帰るべき場所
第16話 帰るべき場所
1
竜王様の地鳴りのような声が響く。4頭目の黒竜が逝ったそうだ。
「みゅ、うみゅ。」
こうして、リッリッサ・アウレリウスが、魔界の不死なる竜の王様の巣で、黒竜の死を言祝ぐのも、4回目である。そろそろ竜王様との時間も終わりを迎えるだろう。その前に、竜王様とお別れせず、家にも帰れる方法を考えないといけない。リルが思考にふけっていると突如、ピンと閃いた。このほうほうなら、とリルは思った。
翌日、リルは、日課の槍の稽古を終えると、巣の外の森に出た。しばらく歩いていると、双頭犬に出くわした。リルは槍で、双頭犬の2本の首を次々に切り落とすと、その場に倒れて動かなくなった双頭犬から、「魔力吸収」の魔法で魔力を吸い取った。リルがお腹いっぱいになるころには、双頭犬は、一回り小さくなっていた。小さくなった双頭犬に、リルは、新たに編み出した魔法を使ってみた。この魔法は、「元素防壁」で使われている術式の応用で、魔力を還元して高濃度のエーテルを生み出す魔法だ。新しい魔法をかけると、双頭犬の周りに虹色の気体が噴出した。高濃度エーテルが生成された証だ。そして双頭犬は、子犬くらいの大きさになった。リルは、じっけんせいこう、と思った。新しい魔法は「元素還元」と名付けることにした。
リルはもう少し森を歩いて、別の獣から、新しい魔法の実験で消費した魔力を「魔力吸収」の魔法で補充し、竜王様の巣に戻った。
「うみゃう。」
リルは竜王様に、魔力が回復したことを報告した。その後はいつものように、竜王様が不死なる竜を呼び出し、リルがそれに「創生の秘術」で命を授ける。その後竜王様が、不死ではなくなった黒竜を、門を開いて表の世界に送った。門の呪紋は、完全に覚えた。リルが魔力を回復させるために休んでいる時、竜王様の地鳴りのような声が響いた。これで21頭目、次が最後らしい。リルは、じゅんびはばんたん、と思った。
リルは、翌日もいつも通り過ごした。22頭目、つまり最後の黒竜を表の世界に送りだすのを見届けたのだった。
翌日、リルは、槍の稽古をしてから、森に散歩に出かけた。この日は、大きな蜻蛉に出遭った。リルは素早く蜻蛉の頭を切り落とすと、地面に落ちて動かなくなっている蜻蛉から「魔力吸収」の魔法で、魔力を奪った。
お腹いっぱいで竜王様の巣に戻ったリルは、不意打ちで「元素還元」の魔法を竜王様に使った。虹色の機体が噴出し、竜王様の身体はリルの腕くらいまで小さくなった。成功だ。
「きう、きゅう?」
竜王様は、小さな体にふさわしい可愛い声で、何をするつもりか聞いてきた。
「うみゃ、みゅう、みい。」
リルは、りゅうおうさまはまだちせいがあるから、ほかのこのように、しなせられない、と答えた。それから有無を言わさず竜王様を抱きかかえると、竜王様の真似をして門を開き、竜王様を抱いたまま門の中に飛び込んだ。
2
エルヌスと妻のマルガリッサを乗せた輸送艦がスベルドロ砦に帰還したのは、出発から1週間以上経った後だった。
「ただいま戻りました。みなさん、僕たちが不在の間、ご苦労様です。」
「ただいまー。」
久方ぶりの騎士団長と団長補佐の帰還にスベルドロ砦は、俄かに活気づいていた。輸送艦から魔導従士が降ろされ、各機体は異常がないかチェックに回される。輸送艦も戦利品を下すとドックに入った。
「お帰りなさい、父様、母様。」
「お帰り、お帰りー。」
「・・・おかえり。」
自機を工房の所定の位置に片付け、騎士団長用の製図台の方に向かってきたエルとマギーを、子供たちが出迎えた。
「ただいまー。お土産もあるよー。」
「只今戻りましたよ、オッティ、それにモカ、リル。おや、オッティの机の上にある竜の鱗は。」
エルが目ざとく長男のオルティヌスが直前まで見ていた竜の鱗が机の上に置かれているのを発見した。
「気付きましたか。さすが父様です。実は父様たちが不在の間に、オストニアにも黒い竜さんが現れたのです。僕とリルで、遊ばせてもらいましたが、死骸は溶けてしまって、魔力結晶とこの鱗しか回収できませんでした。」
「オストニアにも現れましたか。そして、鱗と結晶しか回収できなかったのも同じと。それからあの結晶は魔力結晶で間違いないんですね。通常魔獣の魔力結晶は白いですが、あの結晶は黒いですから確信が持てなかったのです。」
「魔力、魔力結晶、血漿、決勝。」
「・・・けっしょう。」
「感じる魔力の大きさから考えて間違いないと思います。」
オッティはエルの疑問を肯定した。
「転換炉、転換炉。パワー、パワーアップ、あっぷっぷ。」
「・・・にらめっこ?」
「さすがに今以上に出力を上げてしまうと乗りこなせるかどうか。」
魔力結晶は魔力転換炉の材料になる。鍛冶師のモカイッサは、黒竜の魔力結晶を使って、魔力転換炉をパワーアップさせたいらしいが、オッティは、あまり乗り気ではなさそうだ。
「とにかく、竜鱗と、魔力結晶は、黒竜3頭分きっちり回収してきましたから、オッティも研究材料に困ることはないはずです。これからはきっちり働いてもらいますからね。」
「はい、父様。黒竜さんの鱗は、竜さんの鱗とも違ってとっても美しいです。実物が手に入って、僕は感動で夜も眠れます。」
「・・・それ、ふつう。」
「普通、不通、フツ鵜。」
なぜかさっきからモカが異常にはしゃいでいる。
「団長殿、可愛い我が子とじゃれあいたいのは分かるが私の存在も忘れないでくれたまえ。」
ディオが会話に割って入った。
「はい、ディオさんも僕たちが不在の間ご苦労様でした。報告書は後で目を通しますので、置いておいて下さい。それから、今日はもう休んでいいですよ。」
「お言葉に甘えさせてもらおう。といっても、もう夕刻だから上がりの時間だが。」
「あ、ほんと。もうこんな時間。」
「では、それぞれの情報を交換するために明日会議を開くこととして、今日はもう帰りましょう。」
ということで、遠征の残務処理を翌日に先送りして、帰宅することになった。
「かーえろ、帰ろ♪カラス、カラス?が泣いたら、鳴いたら、かーえろ、えろ♪」
「・・・えろ?」
帰宅後の夕食の席では、自然とエルとマギーの遠征の話題になった。食卓に並ぶのは、いつものもそもそしたパンと野菜のスープ、それにオッティがとってきた「土竜」のステーキだ。オッティによると、「土竜」が取れるのは珍しいらしいが、残念ながらオッティ以外に「土竜」の正体が分かる者がいなかった。
「じゃあ、グランミュール滞在中は、毎日宮廷での晩餐に招かれてたのかよ。」
「はい。一応王婿殿下のランファンはマギーのお兄さんですからね。」
「美味しかったよ。家畜の肉もいっぱいあって、いかにも西方って感じで。」
言うと、マギーが珍しく4兄弟の次兄マルセルスのことをじっと見つめ、
