様が公爵って?!」
「うん。先週に、正式に父上から爵位を継いだんだ。卒業したら本格的に領地経営とか仕事する予定。それまでは父上が実務を代行するよ」
ショックで言葉を失うしかない。主人の折角の晴れ舞台を知らされずにいた。
屋敷の同僚からすら連絡なかったんだが。
「……おめでとうございます。ノア・ラスフィ公爵様」
ミラはなんとか言祝ぐとぺこりと頭を下げる。
ありがとう、と軽い調子で返すノアは、話題を戻す。
「あのね。父上もこの婚約には賛成だし、爵位も喜んで譲ってくれたよ」
「…………」
ミラはつい眉をしかめた。ノアは僅かに笑うと、指を1本ずつ折りながら続けた。
「まず爵位の件。王宮にもう出仕したくない父上たっての希望だからね」
「前公爵様のご希望……ですか」
王宮への出仕なんて誰もが羨むことなのに、と思わないでもない。
だがアルヴィンを知る今、前公爵の気持ちがわかりにわかる。
むしろおこがましいが前公爵に憐れみすら感じる。
「婚約の件も同じ。生前、母上からの遺言でミラのことを頼まれてたらしいんだ」
「私のこと……ですか?」
ラスフィ公爵夫人とは、生前、数通の手紙をやりとりした程度だ。
そこまで気にかけていただく間柄でもないような。
ノアの瞳が柔らかく細まった。思い出を懐かしむような本当に優しい表情だ。
「うん。母上が父上に『彼女が自分の人生を生きられるよう助けてあげてね』という手紙を残してしたんだ」
咄嗟にミラは何も答えられなかった。
⸺遺言だから傷ものの私なんかと婚約したんだ
ほっとしたのと同時に、ずんと胸の奥が重くなる。
つい最近味わったこの落胆にも似た気持ち。
どうして落胆したのか。自分の気持ちを追求するのが、怖い。
黙って固まり続けるミラの膝の上の拳にノアの手が重なる。
なにかを決意したように背筋をしゃんと伸ばしたノアがいた。
重ねられた手が、ミラの手を強く握る。
「ご両親からも了承あるし、正式な婚約者なんだ。公爵になったのも、ミラを守りたかったからなんだ」
真剣なノアの言葉に、ミラは息を詰める。
声が硬く上擦っているのは、それだけノアの想いがこめてあるから。
同情か、遺言への義務と責任感なのか。それでもノアの優しさをひしひしと伝える。
そこでノアは表情を曇らせる。
「これでミラに誰も手は出せなくなったはずなんだけどさ……」
窺うようにミラをちらりとみつめるノアだ。
ミラは呼吸もままならないくらい、胸が激しく痛む。
(……感謝しないとダメ……だよね? )
ラスフィ公爵家一家の過ぎた優しさが苦しい。
せめぎ合う心は彼らの優しさ無下にしたようで、主人一家への忠誠心がミラを苛む。
「いえ……ありがとう……ございます」
どこか虚ろにミラは返す。
「いいよ。俺がミラを守りたかったんだ」
ノアはなぜかほっとしたように口元を綻ばせた。
まるでなにかを達成したような、荷が降りたような表情に見えてしまう。
言葉もないミラは、不審がられないよう笑みを作る。
すると、ノアはそわそわと視線を車窓に向け、黙り込む。
ミラが俯き、右眉を隠すように前髪を握ったところで、ゆっくりと馬車が止まる。ラスフィ公爵家へ到着した。
馴染みの御者が扉を開ける。
すっかり空は夜の色に染まり、満ちた月がかかっていた。
闇に煌々と浮かび上がる玄関前には一糸乱れぬ使用人たちが並び、主人の帰宅を出迎えていた。




