その五
本日も貴族の嗜みお茶会です。
紳士淑女のお茶会ですの。つまり、健全な出会いの場であり、触れ合うダンスがない代わりに、知性の会話を披露する場ですわ。
景色と同化するように、気配を消しながらソソッと横に動きます。気づかれないように、退場しようと思いますの。
「見つけた! 我が麗しの君」
ヒッ……
嬉々とした笑みを浮かべて駆け寄るターナーもどきめ。気づかれてしまいましたわ。
「エルザ、ああ美しいエルザ。君の存在は太陽のように私を照らしてくれ、君の瞳は月のように私の心を凪いでくれる。だが、狂おしいほどもがく想いは君をこの胸に抱かねば、消えはしないだろう」
ゾワゾワゾワと鳥肌がたちます。この偽者ターナーめ。伸ばされた手を扇子でパシリと叩き落とします。
「その気品もまた尊い」
気色の悪いうっとり顔です。見たくもありませんわ。
記憶を無くしたターナー様は、我が愛しのターナー様にあらず。あのアホーンで、バッカンで、高慢チキーンで、底が知れる程度の愛くるしさこそターナー様なのです。
簡単に愛を表明するターナー様なんて、薄っぺらですわ!
「その気色の悪い顔を私に向けないでください」
「ああ、エルザ。私の瞳はどんなに抗っても君に向いてしまうんだ。どうしたらいい? それもこれも美しいエルザがいけない! きっと、世に生きる全ての男が君の虜になってしまう。どうせなら、その姿を誰にも見せないように、我が寝室に閉じ込めてしまおう」
触手のように指を動かして、私を捕まえようとするターナーもどきに、恐怖を覚え思わず後退りました。
このエルザを後退させるとは、ターナーもどきめ、なんとおぞましい。
「もう我慢なりませんわ‼ 私エルザ、か弱い令嬢ですが、致し方ありません。ターナー様の記憶を戻すため、記憶を失った時と同じ衝撃が必要となりましょう!」
もうお分かりでしょうが、あの姫様のように渾身の一撃をみまわせて、ターナー様の記憶を取り戻すのですわ。
「エルザからの衝撃なら、何だって受けようではないか。愛の鞭ならば、受けねばなるまい!」
恍惚とした物言いに、またもゾワリと寒イボがたちました。もう猶予はありませんわ。サッと手を横に出します。
バシンと黒子から手に渡ったのは、もちろん愛の鞭……いいえ、捕獲の鞭。
手首のスナップをきかせて、ターナー様に打ち込みますの。
見事にターナー様の体に鞭が巻きつきます。
「流石、エルザだ! 私はこの身もろともエルザに捕らえられている。これぞ、愛!」
鞭で体を拘束されていることに、感動する変態ターナーめ!
鞭の柄をポイッと黒子に向けて投げますわ。
それから、一歩一歩と変態に近づきます。同時に手を振りかぶりますの。
脳内に思い浮かべる姫様の平手打ち。同じ軌跡を辿るように、振り落とします。
バッチーン‼
捕獲されているターナー様は、倒れ込むことなく振動して立っておりますが、白目で気絶してしまいましたわ。
「これで元に戻っているはずね」
ターナー様の目覚めを待ちます。
「ん……うっ、痛い……」
ええ、頬にくっきりの平手打ちですもの。
「ん、あれ……あれ……」
鞭で拘束されていることを不思議がっておられます。
黒子に合図して解放致しました。
「き、君は⁉」
そして、なぜか私に駆け寄り手を取っております。これは……嫌な予感しかありませんわ。
「なんて、美しい方なのだ! どうか私……あれ、私の名は何だったか……。いや、私は誰だ⁉」
「……ターナー=モドッキー様ですわ」
「そうか! ああ、しっくりくる。で改めて、美しい方、私ターナー=モドッキーと結婚してください!」
こういうのを、何度も同じことが繰り返される記憶喪失転生と言うのかしら?
ならば、断ち切ってしまいましょう!
