第42話 愛を知った場所
秋から冬の厳しい時期、懸命に民を助けて回っていたセレスが町へ来なくなると聞き人々は眉をひそめた。どうしてそんな寂しいことを。
「えええ。そりゃ残念だね……レオさんの領地にでも行くのかい?」
「あ、そうか! おめでただろ!」
「おお!」
誰かが叫んだ推測で人の輪が沸く。セレスは思わずレオと顔を見合わせた。二人とも顔がほんのり赤くなる。
「そ、そういうわけではないが」
「あらやだレオさんたら照れちゃって」
「そんな報せも待ってるからね」
「そうだよ、おまえさんたちの子ならきっと可愛いさ!」
二人の子――それはいずれ、王たらんとする者。
その子が市場の片隅で誕生を望まれるなんて。生まれたら、ぜひ聞かせてやらねばなるまい。そしてその期待に応えられるよう育ってほしい。
幸せな未来があることを願い、涙をこらえたセレスは微笑んだ。
「皆さま、本当にありがとう――」
みずからを押し殺して王宮にいた、「傷もの」の王太子婚約者セレス。
それが自分を見つめ直し、ありのままでいることを選べたのはレオに愛されたから。そして市井の人々に受け入れられたから。
この町で生まれ変わり、セレスはふたたび王宮に戻るのだ。王妃となるために。
「――奥さまぁ!」
にこにこ顔でコラリーが戻ってきた。これは良い展開が――と期待したレオだが、後ろのウスターシュは微妙な顔をしている。
「あのですね、ウスターシュさんのお兄さんの奥さまが侍女を探してるんですって。だから私、そちらの面接を受けさせてもらいます!」
「まあコラリー、よかったじゃない」
セレスはとりあえず喜んだ。ウスターシュはレオに何か耳打ちしている。冴えない顔なのは、玉砕なのかなんなのか。
「ああこれで少し気が楽になりましたよー。ウスターシュさんありがとう!」
「お、おう。じゃあ話を通しておくからさ。任せとけ」
トン、と胸を叩いてみせるウスターシュへのレオの視線が痛々しくて、セレスはちょっとオロオロした。
✻ ✻ ✻
ウスターシュは完全に望みを絶たれたわけではないらしい。今のところコラリーに色気がまったくない、と判明しただけだ。
広場の隅っこでの会話は以下のようなものだったとか。
「転職なんて大変だね。結婚すればひとまず安心なのに。そういうのは考えてない?」
「あはは、好きな人とかいないんで」
「そ、そうなんだ。誰もいい人はいない?」
「あーもちろんウスターシュさんはすっごくいい人だって思ってますよー」
「ほんと!? 嬉しいな。俺もコラリーさんて素敵だと思ってる!」
そこまで押したのに、
「やあだ、照れるじゃないですかー」
華麗に受け流され決め手に欠けたそうだ。
その後の面接でウスターシュの実家に就職が決まったコラリー。会う機会は増やせるので今後もあきらめないとレオに決意表明された。
「お似合いだと思うんですけど」
くすくす笑いながらセレスは友人たちの幸せを願う。だがカスタードを混ぜる手は止めなかった。それをレオが期待のこもったまなざしで待っている。
ここは館の台所だ。王妃になってしまえば、王宮の厨房で菓子作りなどできるかどうかわからない。
館を閉める手配でアネットやコラリーは忙しいが、主人夫妻は細々したことを使用人に任せている。邪魔にならないようセレスが避難したのがここだった。厨房は最後の日まで稼働するから。
意外にも甘味が好きだというレオのため、セレスは何度かデザートを作ってきた。王宮へ移ったらセレスお手製の菓子が食べられなくなると悲しむレオへ、名残りの贈り物なのだ。それにしてもレオまで台所に来るなんて。
今日作っているのはフラン。お酒の香りを効かせた卵のクリームをパイ生地に詰めて焼く。レモンの季節ではないのでタルトシトロンは作らないが、レオにしてみれば菓子の種類より作り手が重要なのだった。
「セレスが作ってくれるなら、なんでもいいんだ」
「……料理長のお菓子の方が美味しいですよ」
口ではそう言いながら、セレスの頬はゆるんだ。レオから菓子をねだられるのが嬉しい。
普段は優しく気をつかいがちなレオがたまに甘えてくると、胸がきゅうっとしてしまうのだった。
(……こんな強い人のことを可愛いだなんて、おかしいのだけど)
だんだん可愛く思えてきたのだから仕方ない。ねだられた時ぐらいレオを甘やかしてしまおう。
セレスはご機嫌で鍋を火からおろし、料理長に確認してもらう。
「……奥さまは腕を上げられていますよ」
しみじみと料理長が言ってくれて、セレスは「まあ」とつぶやいた。これまでの料理教室で無言を貫いてきた料理長に初めて褒められてしまった。
「そう……かしらね」
「はい。お別れするのは寂しいですな」
無口な料理長は本音をもらした。公爵邸に戻ることが決まった料理長がセレスに会うことは二度とないかもしれない。
「……ありがとう」
セレスはそれしか言えなかった。
この館では、誰もがあたたかかった。セレスがみずからを取り戻したのは、ささやかな幸せを思い出させてくれたみんなのおかげだ。ここでこのまま暮らしていければ、と願ってしまいそうになる。
だけどセレスにはやりたいことがあった。
マルロワの民を愛すること。苦しみを、せめて減らすこと。
だから、前に進まなければならない。
「――いつもお料理、美味しかったわ」
「ありがとうございます。奥さまにタルトをお教えしたこと、一生の自慢話ですよ」
クリームを手際よく冷ましながら、武骨な料理長はセレスを見ずに言ってくれた。