「今思ったけど、マルセルとランファンって似てるよね。」
「伯父と甥ですからね。それに、シバリウス侯爵家は、美男美女の家系と一部では有名です。ランファン伯父様もグランミュールの女王陛下のハートを射止めた美男。マルセルも学園ではモテモテですからね。残念ながらカワイくはありませんが。」
「残念、無念、また来年。」
「・・・らいねんになっても、カワイくはならない。」
モカはやっぱり変なはしゃぎ方をしている。当のマルセルは、
「母さんが俺のことを話題にするなんて、明日は雪か。」
と驚いている。
「ふーん、その一部がどんな連中か知らないけど、センスないなあ。ランファンなんかよりエル君の方が1万倍カワイイのに。」
「マギー、それはそれで女王陛下に失礼では。」
「ロッティちゃんは、自分がカワイイからいいの。」
マギーのカワイイ万能説は余人には理解しがたい。
「それよりも、竜さんです。どうでしたか?父様。カワイイ悲鳴を上げてくれましたか。」
「君が期待しているようなことは何もなかったですよ。悲鳴も聞こえなければ、血も出ませんでした。」
エルはさすがに父親だけあって、オッティの趣味を理解している。もちろん共感はしていないが。
「そうですか、そちらもですか。残念です。肉が溶けてなくなってしまったことと言い、遊び甲斐のない竜さんです。ん、そういえばリル、竜さんの死骸が溶ける時、穢と言いませんでしたか?」
「・・・ん。」
リルの「ん」は大体肯定である。
「穢れですって。マギー。」
「うん。」
「あの黒い竜が死ぬときに出た黒い液体が、僕たちがかつて魔の森で戦った『穢れの獣』の出す黒き穢れに似ていました。リル、穢れとは何なんですか?」
「穢れ?穢れ?」
リルは黙ってしまった。
「リル、父様の質問に答えて下さい。」
「・・・けがれ・・・せつめいしにくい。」
リルが困っているのを見てオッティが助け舟を出す。
「では、聞き方を変えましょう。穢とは、隠された12番目の属性式ですね?」
「・・・ん。」
「そして穢属性の魔法が引き起こす現象をさす言葉でもありますね。」
「・・・ん。」
「と、言うことだそうです、父様。」
オッティが間に入ってくれたおかげで、リルの言いたいことは伝わった。
「隠された属性式などまだあったのですね。しかもあの穢れは魔法現象の一種ということですか。悪魔の知識には毎度驚かされますね。」
「属性式、エレ、エレメント、メントーё」
エルは、心底感心した様子で続けた。
「リルは、不死なる竜が穢れを持っていることを知っていたのですか?」
「・・・しらなかった。」
「父様、質問があります。」
「何ですか?」
「穢れの効果は、様々な物を溶かす。これは間違いないですか?」
「そうですが、それが何か?」
「いえ、黒竜さんの鱗は穢れでも溶けずに残ったのですよね。すると、耐蝕性に優れていることになりませんか。」
「そうですね。」
「タイショクセイ、タイショクセイって何何?」
「・・・しんしょくに、つよいこと。」
「おお。リルリル、物、物知り、しり。」
「・・・しり。」
双子の空気を読まないやり取りは横に置いて、オッティは続けた。
「魔導従士の外装として耐食性が強い素材は今まで例がありません。それに耐食性が強いことが、黒竜さんの鱗の組成を探る手掛かりになります。面白くなってきましたよ。」
オッティは、魔獣に関することだけはやる気を出す。どうも黒竜の鱗がオッティのやる気スイッチを入れたらしい。
「よくわかりませんが、君がやる気になってくれるならそれが一番です。今回持ち帰った竜鱗は、相当な量です。思う存分研究してください。」
「はい、父様。言われなくてもそのつもりです。」
「みんな、エルとマギーちゃんが久しぶりに帰ってきて嬉しいのは分かるけど、そろそろご馳走様にしましょう。」
エルの母であるティナイッサが、食事の終了を促した。
「はいはい。お祖母ちゃん、お祖母ちゃん、ご馳走、ご馳走様でした、でした。」
「お祖母様、ご馳走様でした。」
「お義母さん、ご馳走様〜。」
夕食が終わった後も、話は尽きなかったが、翌日もそれぞれ仕事や学園があるので、夜更かしはしないで寝た。
3
翌朝、悪魔のリルはいつも通りの時間に目覚め、同じベッドの隣で寝ているモカを起こし、着替えをしている時に異変は起こった。リルの足元に突然呪紋の様な模様が浮かんだのだ。リルの悪魔の知識の中にあるどの呪紋とも一致しないが、魔界と表の世界をつなぐ門に似ている。
突然の異変に、リルとモカがどうしていいか分からずおたおたしていると、リルの中に、何か懐かしいものが入り込んでくる感覚があった。同時に、門らしきものから、リルの腕くらいの大きさの小さな生き物が出てくる。細長いからだから四肢と小さな翼が生え、全体が黒い鱗に覆われている。頭部には角と、ワニの様な鋸状の歯が並んだ体のわりに大きな口があった。小さい黒竜だろうか。
リルは、突然自分の中に何かが入ってくる感覚に気持ちの悪さを覚え、その場に座り込んでしまった。
「・・・あたまのなか、ぐちゃぐちゃ、する。」
「リルリル、どうしたの?どうしたの?リルリル。」
明らかな異変が起きている妹の前で、モカは右往左往した。小さい黒竜?は、リルの身体にまとわりつくように這いまわっている。
「・・・わたしの、からだ。」「・・・わたしの、からだ?」
うわ言の様に呟くリルに、モカは、
「大丈夫?リルリル。リルリル、大丈夫?」
と声を掛けることしかできない。物音に気付いたのか、隣の部屋から、オッティが駆け込んできた。
「モカ、リル、どうしましたか?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。リルリルが変、変なのなの。」
「・・・りゅうおうさま?」「・・・りゅうおうさま。」
オッティは、リルの異変を見るとすぐにモカに指示を出した。
「とりあえず、寝間着を着せ直して、リルを寝かせて下さい。落ち着くまで様子を見ましょう。」
「うん、うん。分かった、分かった。」
モカは、意識がはっきりしないリルをひょいと抱え上げると、さっきまで寝ていたベッドに寝かせ、脱げかけていた寝間着を直してやった。モカも、怪力のリルほどではないが、鍛冶師として鍛えられており、小柄な(自分も小柄だが)双子の妹を持ち上げる程度のことは苦も無くできる。寝かされているリルの周りを、小さい黒竜?が這いまわっている。心なしか心配そうな様子にも見える。
「しかし、この竜さんの雛の様な生き物は何なんでしょう?」
「さっき、さっき、初めて、初めて見る、見る呪紋、呪紋みたいなのから出て来た、出て来たの。その時からから、リルリルが、変、変になっちゃった、ちゃった。」