「最終手段ですわ!」
ターナーもどきの手を放ります。
「十三階段の用意を」
黒子に指示をし、セットを会場に搬入させます。
四十五度で作った十三階段。大きなセットに会場が狭まりました。
「もうこれしか手段がありませんの。ある本で読みましたわ。記憶喪失の者への衝撃で一番効果的なのは……『階段落ち』であると!」
会場の者らは、私エルザの言動を固唾を飲んで見守っておられます。
ターナー様はポカーンと階段を眺めておられます。
私は、階段を上りますわ。ヒールがコツコツと音を鳴らします。この一段一段が、ターナー様を正気に戻すロードなのです。
上りきった私は、眼下の人々を見回しました。
「皆さんが証人です!」
人々が祈るように見上げております。
「さあ、ターナー様上ってきてくださいませ」
「き、君の名は?」
ああん、何ということでしょう。またも記憶喪失発症で、私の名前を忘れておりますのね。
「私の名はエ」
「いいんだ‼」
は? いきなりターナー様にお株の被せ発言を奪われてしまいました。
「このセット……この舞台……このシチエ……私は知っている! 『ああ、ジュリエット! お前はなぜジュリエットなんだい⁉』」
「ああ、ロミオ! あなたはなぜロミオなの⁉ ってちっがーう」
思わずノッテしまいましたわ、お恥ずかしい。だいたい、階段といえば、ガラスの靴アイテムが必要なのに。十二時の鐘まで魔法がかかっているあれです。
「私のために仮死の薬を飲むジュリエットよ。そう、私は知っている! この運命を。何度も繰り返す運命を。ならば、断ち切ってしまおう! ジュリエット、今なら二人は悲恋の死を遂げずにすむんだ」
完全にロミオになりきって、ターナー様が階段を駆け上がってきました。
「誓いのキスを!」
ヒィィィ
それは眠り姫!
誰か、助けてくださいまし。タコ唇が迫ってきます。
「イィーヤァーーーー」
思わず足蹴りしてしまいました。
ゴロンゴロンゴロンと、ターナー様は階段を落ちていきます。
「桃色……」
鼻血を出して……呟いております。
「下着……」
上げた足が、ターナー様に魅惑のゾーンをご披露していたようです。
「あとで、シメル」
あら、嫌だわ。エルザったら、いけない言葉を口にしてしまいました。
十三階段を転げ落ちたターナー様は、最後にゴッチンと床に頭部を打ち付けました。
びくとも動きません。
黒子が、ターナー様の脈を確認しています。なぜ、首を横に振っているのかしら?
おもむろに、黒子がピチィを登場させました。
『齢二十、精神年齢七つにして、この世を去ってしまわれました』
「勝手に殺すなぁぁ‼」
いきなり立ち上がったターナー様は、ピチィをむんずと掴むと、天井に向けて投げつけました。
私の手に落ちてきましたけれど。
「エルザめ! お前は私を殺す気か⁉」
「ターナー様! お帰りなさい」
やっとターナー様の記憶が戻ったようです。嬉しくて、駆け下りて飛びつきました。
「にゃ、にゃにをしている⁉ 離せ、ふわふわが当たっている!」
変態は変わらずですのね。
ドコッと鳩尾にかましましたわ。
「ゴフッ……この悪魔め! 皆の者、こやつの所業をしかと見たな! もう言い逃れはできぬぞ、エルザ」
「ええ、言い逃れなど致しませんわ。私エルザの渾身の一撃と、足蹴による階段落ち! 見事でしたでしょ?」
「それ、殺人未遂だろっ。いいか、よく聞け! お前との婚約は破棄する‼」
「そんなことできませんわ」
「なぜだ⁉ 悪行はもう明白であろう」
「だって、私たち婚約しておりませんから、破棄などできません」
ターナー様ったら、お忘れなのかしら?
