2「英雄と娘、歩み続ける」
リヴィの世話と朝食を済ませ、いよいよ出撃だ。
「乗る⁉ 今日はエル、ルキに乗る⁉」
厩舎への道すがら、竜騎兵服に着替えたルキが、エルの周りをぴょんぴょん飛び回る。
「ルキ……もう子供じゃないんだから、いい加減、自分のことは『私』と言いなさい」
「え~~~~」
子供っぽく駄々をこねていたルキだったが、やがてニヤリと微笑み、
「ねぇ、エル。わ・た・し、もう大人だよ」
そう言ってエルの腕に絡みつき、乳房を押しつけてくるルキ。
エルとしては、困る。エルはこの九年間、ルキのことをあくまで『娘』として見てきたからだ。
十歳を過ぎて少ししたころから、ルキがこのような言動を取るようになりはじめた。だからエルは、マリアに頼んでルキのための部屋を取った。
どちらにせよ、いつまでも同じベッドで寝るわけにもいかないし、エルが一緒にいるとルキがいつまで経っても甘えん坊のままなので、これは渡りに船だった。
とはいえ、ルキのそういう言動は一時期の気の迷いに過ぎず、どうせすぐに飽きるだろう、と高をくくっていたのだ。だというのに……。
(気がつけば、はや四年か)
「エルが望んでくれるのなら、私、いつだってエルを乗せてあげるよ。宙返りだってお手の物なんだから。直線でも戦闘機動でも、リヴィより速く飛べるようになったし」
ルキが頬を染めながらくねくねしている。
「それに、エルが望むなら、空だけじゃなくてベッドの中でだって――ぎゃっ⁉」
エルはルキの頭にげんこつを落とす。
「任務の前だ。ふざけるのはやめなさい」
「む~~~~っ! 本気なのにぃ!」
「何を馬鹿言ってんだか」
と言いつつも、エルは気が気でない。
婚期に焦り、次期マグダラ協会長に適した人材を血眼になって探しているマリア。
結婚適齢期の手前に差しかかり、露骨にエルに対して誘惑を仕掛けてくるルキ。
どちらも、美しいかそうでないかで言うととびきり美しい女性だ。そんな女性二人から言い寄られ、エルは正直言って疲弊している。
「それに、お前に乗ったらリヴィが嫉妬するだろ」
「リヴィちゃんはホント、嫉妬深いからねぇ」
――キュルルゥイッ
厩舎に入ると、リヴィが歓迎してくれた。
「リヴィ、今日はカペナウムの村跡まで哨戒任務だ」
――キュルルッ
リヴィが『了解した』とばかりに尻尾を振ってみせた。
リヴィは非常に頭がよい子で、若干十五歳にして基礎的な人間語をマスターしつつある。さすがに自らしゃべりだすには、あと数十年は必要だろうが。
エルはリヴィに手早く鞍を着せる。滑走路に出て、リヴィにまたがった。
「【竜変身】!」
ルキが詠唱した。と同時、大量の魔力が光の粒子となってルキの体を包み込み、またたく間に質量を帯びて、漆黒の鱗となった。
全長六五キュビトと少し(三〇メートル)。もう少しでリヴィに追いつきそうだ。
どういう理屈かエルには難しくて分からないのだが、人間の姿と竜の姿は、同時並行して成長するのだそうだ。
かく言うルキ自身も、詳しい理屈はよく分かっていないのだそうだ。ルキは天真爛漫で、何事に対しても深く考えず悩みすぎず、とにかくチャレンジしてみる、という明るい性格の娘に育った。
リヴィに乗ったエルと、竜の姿になったルキは、朝日が照らすダヴィドの空に上がる。
二騎で編隊飛行していると、街のほうからちらほらと声援が聴こえてきた。その声は、主にルキを応援するものだ。
――クルルァッ
ルキが、手を降って応援してくれている少女に向かって返事をした。
九年前のあの日から、ルキは何度も出撃し、何度も何度もダヴィドを守った。その成果が、こうして確かに実を結んでいるのだ。育て親として、こんなにうれしいことはない、とエルは思う。
北に向かって飛ぶことしばし。やがて、カペナウムの村跡が見えてきた。九年前、ルキを拾った懐かしい場所だ。
とはいえあれから九年、キュクロプス軍との戦闘がこの周辺で何度も行われたこともあり、ここが村だったことを示す建造物はほとんど残っていない。
