22話
「ただいまー」
誰もいない部屋に呼びかける。
一人暮らしというのは、寂しいが気楽でいい。今日も手紙の返事もメールも来なかった。
気分は重いが想定内だ。最初から期待していない。
カバンを部屋に投げ捨てて制服のままリビングに向かう。
ドアを開けた瞬間、時が止まった。
「おかえり」
三十代後半の男がそこにいた。待ち望んでいた顔。だが、今じゃない!
「……………な、」
言葉を失っていると男が立ち上がって俺の方に近づいてくる。そして俺の頰を思い切り引っ叩いた。
「返事がないッ!」
「……っ!ごめんなさいごめんなさいっ!!」
反射的にしゃがみこむ。痛いけど、それはさして重要な問題じゃない。問題なのはどうしてこのタイミングで父さんが帰国してくるかってことだ!
「聖さん……あ、あの、どうしてここに……」
「僕の家だろう」
「そうですけど帰国はもっと先のはず……」
「本社から呼び出しがかかったからだ」
背筋が凍った。
「ところで結斗」
「……はい」
「お前まだ演劇なんてやってるのか」
「…………いえ」
「嘘をつくな」
場所がちょうどよかったのか頭に蹴りが飛んだ。一瞬視界が真っ暗になって目の中に星が飛ぶ。
「ーーーーッ!」
久しぶりの暴力に、目がチカチカするって本当なんだなあと、こんな状況で場違いに思った。
父さんが俺の目線と同じくらいになるようにしゃがむ。だがそれはさっきまでの話。今の俺は床にぶっ倒れてるんだから自然と見下ろす形になる。
「お前」
いつもの光景。面と向かって話すより多分こっちの方がよっぽど多い。
「いいご身分だな」
心臓がばくばくして頭が動かなくなる。不思議と自然に涙が出た。
俺の家族は、父さんしかいない。
母親はいない。親族周りの噂話と、ある女から聞いた話を繋げただけで父親から直接聞いたわけじゃないから真相がどうなのかはわからないが、どうやら俺が一歳になる前に俺と父さんを捨てて逃げたらしい。
父さんがまだ二十代の前半だった時の話だ。
父さんは劇団員だった。小さな劇団で俳優をしながらアルバイトで生計を立てていたどこにでもいそうな男の人。
主役を務めることが多かったみたいだから実力はそこそこあったんだろう。
土壌が悪かったのかもしれないし、花は花でも花屋には並ばない家庭菜園レベルだったのかもしれない。どちらにせよ、とびきりの花壇に移されなかったのは事実だ。
今はそこそこの企業でそれなりの地位に就いている。演劇の才能より商才に長けていたのかもしれない。
……話が脱線したか。
まぁとにかく顔がいい主役だったからそれなりにファンが居たわけだ。バンドマンもそうだが、有名じゃない方がファンとの距離が近いらしい。ハコが小さいなら尚更。
それで、そのお近づき目的のファンの一人が……俺の実の母親だ。さっきバンドマンの話しただろ?
要は同じパターンだよ。
御察しの通り速攻ベッドインだ。俺はまだ父さんが流されただけって信じてるけどまぁ棒は勃たなきゃ穴に入んないしどちらが悪いとかないよね。
この時点では。で、無責任に妊娠しちゃった。困ったよね。
アルバイトでは養えないし、女の方は下ろすつもりはないみたいだし、認知を望んでるし。
俳優への夢と責任、二つの秤のうち父さんが捨てたのは 、幼い頃からの夢だった。
ここで幸せな家族を築けてたらまた話は別なんだろうけど母さんは育児が思ったよりしんどすぎたからって理由で逃げたんだよね。
そのまま離婚したから俺はここまで父さんの手で育てられたってわけ。
感謝してるよ。大好きだ、尊敬もしてる。幸せになってほしいとも思ってる。
……始めに、これはある女から聞いた話って言ったでしょ?そいつから
『実はあの時私が既成事実作るためにゴムに穴開けたのよね』
なんて聞かされたらこう考えてもしかたないよね?俺は何のために生まれたんだろうって。愛ゆえじゃなくて結婚の為の道具として望まれて、大事な人の夢を奪って、それで、 大事な人に最高で最悪な嫌がらせをした。
だから俺は少しでも償わなければならない。
自分の生まれてきた罪を、無知だった自分の罪を、夢を見てしまった事の罰を。
その為だったら、俺はなんだってしたい。
そうでもしないと心がばらばらになりそうなんだ。




