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王子様を待っているキミへ  作者: 今野ひなた
48/50

48話

もう、死のうとは思っていなかった。


そんな勇気なんてなかったからだ。


死ねないと、わかっていたからだ。


多分あの時もなんだかんだで俺は死ねなかったのだと思う。


死ぬのには勇気が必要だからだ。死ねる人間は素晴らしい人間だ。それだけの勇気を持った賞賛されるべき人間だ。


だから俺は当たり前のように未来を用意している。就職して、住むところを用意して、明日の予定を立てて。それもこれも死ぬ勇気がないからだ。


生きているのが辛かった。


死ぬ勇気はない、でも生きてることは辛い。


……誰も、助けてくれない。


王子様は来ないと、とっくに気づいていた。


そんな時だった。父さんから電話がかかって来たのは


『おそらく今月中には日本に帰れるはずだ。半月だけだけどな』


また暴力を振るわれる!俺はそれを聞いた瞬間、体を震わせた。


その頃の記憶はあまりない。人はショックを起こすと記憶が飛んでしまうという事を聞いたことがある。多分これもその類なんだろう。


確かに独りは嫌だ。ずっと塞いでしまって死ぬことばかり考えてしまうから。でも父さんに暴力を振るわれるのはもっと嫌だ!部活なんてしているのがバレたらまた殴られる!


世界に絶望しきっていた。


そんな時だった。父さんの日記を見つけたのは。


父さんの部屋に入ったのは掃除をしておけとメールが入ったからだ。本棚からそれを見つけたのは偶然だった。見てはいけないとわかっていても興味には勝てない。俺はその古いノートを開いた。

父さんの高校時代の日記だった。


その時初めて王子様の人となりを知った。


かっこよかった。こんな人が俺のことを助けてくれればと思った。この人が俺の王子様になって、一緒にいてくれたら俺は幸せになれる!もしかしたら智仁が言う王子様みたいに俺と父さんの関係もなんとかしてくれるかもしれない!


毎晩妄想を膨らませた。


ある日王子様が現れて、そして仲良くなって、それで俺は救われてハッピーエンドに向かうのだ!


そうしたらいつのまにか、妄想と現実の違いがわからなくなっていた。


だって妄想の世界の方が楽しいから。楽しいならいいだろ?生きる希望が出てくるなら妄想の中で生きたって良いじゃないか。


演技は得意だ。だから難しくはなかった。

演者も観客も俺一人。それでも幸せだった。

幸せだった。





「ただいま」

「……おかえりなさい」


起きたら暗くなっていた。俺はソファに寝かされていた。きっと倒れてしまっていたんだろう。

今月に入ってから倒れまくっている。どこか悪いのだろうか。


「寝ていたのか」

「あ、すみません……。まだ夕飯を用意していなくて……」

「外で済ませて来た。気にするな」

「ありがとう……ございます……」


いつもならば怒号か暴力が飛んで来るのに今日は無かった。

珍しい。


「すみません、体調が悪くて、もう寝てしまっても良いですか?」

「勝手にしろ」


その日はいつもより早く寝た。

何も考えたくはなかった。





辛くても明日はやってくるというのは、過去に嫌でも実感した。


「王子……」


王子はいない。何故なら俺が作った妄想だから。


簡単な事実だというのに俺にはそれが受け入れられなかった。


(王子がいないなら、俺は誰に頼ればいいんだろう)


きっと王子になんでも相談して頼ることができたのは、彼が「そういう役割」だったからだ。現実に干渉できない代わりに、俺を俺が思う正しい方向に導いてくれるキャラクター。


王子がいない今、俺に道を示してくれる人は誰もいない。


(もう楽になりたい……)


勿論、そんな勇気も度胸もないのは自分が一番知っている。それに、まだやることが残っているのだ。文化祭は明日。今日中に見つけないと参加自体が難しいだろう。


(……そんな気は起きない)


もし、ここで諦めれば父さんは喜ぶだろうか。


後悔はするだろうけれど、見つからないなら仕方がない。いいじゃないか、父さんは喜ぶし、それに俺が探して結局見つからなかっだ時に傷つかなくて済む。win-winだ。


「……いいか、それで」


乾いた笑いが喉から漏れる。

だって鍵は見つからないし父さんに話は通じない。


ステージに出れたとしても見に来てもらえない。


それってやる意味あるんだろうか?

