9.短気は損気
『バシンっ‼︎』
クレア王女の突然の暴挙に王妃様の叫び声があがり、叩かれた頬がジンジンと痛むがジッと耐えた。
「クレア何て事をするの‼︎アイシャに謝りなさい‼︎‼︎」
「お母様は黙ってて‼︎これはわたくしとこの性悪女との問題よ!ノアお兄様を誑かしたのは貴方ね。
どんな女にも靡かなかったお兄様が令嬢の家を訪ねたと聞いたから心配してたのに、今度はお母様までたらしこもうって訳ね‼︎何が目的よ。貴方なんかにわたくしの大事なお兄様は渡さないわ!」
なんだこのブラコン王女は?
私の脳内で昼のメロドラマのワンシーンが流れていた。
『この泥棒猫がぁぁぁ‼︎‼︎』
さしずめ私は大切な夫を奪った浮気相手というところかしらねぇ………
目の前で様々に罵倒されるが、クレア王女がヒートアップすればする程私の脳は静かに冷めていく。
「黙ってないで何か言ったらどうなの!」
周りの状況を見る余裕も出てきた私の目には、周りで控える困惑顔のメイドやどうにか止めようと窺っている王妃様の姿が映る。
挨拶なんてしなくていいわよね。
「話も長くなりそうですし、お掛けになったらいかがですか?」
虚をつかれたクレア王女がドカッと乱暴に前の席に腰掛ける。
勇気のあるメイドがひとりお茶を入れたカップをテーブルに置き、クレア王女が口をつけた時………
『バシャッ!』
「きゃぁ!………」
「こんなマズイお茶飲めるわけないじゃない‼︎‼︎」
あろう事か、クレア王女がそのメイドに向けお茶の入ったカップを叩きつけた。
………パッリーン………プッチン………
カップが割れる音を聞き、堪忍袋の緒がプッツン切れた。
おもむろに立ち上がった私は紅茶が並々と注がれたカップを持ち、クレア王女に近づくと王女の頭上でカップをひっくり返す。
「きゃぁーーーっ!」
「紅茶をかけられたご気分はいかがですか?これで少しはメイドの気持ちも分かったのではありませんか?」
「何すんのよぉ‼︎‼︎‼︎」
憤怒の表情のクレア王女が立ち上がり私に掴みかかろうと伸ばした手をすんでんのところでかわし、間髪を入れず平手打ちをくらわしていた。
崩折れるクレア王女を見下ろし静かに言い放つ。
「上に立つ者の行動には、それ相応の責任が伴います。貴方様の一挙手一投足で下位の者の人生まで変えてしまう事を知らない訳ではありませんよね?
クレア王女殿下、貴方がお茶を浴びせたメイドの今後がどうなるか考えた事がありますか?
ここに集まる使用人の方々が愚かな事をする者達でない事を願いますが、人という物は時に残酷なものです。たった一度高位の者の反感をかっただけで、昨日まで親しくしていた者達が、敵に回ることは決して珍しい事ではありません。その者達に爪弾きにされ人生を狂わされた者達の事を考えたことはありますか?」
私の中に前世の記憶が蘇る。
私が働く商社は男社会だった。
その中でひとり同期で一緒になった女性がいた。女同士すぐに気が合い親友になるのに時間はかからなかった。仕事も卒なくこなし大きな仕事も取ってくる彼女はとても優秀で男女関係なく慕われていた。
………彼女は私の自慢だった………
しかしある時、任されていた大きなプロジェクトが失敗した。もちろん彼女の責任ではない。
情勢を読み間違えた上司が全て悪かったのにその責任を全て彼女に押し付け、部下の前で罵倒した。中堅企業では、彼女の悪評はあっという間に広がり、居づらくなった彼女は逃げるように会社を辞めていった。
私は何も出来なかった。
結局親友と言っても周りの悪評を覆すため行動を起こす事もしなかった。私は彼女にとって他の同僚と同じ敵でしかなかったのだろう。あれ以来、彼女から連絡が来ることはなかった。
今彼女がどうしているのか、幸せな人生を送っているのか、死んでしまった私には知るよしもない。
「………」
崩折れたまま動かないクレア王女を一瞥し、王妃様に向き直る。
