34話
父さんは男手一つで俺を育ててくれた。
十八だったか十九ぐらいで出来婚して、女が子供押し付けてきたから俺育てるために好きなことやめて一生懸命働いた。可哀想だと思う。
だってまだ俺と年の変わらない子供なのに相手の女にハメられて夢も希望も未来も全部失ったのだ。酷い、酷い。これを可哀想と言わないで何と言う。父さんもきっと、今の人生を幸せだとは思っていないだろう。
どうしてこんな、こいつさえいなければと思っているはずだ。
だから俺は父さんに何も求めていない。
何も求めてはいけない、だって俺には彼しかいないんだから捨てられたらどう生きていけばいい?
(父さんが俺を側に置いてくれているのはきっと世間体のためだ)
それ以外にきっと理由はない。世間の目があるから側に置いて、世間の目がないところではどうなったって構わない。そこに愛情の類はないだろう。
『簡単だよ。期待する事やめれば良い』
『どんなに頑張っても愛してなんかくれないよ。あきらめなよ』
心の中で期待していた。きっとハッピーエンドが訪れると。普通の家族になれると。
(王子の言う通り無理なのかもしれない)
だって父さんは昔からそうだった。舞台は当たり前だけど見にきてくれた事はないし、授業参観だって来てくれなかった。友達の親は迎えに来てくれるのに父さんは滅多に迎えに来てくれなかった。
ハッピーエンドはお互いがお互いに歩み寄って近づくものだろ?
最初から父さんが俺に興味がないなら、嫌っているならハッピーエンドもクソもないじゃないか。
(父さん……)
「結斗」
懐かしい声がした。
「ーー!」
(父さ……)
「DV男と一緒にしないでくれる?」
そこには苦笑いをした王子が立っていた。
『よくわかったね』
「君は父親の話になると目の色が変わる。はい」
放り投げられたのははちみつレモン味の清涼飲料水だった。
「泣いてたから少し水分補給でもさせようって自販機行って帰って来たらいないんだもん。探したよ」
『こんなとこまで?』
「屋上にいないならここかなって。最初に会った時もここで項垂れてたから」
『ヘコんだときはここにくるんだ』
「どうして?」
『父さんが迎えに来てくれるような気がして』
最初に出会った公園。
ここで昔、雪の降る日に一度だけ家出をしたことがある。母親に会って、初めて自分の生まれた理由を知った日のことだ。
俺は母さんが父さんを手に入れる為の道具でしかなくて、そこには愛なんてなかった。受け入れられなかった。
子供は愛し合って生まれてくるってどんな物語にも書かれているのに俺だけが例外で。
世界から否定されたような気がした。
何のために生まれて来たんだろうと思った。
周りの子供が母親に手を引かれて帰っていくのを見届けて、俺は空いたブランコをずっと漕いでいた。
暗くなって周りには誰もいなくて、世界に一人きりになったような気分だった。
「結斗」
声をかけたのは家にいるはずの父さんだった。
「帰るぞ」
その時、初めて自ら迎えに来てくれたのと、生まれて来た理由からのショックでごちゃ混ぜになって俺は年甲斐もなく涙をボロボロと流した。
小学生くらいの時だったと思う。その時は全ての子供が総じて愛されて生まれてくるのだと思い込んでいて、その中に当てはまらない自分が世界から要らない人間のように思えて、悲しくてどうしようもなくなっていた。
「ねえ。僕生まれて来ないほうがよかった?」
今思うと返答に困る質問だろう。子供に対しての答えなんて実質一択でそういうしか選択肢なんてないのだから。
それでも、父さんはそれを聞くと俺の両手を手のひらで包んだ。
「少なくとも」
手のひらは冷たくて、だいぶ長い時間自分を探していてくれたのだとわかった。
そう気づいてしまったらまた涙が出て来て、その日は拭っても拭っても目の滲みが止まなかったのを覚えている。
「父さんはお前がいてくれてよかったよ」
父さんが俺を迎えに来てくれたのは後にも先にもこの日だけだった。
でも、父さんは俺を認めてくれた。俺がいて良かったと言ってくれた。
例え今はそうでなくても、その言葉は現在でも心の支えになり続けている。
「……そんなに好き?お父さんのこと」
『好きだよ』
「殴られるのに?」
『嫌な思い出ばかりじゃない』
怖い思いはたくさんした。痛い思いだって、死のうと思ったことさえ何度もあった。
それでも父さんを嫌いになれなかったのはそれと同じくらい、大切な思い出があったからだ。
「……さっきはごめん。君の事情を考えてなかった」
『王子は普通だよ』
「普通なんて言うのはただの押し付けだ。僕の感性が君とは違っただけだ。だから君はおかしくなんかない。君には君の普通があるんだから」
『ありがとう。でもこれじゃダメなのもちゃんとわかってるよ』