こんな時、王子ならなんて言うだろう。

声は聞こえない。


「自分で考えろって事か……、王子らしいや」


元は同じなのだから答えてくれてもいいのに。


答えてくれたら俺はきっとうごけるのに。


起きてからもう5時間も横になって惚けている。

もう空は暮れてしまっていた。

不思議な色の空が広がっている。


「……」


これだけショックを受けるのは中学生の時以来だ。それだけ王子は俺にとって大切なものだったんだろう。


(……いや、違うな)


王子はよく出来た「依存対象」だった。


いつだって俺の都合で会うことができて、俺の欲しい言葉をくれて、俺を前向きにして引っ張ってくれる。完璧な理想とは違うけど、それでも俺をハッピーエンドに導く王子様になってくれていた。


この人が居てくれれば、この人の言うことを聞いていれば幸せになれる気がしていた。


どうだったんだろう。


もし昨日智仁が来なければ、俺はハッピーエンドに行けたのだろうか?


(行けたはずだ。だって王子の言うことを聞いていれば全部うまくいくんだから)


鍵も見つかって、劇にも出れて、それで……。


父さんは、結局説得できなかっただろうな。


無難に文化祭を終えてそれで俺は就職して俺は、無難な人生を、送っていただろうな。


(……だめだ)


それじゃあダメだ。

俺はあの日、何を誓った?

何を、思い出した?

空は不思議な色をしていていた。

紫の、夜明けみたいな空。

父さんと見た、父さんが好きだといった、空だ。


そうだ、まだ何もやってないじゃないか。


だったらやるしかない。

きっと王子もそう言う。

いや、この俺がそう望んでいる!


だってそうだろ?王子は俺で、俺は王子なんだから。


俺は起き上げって自室の扉を引いた。


一つだけ見ていない部屋がある。普段は入ることすら許されていない部屋。


白樺色の扉を押す。明かりをつけた部屋には相変わらず必要最低限の家具しかなかった。寂しい部屋だ。


あるのは本棚と、机とクローゼット、それから2つのキャリーケースだけ。


この中を隈なく探すのは難しいことではない。これを除けばの話だが。


「……」


仕事で使っていない方の赤いキャリーケースにはダイヤルロックがかかっている。


俺が手出しできなくて、絶対に見つからない場所。この中で俺が隠すとしたら絶対ここだ。


(あとはここくらいしか思いつかないぞ)


ただかかっているパスワードがわからない。


オールゼロ?父さんの誕生日?ダイヤルを合わせてみても外れない。


「まさか俺の誕生日とか?流石にないか」


俺の誕生日は三月四日、0304とダイヤルを合わせてボタンを押す。

カチッと音がしてロックが外れた。

冗談のつもりだった。


だって俺は中学に入ってから一度も祝われたことなんてなかったし、そもそも父さんが俺を気にかけているわけがないと確信していたから。


やっぱりダメで、笑いながら少しだけ心の内で落胆する結果になるのだろうなと、信じて疑わなかったのに。


だってキャリーケースの中は


父さんに宛てた下手くそな似顔絵


お小遣いを貯めて父の日にあげた青のネクタイ


結局来てくれなかった中学生の時の劇のパンフレット


一昨日渡したチケットだって。


「だったら殴るのやめろよって話だよ……」


喉から出た声は震えていた。


父さんのことがわからない。だっていつもあんなに酷いことをするのにどうして、こんなものばかり。


俺に死ねって、お前なんか生まれなきゃ良かったってずっと言っていたじゃないか。


鍵は予想通り網ポケットに仕舞われていた。


手にとって眺める。銀色に鈍く光るそれに俺の輪郭が映った。


消えたいと思っていた。嫌われているなら死ねば父さんを楽にしてあげられると思っていた。


でも、それが俺の思い違いだとしたら。


もし、まだ愛されているのだとしたら。


「部屋には入るなと言ってあるはずだが」


開けっ放しにした扉から声が放たれた。

その声に怒気の様なものは混じっていなかった。


「……俺が家捜しすることくらい想定済みだったでしょう。貴方は」

「そんなに出たいか、明日を過ぎれば意味もなくなることなのに?」

「それを決めるのは俺です。それに俺には夢があるので。叶えられる可能性が1ミリでもあるなら諦めたくない、叶うまではやってたいんです」

「夢?」


父さんはその言葉を鼻で笑った。


「大きな舞台に出ることか?演劇で食ってくことか?諦めろ、凡人の子供は凡人だ」

「貴方は凡人じゃない」

「知った様な口を聞くな!」


鳩尾に衝撃が走った。蹴られたのだと気付いたのは尻餅をついてからだ。


痛みが落ち着く間も無く、首に手をかけられ力を入れられる。


「まだお前にはわかんねえかも知んないけど、何か残さなきゃ全部無意味なんだよッ!僕は何も残せなかった!無意味に時間だけ消費してただけだ!そんな人間が凡人以外の何だって言うんだよ!」