エルはリヴィをだだっ広い草原の上に降りさせる。
「【竜変身】」
隣のルキが竜言語で詠唱した。とたん、ルキの巨体が光の粒子となり、光り輝く霧の中から身の丈三キュビト半の少女の姿が現れた。
「ちょうどここだよね」
ルキが家の名残とおぼしき煤けた柱をなでた。
「あん? なんだって?」
荷物を下ろし、リヴィに水を飲ませてやりながら、エルは尋ねる。
「ここ。九年前、ここに家があって、私、その陰に隠れてたの」
「ああ、ルキと初めて会った日のことか」
「あのときのことは、私、全部全部覚えてる。柔らかいパンとか、綺麗な水とか、エルの大きな手とか。リヴィも、今よりずっと大きかった気がする」
「お前が大きくなったんだよ、ルキ」
「ありがとうございました」
急にルキが頭を下げたので、エルは度肝を抜かれた。
「な、なんだよ急に⁉」
「いや、だって。あの日、ここでエルに拾ってもらえてなければ、私、死んでたなって。だから改めて、お礼を言いたくなったの」
「お、おう」
「あっ、別に、急にどっか行ったりはしないから安心して。これからも、エルのスネをたっぷりガジガジかじらせてもらうつもりだから」
「言い方っ」
「でも、エル、本当にありがとう。あの日、私を拾ってくれてありがとう。私がお母さんの――竜王シャイターンの娘だと知ったあとも、私のことを育て続けてくれてありがとう。おかげで私、このとおり一人前になれたよ。未成年ながらも、マグダラ協会の竜騎兵として正式に登録されてるし。何度もダヴィドを守った功績で、街のみんなから認めてもらえてるし。街を歩いたら、いろんな人が話しかけてくれるの。みんな、口をそろえて言ってくれるんだ、『さすがは英雄の娘だ』って。それが私の誇りなんだ」
「わ、分かった、分かったから。そのへんで勘弁してくれ」
エルは顔をそむける。思わず泣きそうになってしまったからだ。
「年が明けたら成人の儀」
ルキが胸を張る。
「仕事も安定してて、人望もあって、成人して。あと心配することがあるとすれば、結婚だけだね」
「まぁ、そうだな」
「私がいくつになっても結婚しなかったら、エルは心配?」
「うーん……まぁ、心配になるとは思う」
とはいえ、エルが一番気になる女性――マリアが三十になってもあれほど強く美しいままなのだから、ルキのことを心配するのはまだまだ先のことでは、とエルは思う。
「そういえば、エルも結婚まだだよね」
「ああ」
「私、心配だなぁ」
「む、娘が心配するようなことじゃねぇよ!」
「ところで、エルと私の心配事を一挙に解決させることができる妙案があるんだけど」
「…………。ところで、結婚っていや最近ヨシュアとは会ってんのか?」
「へ? なんでヨシュア? うーん、あいつは今、工房のお仕事を覚えるので大変って言ってたけど」
「竜騎兵になるのはあきらめたのか?」
「うん。九年前の怪我のこともあるし、何より、お父さんのことが心配だから、って。『兄貴と一緒に工房を継ぐんだ』って言ってたよ。いっときは、私に乗りたい乗りたい、って駄々こねてた子供が、すっかり大人になったよね」
「ヨシュアはもう成人だろ。付き合ってる相手とかいないのか?」
「いないはずだけど」
「ふーん。そりゃよかったな」
「……はぁ? だから、なんでヨシュア⁉」
「つらい過去を乗り越えあった仲だ。俺はあいつになら、お前を任せてもいいと思うんだがな」
「な、何の話よ!」
「さぁて、何の話だったかな。おっ、リヴィ。水も飯ももういいのか?」
――キュルルァッ
「よし、じゃあ上がるぞ」
エルはリヴィに飛び乗る。
「お前も変身しろ、ルキ。今日一日で辺り一帯を見回らなきゃならないんだから」
リヴィの翼が大地を打った。
「ちょっとエル、話聞いてよ! あぁもうっ、【竜変身】!」
リヴィに乗ったエルと、変身したルキが、大空に上がった。
空は青く、どこまでも澄んでいる。