騒ぎに気付いたエルもモカとリルの部屋にやってきた。オッティはモカから聞き取った事情をエルにも説明した。
「今日はリルを休ませましょう。モカ、あなたがリルについていてあげて下さい。二人の欠勤は僕が許可します。」
「分かりました、父様。妥当な判断だと思います。」
「分かった、分かった。」
その間にも、黒竜の雛?は
「キウ、キュウ。」
と鳴き声を上げながら、心配そうにリルに寄り添い、リルも、
「みう、みゃう。」「・・・?」
と、小動物の鳴き声の様な声を出していた。
朝食を終え、エルたちが出勤してしまった後も、モカは部屋で寝かされているリルについていた。といっても、何かできるわけではない。ただ心配そうに妹を看ているしかできなかった。黒竜の雛?は、リルに掛けられたシーツの上に陣取って、
「キィ、キャウ。」
と、鳴いている。リルも、
「・・・?」「うみゃ。」
と、鳴き声の様な声で答えている。会話が成立しているようにも、していないようにも見えた。
しばらくして、リルは完全に眠ってしまったようだった。黒竜の雛?もリルの上で体を丸めて眠っている。モカはその様子を見守りながら、起こさないように静かにしていた。書き物机に向かうと、モカのとっておきの新しいアイディアの設計に取り掛かる。眠っているリルは、時々、「うみゅう・・・。」と小動物の鳴き声の様な寝言を言っていた。
リルが目を覚ましたのは、昼を過ぎてからだった。
「・・・おはよう、おねえちゃん。」
「あ、リルリル。起きた、起きたね、ね。」
リルは、ひょこっとベッドから飛び起きると、手早くいつもの黒ロリファッションに着替えた。肩の上に、黒竜の雛?が乗っかっている。
「・・・きおくの、とうごうに、じかんが、かかった。」
「トウゴウ?統合?等号?東郷?」
モカの謎のテンションは継続している。モカは新しい遊びを覚えた。
「・・・とうごう。」
リルはいつもの調子で答えた。実に不毛な会話だ。その時、く〜っとリルのお腹が可愛く鳴った。朝食前に異変が起こったので、朝から何も食べていない。
「・・・おなか、すいた。」
「だね、だね。何か、何か食べる?食べる?」
「・・・たべる。」
モカは、リルから事情を聴くのは後回しにして、空腹の妹をダイニングに連れて行った。
「朝食、朝食の残り物、残り物なら、すぐすぐ出来る、出来るよ、よ。」
モカは、母と祖母に教わりながら料理もしているので、意外と段取りよく食事の準備ができるのだ。リルは、
「・・・それでいい。」
と答えた。出て来たのは、いつも通りのもそもそしたパンとスープだった。リルの好物の木苺のジャムもある。
「・・・いただきます。」
「どうぞ、どうぞ。召し、召し上がれ、上がれ。」
リルはいつも通り、無言で出された食事をほうばった。日常の味に、なぜか胸が熱くなった。
「・・・ごちそうさま。」
リルが食事を終えると、モカは、後片付けを始めた。リルも手伝う。2人ともなかなか手際がいい。後片付けを終え、居間に移動すると、モカが、リルに質問した。
「何、何があったか、あったか、聞いていい?いい?」
「・・・にどでま。・・・みんなが、かえったら、はなす。」
「そかそか。じゃ、じゃ、みんな、みんなが帰る、帰るまでまで、私、私は、部屋にいるね、ね。」
そう言って、モカは、自室に戻っていった。リルは竜王様と、
「みぃ。」
「キュイ。」
と竜語で雑談したり、ソファでぐうたらしながら家族の帰りを待った。
4
夕方になって、エルとマギー、それにオッティが砦から帰ってきた。
「どうやら、リルも落ち着いたようですね。」
「・・・ん。」
居間に、夕食の準備をする女性陣以外の家族が集まって、リルから事情を聴くことになった。ちなみに、リルはいつもは料理するモカを観察しているだけで自らは厨房に立たない。最初に口火を切ったのはオッティである。
「その黒竜さんの雛の様な生き物は何ですか。とっても興味があります。」
「・・・りゅうおうさま。」
「竜の王様ということですか。それにしては小さいですね。」
その時、家の中の一同に、頭の中に直接降ってくるように声が聞こえた。
「我は不死なる竜の王。」
「不死なる竜の王ですって。」
エルが、言葉の内容に驚いた。マルセルは、内容よりも、頭に直接響く声の方に驚いているようだ。
「これは、周囲に意思を伝える魔法のようですね。それでわざわざ名乗ってくれたのですね。僕はオルティヌス・アウレリウス。よろしくお願いします、不死なる竜の王様。リルに倣って竜王様と呼んだほうがいいですか?」
オッティだけは全く動じず、名乗り返した。すると竜王様は、リルの肩で、
「キウ、キウ。」
と、鳴いた。リルも、
「みう、うみゃ。」
と、小動物の様な声で、答えている。それを見ていた一同は、なにがなにやらといった感じであったが、オッティだけは違った。
「なるほど、竜さんの言葉は、以心伝心が大事なんですね。」
それを聞いて驚いたのは、竜王様とリルである。
「・・・おにいちゃん、わかる?」
「いえ、全く。リル、今の話を通訳して下さい。」
分かっていなくてもこの反応ができるのがオッティが天才たる所以である。
「・・・このばはまかせる。」「・・・まかされた。」
「そうですか。では、リル。何故、あなたが竜王様と一緒にいるのですか?」
オッティには、リルに起きた異変よりもそちらのほうが優先度が高いらしい。
「・・・まかいから、つれてきた。」
「確か、悪魔のリルが、人間のリルが魔界に引きずり込まれたと言っていましたよね。それで人間のリルが魔界から戻ってくる時に、竜王様を連れてきたということですか?」
「・・・ん。」
2人だけで話を進めるリルとオッティに、エルが割り込んだ。
「そうすると、行方不明だった人間のリルが戻ってきたということになりますね。」
「・・・ん。」
オッティは、話に割り込まれたのが気に食わなかったらしい。エルに抗議した。
「父様、話の腰を折らないで下さい。人間のリルが戻ってきた辺りの事情は後で聞きますから、それより、まず竜王様です。リル、竜王様は何故そんなに小さいのですか?」
「・・・ちいさくした。・・・ほんとは、もっとおおきい。」
「そういえば、悪魔のリルが魔界の獣さんは、魔力が減ると小さくなると言っていました。不死なる竜さんも同じなのですね。それで、こちらの世界に連れて帰るために、魔力を減らして小さくしたんですね。」
「みゅ。」
「リル、人間の言葉で喋って下さい。」
「・・・ん。」
「竜王様を連れて帰って来たということは、人間のリルには、魔界とこちらの世界を繋ぐ力があると考えていいですか?」
「・・・りゅうおうさまのまね。」
「待って下さい。」
再びエルが割って入る。