「まだ、記憶が戻っておられませんのね。では、渾身の平手打ちか、階段落ち、どちらに致します?」
「なぜ、その二択しかないんだっ⁉」
『ターニャー、うるさい』
「ピチィを使うな!」
またもピチィはむんずと掴まれて、階段に投げられました。
「いいですか、ターナー様。私と婚約破棄して、姫様と婚約されました。その後、姫様と婚約破棄が成立して、記憶喪失変態ターナー様になりました。つまり、婚約していない私と婚約破棄はできませんのよ。ごめん遊ばせ」
ふぅ、スッキリです。
これで心置きなく、茶会を楽しめますわ。
「人を変態呼ばわりするな!」
「……桃色とふわふわ」
ターナー様の顔色が一気に紅潮します。噴火しそうだわ。
「それに、記憶喪失時のターナー様の発言は、もはや変態を通り越して犯罪でしてよ?」
「き、記憶にないな」
どこぞの政治家ですか、その発言は。
「では、我が公爵家が誇る速記黒子たちに記録させました『ぽんぽこなぁの、ターニャー』と『ターニャー=モドッキー』の発言を読んで差し上げなさい!」
黒子がピチィを登場させました。代弁者はピチィです。
『ああ、エルザ。私の瞳はどんなに抗っても君に向いてしまうんだ。どうしたらいい? それもこれも美しいエルザがいけない! きっと、世に生きる全ての男が君の虜になってしまう。どうせなら、その姿を誰にも見せないように、我が寝室に閉じ込めてしまおう』
「そんな恥ずかしい本心を私が言うわけなかろう!」
ターナー様ったら、ウフフ。それが本心ですのね。
『私のために仮死の薬を飲むジュリエットよ。そう、私は知っている! この運命を。何度も繰り返す運命を。ならば、断ち切ってしまおう! ジュリエット、今なら二人は悲恋の死を遂げずにすむんだ。誓いのキスを! そして』
「知らん! 私は何も見ていない」
赤面で言っても説得力はありませんわ、ターナー様。
どうやら、ターナー=モドッキーの記憶はあるようですね。ええ、そうでしょう。『桃色とふわふわ』で噴火のごとく紅潮しておりましたし。
ウフフ、少し悪戯しちゃいましょう。
「熱烈な愛の言葉は嘘でしたのね。……あの日、交わした誓いのキスも嘘だったというのね! 私を弄んでいらしたのね。ヒドイわ、ターナー様!」
「ちょーっと待て。誓いのキ、キスと言ったか?」
釣られちゃいましたね、ターナー様。
「ええ、あの日海辺で交わしましたわ。だって、ターナー様が『君のキスが欲しい』と言うから」
私、瞳を潤ませます。真実味が増しましょう?
そして、ターナー様を上目遣いで見つめますの。遠くでメアリー様がグッジョブと親指をたてているのが見えますわ。
師匠、ありがとう。
「こんがり焼き上がった串刺しのキスを、互いに交換したではないですか!」
「まさかのキス違いぃぃーー」
ターナー様、ナイス突っこみですわ。
「『君のキス以外は食べたくないんだ』そう言って、『あーん』をせがんだじゃありませんか」
「どう見ても作り話だ! 我が国に海辺はないぞ!」
流石にバレましたか。
「もう、騙されんぞ! お前が何と言おうが、婚約破棄を実行する。よって、私と婚約せよ」
……ん?
「意味がわかりませんが?」
「ハーッハハ、流石のエルザにもわかるまい。我が高尚な考えが! いいか、よく聞け。婚約破棄を前提に、婚約するんだ」
フッフッフーン、良いこと思いついたとばかりに、ターナー様は鼻唄もどきのご様子です。
「普通、結婚を前提に婚約しませんの?」
私、周辺の貴族らに確認します。
皆さん、半笑いで頷いておられます。でしょうね。というか、笑いをこらえるのに必死のご様子。
ゴーンゴーンゴーン
突如、鐘の音が鳴り響きます。
黒子たちが鐘を鳴らし始めました。
私へのはなむけ、もしくは退城の機会を作ってくれたのね。流石は我が公爵家の黒子たちだわ。
私エルザここはそれにノリましょう。
階段を駆け上がります。そして、途中まで駆け下ります。中段でもちろんガラスの靴を転がしますの。
「大変、魔法が解けてしまうわ!」
ゴーンゴーンゴーン
後ろ髪引かれながら、階段を下りきります。そのまま、扉へ……だけど一瞬だけ振り返りますの。
交わされる視線。ターナー様の瞳が、ウズウズと訴えてきます。そう、ターナー様は記憶があってもなくても舞台の主役。
「ま、待ってくれ!」
やはり釣られてしまうのね、ターナー様。
ゴーンゴーンゴーン
「何度だって一目惚れするんだ!」
ゴーン
「エルザしかいない!」
ゴーン
「結婚してくれ!」
最後の鐘が鳴るはずです。
膝をつき、ターナー様がガラスの靴を私の足元に置きました。
「我が愛しのエルザ、何度でも乞う。結婚してくれ」
ゴーンと盛大に鳴った鐘と、宙を舞う紙吹雪。
何ですの、皆さん。ご用意がよろしいのね。こうなることがわかっていたように。
嫌だわ。このエルザが、まんまとターナー様の企てに嵌まってしまうなんて。もう年貢の納め時かしら?
