第39話 国を導く人は
――夫を新王にという要請をセレスは微動だにせず聞いていた。
数瞬、意味が取れなくて言われた言葉を反芻する。そして理解した時、呼吸がとまりそうになった。
「俺を……王にだと」
横でレオがつぶやいた。こちらもあっけにとられている。正式な場なのに「俺」と言ってしまうほどには動揺したらしい。
「レオがふさわしいと思ったから推薦したまでだ。受けてくれないか?」
静かに言ったのはマティアスだった。
王位継承権第一位であるはずの、兄。その人みずから「ぜひレオに」と言う。
「どうしてだ。兄さんなら不足なく政務を執るだろうに。俺……私では知識が軍事に偏りすぎていて」
「レオの方がと考えた理由はいくつかある」
弟の反論など織り込み済みのマティアスは、よどみなく数え上げた。
ひとつ。現王に近かったマティアスでは民衆の印象が悪く、不満が解消できない。
ふたつ。ビルウェンなど近隣の情勢をかんがみれば、侮られないため武に長けた王を戴くのがよい。
みっつ。妻が王妃として申し分のない人である。
「特に最後のは――重要だろう?」
いきなり話題にされ、セレスは背すじを伸ばした。
卓に並ぶ人々からの視線はどれも熱い賛同を伝えるもの。今の王妃ミレイユと比べるのすら、セレスに失礼だと誰もが考えたのだ。
セレスは王太子の婚約者としてずっと努力してきた。その立場を失ってからも「仮面の男爵夫人」は市井に目を向け民をいつくしみ――民から尊敬の念を集めている。
マティアスは戸惑う弟夫婦に優しく言い聞かせた。
「この情勢では、国民に寄りそえる王妃の存在が大切だ。しかも政務を熟知し、王を助ける資質まで身につけているんだよ? 私の妻も素晴らしい女性ではあるが、王妃としての教育は受けていないからな」
選択の決め手となったのはセレスなのだと言われ、レオは言葉に詰まった。確かに――これ以上の王妃など他にあり得ない。
マティアスの後を引き取り、ラヴォー公爵は次男の嫁に語りかけた。
「今さら何をと思われるかもしれない。だが――あなたならマルロワ王国の母となり、民を導いていけるだろう。あなたの力を、この国とレオのために使ってくれないだろうか」
セレスは不思議と静かな心持ちで卓を見渡した。皆がセレスとレオの反応を待っている。セレスはしみじみと想いをかみしめた。
(――私がしてきたことは、無駄ではなかった)
誰もがセレスを認めてくれたのだ。それがわかって涙があふれかける。
(そうよ……ないがしろにされていた王太子婚約者の頃だって、レオさまはちゃんと私を見ていてくれたじゃないの。正しいことを貫けば、いつか報われる。私は……私のままでいてよかったのね)
そっと隣のレオに視線をやる。誰よりもセレスを認め、愛してくれている夫は、決意に満ちたまなざしを返してきた。
――応えてもいいか。
そう訊かれた気がする。
セレスは透きとおるように微笑むと、小さくうなずいた。
✻ ✻ ✻
「――なん、なんだ! どうして私を閉じ込める!? そんな不敬が許されると思うなよ!」
リュシアンがわめくのを、騎士団員が槍を突きつけて私室に押し戻そうとしていた。
一歩引いてながめる宰相と騎士団長は、なるべく冷たい目を保つ努力をしていた。少年の頃から見守ってきたリュシアンだ、個人的には憐れみの気持ちも大きい。
だが、どうしようもなかった。
国政をおろそかにし妃との生活に溺れるだけの王を戴く余裕など、今のマルロワにはないのだから。
「――リュシアンさま」
ラヴォー公爵は名を呼んだ。「陛下」ではなく。
その意味するところがわかったのか、リュシアンはギクリとした。
「公爵、それは――」
「残念です。おそれながら、伯父としてリュシアンさまの成長を楽しみにしておりました。ですがあなたは臣下の期待に応えて下さらなかった」
「何だと……」
「私どもはリュシアンさまに、速やかな退位宣言を求めます」
ラヴォー公爵が申し渡すとリュシアンは蒼白になった。
「わた、私を廃位するというのか……」
「できれば自主的な退位を、とお願いしております」
「まだ跡継ぎだって産まれていないんだぞ! 王なくして国をどうするつもりだ!」
「――あなたでも国のことを気にするんですなぁ」
とぼけた声が割り込んだ。
廊下を近づいてくるのはマティアスだった。その後ろにはレオもいる。二人を見てリュシアンはハッとした。そういえばこの従兄たちには王位継承権がある。
「マティアス、おまえが王になるのか!?」
「あはは、またそんな濡れ衣を」
ヒラヒラと手を振って、マティアスは横にどいた。にこやかに弟の姿を示す。
「王座はこの、レオに譲りました!」
心底嬉しそうに、ニヘラと笑うマティアス。父のラヴォー公爵は軽い頭痛をおぼえた。
この長男は昔から弟を溺愛していたのだ。その性根はいい大人になった今も、ちっとも変わっていないらしい。レオが国の頂点に立ち人々の尊敬を受ける姿を見るためなら、自分が裏方に回るぐらい喜んでするのだ。そんな志向を知るのは家族ぐらいのものだが。
「レオ――だと」
リュシアンは絶望の目で従兄を見た。では、王妃になるのは――。
レオは沈痛な面もちでリュシアンと視線を合わせた。しかしその目の底にあるのは、怒り。
セレスを嘲笑した男と、ようやく歯に衣着せず話ができる。
「リュシアン」
呼び捨てると、その無礼にリュシアンはギリと奥歯を鳴らした。だがレオは気にもとめない。もうレオは、リュシアンを丁重に扱わなくていいのだ。
「セレスを捨ててくれて心から礼を言う。おかげであんなに素晴らしい人を妻にできた」
「レ、レオ、貴様!」
「その点は感謝するが、貴様が国を傾けたのは事実。罪を悔いながら生きるがいい――セレスを侮辱したことも含めてな」
レオはクルリと背を向ける。
そして、二度と振り返らなかった。