「その不死なる竜の王に、この世界と魔界を繋ぐ力があるということは、僕たちが戦った黒竜もその力でこちらに出て来たのではないですか?」
「・・・ん。」
「不死なる竜は名前通り死なないものと思っていましたが、退治できたのは何故でしょう?」
「父様、そこは僕も気になっていました。前に戦った竜さんの群れは、跡形もなく消えてしまいましたが、今回は魔力結晶を回収していますから、退治できたのは間違いないはずです。」
オッティもエルの疑問に便乗した。どうしても会話の主導権を自分が握っていたいらしい。
「・・・ん。・・・ぱぱのいうとおり、ふしなるりゅうは、しなない。・・・いのちをさずけると、しぬ。」
リルの説明は言葉足らずだったが、オッティには伝わったようだ。
「なるほど。不死なる竜さんには命がないから死なないのですね。そして命を授けられた竜さんは、もはや不死ではないから、殺すことができるということですか。」
「兄貴、あの説明でよくそこまで理解できるな。」
「マルセル、君の勉強が足りないのです。」
「まさかのダメ出し!」
と、そこへティナがやってきて、
「お話の途中みたいだけど、支度できたからご飯にしましょう。」
と、男性陣とリルを呼びに来た。
「分かりました、お祖母様。続きは食べながらにしましょう。」
「そうですね。リルも行きましょう。」
「みゅ。」
リルは肩に竜王様を乗せたまま、食卓に向かった。
食卓には普段とあまり変わらないメニューが並んだ。メインは、オッティが捕ってきた「兎」のローストだ。
「頂き、頂きます、ます。」
「頂きます。」
「・・・いただきます。」
家族そろって食卓を囲み、揃って頂きますのあいさつをするのが、アウレリウス家流である。リルだけいつも、ワンテンポ遅れる。
「それでは、さっきの話の続きをしましょう。リルが悪魔のリルさえ知らなかった不死なる竜さんについての、細かい知識を持ち帰ったことから考えて、人間のリルを魔界に引きずり込んだのは、そこにいる竜王様ですね?」
「・・・めいすいり。」
「じゃあ、じゃあ、リルリルはずっと、ずっと竜王様、竜追う秋刀魚のとこ、所にいたの?板野?」
モカの悪ふざけが悪化している。
「みゅ。」
「さっきも言いましたが、人間の言葉で喋って下さい。」
「・・・ん。」
「竜さんの言葉を覚えてしまうくらいですから、そんなに悪い扱いではなかったのでしょう。それより、命を授ける術です。僕が思うに『創生の秘術』ですね?」
「みゅ。」
「今日のリル、カワイイ。」
マギーにとっては、カワイイかカワイくないかが重要である。
「その母様の意見には同意しますが、そうすると人間のリルは『創生の秘術』が使えるから魔界に呼び込まれ、不死なる竜さんに、命を授ける役をさせられていた、ということになりますね。」
「せっかく不死なのに、わざわざ死のうとするのですか。魔界の獣の考えることは分かりませんね。」
「無いもの、無いものねだり、ねダリ、根太り。」
「・・・おねえちゃん、さすが。」
「でしょでしょ。」
「死なねえから、死にてえって、やっぱり分かんねえな。」
マルセルも会話に加わりたいようだが、会話に着いていけていなかった。
「無いものねだり、生苦からの解放、でしょうか。僕も、死なないとしたらどこかで生きるのが嫌になると思います。」
「オッティの言う通りかもしれません。人生は有限だから意味があるのかもしれませんね。」
「みゅ。」
「カワイイ。」
「マギー、そのくだりはもうやりましたよ。」
マギーは、会話に着いていくことを諦め、いつもよりカワイイリルを堪能していた。
「不死なる竜を退治できた理由は分かりましたが、何故こちらの世界に送りだす必要があったのでしょう?殺すだけなら魔界でもできますよね。」
エルが更に質問を続けた。
「・・・おやこあい?」
「不死なる竜さんは竜王様の子供なのですね。それで自ら殺すことが躊躇われた。」
「・・・ん。」
「この世界にも不死でなくなった黒竜を殺し得る戦力はありますから、最期のところは、この世界の騎士に任せたのでしょう。」
「・・・ん。」
「確かにリルが悪魔だと分かっても退治しようとは思いませんでした。自分の子を手にかけるのは気が引けるというのは分からないではないですね。」
リルが言葉足らずな説明をし、それをなぜか理解できるオッティが補足し、エルが同意した。
「それで、何故、リルは竜王様を連れて帰って来たのでしょう?本来なら竜王様も他の竜さんと同じ様に不死ではなくしてから、こちらの世界に送り出すはずだったのではないですか?」
「・・・おにいちゃん、なんでわかるの?」
「それは僕がリルのお兄ちゃんだからです。」
「俺は全然分かんねえぞ。」
「マルセルはカワイくないから仕方ありません。」
「今度はそこ!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。すごい、ごいすー。」
モカは業界用語を覚えた。
「それはともかく、竜王様です。見た限り、小さい以外にも、他の竜さんと違ってちゃんと理性的です。もしかしてそれが理由ですか。」
「・・・ん。」
「そうですか。それで連れて帰ってきてしまったと。本当はもっと大きいのでしたよね、他の竜さんの様に。」
「・・・もっと。」
「もっと大きいのですか。それはそそりますね。あ、思わず涎が。」
「・・・たべちゃだめ。」
「大丈夫です、食べません。想像しただけです。」
リルはオッティのあまり大丈夫ではなさそうな答えに、竜王様を懐に隠した。
「オッティの悪食は置いておいて、こちらの世界に人間のリルが帰ってきた後、調子が悪くなったのは何故でしょう。」
「・・・きおくの、とうごう。」
「統合?等号?東郷?」
「・・・とうごう。」
双子は再び不毛なやり取りをした。
「人間と悪魔に分かれている間、リルが2人いたことになります。その間の記憶を統合していたのですね。」
「みゅ。」
「それが今朝のリルの不調の原因でしたか。それなら、明日からはまた仕事に復帰できますね。」
エルは、オッティの翻訳を聞いて、リルを騎士団の任務に戻しても問題ないと判断した。
「・・・ん。」
「そろそろみんな食べ終わったころだし、ご馳走様にしましょう。」
ティナが相変わらず呑気に言った。
「はいはい。お祖母ちゃん、お祖母ちゃん。ご馳走、ご馳走様、様々。」
「ご馳走様でした、お祖母様、母様、それにモカも。」
「ご馳走様でした。」
「・・・ごちそうさま。」
揃ってあいさつをしているはずなのに、いつもリルだけ遅れる。
そのあとリルを含めた女性陣で夕食の後片付けをした。リルは、調理は観察しているだけだが、後片付けには参加する。
