第40話 素顔のセレス
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夜が来ても王都はまだざわついていた。
王位をめぐる一連の動きはまだ公に明かされていない。だが王宮の中で政変があったことを隠しきれるものではなかった。警備の兵も、宮殿に務める下女たちも興奮して話を広めていた。
渦中の夫婦、セレスとレオは無理を言って自分たちの館へ戻った。
警備の点から王宮にとどまるよう要請されたのだが――二人が「帰る場所」はあの館だ。新婚夫婦が悩みながら親しみ、仲を深めた館へ帰りたかった。
レオが戦いに向かったのは館の玄関から。
セレスが立ち尽くし見送った門へ二人で帰らなければ、この出陣は終わらない。
王宮から馬車で送られて戻った二人は、「家」に足を踏み入れやっと安堵した。出迎える使用人たちも一様に笑顔を見せる。
「――今、戻った」
レオはいつも通りの言葉をしみじみと口にした。
戦場から帰還してみれば王都は暴動に揺れており、留守を預かり気を張っていたセレスは何故か王妃に指名された。そんな激動の一日が終わる。
「レオさま……お帰りなさいませ」
「セレス」
玄関ホールで上着を脱いだセレスは、こみあげる気持ちのままにレオにすがりついた。
出迎えた執事ダニエルや家政婦長アネットが目を丸くする。人前で素直に愛情をあらわせない、慎み深さがセレスの身上だったのに。
(奥さま……おひとりでいたのがよほど心細かったのでしょうかね?)
館の使用人たちは、今日の王宮で起こった急転直下をまだ知らない。
まさか主人夫婦が国王と王妃になると決まったなどと思いもしないのだ。帰宅したことでセレスの張りつめた糸が切れたのもわからなかった。
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「……疲れたな、セレス」
久しぶりに同じ寝台にもぐり込み、レオは愛妻を抱きよせた。髪に指を入れ、梳く。
「レオさま……」
セレスはめずらしく甘え、胸に頬を寄せた。レオの匂いがして泣きたくなった。こうしていられれば何もいらない。
だが二人には今後、たくさんのものが付きまとうはずだ。国を率いる不安も、責任も。富や権威や名声だって得られるだろう。
だけどセレスが本当にほしいのは、レオだけ。
それはたぶんレオも同じだ。
レオの手がセレスの頭を引き寄せた。唇を合わせ、求め合う。セレスも夢中でレオをついばんだ。こんなにレオがほしかったのかと自分でも驚いた。
(――ああ、私)
もういいのだ。
セレスはセレス。正直になれば、それで。
そのままのセレスだけを見てくれるレオがいて。町にはセレスがよかれと為したことを受けとめ、喜んでくれる人々がいる。
(仮面に隠れる必要などなかった――)
息をつぐように唇を離したセレスへ、レオのまなざしは熱っぼかった。
見つめられながらセレスは手を右の頬へやる。
そして――仮面を外した。
「セレス」
レオは軽く目を見開いた。
頬へ斜めに刻まれたのは、薄紅の傷跡。
初めて見せる仮面の下はやや痛々しい。でもセレスはとろけるように笑んだ。
「……私、レオさまの前では何も偽らなくていいの。ずっと怖かったけど、あなたにならすべてを知ってほしい」
「セレス……」
レオは喜びにふるえそうなのを我慢しながら静かに指を傷跡へふれた。そっとなぞる。
「……綺麗に治っている」
「ええ、それは」
「だが顔の傷はつらかったな」
心ない者たちが投げつける言葉にセレスがどれほど苦しんだか。それを思いレオは顔をゆがめた。
傷跡ごときでレオの愛は揺らがない。
そう伝えたくてレオは唇を降らせた。頬の傷跡に。
繰り返し繰り返す、口づけ。
レオの愛の深さを知り――セレスは心の傷も癒えていく気がした。
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「なんという詐欺師なんですか、あなたさまは」
ビルウェン商人のギードは、ガックリと椅子に沈み込んで恨みごとを言った。新王はレオになる、とマティアスから告げられたのだ。
リュシアン失脚のために力を貸したのは、マティアスを王位に押し上げて恩を売るためだったのに。
王都の小さなギード商会。
訪れたマティアスは馴染みとなった乱雑な部屋ですっかりくつろいでいる。だましておいて失礼な態度だ。
「詐欺とは心外だな。私は最初から王位など狙っていない。そこを読み切れなかった君たちが甘いんだろう」
「いや、だってですよ?」
もう礼儀をかなぐり捨ててギードはふて腐れる。
「あなたが言ったんでしょうに。『自分が上に立ったら』って!」
「そっちがそう持ちかけたからだよ。条件未達になるだろうとは思っていたが、可能性はゼロじゃなかったしな」
「詭弁っすねえ」
それは領土の件。レオが治める地方のことだ。「マティアスが即位したあかつきには割譲の調印をする」と言い交わしたのは無かったことになる。だって即位したのはレオだから。
しかもそのレオは、実力でべーレンツ伯を撃退し領地を守っていた。だから割譲の理由そのものがない。
「あんなに早く紛争を終わらせて帰ってくるなんて聞いてなかったっすよ……」
「すまんな、有能な弟で」
「わかってて暴動の日を遅らせましたね。本当にひどいや」
拗ねたような言い方をされマティアスは吹き出した。中年男のくせに、とも思うがあまり憎めない。
「貿易の有用性については新王によーく説いてやるよ。ビルウェンが互いに益のある取り引きを持ちかけてくれるなら、助け合える間柄でありたい」
「――それ、ウチをいい感じにかませてくれますかね?」
ギードの目が光る。堂々とそんな申し出をされてマティアスはまた、笑った。