「王妃様、お見苦しいところをお見せし申し訳ありませんでした。
これにて御前失礼致します」
私はカーテシーを取り辞去の挨拶を終えると急ぎその場を後にした。
………やってしまった…やってしまった………
私は王城内の門扉を目指し早歩きで進んでいた。
心臓が煩いくらいにバクバクと音を立てる。
冷静になって考えると、とんでもない事をしでかしてしまったとわかる。堪忍袋の緒が切れたと言えども、クレア王女殿下の頭から紅茶を浴びせ、しかも平手打ちまでしてしまったのはやり過ぎだ。
………私、死んだな………………
クレア王女殿下に不敬罪で訴えられたら極刑は免れない。万が一、情状酌量の余地があったとしてもお家取り潰しは免れないだろう。
お父様、お母様、ついでにダニエルお兄様………
親不孝なアイシャをお許しください。
あぁ、7年間という短い人生だった。
今度生まれ変わる時はスマホもBL本もある現代日本でお願いします。
頭の中でグルグルしていた私はむやみやたらに歩き回っていたらしい。
「………ここ…どこ?」
非常にマズイことに、王城内で迷子になったようだ。
なぜこの一大事に迷子になるよぉぉ
早くリンベル伯爵家に帰って、両親に今日の事を伝え、今後の対策を練らないと手遅れになるのに‼︎
とにかく外に出られればいい。
私は手当たり次第、扉を開けながら進むことにした。
キョロキョロしながら早足で歩いていたため前を見ていなかった私は、曲がり角で人にぶつかった。
「きゃっ‼︎」
ぶつかった反動で尻もちをつき、思わず前を向くと………
「お前、ここで何してんだ?」
私の天敵、赤髪の奴がいやがった。
「痛いわねぇ、前向いて歩きなさいよ!」
「………それはこっちの台詞だ!
そんな事より何でお前が王城にいるんだ?ここはお子様が来るところじゃないだろう」
いちいちカンに障る奴ねぇ………
10歳のお子様にお子様呼ばわりされたくないわよ!こちとら29歳+7歳だ。
「わたくしは王妃様のお茶会に呼ばれて来ましたの。」
「………王妃様のお茶会ねぇ………
で、何でお前は王妃様のお茶会に来たはずなのに重要機密飛び交う王城の中枢にいるんだろうなぁ~?」
「………はっ⁇」
重要機密飛び交う王城の中枢?
部外者が居たんじゃマズくないか?
私の背中を冷や汗が流れる。
不敬罪で捕まるのと不審者で捕まるのどっちがマシだろうか………
背に腹は変えられない。
昨日の敵は今日の友と言うしな!
私は立ち上がると目の前の赤髪の奴の腕を掴み引っ張り胸に飛び込んでみた。
伝家の宝刀ウルウル涙目&上目遣い攻撃を仕掛ける。
「………リアム様、わたくし追われておりますの………
どうかお願いです。わたくしを王城の外へ逃してくださいませ。」
「………」
見上げた先のリアムが固まっている。
………ちっ!正気に戻れーーー!!
その時、遠くの方から本当に私を探す複数の声が聞こえてきた。
マズいぃぃぃぃぃ‼︎‼︎
「リアム様!早く、捕まってしまいますわ‼︎」
やっと正気に戻ったリアムの手を引き走りだす。
「お前、本当に追われているのか⁈
何やらかしたんだよ………」
「………はは…ははは………」
私の口からは渇いた笑いしか出てこない。
いつの間にか引っ張って走っていた私を追い越しリアムが私の手を引っ張り走っていく。
あっという間に門扉に到着した私は、外に止めてあったリンベル伯爵家の馬車に乗り、急ぎ出立するように御者に伝えるとゆっくりと馬車が動き出した。
窓から顔を出し叫ぶ。
「リアム様、助けて頂きありがとうございました。このお礼は必ず致しますわ!」
門扉の前に佇むリアムが見えなくなるまで手を振り続けた。
その日の夜………
王城での大事件を知った両親の雷が私に落ちたのは言うまでもない。
しかし、不思議な事に王城からお咎めが言い渡される事は、その日以降もなかった。
どうやら私の人生はこの先も続いて行くことになりそうだ。