夕食後、場所を居間に移して、会話の、というよりリルに対する訊問の続きが行われた。
「最後にもう一つ聞かなければいけない問題が残っています。リル、こちらの世界に来ている黒竜は全部で何頭ですか。」
エルがリルに尋ねた。
「みう、みゅう。」
「キュ。」
ちょうど竜王様と雑談しているところだったリルは、エルの問いに、
「・・・ぜんぶで、22とう。・・・4とういったから、あと18とう。」
と答えた。それを聞きオッティが目を輝かせて、
「あと18頭もいるんですね。それなら、僕が偶然黒竜さんと出遭う確率もそれなりにあるはずです。」
と言った。オッティは、黒竜と「遊び」たくて堪らない。
「冗談ではありません。僕たちだから4頭片付けられたのであって、他の国の人たちが偶然黒竜に出遭ってしまったら、大変な被害が出ますよ。」
エルが、息子の傍若無人な態度を咎めると、リルに向き直り、
「残りの18頭は、どこにいるか分かりますか?」
と更に質問を続けた。
「・・・しらないとこ。」
「まだ人間がこの世界の全てを把握している訳ではありません。人間の知らない場所に、残りの黒竜さんは迷い出てしまった可能性が高いですね。突然人間の領域に黒竜さんが現れて、大きな被害が出る危険は、あまりないと考えて差し支えないでしょう。」
「さすがにそれは楽観的すぎませんか?」
「父様、僕たちは未だ魔の森の果てすら見ていないのです。世界は想像以上に広いですよ。前にも言いましたが、この世界は直径約1万3000キロメートルの球体という説もあるのです。人間が知っているのは世界のほんの数%と考えるべきでしょう。」
オッティが持ち出した球状世界観はこの世界ではまだ一般的ではない。というか、ほとんどの人は世界の形などに興味はないだろう。エルもその一人だった。
「オッティ、君の言い分は分かりましたが、今後は黒竜に遭遇する危険を考えて万全の体制を整えておく必要はあります。それと、黒竜のことは国王陛下に報告します。2人ともいいですね。」
「はい、父様。妥当な判断だと思います。」
「・・・いかどうぶん。」
リルたちはエルの決定に従った。
「ところでリル、魔界にいる間にあなたが、黒竜さんを22頭こちらの世界に送りだしたのだとして、それに半年もかかりましたか?少々時間を掛けすぎな気がするのですが。」
「・・・まかいと、おもてのせかいで・・・じかんの、ながれがちがう。」
「つまり魔界にいたあなたにとっては、半年も時間が経っていないということですね。」
「・・・ん。」
ここで、モカがあることに気付いた。
「この子、この子。竜王様ちゃん?竜王ちゃん様?朝より、朝より大きく、大きくなってない?ない?」
言われてみれば、確かに一回りくらい大きくなっている。
「魔界の獣は魔力の量で大きさが変わるという話でしたから、1日で魔力が回復して、大きくなったのでしょう。」
「・・・ん。」
リルはオッティに同意すると、「魔力吸収」の魔法で、竜王様の魔力を吸い出した。竜王様はだんだん縮んでいき、朝と同じくらいの大きさに戻った。
「今のは『魔力吸収』ですね。なるほど、悪魔の知識があるリルにも、その魔法が使えたんですね。」
オッティは感心しているが、リルとしては、負の属性式の存在を看破しただけでなく、術式まで完璧に悪魔の魔法と同じものを描いて「魔力吸収」を使えるようになってしまった、オッティの天才ぶりの方が驚きである。これをもってこの日は解散となり、リルは竜王様とモカと部屋に戻り就寝した。
5
翌朝、リルがいつも通りオッティと朝稽古に励んでいると、オッティが、
「リルの動きがいつもほどよくありませんね。リル、もしや魔界でぐうたら過ごしていませんでしたか?」
「・・・ぎく。」
図星を刺されたリルは努めて表情を変えないようにしていたが、オッティは騙せなかったらしい。
「そうですか、しかたありませんね。」
「・・・せっかん?」
「いえ、それはマルセルにしかしません。それでもリルにも調教が必要でしょうね。夕食後に、部屋で待っていてください。」
「・・・ちょうきょう?」
スベルドロ砦に出勤すると、早速エルが、オッティとリルの第0分隊に指示を出した。
「黒竜騒ぎや、昨日のリルの件で中断していましたが、試作機の試験を再開しますよ。」
「父様、まだやるんですか?正直僕は早く黒竜さんの素材の研究に取り掛かりたいのですが。」
「そう言うと思っていました。なので、オッティは研究の方に集中して下さい。マギー、オッティの代わりに、試作機の試験に立ち会ってください。リルは引き続き試験騎士をお願いします。」
「おーけー。」
「そういうことなら、仕方ありません。リル、母様と一緒に頑張ってきて下さい。」
「・・・まだやるの。」
言うや、オッティは嬉々として、黒竜の鱗を眺め始めた。リルはしぶしぶ試作機に乗り込む。中断前に鳥形態での飛行試験まで終えていたので、今日は鳥形態時に使用する武装の動作試験になる。リルは、正直なところ、この重くて遅い試作機は失敗作だと思っていた。
「僕は国王陛下に現状を報告しなければなりませんので、今から王都に向かいます。マギー、留守は任せました。帰りは遅くなるかもしれませんから、定時になったら上がっていいですよ。」
「任された。」
王城ウラジオ城の会議室で、いつものようにエルと国王ハベス1世の密会が行われていた。今回は第1王子のドラクロゥス・オストニウスも同席した。
「グランミュールからの救援要請が、まさか西方諸国漫遊になるとはな。しかもその原因となった黒い竜は魔界の獣ときたか。いよいよ信じられんな。」
国王は、いつもの怜悧な雰囲気を崩していないが、言葉の端々に静かな驚きが感じられる。
「陛下、今報告いたしましたことは、全て、僕か僕の家族が直接体験したことです。信じていただきたいとしか。」
「貴様を疑ってはおらん。ただ、世界は未だ知られぬことに満ちておると、そう思っただけよ。」
とは言いながら、エルも、不死なる竜の王がこちらの世界に出てきて、しかもアウレリウス家と同居していることは伏せて報告したが。
「黒竜はあと18頭とのことだったな。仮に遭遇する可能性は低いとしても、備えを怠る理由にはならん。それに、今後も魔の森を越えるための調査は続けるのだ。その先にいないとも限らん。遠方へ船団を派遣する際は、黒竜に対抗しうる戦力を確実に編成するように。それとドラク、この問題はおそらく貴様の代に引き継がねばならん。心しておけ。」
「は、はは、父上。」
ドラクは、やや顔を引きつらせながら、承諾の意思を示した。国王は、この肝の小さい息子には荷が重い問題を残すことに、忸怩たるものを感じた。
「それでは陛下、報告は以上となります。それから陛下。」
「分かっておる。貴様の倅のことであろう。委細は任せる。」