段々首を絞める力が強くなる。


締められているのは首だと言うのに、頭も紐で結んだ様に苦しくなって不思議だった。


それから心も。


「仮にそうじゃなかったとしても全部奪われたんだよ!お前にさあ!」


やがて圧迫されたからか開いた口からカエルを踏みつぶした様な声が漏れた。

不意に塞がっていた気道が自由になる。


「……違う……こんなことがしたかったわけじゃ……」


ぼやける視界で見た彼は何そうな顔をしていた様な気がした。


震えて後ずさる男。追いかけたいのに体の力が入らず俺は見送ることしかできなかった。






気がついたらあの公園にいた。

ただ現実ではない。現実にしては違和感があまりにも濃すぎている。

空は紫とオレンジが混ざった様な色。

ただ空に眩しいくらいに散りばめられた星が違和感の原因だ。LEDの様に強く輝く星はこんな電灯だらけの場所では見られない。


「やあ」


懐かしい声がする。振り向かなくても誰かはわかっていた。


「やば……もしかして俺死んだ……?」

「あれくらいで死ぬわけないでしょ。気を失ってるだけだよ」

「よかった……」


父さんを殺人犯にするのは心苦しい。

それにまだやりたいことがたくさんあったのだ。ここで死ぬわけにはいかない。


「このままここでゆっくりしてれば明日になるよ。鍵もあるし文化祭には出れる。どう?ここで僕と一緒に朝まで遊ぶ?」

「いいや。今日のうちにやらなきゃいけないことがあるんだ」


父さんは今日は帰ってこないだろう。だからこのままここにいれば俺は文化祭に出ることができる。

でもそれじゃきっと父さんと俺の溝はこのままだ。


「このままだと父さんと一生ろくに話せなくなるかもしれないし」

「繊細だからね。次会ったら目も合わせてくれなくなるかも」

「ありえる」


2人で笑う。

ここには2人以外誰もいなかった。どこまでも笑い声が響いた。

そんな気がした。


「俺さ、王子様が俺たちを救ってくれると思ってたんだ。仲を取り持ってくれて、父さんの暴力を止めてくれて。でもよく考えてみたらさ、一番近いところにいる当事者の俺が人任せだったら解決するわけないよな。だからもう俺が動くよ。お姫様も王子様もいない、これは俺の物語だから俺がどうにかする」


なんだか人魚姫の気持ちがわかった気がする。


ハッピーエンドにはできなくても、全部欲しいものが掬えなくても、自分で出した結果ならちゃんと納得して終われる。

人魚姫もそうやって海に帰っていったのだろうか。


「そこまでわかってたら僕はいらないね」

「うん。だいぶ迷惑かけたね」

「ほんとだよ。我ながらぶっ飛んでるんだもん」

「いやああまりにも理想だったからつい」


珈琲を拾ってくれた人がいたのは本当だ。だけど、俺はその人に礼を言っただけで終わったし、それからも会ってはいない。


同じ学校の制服だったから、もしかしたらどこかですれ違っているかはわからないけれど。


「変な男に引っかからないでよ……?いや君がもう変な男なんだけども……」


「一理ある」


日はもう沈みきっていた。深い紺が空に広がる。時間が現実に近づいていく。


「時間だ」

「父さん、探しにいくんだ。当てはあるの?」

「何となくね」

「ふーん、まあ頑張ってよ。僕はもう見れないけどさ」

「消えちゃうんだ」

「空想の友達はもう必要ないでしょ?もう自分の想いを否定しないでいいんだから」


そうだ。もう王子様は必要ない。

自分の足で立って行ける。立って、それから大切なところへ走って行ける。


「そっか」

「じゃあいくね」

「うん、いってらっしゃい」


ここには最初から1人しかいなかった。

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