第20話 市場でデート
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セレスとレオの仲が深まったのが、館の使用人たちにはすぐにわかった。二人のかもし出す空気が変わったからだ。
探り合うようだったのが全幅の信頼へ。そう感じて執事ダニエル・家政婦長アネット・侍女コラリーらは、安堵で胸をなでおろしている。
「セレスティーヌ、今日は街へ出てみないか」
レオが提案したのは休日の朝食の席だった。
式典前に忙しくしていたレオは、何かと休暇を申請し勝ち取ってくる。「新婚の妻をずっと放っておいたので温情を」と団長に訴えたらしい。
そんなことを言われても全団員がしばらく忙しかったのだが、騎士団長は苦笑いで認めてくれた。レオとセレスの身分を考えてだ。高位貴族出身で今も爵位持ち、ということではない。新王夫妻との因縁を思えば大変だったろうという、ねぎらいの気持ちによるものだった。
「街ですか?」
「あまり行ったことがないと言っていただろう? 俺はいつも巡回しているから、セレスティーヌにも見せてやりたい」
レオの言葉にセレスは花がほころぶように笑う――だが変わらず顔の右半分は仮面でおおわれていて、レオは少し悲しかった。妻の素顔を見たいというのは贅沢な願いではないと思うのだが。
「どこに行きたい? 街並みならば馬車からながめているだろうから……買い物でもいいし、劇場で芝居見物という手もある」
「……馬車では入れない路地や、市の立つ広場などには行けますか?」
セレスは遠慮がちにおねだりした。
そんな庶民の暮らすところ、と言われたら我慢するつもりだ。貴族の奥方が出向くのは、と渋い顔をされて当然だと思う。だがレオは不思議そうにしただけだった。
「どうしてそういう場所に?」
「あの、レオさまがおっしゃいましたよね。家のない子どもたちが追い立てられていくのは忍びない、と」
「ああ……式典の前か」
「そんな人々がいると学んではおりました。でも私、実際を知らないのです」
王都に生まれ、暮らしているくせに貴族の邸と王宮以外ろくに見たことがない。それがセレスの心に引っかかっていた。
コラリーは熱狂的に縫い物をしながら楽しそうに街での暮らしぶりを話す。館の料理人たちは市場で季節の食材を探してきては調理法を自慢げに教えてくれる。そのたびにセレスは思うのだ。自分は何も知らない、と。
「でも危ないのならば他のところでかまいません」
「いや。民の暮らしにふれてみたいというなら行こう。本当の裏道には連れていけないが、普通に女や子どもが歩いている場所なら任せておけ」
「いいのですか」
「そうだな……広場には花売り娘がいるし、屋台で食べ物を売っている。井戸端では洗濯する女たちも」
街の景色を数え上げるだけでセレスの目が輝く。王宮で学ぶばかりだった不自由な生活がうかがえてレオは決意した。絶対にセレスを楽しませよう。
それにこれは――二人の初デートだ。
あっさりめのドレスと短いマントをまとったセレス。きちんとしているがきらびやかではない上着姿のレオ。ちょっと上流の夫婦ぐらいに見える出で立ちにした二人は、歩いて館を出た。
この館は貴族たちが住まう地区の端にある。少し行けば商会が建ち並ぶあたりに入るし、庶民がつどう広場まで散歩するのも悪くはなかった。セレスが疲れてしまったら馬車を頼めばいい。
歩きながら、セレスは控えめにキョロキョロしていた。何を見ても珍しい。
「商会というのは、そこに品物を積んでいるわけではありませんのね……」
「そうだな。取り引きの中身を決めて書類を作るのがここで、倉庫は別にある」
船荷で動かすのが楽なので、倉庫は川岸にずらりと並んでいる。以前火事になったのはその一角だ。
「そこから少しずつ荷車で街に運ぶ。だが人々が食べる肉や野菜は、その日に近くの村から売りにくる物も多いな。そういうのを売っているのが――この市場だ」
「まあ、にぎやか!」
セレスが連れてこられたのは、支柱と布で簡単なテントを張った店がひしめく大きな広場だった。
うず高く積まれた果物や野菜、ハーブ。それにパン。素朴な草木染めの布や、木でできたおもちゃなどもあるのは農家の者が副業で作った物だ。生肉や魚の店が隅の方に固まっているのは、匂いや衛生管理の面でそうしてあるのだという。
「……きちんと考えられているのですね」
「それはまあ、ここに街ができて長いからな。皆で作り上げてきたやり方があるんだ」
レオの腕に手を添えて、セレスは広場を探検した。
大きな声で客を呼ぶ笑顔。値切られて渋い顔の店主。何かをねだって親の服を引っぱる子。生き生きとした生活がそこにあった。
(……館の皆が話していたのはこういうことなのね)
人が暮らすとはなんなのか初めてわかった気がした。これすらもほんの一場面にすぎないのだが、何も知らないよりはましだ。
下手をするとこんなこともわからないまま王妃になっていたのかと思うと恥ずかしさにふるえてしまう――今の国王夫妻は市場など見たことがないだろうけれど。
セレスはとても真剣に視察してしまった。だがレオはセレスを楽しませたいのだ。だからささやいてみる。
「さあセレスティーヌ、何か食べてみないか?」
いたずらな夫のまなざしに、セレスはきょとんとなった。
「食べ――でも私まだ、お腹がすいていないのですけど」
「そうか? うーむ、俺のオススメのやり方があるんだが」
レオはもったいぶって眉根を寄せた。そんなことをされたらセレスだって気になる。街の様子だけでなく、レオがいつも何をしているのかも知りたいのだった。
「どんなやり方ですか。教えてくださる?」
「もちろん。セレスがあまり食べられなくても俺が平らげるから問題ないな」
ニッと笑ったレオは、ずんずん歩き出した。市場のテントに分け入ると、パンの山の向こうに声をかける。
「やあ、売れてるかい」
「おや騎士団のレオさんじゃないか。今日は休みかい」
あっけらかんと返事をしたのは、パンのようにふくふくして笑顔がやわらかい中年女だった。
「でもなんだい、レオさん。格好つけた服で……あらら、そちらは」
「俺の奥さんさ。美人だろう」
「あっはっは、結婚したって言ってたっけねえ。嘘じゃなかったんだ」
「ひどいな、信じてなかったのか」
軽口を叩きあうが、周りの店の者たちは気にも留めなかった。レオはいつもこうして街の人々と話しているらしい。