「それでは、オッティを正騎士に昇進させます。」
「よかろう。」
報告を終え、オッティを昇進させる許可を得て、エルが会議室を辞去しようとしたところで、国王が引き留めた。
「待て。貴様が帝国やイルリックで暴れてきたことの後処理がまだできておらん。我が国は、グランミュール以外の西方諸国とまともな国交がない。それゆえこの件の処理、一筋縄ではいかぬが、反面西方4大国家のうち2つまでに大きな貸しを作れたのは僥倖だったとも言えよう。貴様なら、この件、どう落とす。」
「そうですね。」
エルはしばし考えてから、徐に発言した。
「まず、帝国相手ですが、我が国は西方大戦の際、帝国と敵対した過去があります。それに、西方大戦のそもそものきっかけが、帝国が僕たちの技術を盗み出したからです。帝国は我が国の独立を黙認していますが公式には認めていないことも考慮しますと、我が国の独立を認めさせた上で、多額の賠償をさせるのがよいのではないでしょうか。」
エルも帝国に対しては思うところがある。当然帝国に対する救援の代償の要求は高くならざるを得ない。
「ふむ。妥当なところだろう。」
国王も同意を示した。
「次にイルリックに対してですが、イルリックは商人上がりと呼ばれるだけあって商業の国。当然オストニアでは貴重な資源についても、彼らなりの仕入れ先を持っているでしょう。できれば、救援の対価は現物払いにして、少しでもオストニアに有利になるようにするのがよいかと考えます。」
「私と同意見か。」
エルと国王の見解は一致した。
「良いか、ドラク。これが政に関わる者の判断だ。貴様もこの程度の腹芸は覚えておけ。それでは、エルヌス。時間を取ったな。」
「いえ、この程度で殿下のお役に立てたのなら。」
そう言って、今度こそエルは会議室を辞去した。
その日の昼時、王立魔法騎士学園の飛空船学科の校舎脇の長椅子に腰かけ、マルセルは、人心地ついていた。
「ずっと座学ってのも、疲れるもんだよな。」
思わず独り言が漏れる。すでに学年末試験は終わったが、マルセルはまだ2年生なので、試験の後も授業が山盛りあるのだ。それに春の実習飛行も近づいていて、その準備も忙しい。最早家族の誰も気にしてくれなくなっていたが、マルセルは連夜、オッティにしごかれているおかげで成績もよく、春の実習飛行では、航空士の役を射止めていた。これまでの経験を生かして、航路を設定する重要な役だ。この2年間でマルセルは船乗りとして、着実に実力をつけつつあった。
6
「親方、親方。ちょっといいですか。」
「何だ?このくそ忙しい時に。」
鍛冶師隊の若手鍛冶師が、親方を呼び止めた。
「あの末っ子が連れてる小さい生き物、竜の雛に見えませんか?」
工房内のオッティの机で、マギーにナデナデされているリルの周りをうろうろしている小さな生き物を指して、若手鍛冶師が言った。
「そう言われるるとそうだな。」
親方も同意した。
「昨日の双子の突然の欠勤と言い、何か変じゃないっすか?」
「まあ、変って言やあ、変だが、あの一家のやることは何から何まで変だからな。細けえことは気にすんな。」
親方もアウレリウス家との付き合いは、相当長い。非常識が常識の連中に、常識を解いても意味はないことは、分かっていた。結果、リルが砦に連れてきた竜王様は、なんとなく騎士団に受け入れられてしまった。
その晩、夕食後のことである。マルセルは早々に自室に引き上げ、予習復習に励んでいた。いつもなら、オッティがやってきてマルセルの勉強を見てくれるのだが、その日はなぜかオッティは一向に現れる気配がない。代わりに隣室の妹たちの部屋から、オッティの声が聞こえてきた。ちなみに、オストニアでは、庶民の家に使われる建材は木材が大半で、防音性はそれほど高くない。
「さて、リル。調教の時間ですよ。」
「調教?調教って何、何するの?するの?」
「・・・ちょうきょう。」
「知りたいですか?では、モカも一緒に調教してあげましょう。」
「調教、調教。一緒、一緒。」
「・・・おねえちゃんと、いっしょ。」
3人で何か始める様だ。「調教」という単語に不穏な響きがあるのが少しだけ気になるが、マルセルは、勉強に集中することにした。
マルセルが努めて集中しようと、机に向かっていても、隣室から漏れ聞こえてくる声は防げない。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんのお兄ちゃん、大きい、大きい。」
「・・・おおきい。」
「ふふ、ありがとうございます。モカもリルも、背は低いですが、女の子のところはちゃんと育っていますね。」
「そだよ、そだよ。私、私も大人、大人の女だもん、だもん。」
「・・・おとな。」
いったい何が始まっているのだろう。気になって勉強に集中できない。マルセルは早々に諦めて、隣室から聞こえてくる声に注意を払うことにした。
「え、あ、あふ、はぁ。」
「・・・みゃ。」
隣室からは妙に艶っぽい妹たちの声が聞こえてくる。兄は妹たちに何をさせているのだろう。それとモカが繰り返し言葉を使わなくなったのは冷静さを失っている証拠だ。リルもさっきから「みゃ」しか言っていない。
「そろそろ準備運動も終わりにして、本番にしましょうか。」
「本番?んあ、あぁ、あふ。」
「・・・みゃ。・・・みゃ。」
「本番」という単語にも不穏な気配を感じる。妹たちの喘ぎ声も一段と艶っぽさを増した。リルは相変わらず「みゃ」しか言っていないが。
「そろそろ気持ちよくなってきた頃合いでしょうか。どうです?」
「気持ち、あはぁ、いい、んはぁ。」
「・・・みゃ。」
「では、そろそろ、出しますよ。受け止めて下さい。」
「んあ、あぁぁぁぁ。」
「みゃ。」
「うん、いい感じに仕上がったんではないでしょうか。」
オッティの満足げな声が聞こえた。
「出た。2回も出た。」
「みゃ。」
「2人同時でしたからね。これで調教は終わりです。これからは2人が頑張ったらご褒美にまた調教してあげます。では、僕は部屋に戻りますよ。」
そう言って扉の開く音がした。マルセルは、隣室で行われていたことの真相を確かめるために、部屋を出た。廊下ですれ違ったオッティは、
「おや、マルセル。勉強はどうしたのですか?」
と聞いてきたが、無視して、妹たちの部屋を覗いた。中では、2人が着崩れた寝衣でベッドに座っており、
「お兄ちゃんに、調教、されちゃった。もうお嫁にいけない。行く気なかったけど。」
「・・・いたきもちいい。」
と放心状態でうわ言の様に喋っていた。中で行われていたことがマルセルの想像通りなら、オッティに対する、天才で変態という評価を改めねばならない。ド変態だ。
それから数日後、年度替わりを目前に控えた3月30日。夕食の席でエルが切り出した。
