幸せなはずのダンス練習
「あのさ! じゃ、今から一緒に俺と踊ろう!」
「へ? あ、はい」
返事をしたやいなや、ノアに肩を抱かれさらうようにホールの中央へ連れられた。
大きな窓から差し込む陽光にシャンデリアが照らされ、眩い光をふりまく真下へ。
いたずらが成功したような笑顔でノアがダンスを誘う。
「あいつに先にダンス誘われる前に踊ろう! ミラ」
(エリカ様からダンス誘われる……んだ。ノア様は)
途端に、目の前にあるミラの手より二回りも大きい手が知らない人のものに見える。
差し出された手は先程と同じはずなのに。
そのせいか無性に触れたくなった。
もしかしたら確かめたかったのかもしれない。
「お願いします。ノア様」
ノアの手をミラはそっと指先だけで握る。
触れた手は大きく、やはり温かい。
自分でも驚くほど心が安らいだ。
冷えた手、胸さえ、じんわり温かいものに包まれたような気がして。
ほんの少しだけ視界が滲んでしまう。
しかし、強く手を握り返したノアに腰をぐっと引き寄せられ、ステップをともに踏み始めた途端。
「ふふ、楽しいです」
そんな言葉が不思議と笑いとともに口をついて出た。
「俺も……楽しい」
アメジストの瞳にミラだけを映したノアが無邪気に笑う。
どこか甘いような、熱っぽい眼差しは彼の喜びをまっすぐ伝える。
なんだかむずかゆいような心地で、ミラはそろりと見つめ返す。
(お屋敷で2人だけで踊ったときに戻ったみたい……)
同じ記憶を思い出したように同時に2人はぷっと噴き出す。
2人は笑い合いながら、淀み無くステップを交わし、自然とターンした。
フロアの中央、ミラのスカートがゆったり舞う。
ノアと呼吸までも合わさったような一体感に。
⸺このままずっと2人で踊りたいな
ミラの心に甘く芽吹く。
だが不意に顔を向けた先、惚けた表情のエリカがこちらを向いていた。
瞬間、のぼせた頭が冷える。
(……ノア様には……エリカ様が……いた)
焦燥めいた迷いが足元を遅らせる。
だが、ノアの華麗なリードで足を踏まずに済んだ。
「ミラ……どうした?」
ご主人様の優しさに触れてしまい、胸が張り裂けそう。
「久しぶりだったので……」
気にしないふりをして、強張る口元で笑う。
メイドはご主人様の前で心を揺らさないから。
ノアはいつも通り、己を優しく導いてくれる。いつだって。
「そ? 久しぶりだからいっぱい踊ろう! まだミラと踊りたいな……」
「……はい」
ご主人様がこの時間の終わりを惜しんでいる。
幸せなはずなのに。
切ない。
息さえできなくなるほど。
⸺これが練習だから
滲みだす視界を我慢するために、ぐっと唇を噛み締める。
「本当は……ミラと踊るの、俺だけでいいのに」
「え?」
ふとノアがじっとどこかを睨みつけ、消え入るような声で言った。
ミラはこみ上げる想いを落ち着けるだけで精一杯だ。
「ううん。俺が踊らせなければいいだけだよね?」
「え? はい。そうですね?」
にっこりと笑うノアだ。
はぐらかすように、それでいて確固たるものを感じさせるご主人様の笑顔に、ミラは首肯を繰り返した。