このままでは平行線のまま終わるのは何となく察していた。
来年には自分は家を出るし、そうすれば父さんと会うことだってなくなる。きっと今を逃せば一生交わることはないだろう。
『多分、人に合う合わないがあるみたいに、父さんと俺は人間的に合わないんだと思う』
「君は悪くないと思うけど」
『……それでも俺は、俺だけは父さんの味方になってあげたいんだ。父さんはなにも悪くなくて悪いのは全部俺だから。だからそんなあの人を売るような事はしたくない』
「だから王子様を待ってるって?」
王子は片手で俺の額を指ではねさせると眉をひそめた。
「自分がなにもしなくても勝手に首を突っ込んで全部解決してくれる都合のいい王子様。そんな人がいれば自分はなんの罪悪感を持たずに今の生活から抜け出せる……ってとこかな」
『……バレてたの?』
「知ってたんだよ。最初から」
『そこまで知ってて一緒にいてくれるなら脈アリっておもっていい?』
「アンタの為の生贄になるつもりはないよ」
『それは残念だ』
「あんまり傷ついてなさそうだね。意外」
『……誰でもいいわけじゃなかったんだよ。王子様。俺の嫌いなタイプで、もし何か父親とのトラブルで死んだり怪我したりしてもなんも心が痛まないようなくらい関係が浅くて、御節介でお人好しな男の人。……女の子に危ない事はさせれないから。でも王子はもうダメだなー。王子様役にはもう出来ない。こんなに好きにならなきゃ父さんのとこにけしかけるつもりだったのになぁ』
今までの男達と同じように、どうでもいい人間なら良かった。
だけど自分にとっては王子はすでにその域を越えてしまっていたし、そういう人間の枠に入ってしまったのならば、父さんと関わらせるつもりはない。
智仁と同じように、大切な人は傷つけられないから。
『……ごめんね。自分でも性格悪いってわかってる。嫌いになってもいいよ』
「ならないよ。僕はなにがあっても結斗の味方だから」
『……なんで?』
「そういう風に君が望んだから」
『だったら王子様になってくれてもいいのに。……でも、ありがと。ちょっと安心した』
伸びをして筋肉の力を抜く。
『新しい王子様、探さなきゃな』
「王子様、ね……」
それを聞いた彼は空の先を見るように遠くを眺めた後、暗い空を飛んで行く飛行機を指差した。
「なぁ結斗。アレ、何に見える?」
『何って……、飛行機でしょ?』
三色の光が線を描き流れて行く。キラキラとした光は流星のような眩しさを空に輝かせていた。
「正解。でも僕はさ、昔アレを流れ星だと思ってたんだ。本物の星よりも輝いてて綺麗な色も着いてる。違うなんて疑いもしなかった。だからたくさんお願い事をしたんだ。本当の事に気付くまで、何回も何回も」
『……お願いごとは叶った?』
「叶わなかったよ。当たり前だよね。偽物の流れ星が叶えてくれるわけない。ま、本物だったとしても流れ星が願いを叶えてくれるなんて迷信でしかないけど」
王子は肩をすくめると、俺に向き直って言った。
「ねぇ、結斗。アンタがやってることってそういうことだよ。本物の王子様なんて誰もなってくれないし、アンタの願いも叶えてくれない。だってさ、もうアンタは子供じゃない。自分でどうしたいか選べる」
夜風が頬をかする。
「……考えてみれば?」
『何を?』
「少しでも歩み寄れるようになる方法」
(方法ねえ……)
画面の中の王子様を見ながら考える。
ハッピーエンドが不可能だと言うならば俺は何に向かえばいいんだろう。
(そもそもハッピーエンドって俺は父さんに何をして欲しかったんだ?)
一般的な家族が何をしてるのかなんて知らない。例として智仁や友人たちの話を思い出してみる。
家族で旅行?別にしたくない。お弁当を作ってもらう?俺が作ったほうが絶対美味しいし。
何か買ってもらいたいわけでもないし。
と言うかそんな事されたらビックリして挙動不審になる。
王子様がハッピーエンドに導いてくれさえすれば、何もかもが上手くいって、父さんとも憧れていた家族になれると思ってた。
でも俺はその想像すらもあやふやで、何をしたかったかも解ってない。
(……王子様に戻って欲しい?)
画面の中で輝いている王子様みたいに、俺の憧れでいて欲しい。
でもそれは俺のために人生を捨てた父さんの否定にならないか?
(ダメなのは俺の方だ)
俺からの父さんへの気持ちは憧れ。恐怖、憐れみ、依存。そして信仰。
歪んでいるのは俺だ。それは親へ持つ類の感情ではない。
(他人に何かを求める前にまず俺が変わらなきゃ)
自分がどうしたいのかもまだわからない。だけどタイムリミットが来る前に、俺がまだ子供でいるうちに父さんと元に戻りたいなら、自分と向き合わなきゃいけない。