「オッティ、君も18歳になったので、来月から正騎士に昇進します。これからも頑張って下さい。」
「おめでとー。」
「おめでと、おめでと。お目目でとうとう。お兄ちゃん。お兄ちゃん。」
「・・・おめでとう。」
「父さん、母さん、俺の17歳の誕生日は?」
「ありがとうございます、父様、母様、それにモカとリルも。といっても、正騎士になったからと言って、僕の仕事が変わるわけではないですよね。」
実はオッティの誕生日が3月30日、マルセルの3月29日なので、この前日はマルセルの誕生日だ。しかし、マルセルの訴えは華麗にスルーされた。
「その通りです。開発チームでこれまで通り研究を続けて下さい。それとマルセルは4月から最高学年なのですから、気を引き締めて臨んで下さい。」
「だから昨日は俺の誕生日。」
「ちい兄、ちい兄、サボっちゃ、サボっちゃダメダメだよだよ。」
「みゃ。」
リルの頭の上では竜王様が欠伸をしている。マルセルの家族内カーストは間違いなく最下位だ。
7
4月のある日、スベルドロ砦では、銀嶺騎士団の主だったメンバーが集められていた。
「騎士団の再編成の仕事もありますが、魔の森の調査も並行して進めていくつもりです。前回の長距離飛行のことも踏まえて、今回は南方大洋と魔の森の間の海岸線に沿って飛び、大陸の形を見極めるのに専念してもらおうと思っています。船団は、第1、第3中隊を主力に、テバイと戦闘艦2隻、輸送艦1隻の編成です。前回と同じですね。角度を変えてみれば違った景色が見られるかもしれません。」
エルが、魔の森の奥の調査を継続することを宣言した。
「ふむ、今回は海岸線か。これで森の反対の端に到達すればよいがね。」
ディオが言うと、一同がうなづいた。
「今月中には準備を整えて出航して下さい。調査期間は前回と同じ3か月です。それと、調査中に黒竜と遭遇した場合は、刺激せず迂回して下さい。通常戦力で相手をするのはきつい相手です。」
「団長殿に言われるまでもないね。敵に背を見せるのは私の主義には合わんが、無謀な戦いに部下を突き合わせるほどの阿呆でもないからね。」
「第2、第4中隊は、待機即応任務としますが、並行して騎士団再編に向けた人員選抜を行って下さい。調査に向かっている第1大隊の分もお願いします。いろいろと出張してもらうことになると思います。」
「了解した。」
代表して、エドが答えた。
「それから開発チームには、親方と僕が考えた新たな試作機を作って、試験をしてもらいます。今後の方針で何か質問は?」
発言なし。
「では、解散とします。」
会議室から工房に戻ると、エルはモカを呼んだ。
「モカ、こちらを手伝って下さい。オッティとリルは試作機が組み上がるまで、研究を続けていて下さい。」
「パパ、パパ。分かった、変わった。」
モカがエルと親方のいる方へガシャガシャ音を立てながら駆けていく。
「おう、チビ。来たか。今度の奴は、空陸型の量産機の試作機だ。スコピエスにエスクードを組み込んで1人で動かせるようにしただけだから、構造自体は単純だし、実績もある。今回は変形型の時の様な無様な真似はしねえ。」
設計図を覗き込んだモカは、
「ホント、ホント。」
と、親方に同意した。
その日から、スベルドロ砦は、いつになく慌ただしい雰囲気に包まれた。長距離探査飛行の準備に、試作機の制作、騎士団再編の準備と、いくつもの作業が並行して行われたからだ。
ちなみに変形型の試作機の試験もまだ終わってはいなかった。この日が最後の試験である、鳥形態での実戦だ。相手は例によって、剣隼の群れである。鳥形態での飛行は見上げている分には優雅に空を飛んでいるといった様子だが、魔獣との実戦には少々スピードが足りない。それでもリルは、迫る剣隼に肩部砲を2発、過たず命中させ、急降下攻撃を仕掛けてきた数羽のうち1羽をトー・ブレードで切り裂き、残りの動きを見切って回避した。3羽を落とした時点で、残りの剣隼は巣のある森に戻っていった。
「うん。その鳥型はカワイくないけど、リルはすごい。」
試験を監督していたマギーに褒められた。リルは、
「・・・とうぜん。」
と自信満々で答えた。コックピットのリルの頭の上では、竜王様が欠伸をしていた。
飛行大隊と第1、第3中隊は、迅速に出航準備を整え、4月中旬には、スベルドロ砦を出航した。南東方向へ飛び、海岸線に到達したら、進路を東に変え、海岸線を見ながら進む計画だ。
調査船団の出向から数日後には、新たな空陸型の試作機が出来上がった。ペネトラテス・ファルケやルーケス・イーグルのように本体と補助機エスクードの合体機構を設けず、1機の機体に飛行魔法の紋章や翼が組み込まれている。それなりにバランスの取れた外観だった。スコピエスの発展形というよりも、ピクシスに足をつけたといった印象の意匠である。
「完成しましたね。名前は例によって、試験後に決めることにしましょう。リル、試験騎士をお願いします。オッティは研究を続けて下さい。代わりにマギー、あなたが試験に立ち会って下さい。」
「おーけー。」
「・・・り。」
「り」は「了解」のりである。
新型機の試験は順調に進み、大きな問題も発生せず、魔獣との実戦テストに進んだ。まずは陸戦の性能を見るために、大熊1頭との戦闘に臨んだ。マギーのシルフィが上空から見守る中、リルは、大熊の心臓を易々と槍で刺し貫き、勝利して見せた。
「ぱちぱちぱちー。」
通信機から、マギーの拍手風の声が聞こえる。リルはてごたえがないと思った。コックピットのリルの頭の上では、竜王様が丸くなって寝ていた。
その後すぐに、剣隼の群れ相手に、空戦のテストも行った。リルの本来の乗機であるデモン・サーヴァントは、空戦型なので、このテストはリルの得意分野と言える。ただ、試作機は下半身があり、しかも単発機なので、空中での機動性に難があった。加えて、試作機は量産が前提なので、高度安定器が組み込まれており、一定高度に留まろうとする。これにより空中機動が2次元的になり、ピクシスなどの既存の空戦機も、一般の魔法騎士が扱える代物になっているのだ。が、サーヴァントで3次元空中機動に慣れたリルにとっては、高度安定器は足枷でしかない。操縦しながら設定高度を変化させることもできるが、これには面倒な操作が必要で、直接操縦による機体の思考制御に慣れたリルにとっては、何重にもハンデがある状態なのである。
リルは、剣隼の群れの接近を許す前に勝負を決めるつもりで、肩部砲の照準を、魔獣の群れの前衛に合わせた。試作機の肩部砲に付けられているのは「熱の弾丸」である。2発同時に発法。それぞれ命中、爆発、剣隼2羽が錐もみ回転をしながら地面に落下する。すぐに次弾2発発法。別の2羽に命中、爆発、これで4羽。剣隼たちは、形勢不利と見たのか、上昇に移る前に、巣のある森に引き返して行った。
