第21話 特製サンドイッチ
驚いて何も言えないセレスが会釈だけすると、パン屋のおかみはケラケラ笑った。
「ほんとに可愛らしい人だこと。でもその顔、どうしたの。あばたが残ってて気にしてるとか?」
セレスの仮面を見たパン屋のおかみは遠慮なく尋ねてきた。水ぶくれと高熱の病は定期的に流行するから、セレスのもそうだと思ったのだろう。
「そんなの病気で死ななかった丈夫な体の証拠だろうに。堂々としてりゃいいのさ」
「そう言わないでくれ。うちの奥さんはちょっといい家の出なんだ。周りに言われていてね。セレスティーヌ、気の済むようにしていいんだぞ」
さすがにレオが間に入った。セレスの心の傷に直結する話題だ。だがセレスは落ちついた声だった。
「丈夫な証拠……そうですね。ありがとうございます」
「やだよ、ありがとうなんて。ほらレオさん、何か買っとくれ。買わないなら商売の邪魔だよ」
礼を言われて照れたのか、パン屋のおかみはシッシッと手を振った。レオは笑って小銭を握らせる。
「買いに来たんだよ。いつものを――悪いがひとつだけ。セレスティーヌは小鳥みたいに小食なんだ」
パン屋は丸いパンに包丁で切れ目を入れて渡してくれた。レオはパンを手にさっさと離れていく。セレスはわけもわからずついていった。
次に顔を出したのは野菜が積んである店だった。そこでも同じように言葉をかわしながら、こんどは大量のクレソンをパンに挟む。
そしてチーズ屋で薄切りのチーズ、肉屋の鉄板からは岩塩を振った焼肉を手に入れて――。
「完成だ。どうだ、うまそうだろう? これにリンゴ酒を買って一緒にかぶりつくと最高でな」
できあがった具沢山サンドを示してレオは得意げだった。セレスはあきれて立ち尽くしてしまう。なんて雑な料理だろう。しかも外で、こんな。
「……レオさま。よくこうして?」
「うん、まあ。行儀が悪いのは承知しているが」
「そうですね……」
セレスはきちんと作法を守って生きてきた女性だ。街角で立ち食いだなんて方式があるとは。しかもこのサンドイッチ、大口を開けないと食べられそうにない。
「でも……とても美味しそうだと思います」
熟考の末、市場特製サンドの魅力にセレスは屈する。食べたそうにする妻を見て、レオはいたずらな顔で笑った。
ひとつのサンドイッチをかじって分け合うという冒険をクリアしたセレスは次に、市場の隅で花を買ってもらった。ささやかな、素朴な花束だ。
「セレスティーヌがくれたサシェのお返しだ」
レオは照れくさそうにする。
忙しい夫を案じてセレスがポプリを贈った頃はまだ、互いの好意もあやふやだった。だが今の二人にそんな心配はない。最初の夜からこっち、レオの寝台は使われずに置物と化している。
セレスを壊してしまうのでは、とレオが心配したのは杞憂だった。セレスが苦しくないか疲れていないか、レオはいつも気になって仕方ない。
レオは妻を歓ばせたいのだ。レオに体も心も預けてくれていると感じるのが至福なのであり、自分の快楽を追求してはいない。何もせず、ただセレスが隣に眠っているだけでも満足だった。
レオが花を買ったのは年端もいかない少女から。可憐な花を売っているのに、まったく楽しくなさそうな無表情だった。
胸が痛んだセレスが「お仕事ご苦労さま」と頭をなでたら、少女はビクッと怪訝な目をした。ここでは子どもが働くなんて当たり前のことなのだ。
小さな花束を手に、セレスは路地へ足を踏み入れる。頭の上には紐が渡され洗濯物がはためいていた。見上げて目を丸くするセレスに、レオは苦笑いした。
「ここはまだマシな道だ。石が敷いてあるからな。土の道は雨でぬかるみ、乾けば埃がたつ」
「それは都の中でも、ですか?」
「ああ。敷石は遠くから切り出してきた物だ。だからなのか、いつの間にか剥がされて無くなることも珍しくない」
そして石泥棒がまかり通るような地区へ、その後の補修は入らない。
セレスは暗澹となり唇をかんだ。
ここは王都なのに。王宮の足もとでそんなことが起こっていたのか。
「人々は……貧しいのですか」
キリ、とセレスは頭を上げた。悲しみをたたえた翠の瞳で下町を見渡す。
「貴族の――王の義務とはなんなのでしょう」
セレスは王妃として生きるべく学んでいた。その道は絶たれたが、セレスの中に帝王学は生きている。国を憂うセレスのまなざしに打たれ、レオは心を引き締めた。
レオの妻となったセレス――だがささやかに暮らす今もなお、王妃の気概を捨ててはいなかった。
下町をぐるりとめぐり、住人が快活なことにセレスは安堵した。皆、貧しさに下を向いているわけではないのだ。
ここでは生きていくために誰もがたくましい。それは人間だけではなくて、颯爽と走り抜けた猫にセレスは歓声をあげ笑われた。
「……だって、あんなふうに走る猫なんて見たことがないんですもの」
「貴族の邸で飼われているのは、もっとでっぷりしているしな」
猫はいろいろだ。すばしこくネズミを狩るかと思えば、愛らしく人に甘えて暮らしていたり。
「人だって……いろいろでいいのですね」
広場へ戻りながらセレスがつぶやいた言葉の意味を、レオははかりかねた。王妃となる運命が変わった自分のことを言ったのだろうか。
でもレオの隣にいる今の境遇を悔やんでいるようには聞こえない。すんなりとそこに立つセレスへの愛おしさがこみ上げ、レオは妻を抱きしめたくなった。
「セレスティ――」
「待ちやがれクソガキ!」
怒声が響いたのは広場の方からだった。