肩口からタッタラッタちゃんが呟きました。
『王子は記憶喪失前も後も、プロポーズの時には紙吹雪をと、貴族方に通達しておりました』
「我が愛しの君。婚約は全て破棄された。もう結婚しか残っていまい」
何よ、カッコつけちゃって。でも、嵌まってあげる。
「こんなところに落し穴があるなんて、どうして誰も私に教えてくださらなかったのかしら?」
スッと靴に足を入れます。
「ピッタリだ‼」
ええ、でしょうね。私の靴ですし。
「さあ、エルザ。皆に私たちを披露しようではないか」
何でしょうか、意図的なものを感じますわ。
グイグイとターナー様に背中を押され、階段へと促されてしまいました。
「この階段上なら、皆にもよく見えよう!」
なぜ、両鼻からフーッと息を凄まじく漏らしているのかしら?
何気に引きますわ。
気負いすぎではないかしら?
「皆さん、もうわかっていらっしゃるのに、披露する必要がありますの?」
「慶事は盛大にだ!」
あれよあれよと階段を上りきってしまったわ。何が待ち受けているのかしら?
もしかして、サプライズ……なんてことを、ターナー様が考えるはずもないし。
「エルザ、皆に手を振ろう」
うーん、本当にお披露目みたい。本来ならバルコニーとかでしょうけど。
「さあ、もう少し前で」
階段ギリギリで立たせられました……とっても意図的ですね。
あら、ピチィが足元に。
ターナー様が投げてしまってましたものね。
拾おうと屈んだ瞬間でしたわ。
「エルザ、二人で互いを分かち合おう。いざ、入れ替わりの階段落ち‼」
ターナー様の手が私の背中を軽く擦りました。
私の手も、ピチィを霞めます。
「エ、エルザ、なぜ屈むぅぅーー、うわぁぁーー」
『ターニャー』
ターナー様とピチィがゴロンゴロンと階段を落ちていきます。
「エルザの身体を手に入れるはずがぁぁーー」
そんな上手く入れ替わりなんて起きませんのに。流石はターナー様ですのね、物語に純粋ですわ。
ポスン
今度は床にゴッチンせず、上手くピチィが頭を守ってくれましたわ。これで、記憶喪失の喪失の喪失は起これません。
「ん……うっ、痛い……ん、あれ……あれ……」
最初に起き上がったのは、ピチィです。ですが、自発的に声を発しております……ターナー様の声を。
「うっわー、僕ターナーになった」
起き上がったターナー様は、お可愛らしい声です。
「なぜ私がピチィにぃぃーー」
「僕がターナーだぁぁーー」
……ウフフ、ウフフフフ
「さあ、ピチィ帰りましょう」
階段を駆け下りて、ピチィを手に取ります。
「ま、待てエルザ! 落ち着け、早まるな!」
「ええ、落ち着いておりますわ。ピチィこそ、落ち着いて。そうね、よく聞いてピチィ。私、一人寝は寂しくて、いつもピチィをギュッとして寝てますわ。どんな時でも一緒よ。例えば……着替えをするときも、湯に入るときも」
ピチィの喉がゴックンと鳴りました。
「エルザ、僕たちの結婚式までに、ぬいぐるみ離れしといてくれよ」
お声の可愛いターナー様が、迫ってきます。ピチィは魂を宿したぬいぐるみだったのね。
「私のエルザだ。貴様になど渡さんぞ!」
ターナー様の声をしたピチィです。
「エルザ、頼む! もう一度そやつと階段落ちをさせてくれ」
「僕、ターナーけっこうやれると思うんだよね」
ターナー様とピチィが私に詰め寄ります。中身はピチィとターナー様だけど。
……何気にややこしいわね。
「ピチィごめんね」
ピチィを抱き上げて、ソッと唇を宛がわせました。ターナー様に。いえ、ターナー様をピチィの唇に。
「入れ替わりの解消は、『キス』でしてよ」
二人の唇を離します。
「も、戻ったぁぁーー」
「ちぇ、エルザはひどいな」
私はピチィを抱きしめます。
「ありがとう、ピチィ。ご褒美に一緒に寝ようね」
「着替えも一緒だぞ」
「エルザ、そいつは私に寄越せ! 誰が好きな女の元に助平ぬいぐるみをやるか⁉」
「ちぇ、仕方ねえな」
ピチィは自立歩行でターナー様の元に行かれました。
「おお、エルザよ!」
タイミングよく王様が参られました。
横に、金髪サラサラ、深い海の色した瞳の、細マッチョにして、涼やかなお顔立ちの青年が立っておられます。長い形容でしたわ。ふぅ
「エルザに新たな婚約の話があってな。こちらは、ハドソン海の至宝と謳われるトルドー王子だ」
……茶会が静まりました。
「その婚約異議あり!」
新たな物語の幕開けのようですわ。
ありがとうございました。