「よくできましたー。」
マギーの能天気な誉め言葉が通信機を通じて聞こえてくるが、リルは、機体の魔力残量を確認し、すでにレッドゾーンにあることを見て、
「・・・ねんぴ、わるい。」
と、正直な感想を漏らした。コックピットの中では、リルの肩の上に移動した竜王様が、魔晶映写機を興味深げに眺めていた。
砦に帰還して、実戦テストの結果をエルと親方に報告すると、
「エスクードはそれ自体に転換炉を積んでいますからね。さすがに単発で、重量もかさむ機体を動かすのには、無理があったかも知れませんね。」
「すると、あれか。ダモクレスの設計を流用して、双発機として作り直すか?」
親方の問いに、エルはしばし黙考した後、
「前回の試作機も重量の問題がネックになりました。もしかしたらオッティの研究している新素材が、突破口になるかも知れません。それまで両機の採否は保留にします。」
と、結論付けた。
「御曹司の研究ね。あれが天才なのは認めるが、新素材なんてそう簡単に出来るもんか?それこそこれまでの魔導従士の外装は鋼鉄以外なかったんだぞ。」
親方の指摘に対しエルは、
「やってもらわないと困ります。そろそろ新素材開発くらいしかできることがなくなってきていますしね。」
と答えた。これには親方自身同意見だったらしく、
「まあな。このタイミングで御曹司がうちにいなきゃ、開発も進まなくなるところだったな。」
と、応じた。ここにきて、オッティの黒竜の素材研究が銀嶺騎士団の新たな切り札として期待され始めたのである。当のオッティは、黒竜の鱗を眺めて、
「あぁ、この薄く黒みがかった半透明な鱗。どの角度から見ても美しいです。」
などと独り言を言いながらうっとりしていた。
8
7月中旬になって、魔の森調査飛行に向かっていた船団が帰還した。
「海岸線を東に飛び続けたがね、行けども行けども右には海、左には森で、景色は変わり映えしなかったよ。」
ディオの報告も一同の予想の範疇内だったか、特に落胆する者はいなかった。
「父様、やはり世界は球体であると仮定して北東方向を目指して進むべきではないでしょうか。」
「オッティ、今後の調査飛行の方針は、追って考えることにして、ディオさんたちの報告を聞きましょう。」
エルに促され、ディオは報告の続きに入った。
「以前の調査で判明していたことだがね、ある程度南に行くと、森の木が大きなシダ植物になるのは、この目で確認した。それに気付いた御曹司の観察力には脱帽だがね。それからシダ植物の森には、確かに一風変わった魔獣が多くいた。噂の三本角も見たぞ。ただ、大顎王は、見かけなかったな。あと初見の飛行魔獣には遭遇した。詳しくは報告書に書いたから、そちらを見ておいてくれたまえ。ああ、そうだ。黒竜には、幸か不幸か出遭わなんだ。」
「初見の飛行魔獣さん!父様、早く報告書が見たいです。」
「オッティ、君の仕事が終わったらいくらでも見せてあげますから、仕事に集中して下さい。」
「御曹司の反応は予想通りとして、報告は以上だ。」
ディオが報告を締めくくった後、バレアルス艦長が補足した。
「今回明らかになった地形については、追って飛行大隊で詳しい地形図を作成します。」
「お願いします。今後の方針については騎士団再編後の陣容が固まってからにしましょう。では、今日はこれで解散です。」
会議に出席していた各隊長格が、それぞれの持ち場に戻った。
マルセルはその日、今年一番の緊張をしていた。マルセルも飛空船学科の3年生になり、方々の騎士団から船乗りとしてスカウトがあったが、本命のために全て断っていた。その本命である銀嶺騎士団飛行大隊の新入団員を決める最終面接が、今から始まるのだ。最終選考に残ったのは6名。その中から、2名だけが栄えある銀嶺騎士団の一員になれるのだ。
候補者が名前順に呼ばれ、スベルドロ砦の会議室に入っていく。どういうわけか最後になったマルセルは、面接を終えて出てくる者の様子を見せられて、余計に緊張が高まった。ただ、ここでしくじるわけにはいかない。すでに妹たちに先を越されているのだ。何としても、王国最精鋭の銀嶺騎士団飛行大隊に合格しなくてはならない。
マルセルの名が呼ばれ、会議室に入ると、面接官は初老の男性1人だった。銀嶺騎士団飛行大隊長であり旗艦テバイの艦長でもあるイリュス・バレアルスである。緊張が最高潮のマルセルは、しかし、この日のための秘策を用意していた。かつて妹のモカに連日模擬戦を挑まれ、薄氷の勝利を重ねていた時の気持ちを思い出すのである。当時、騎士志望のマルセルは、鍛冶師志望のモカに幾度となく追い詰められたが、兄の威厳を守るため何とか勝ち逃げに成功した。あの頃の騎士志望でさえない妹に負けるかもしれないところまで追いつめられていた状況に比べれば、面接などただ決まり切った問答を重ねるだけである。そう思うと大したことがない気がして、緊張もほぐれてきた。この秘策は功を奏し、マルセルは、大隊長の質問に澱みなく答え、無難に面接を乗り切ることに成功した。
その数日後の夕食の席でのことである。マルセルが待ちに待った瞬間がついに訪れた。
「まだ内々の話で発表前ですが、マルセルが銀嶺騎士団の飛行大隊に内定しました。よく頑張りましたね。」
「マジか、父さん。よっしゃあ!」
マルセルは全身で喜びを爆発させた。
「良かったですね。僕も連日君の勉強に付き合った甲斐がありました。」
と、暖かい反応をしてくれたのはオッティだけで、他の家族は、
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。黒竜、穀粒の素材、粗材って、いついつ出来る?出来る?」
「まだ、研究の緒に着いたばかりですからね。早くてもあと数か月は掛かりますよ。」
「みゃ。」
「キウ。」
と、マルセルの喜びを当然のようにスルーして関係ない話題で盛り上がっている。ちなみにマギーは口いっぱいに食べ物を詰めて喋れない。マルセルはショックを受けた。
「これで4兄弟全員、銀嶺騎士団の一員になるのです。マルセル、縁故採用と言われて、騎士団長である僕の評価を下げないようちゃんと励んで下さいよ。」
「何故俺だけ?」
「他の3人はもう実績があります。」
マルセルはぐうの音も出ない。
「マルセル、卒業できないと内定は取り消しですから、学業も気を抜いたらだめですよ。」
「さらに追い打ち!」
とはいえ、年が明けて春になれば、アウレリウス家4兄弟は、揃って父親が作った銀嶺騎士団の一員になる。行方の分からない18頭の黒竜という不安要素を残しながらも、案外平和な日常がしばらく続くこととなる。
〈第4章完〉